朝ごはんです
ここ辺境のサスティア砦上空はいつものように晴れ。この地域は極端に雨が少なくて、空気はいつも乾燥している。
リラは乾燥した風に煽られて傷んだ髪を一つにまとめておだんごに結って、メガネをかけて姿見の前に立ち、身だしなみをチェックする。
「よし」
臙脂色の飾り一つないエプロンドレスは、先週やっと仕上がってきたリラ専用のメイド服だ。この過疎かつ人材不足の砦に住込の女中はリラしかいない。姿見を確認して襟を少し引っ張りしわを伸ばすと、気合をいれるように頷いた。
朝がはじまる。
「おはようございます」
早朝鍛錬する領主を驚かすことがないよう、わざと大きめに足音を立てて近づく。手洗い用の水が入った桶と、タオル、お茶の置かれたワゴンをリラがいつもの場所に置くと、辺境伯である領主ケインはちらりと視線を向けるだけで、鍛錬を再開する。
ひと月前、リラがここに来た頃はこんな挨拶ひとつすらまともにできなかった。
淑女のたしなみでしずしずと歩いて近寄れば、暗殺者と間違われて剣を向けられた。手洗い用に手桶を用意したものの、領主の手が大きすぎて手桶には収まらず、今では馬用の桶を領主用に少し見栄え良くして持ってきている。
お茶もそう。小洒落たティーカップをキッチンから掘り出してみたものの、大きな領主の手には人形用のおもちゃのようで、一口で飲み干せてしまう。砦内で常用されているのが大振りのジョッキやゴブレットばかりだった理由がその時わかった。以来お茶はゴブレットになみなみ、保温魔法をかけて置くようにしている。ちなみにリラが来る前はお茶ではなく、桶から井戸水を汲んで飲んでいたらしい。まんま馬じゃないか、とそれを聞いて突っ込まなかったのはリラが淑女教育をまじめに受けていた恩恵に他ならない。
鍛錬後は自分で汗を拭いてお茶を飲んで、ワゴンは作業室前に配達してくれる、自立した領主に多分今は認識されていないが一礼して、リラは食堂へ向かう。まだ早朝だが、夜警任務明けの領騎士たちの食事の用意だ。
野菜たっぷりのスープに、揚げた芋とベーコンは昨夜のうちに下ごしらえを済ませてある。リラが調理場に着いたときには、食事当番たちが大鍋を温めていた。
「リラちゃんおはよう」
「おはようございます」
やっと顔見知りになって、びっくりされなくなった騎士や兵士たちと挨拶をしながら手を洗う。夜警帰りに鶏舎からたまごを集めてきた兵士がリラに山盛りのたまごが乗った籠を渡す。重いのでテーブルに置くまでちゃんと手が添えられている。ここの騎士たちもリラが野生の熊ではないことがわかってきたらしい。こんなに大量のたまごをいきなり渡されてもリラに持てるわけがないのだ。
リラがお礼を言って、たまごをボウルに割入れはじめると手の空いたものが手伝いに来る。彼らはオムレツの、たまごの殻が入ったところが当たると少し気持ちがへこむことも覚えて、丁寧に一つずつたまごを割ってくれる。リラは両手にたまごを持って慣れた手つきでリズミカルにたまごを割ってゆく。
ボウルいっぱいのたまごを溶いて大きなフライパンでオムレツを作るのは、今のところリラにしかできない。ひと月前、はじめてリラのオムレツを食べた騎士たちはおかわりを繰り返し、引継ぎ時間に遅れたりしたものだ。以来朝食にはオムレツが欠かせないものになっている。
オムレツ以外にもたまご料理があることを、今のところリラは言っていない。いつか彼らがオムレツに飽きたと言い出したら披露するつもりだ。
大量のオムレツを作ったあとは領主の分をとりわけて、ワゴンに乗せて部屋に向かう。ノックするとすぐに返事がある。一拍おいて扉をあける。
「朝食でございます」
「ありがとう」
鍛錬を終えて着替えた領主は、今日は来客も外出も予定が入っていないのでシャツにズボンのラフな服装だ。
相変わらず綺麗な顔。
リラは一瞬領主の顔に見惚れるも、表情には出さずに粛々と配膳していく。メニューは食堂のものと変わらない。領主はオプションでコーヒーがついている。もちろん華奢なコーヒーカップではなく、金属製のジョッキである。
領主分の配膳を終えてちらっと顔を上げると、みずいろの瞳がリラをじっと見ていた。小さく頷いて、一皿と、スープカップをひとつ、追加してテーブルの端に置く。リラの朝食だ。
なんだかわからないが、先週から領主はリラと一緒に朝食を摂ることになっている。いつのまにかそう決まったらしい。