お菓子ですか?
まるで吸い込まれるように領主の前に用意した朝食が消えていくのを、リラがスープを飲みながら眺めていると、領主が今日の予定を教えてくれる。午前は執務室で書類仕事、午後は鍛錬場で訓練だ。
領主は小柄なリラの倍以上の重量がありそうな見事な体躯に似合わず、とても美しい所作で食事をする。大きな掌に隠れてしまいそうなカトラリーを滑らかに扱い、僅かな音も立てない。少し前まで貴族令嬢として王宮に上がっていたリラが見ても、誰よりも美しいと評価したい。
だがいくら所作が優れていても、武技に長けていても、顔立ちが整っていても、恵まれた逞しい体躯であっても、過疎の辺境伯は悲しいかな未だ婚約者がいないらしい二十六歳。ここは王都から遠く、辺境ゆえに荒事もしばしばあり、乾燥した土地は痩せてさらに美容にもよろしくない。身分の合う令嬢たちからは領主ではなく土地そのものが忌避されているという。領主補佐談である。あといくら顔面が整っていても、いつも厳しく眉を寄せているのもよろしくない。初対面で怯えないように、怒っている訳ではないからねと領主補佐が言っていた。
「それと」
「はい」
珍しく予定以外に話があるようだ。リラは最後のオムレツのかけらを口に含んで咀嚼しつつ少しだけ姿勢を整える。あまり無茶なことを言う領主ではないことは、この一月でだいたいわかっているから怯えはない。
「菓子を」
「お菓子、でございますか」
「ああ」
あまり口数が多くない領主の言葉からリラは推測して、話を手早く済ませることを学んでいた。頭の回転は早い方だ。
「甘いお菓子でしょうか」
「……そうだな、甘いやつで」
これは、あれだ。
リラは直感した。お菓子の名前を知らないやつだ。お菓子と一括りにするには範囲が広い。当てに行くには少し手間かもしれない。どこで食べたやつとか言われても、土地勘のないリラにはわからない。そもそもこの国のご当地お菓子を知らない。なので一般的なものでお願いしたい。
このあとのリラの仕事に差し障りがないよう、手早く誘導しないと。そろそろ朝食を終えた騎士たちの交代時間だ。洗濯物がたんまり出てくる。領主の部屋と宿直室とその他の部屋の掃除、ガラス拭きと菜園の手入れ、通いのメイドたちに仕事を振り分けて昼食の準備と不足物品のチェック。やることをリストアップしながら、甘いお菓子なんて長らく食べていないなあと少し気分が上がる。領主はケチではない。お菓子があれば皆に振舞ってくれるはずだ。
「幾らかはお作りすることが出来ますが」
頭の中でレシピをひっくり返す。今ある材料で作れるお菓子を脳内で検索する。
「作れるのか」
「はい」
意外そうに言われてリラは少し首を傾げる。リラが作らずに誰が作るというのか。ここの原始人どもはたまごを殻ごと握りつぶしてかき混ぜて焼いたものをたまごやきだと宣ったのに。むしろ砂糖の存在を知っているのかすら怪しい。
「では何でもいい、午後の休憩時間までに間に合うものを作って貰いたい」
「かしこまりました」
一礼して、綺麗に空になった食器を回収してワゴンに乗せ、部屋を出る。
「初手はクッキーかしら」
あまり複雑なものを最初に出すとあとが面倒なことは、オムレツで学んでいる。それにしても領主が甘いものを好んでいたとは気づかなかった。この一月で食事の好みは把握したつもりだったのに、失態である。
日勤で通いのメイドは何人か居る。大体が砦に勤める領兵たちの家族や配偶者で、洗濯や繕い物、食事の支度などを手伝ってくれている。リラがここに来てからはいつのまにか皆がリラの指示で動いてくれるようになり、リラはメイド長のような扱いになっている。ような気がする。
生国から出されて、この砦に保護してもらった当初はこんな事になるとは思いもしなかったが、女中仕事は慣れたものだし、嫌味を言われたり意地悪をされたりしないのでここの生活は割と気に入っている。乾燥した空気はちょっと肌に悪いが。
仕事の割り振りをして、一緒に洗濯に向かう、年の近そうな兵士の妻にお菓子の話をきいてみる。
「この地方でよく食べるお菓子はありますか」
「お菓子ですか?」
若妻は首を傾げた。
「お菓子なんて、キャンディかクッキーくらいしか見たことないです」
お菓子などの嗜好品は年に何度か来る行商人から買い付けるのだそうだ。手紙が間に合えば取り寄せや予約もできる。豊穣祭や結婚式の時に張り切って取り寄せたりするが、普段あまり食べることはないらしい。
やっぱりクッキーかな、と考えつつリラは若妻たちと山盛りの洗濯ものを干した。