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ヤンデレから逃げたい悪役令嬢の話

作者: 修行屋さん

ヤンデレ vs 王道 の頂上決戦が読みたくて書きました。


「お兄ちゃん、今日もかっこいいね! やっぱりわたしはお兄ちゃんのことが一番好きだよ!」

「そう? 良かったぁ、お兄ちゃんもシシーのことが大好きだよ」


 Q.私はなぜ実の兄に死ぬ気で媚びを売っているでしょうか?

 A.死ぬ気で媚びを売らないと、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した私は7年後その兄に殺されるからでぇーす。


(なんてクソ問題ッッ!!)


 ニコニコと微笑みかけてくる兄に笑顔を返しつつ、私は内心絶叫した。

 あぁ本当になんて仕打ちなんだろう。前世の私はそんなに神様の気に障るようなことをしてしまったのだろうか。

 いやそれはない。なにせ私は21歳という若さでトラックにひかれて死んだのだ。

 そして目が覚めると高校時代にハマった魔法学園モノ乙女ゲーム「夕焼けの瞳」通称「ゆうひと」の世界に転生してしまっていた。

 しかもどう転んでも殺される運命にある制作陣から見放された悪役令嬢、アリシア・スターチスとして。(ちなみに兄がハイライトのない真っ暗な瞳でつぶやいている「シシー」とはアリシアの愛称だ)

 つまり神を恨む道理はあっても恨まれる理由なんてこれっぽちもないのである。

 ならばなぜ神は私に「将来自分を殺しにかかってくるヤンデレ属性攻略対象の妹」などというハイパーハードモードな試練を与えたもうたのか。

 お陰で未来溢れる十歳児であるはずの私の夢は「田舎でスローライフを送ること」になってしまった。


「シシー。 シシーは僕とずぅっと一緒にいてね」

「も、もちろんだよお兄ちゃん!」

「絶対だよ、絶対僕から離れないでね。やくそく」

「うん! や、やくそく……」

 

 ……いやまぁしかし何故だかヒロインではなく私に依存しているこの兄から逃げきれたらの話であるが。


 ◆


「ねぇ、シシー。 あの男はなぁに? お兄ちゃんにも紹介して欲しいなぁ」

「え~?あの男ってだぁれ? シシーわかんなぁい!」


 あれから時は流れ7年後。

 原作ゲーム通り私たち兄妹は魔法学園に入学した。

 そしてこちらも残念ながら……いや、この場合はやはりと言うべきか。兄は立派なヤンデレに成長していた。

 しかしである。なにも成長したのは兄だけではない。

 制作陣の仕掛けた破滅フラグを何としても折るべく、様々な努力と研鑽を重ねてた私は、なんと立派なぶりっ子(対兄専用)に成長していた!

 それはもう兄のヤンデレ攻撃を上記のよう見事にかわせる程の完成度である。

 当初私は「ヤンデレには光属性を」というスローガンのもと、兄と接する時は努めて明るく振る舞うようにしていたのだが、「シシーは僕がいなくても平気そう。 僕はシシーがいなくちゃ生きていけないのに」と結果的にヤンデレを促進させてしまうという散々な目にあったため、のらりくらりと受け流し殺されない程度に兄のヤンデレをかわす通称「臭い物には蓋」作戦にシフトチェンジをした結果、なんと兄のヤンデレは改善を見せ始めたのだ!

 これには読者の皆様も拍手喝采間違いなしであろう。

 かく言う私も兄が一人で寝れるようになった日には感動で涙を流したものである。

 このままいけば妹離れの日も近いかもしれない。


「これでやっと私もスローライフを送れるのね……」

「どうだろう、アリシアのお兄さんは何というか…愛情深い人だからなぁ」

「いいのよ、素直にシスコンのやばいヤツと言って」


 そう言った私に「アハハ、君は本当に面白いな」と弾けたような笑顔を見せてくれる彼はユーリ・リントン。

 乙女ゲームの舞台となる学園で出来た唯一の男友達で、兄の言う「あの男」とはユーリのことである。

 ちなみにユーリはこのゲームの攻略対象であり、最初はこれ以上破滅フラグを増やしてなるものかと彼のことを避けていたのだが、光属性爽やか王道美少年の魅力にあっさりやられて陥落。今ではこうしてたまに私の愚痴を聞いてもらいつつお茶をする仲だ。


「でもいいの? 俺と隠れて会ってることがバレたらかなりマズいんじゃない?」

「あらなぁに。ユーリは私と会うのは嫌なの?」

「嫌なはずないだろ! 俺がアリシアと会うのをどれだけ楽しみにしてると思って……」

「うふふ、知ってるわ! 意地悪いってごめんなさい。私もあなたとのお茶会すごく楽しみにしているのよ」

「あー!またやられたっ! もう、からかわないでったら!」  

「ふふふ」

 

 ユーリは照れ隠しに紅茶を一口飲むと、「ふんっ」と言ってそっぽを向いてしまった。

(あー、癒される……)

 明るくて素直な美少年、心の底から癒される。表情がコロコロ変わるのも大変素晴らしい。

 普段は致死量のヤンデレを浴びているので、身体が光属性を求めているのだ。

 やっぱり攻略対象はすげぇや。と私も紅茶に口を付けると、明後日の方向を見たままのユーリが「あっ!」と突然声を上げた。


「ねぇ、あれアリシアのお兄さんじゃない!?」

「えっ、」


「ほらあそこ!」と言うユーリが指をさす方向を見ると、確かにそこには兄の姿が。

 しかしこちらからは後ろ姿しか見えず、兄も私たちには気づいていないようだった。


「ほんとだ…お兄ちゃんあんなところで何してるのかな……あっまさか私の後を追って……!?」


 ありえる。あのヤンデレ代表の兄のことだ。尾行くらいお手のものだろう。しかも私がユーリのことをはぐらかしたあとだったし。

 きっと私の後を付けて来たに違いない。


「それはないんじゃないかな……だってほら、女の人と一緒だ。彼女さんかな?」

「えっ、彼女!?」


 全然私関係なかった。自意識過剰で大変恥ずかしい。羞恥で耳が熱くなるが、しかし「お兄ちゃんに彼女」というパワーワードのせいで一瞬で冷めた。

(彼女。……彼女ってあの、恋人を意味するあの彼女? それはつまりお兄ちゃんに恋人ができたってこと!?)

 噓でしょ…。という思いで恐る恐るお兄ちゃんの隣に視線を移す。

 するとそこには……。


「手ぇ繋いどるやん!!?!?」

「しーっ。アリシア静かに!お兄さんに気づかれちゃうよ」

「そっ、そうね…ごめんなさい。ちょっとびっくりしちゃって……だってまさかいつの間に兄とヒロインがデキてるとは思わないじゃん!!?」

「えっ、何、ヒロ…? アリシア、リリアナさんと知り合いなの?」

「あぁごめんなさいこっちの話よ。っていうかリリアナさんって……。もしかしてユーリも彼女と仲がいいの?」

「ううん、俺は全然。生徒会で一緒なだけだよ。俺じゃなくてエディオンが仲良しなんだ。それでたまたま知ってただけ。アリシアは?」

「わ、私も仲良くはないのだけれど、名前だけ……」

「あー、わかる。リリアナさん、有名だもんね。女神…だっけ?」

 

 女神となどという大仰な渾名で呼ばれている彼女、リリアナ・マーベル。

 平民の出でありながら500年に一人と言われる光魔法を有し、学園への入学を許可された特異分子で、この世界のヒロイン。

 そして、私の死因となりえる存在。

(まさか一番行って欲しくないルートを選んでくるなんて)

 シオン・スターチスルート。それは私が最も恐れているエンディングの一つであった。

 なにせ兄・シオンルートでは二人の恋路を邪魔する大悪役として、妹のアリシアは兄の手によって殺される。

 数ある中でも死亡率の高いルートだ。

 しかし逆に言えば最もフラグを回避しやすいルートとも捉えることができる。

 そう、リリアナと兄の恋路を邪魔しなければいいだけの話なのだ。

 人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んでしまえとはよく言ったものである。

 妹は妹らしく、兄に恋人が出来たことを喜び快く送り出してやるのが役目。

(でも……)


「ちょっと寂しいかも……」

「そう? 俺はいい機会だと思うけどな」

「私もそれはそう思うわ……。でもお兄ちゃんったら最近まで私がいないと一人で学校も行けなかったのに……」

「アハハ、それじゃあアリシアの方がお姉ちゃんみたいだね」

「笑い事じゃないのよ。 学園に入るまでは私と添い寝してたんだから!」


 そんなお兄ちゃんにもついに春が来たかぁ。

 なんだかしみじみとしてしまう。例えるなら娘に彼氏ができたお父さんの気持ち。最初は生き残ることが目的だったけど、長く一緒にいるうちに私は兄のことをそれなりに好きになっていたみたいだった。


「でも、お兄さんに彼女がいるんだったら来週の学園パーティーはどうするの?」

「あ、たしかに。お兄ちゃんと行く気でいたから……」


 学園パーティーというのは半年に一度、生徒同士の交流を目的として開かれる生徒会主催の立食パーティーのことである。

 私は学園に入学してからこのパーティーには、いつも決まって兄のエスコートで参加していた。

 すっかり板についてしまったというやつだ。

 うーん、どうしよう。なにせ私は学園パーティーに限らず社交の場には兄と二人でしか行った事がない。

 兄以外のパートナーと参加しようものなら命がいくつあっても足りなかったからだ。

 しかし兄に恋人が出来た今。

 当然兄はそっちのエスコートをするだろうし、私にかまっている暇などないだろう。

 そうなると困ってしまう。人望がないというのはこういう時本当に悲しくなるのだ。


「じゃあ、俺と行く?」

「え、ユーリと?」

「うん、そう。俺と。 恥ずかしい話なんだけど、実は俺もまだパートナーが決まってないんだ。 だからアリシアさえ良ければ、一緒にどうかな、なんて……」

「嬉しいっ! けど、ユーリは私なんかでよかったの…?もっといい人がいるんじゃ……」

「俺は君がいいんだよ、アリシア」


 真っ直ぐなブルーの瞳に射抜かれる。

 あまりに真剣な眼差しに心臓がトクリと跳ねた。

(勘違い、しそうになるじゃない……)

 差し出されたユーリの手に、恐る恐る自分の手のひらを重ねる。

 しかし指先が触れ合った瞬間、パシリと手を強く引かれて、腰が椅子から浮いた。


「わっ」

「絶対後悔させない。 最高の夜にしてみせるよ!」


 つかまれた手を引かれて立ち上がると、ユーリは逆に跪いて私の手の甲にちゅ、と軽くキスを落とした。

 少しかさついたユーリの唇の感覚はなんだかくすぐったくて、「ふふ」と肩を震わせた。


「もう、学園のパーティーくらいで大袈裟なんだから!」

「アハハ! 俺もそう思うよ!」


 弾けたように笑う彼の顔を見て、あぁ、やっぱり、と思う。

 あぁ、やっぱり好きだなぁ、と。


 ◆


「ねぇシシー。 どうして僕以外の男と手をつないでいるの。 僕のことが一番好きなんじゃなかったの?それとも僕のことが嫌いになったの。ねぇシシー。ずっと一緒にいてくれるっていうのは噓だったの……」

「噓じゃないよー!! ぜーんぜん噓じゃない! 今もシシーはお兄ちゃんのことが一番好きだよぉ!!!」

 

 パーティーは楽しいものだった。もう一度言おう。結果としてこうなっただけであり、パーティーは実に楽しいものだった。

 あの日のお茶会の約束通り、私はユーリに手を引かれて会場にやって来た。

 そして普段はあまり交流する機会のない同級生や他学年と談笑を交えつつ、豪勢な食事に舌鼓を打ってはユーリと「おいしいね」なんて笑い合い、新鮮だけど穏やかな時間を過ごしていた最中だった。

 いつの間にか空になった私のグラスを見て。気の利いたユーリが「ちょっと待ってて、俺持ってくるよ」と少し遠くにいるウェイトレスの元にドリンクを取りに行ってくれたその一瞬。

 背後から近づいてくる禍々しい気配に、はじかれるように振り向いた私は「あぁ」と諦めの息をついた。

 私ってばなんでユーリについて行かなかったのよ。

 しかし後悔後に立たず。あ、いや先に立たずだったか?

 これはもう仕方ないと腹を括った私は、目の前で項垂れる兄に取り敢えず抱きついてみるのだった。


「シシーも僕のことを捨てるの?」

「捨てない捨てない!むしろ全力で拾いに行ってる!」


 ハラハラと涙を流す兄は顔がいいのだから質が悪い。

 兄は全体的に色素が薄く髪は絹のようにまっさらで、まさに儚げ美少年といった容貌を醸し出している。

 見た目と中身のギャップがちぐはぐすぎて、兄の性格を知らないご令嬢あたりからは「本当に綺麗で優しそうなお兄様ね」と評判であるし、栗色ヘアー縦巻きロールの私との血縁関係を疑われることも少なくなかった。

 しかし正真正銘血のつながった兄妹である。異国出身で妖精みたいに美しかった母の遺伝子を兄が受け継ぎ、平々凡々それなりルックスだった父の遺伝子を私が強く継いだだけのこと。

 まったくなんて不平等なんだ、と少し恨みがましく兄のさらさらの髪をゆっくりと撫で付けると、私の背中に回した腕に一層力を込められた。痛い痛い。


「おいてかないでよ。一人にしないで……」

「置いてなんかいかないよ」


 兄と、それから私は幼い頃に事故で両親を亡くした。

 母の母国へ向かう途中の山道で、二人を乗せた馬車は落石に巻き込まれたのである。

 兄の誕生日がある6月の、雨の降る夜のことだった。

 しかしそれだけであったのなら、仕方のないことと割り切るまでは行かずとも、聡明な兄は自分の中で整理を付けて乗り切ることが出来ただろう。

 如何せんその別れ際が良くなかったのである。

 あの日。兄のすべてが壊れた日。

 母の母国へ挨拶に行く予定だった両親は、準備の過程で珍しく喧嘩をしたようで、どこか苛立った雰囲気をまとっていた。

 それを見かねた兄が母に言ったのである。「夫婦なんだから仲良くしなよ」と。

 しかしその何気ない一言が、不幸にも母の逆鱗に触れてしまったのだ。

 元々穏やかな性格ではなく、どこかヒステリーの気があった母は、たまに何かの些細なタイミングで手が付けられなくなることがあった。

 その偶然が最悪な形で重なってしまったのである。

 キンキンと高い声で怒鳴りつける母に、最初は冷静だった兄も次第にヒートアップしていき、ついには暴言の吐き合いにまで発展した。

「アナタなんか生まなきゃ良かった」と言った母に「生んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言い返した兄。

 顔を真っ赤にした母は「もうこの家にいたくない」と出発の時間を早めて逃げるように馬車に乗り、呆れ顔で溜息を付いた父も私たちの額にキスをすると母を追いかけて出ていった。

 それが、最後の言葉になってしまったのである。

 兄は今でもそれを後悔している。もう会えないとは夢にも思わず、母にひどい言葉を投げかけた自分を責めて…責め続けて、心に癒えない傷を負ってしまったのだ。

「僕が余計なことを言わなければ、落ちてきた石が母さんたちに当たることはなかった」と憔悴しきった声で呟いた兄の言葉は、今でも脳の裏側にこびりついている。

 それ以来、兄は私から離れることを極端に嫌がり、私も兄を見捨てることが出来ず、そのまま兄はヤンデレになってしまったわけである。

 運営よ、こんな重たい過去があるなら先に言っておいてくれ。

 最初から知っていたら、何か出来ることがあったかもしれない。

 しかしこうなってしまった以上、所詮悪役令嬢の私ではヤンデレになってしまった兄を救うことなど到底無理なのだ。

 泣いている兄を宥める役目もそろそろヒロインに明け渡さなくてはならない。

 

「で、でもね、お兄ちゃーん。彼女さんがいるならそっちと一緒にいてあげた方がいいんじゃないかな~って思ったり、思わなかったり……」

「は?彼女?」

「え。お兄ちゃんリリアナさんと付き合ってるんじゃないの?」


 言った瞬間、周りの気温が0度まで下がるのを感じた。

(やば、地雷踏み抜いた!)

 そう思ったがもう遅い。兄の目の中に辛うじて差していたハイライトの光は完全に消え失せていた。


「シシー、シシー。愚かで可愛い僕の妹。誰がお前にそんなことを吹き込んだのか、お兄ちゃんにも教えておくれ」


 そう呟く兄の声は、極めて静かなものだった。

 まるで歌っているようでさえあるその声は、しかしオオカミの遠吠えのような、凶暴な生き物がその残酷性を隠すために努めて優しい声を出しているときのような、底知れぬ恐怖を感じさせる。

 ゴキュリ、と喉から嫌な音が鳴った。


「ぁ……わ、たし……」

「大丈夫、悪いようにはしないさ。 怖がらないで。僕らの仲だろ?」


 兄は私の頬に両手を添え、私の顔を覗き込むように上からの見下ろしてきた。兄の長い髪がカーテンのように外界を遮断し、否が応でも兄の真っ赤で底なし沼みたいに冷たい瞳と目が合う。ツ、と嫌な汗が背中を伝った。

(これはダメだ……)

 本能が諦めろと警笛を鳴らす。

 迫りくる死を文字通り肌で感じて、せめてもの抵抗にと瞼を下ろしかけたその時だった。

 

「俺ですよ、お義兄さん」

「ゆ、り」


 ユーリは変わらず人好きな笑顔を浮かべて、そこに立っていた。

 彼の手には私のために持って来てくれたのだろう、ピンクゴールドの液体が入ったシャンパングラスが握られている。


「やぁ、探したよアリシア。 待っててって言ったのに戻ったらいないんだもんね」

「ぁ、えと、わたし」

「初めましてお義兄さん。アリシアさんの友達でユーリ・リントンといいます」

 

 兄は私の顔をつかんだまま、眼玉だけをグルりと動かしてユーリを見た。

 ゾッとするほど真っ赤な瞳には、明らかにユーリに対する嫌悪と憎しみが浮かんでいて、長いまつげは怒りに震えていた。

 もはや怨霊の域である。お兄ちゃんもう魔法使いじゃなくて呪術師目指したほうがいいんじゃないの、とそばで見ているだけの私でさえも、現実逃避をしないとおかしくなってしまいそうなほど濃い負の感情だった。

 しかしそれらをモロに浴びている当のユーリといえば、特に変わった様子もなくニコニコと爽やかに自己紹介をしている。

 さすが爽やか系攻略対象だ。ちょっとやそっとのヤンデレでは掠り傷ひとつ付かないらしい。

 ユーリが兄の気を引いてくれている間になんとか物理的な束縛から抜け出そうと身をよじると、兄の手は案外すんなりと私を解放してくれた。


「お義兄さんのお話しはいつもアリシアさんから聞いていますよ。とっても愛情深い方だとか」

「ユーリ?」


 おっと雲行きが怪しいぞ。

 察しが良く、その上普段から兄のヤンデレについて相談に乗ってくれているユーリのことだ。現在進行形で兄のヤンデレが暴走していることは声をかけてきた時点で彼に伝わっていると思っていたのだが、どうやら勘違いだったらしい。

 頼むからこれ以上兄を刺激しないでくれ、とユーリに縋るような視線を向けると、それに気が付いた彼は、しかし私の思いとは裏腹にニヤリといたずらっぽく口角を上げた。

 なにその顔かっこいい、と思う間もなく私の脳裏に嫌な予感が走る。 

(これってまさか……)


「……いつも?」

「はい。アリシアさんとはよくお茶をご一緒させてもらっているんです。アリシアさんとお話しするのはとても楽しくて、いつもつい時間を忘れてしまうんです……この間もごっ」

「ユーリと私はただのクラスメイトです!やましいことは一つもありません!お兄ちゃん今聞いたことは全部忘れて!」


 慌ててユーリに飛びつき、余計なことをペラペラと話し出した口を両手で塞ぐ。

 背中に突き刺さる兄の視線がまるで針山のようだがそれでも背に腹は代えられない。

 ユーリはちょっとしたいたずらのつもりかもしれないが、相手は本気のヤンデレなのだ。このままだとユーリは確実に殺されてしまう。

 しばらくもごもごやっていた唇がやがて大人しくなるのを手のひら越しに感じると、今度は上品にネクタイが結ばれたユーリの衿ぐりを思いっきり引っ張って、私の唇をユーリの耳に寄せた。

「黙って!これ以上はあなたの命が危ないわ!」と小声かつ力の限り叫ぶと、私に引っ張れているせいで中腰になったユーリは「大丈夫だよ、アリシア」と微笑んだ。なにが大丈夫なの?なにも大丈夫じゃないってば!


「きっと穏便に済ませて見せるよ。君も君のお兄さんも傷つけさせないって約束する」

「だから私じゃなくてユーリが、」

「大丈夫。俺を信じて」


 真っ直ぐなブルーの瞳に射抜かれる。

 あの真剣な眼差しに、心臓がまたトクリと跳ねた。

(ずるい、なぁ)

 この瞳を向けられた私に勝ち目はない。

 襟元からゆっくりと手を離して「任せるわよ」と頷いた。

 

「……思い出した。そうか。お前、幻術使いのユーリ・リントンだな!? 僕のアリシアに何を見せた!!」

「幻術使いのユーリ・リントン!?なにその二つ名!?」


 残念なことに、私の覚悟とユーリへの信頼は兄の言葉で全部吹っ飛んだ。

 幻術使いのユーリ・リントンとは。なんだその絶妙なネーミングセンスは。

 しかし混乱する私を置いて二人の会話は進む。

 私のツッコミは完全にスルーされてしまった。

 

「僕のアリシア? 聞き捨てなりませんねぇ。 今日、この場で!彼女をエスコートしているのは俺です」

「ツッコミどころそこ!?」


 ……なんだか論点がものすごくずれている気がする。

 当人たちは真面目な顔で睨み合っているため口を挟むことはできないが、 状況が思わぬ方向に進んでいるのは確かだ。

 やっぱりこの場を収められるのは私しかいない、と覚悟を決めて兄の方へ一歩を踏み出すと、しかし兄は見計らったかのように私の腕を掴みグイッと引き寄せられてしまった。


「わっ」

「……何を勘違いしているか知らないけど、所詮お前は僕の代わりで代替え品、第二候補だ。シシーの一番にはなれはしないよ」

「お兄ちゃん、」 

「現にシシーは僕に女が出来たと思っていた。さしずめお得意の幻術でありもしないデタラメを見せたんだろう? 全く、リントンの連中は相変わらずやり口が陰湿で嫌になる」


 兄は形のいい柳眉を片側だけ吊り上げると、真っ赤な瞳をギラつかせてとユーリを嘲笑した。

 言い切ってから「ハッ」と馬鹿にしたように鼻を鳴す顔はまさにヴィランそのものだ。

 わぁ悪い顔、と実の兄の悪人顔に若干引きつつもなんとか頭の中を整理する。

(ユーリの得意魔法は幻術で、お兄ちゃんとリリアナさんは付き合っていなかった……)

 それってつまり。

 

「ユーリが幻術でお兄ちゃんとリリアナさんの偽デート現場を私に見せたってこと……?」

「うん、そう。シシーはあの性悪に騙されたんだよ」

「えー!?」

 

 そうなの?という思いを込めて兄の腕の中からユーリを振り返ると、ちょうど彼のブルーの瞳と視線がかち合った。

 先程まで余裕の色を見せていたユーリであったが、兄の言葉に今度は打って変わって焦りが見えるような気がする。

 しかしユーリの本意がわからず、しばらく見つめ合っていると、突然「はぁあ~~」と大きな溜息を着いたユーリは、ヘナヘナと床にしゃがみ込んで顔を隠してしまった。

 

「ユーリ!?」


 慌てて兄の胸を抜け出して駆け寄り、ユーリ合わせて私も床に膝を付くと、彼は膝に伏せたまま「あー」とか「うー」とかよく分からない声を出していた。

 投げ出された手を取り「どうしたの?」と問うと、ユーリは僅かに頭を動かして目だけを私に向ける。

 しかし腕の隙間から覗いたユーリの表情があまりに予想外のもので、思わず掴んだ彼の手を離すと、逃がさないとばかりに追いかけてきた指に私の右手は絡めて取られてしまった。


「俺、めっちゃカッコ悪い……」


 ユーリの青い瞳は熱で潤み、揺れていた。

 左手でクシャクシャにかきあげられた前髪が一房垂れて、真っ赤に染まったおでこに影を作る。

 キュっと嚙まれた下唇と寄せられた眉根は、普段の彼からは全く想像できないほど深くしわを刻んでいた。

 つまり照れているのである。

 ユーリはその美しい金髪までもが色づいて見えるほどに赤くなっていた。

 

「ユ、リ」

「こんなはずじゃなかったんだ…アリシアを騙すつもりなんてなかったし、もっとスマートに伝えるつもりだった……」

「え、っと」

「でも、こうでもしないと君は俺をお義兄さんに紹介してくれないから……」


 ユーリは繋いだ私の手を握ったり離したりしながらポツリポツリと呟いた。時折親指で私の手の甲を撫で付ける仕草は、まるでおもちゃを取られてすねた子供みたいだ。

 しかし恋人を宥めるようでもあるその仕草に、私も内心真っ赤になりつつユーリの話に耳を傾ける。

 頬に熱が集まって来るのを感じた。

 

「ごめんね。君を絶対に傷つけないって言ったのに、守れなかった。 俺の覚悟が足りなかったせいだ」

「……覚悟?」

「そう、覚悟。……君に、アリシアに好きだって伝える覚悟」

「え、――?」


 時が止まったような気がした、なんて。ありきたりな表現だろうか。

 周りの雑踏も兄の視線もドクドクとうるさい心臓の音も、すべてが一瞬で消えてしまったように、世界には私たち二人しかいないみたいに、私はユーリの真っ直ぐな瞳から目をそらせなかった。

 ジンッと手のひらに汗が滲む感覚。

 呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに、上手く息が吸えない。

 はくはくと空気を嚙むだけの私に、ユーリは「アハハ、びっくりしてる!」と真っ赤な顔のまま笑うと、私の手を引いて立ち上がらせた。


「ユーリ」

「ごめんね、ドレスちょっと汚れちゃったかも」

「ユーリってば」


 かがんで私のドレスを払うユーリのつむじに「いつから」と問いかける。

 「いつから私のこと好きだったの」と。


「いつから、かぁ。考えたことなかったな。気づいた時にはもう、俺は君のことが好きだった。――だからきっと、初めから。アリシアに出会ったときから……違うな。アリシアに出会うために、俺は生まれて来たんだ」


 「なんて。やっぱりキザだったかな」と笑うユーリの顔を、私は見ることが出来なかった。

(だってあなたが私に会うために生まれたっていうなら――)

 私はユーリに出会うために死んだようなものじゃないか。


「好きだよ、アリシア。俺は君を愛して、焦がれたまま死んでゆきたい」

 

 人と人が惹かれ合って恋に落ちることを運命と呼ぶのなら。

 生死の狭間で出会い恋をした私たちを、人はなんと呼ぶのだろう。


「わっ、泣かないで、アリシア」

「ぅ、ズッ……な。ないてなんか、ない……っ」

「困ったなぁ、君を泣かせるつもりもなかったんだけど…」

「っだ、から!ないて、ないッ……!」

 

 噓だ。

 抱き寄せられたユーリの胸が涙でどんどん滲んで行くのを、私の頬が一番知っている。

 優しく頭を撫でられる感覚に、また涙が溢れた。

(まさか、)

 悪役令嬢に転生した私がこんな青春の一ページのような恋をするだなんて、夢にも思っていなかった。

 ひとつ違えば私を殺していたかもしれない相手をこんなに愛おしく思う日が来るだなんて、考えてもみなかったんだ。

 

「どうして……」

「うん?」

「どうして、お兄ちゃんに会いたかったの?」


 ズッと鼻声で涙でぐちゃぐちゃになった顔のままユーリを腕の中から見上げる。

 なんでこのアングルから見てもかっこいいのかは謎だが、「簡単なことだよ」と私の涙を拭うユーリの手は火照った頬に心地よかった。

 

「だって、アリシアはお義兄さんのことが大好きでしょ?」

「う、うん」

「だからお義兄さんにも俺のことを好きになってもらいたかったんだけど……まぁそれは追々頑張るとするよ」

 

「時間はこれからたくさんあるわけだし」とはにかんだユーリの視線の先にいた兄は、今にも泣きだしそうな迷子のようだった。

 目を伏せて唇を嚙み、ジッと泣くのをこえている兄をまさか放っておけるわけもなく、慌てて涙を拭いユーリの腕を離れた。


「お兄ちゃん」

「シシー、」


 そっと兄に駆け寄って、私よりずっと高い位置にある顔を覗き込むと、兄の真っ赤な瞳と目が合う。

 私をずっと守ってくれていた愛おしい夕焼けの色。

 愛が重くて、束縛が激しくて、泣き虫で、その癖意地っ張りな。

 私の、たった一人のお兄ちゃん。

 

「シシー」

「なぁに、お兄ちゃん」

「……シシーは、あの男のことが好きなの?」


 抱きついた私の横髪を撫で付ける兄の問いかけに、一拍おいてゆっくりと息を吸い込んだ。

 

「……うん。好きだよ」


(私は、)

 弾けたように笑う彼の笑顔に。

 いじけてそっぽを向いた横顔に。

 手の甲に落とされた唇の温度に。 

「アリシア」と私を呼ぶ優しい声に。

 あの真っ直ぐな青い瞳に。

(私は。どうしようもなく、恋をしている)

 

 だから。


「だから、お兄ちゃんにもユーリのこと、好きになってもらいたいな」

 

 私の好きな人を、あなたにも好きになってもらいたい。

 私の大切な人を、あなたにも大切にして欲しい。

(……なんて。傲慢だろうか)

 それでも、私たちの幸せを一番傍で見守って、私たちに負けないくらい幸せになってほしいのは、兄なんだ。

(だって私は――)


「私は、お兄ちゃんのことが大好きだから!」


 最初は生き残るためで、次は同情だった。

(お兄ちゃんの妹でよかった)

 でも今は心の底からそう思える自分がいることが、ちょっと誇らしかったりする。

 抱き寄せられた胸に顔をうずめ、息を吸い込むと懐かしい母と同じ香水の匂いがした。


「シシー、僕もお前を愛しているよ。それだけは忘れないで」

「うん、私も。お兄ちゃん、愛してる」

 

 私を抱きしめていた兄の腕が、ゆっくりと背中から離れる。

 赤くなった兄の目尻を親指で拭うと、長いまつげがくすぐったそうに揺れた。

 

「行っておいで」

 

 こつん、と額を合わせて微笑んだ兄に、優しく、しかし力強く背中を押されて一歩を踏み出す。

 これが、私の三度目の人生のスタートライン。

 スローライフなんかよりずっと幸せで、平凡で、愛おしい日々の初めの一歩。

「アリシア」と差し出されたユーリの手に、今度は笑顔で自分の手のひらを重ねる。

 ギュッと繋いだ手を離れないように、強く。

 

「ありがとう」

「うん?」

「俺の手を取ってくれて」


 つかまれた手を引かれて抱き寄せるられると、ユーリは私の唇にちゅ、と軽くキスを落とした。

 少しかさついたユーリの唇の感覚は、やっぱりなんだかくすぐったくて、「ふふ」と肩を震わせた。

 

「絶対後悔させない。 最高の人生にしてみせるよ!」

「もう、大袈裟なんだから!」

 

 弾けたように笑う彼の顔を見て、あぁ、やっぱり、と思う。

 あぁ、やっぱりこの人を好きになってよかったなぁ、と。

今回は出番のなかったヒロイン・リリアナちゃんとユーリの友達エディオンくんのベッタベタな学園青春物語も書きたいです。

少しでも面白いと思っていただけたら高評価お願いいたします!

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