クッキー祭り
プレーンクッキーを皿に山盛りにして、領主の目の前に置いてみた。パンを二口で食べてしまう領主には、大きいクッキーが良いかと思ったけれど、火の通りを優先して、ちまちましたサイズのものを沢山焼いた。領主の分はお皿にうつしたが、残りはきれいなバケツに入れてある。馬用ではない。適当な容器がバケツ以外ないのはちょっと見映えが悪いな、などとリラは考えているが、山盛りのクッキーも大概上品には見えない。
食べるやつらはどうせ入れ物なんて見ていない。
紅茶は木製のゴブレット(大)に注いである。ティーポットは今更用意していない。ゴブレットの方が容積が大きいのだ。
クッキーに伸ばす領主の手が気のせいかぷるぷる震えている。思わずリラがその手元を凝視すると、そーっとクッキーを摘んだ二本の指が、ぷるぷるからぶるぶると震えるようになって、少し持ち上げると皿にぽとりと落とした。
「あ」
見てはいけないものを見たリラは慌てて視線を外した。見てませんアピールにぱちぱちと瞬きをする。メガネがあるので視線はわからないはず。
再度手を伸ばした領主は、今度はクッキーを摘んだ瞬間に粉砕した。
「こういうものは、力加減がわからない」
領主の声がしょんぼりしている。
リラはほんの少しだけ口元を緩めた。クッキーを摘むのに、こんなに緊張している人をはじめて見たからだ。
ふと領主と目が合うと、みずいろの瞳が僅かに見開かれている。何かあったかと一瞬後ろを振り返ったが何もない。
リラに自覚はなかったが、ほんの少しだけでも微笑んだのは久しぶりのこと、この砦に来てから初めての事だった。
リラがここに拾われてから今まで、ずっと無表情だったのに意図があるわけではない。長らく矯正されてきたから癖になってしまって、表情筋が動かないだけだ。感情を表に出さないよう心がけている間に、感情そのものがなくなってしまったらしい。だから、何も考えずリラはクッキーを手に取った。こうして持てばいいという見本のつもりで。
「領主閣下」
摘んだクッキーを領主の口元に寄せると、また更に大きく目が開かれた。もう一度後ろを向いたがやはり変わったことは何もない。それから小さく口が開いた。いつも大きい口には吸い込まれるみたいに肉やらパンやらが消えていくくせに、今日に限ってやたら頼りなく見えた。そこにクッキーを放り込む。
「美味い」
むぐむぐと咀嚼して、ほうと息をつくように領主が言った。厳しく寄せられている眉は緩んで、氷のようなみずいろの瞳は気のせいかいつもより柔らかにみえる。
「失礼いたしました」
リラは自分が思わずあーんをしてしまったことに今更思い至り、無表情のままそっと姿勢を正した。
美味いと言われたことがやけに嬉しかった。さらに口元が緩んだかもしれない。
そのあと領主はなんとか一人でクッキーを食べた。つまみ損ねて落としたり粉砕したりしながら。山盛りの皿の半分くらいが領主の胃袋に消えた頃、やっと普通にクッキーを摘むことができるようになっていた。
練兵時には二時間ごとに休憩がある。昼食後の休憩は大体皆果実を絞った水を飲んだり頭から水を被ったりバケツの水を飲んだりしている。厩の馬と大して変わらない、とは思ったがリラは淑女だからちゃんと黙っていられる。
休憩時間にお菓子が振る舞われるのは異例のことらしく、バケツのクッキーはあっという間に消えた。さらにクッキー祭りが始まりそうになったが、領主に菓子は毎日出ないと言われてしょんぼりしていた騎士たちに同情したリラは、たまには食事にデザートをつけてもいいかと思った。
砦の領兵たちは甘いものが苦手かと思ったら、そうでもないらしい。というか食べ物なら多分なんでもいい。甘いとか辛いとか区別がついているのかすら不明だなどと失礼なことを考えたりしたが、どうやら美味いことはわかるようだ。
領主が週に一度クッキーを焼くのは負担にならないかと聞いてきたので、大丈夫だと答えると毎週練兵の日に振る舞う事になった。練兵後の疲れが取れるのだと言う。
偶には違うものが良いかと、他に何かと聞いてみたが、クッキーがいいと砦の皆が揃って返事をする。
これは多分あれだ。クッキー以外のお菓子を知らないやつだ。