第141話 重なった想い
風香の目の前に立ち、見つめ合いながらも、光輝の頭の中は真っ白だった。
「……久しぶりですね、光輝君」
「ああ、そうだな。 ……あの……」
「ここじゃなんですから、場所を変えませんか?」
「え? あ、うん」
二人は国防軍の運動場を後にし、少し離れた公園へと移動した。 勿論、光輝はロンズデーライトの武装を解除し、普段から愛用している黒のサマーコートを羽織っている。
移動のタクシーの中では、お互い黙ったまま、どこか所在なさげにする光輝を余所に、風香は清々しい表情で窓の外を眺めていた。
「さて、一ヵ月ぶりですか……」
「そ、そうなるの……かなぁ?」
「もしかして、山中での事って……覚えてないんですか?」
「いや、覚えてないというか……あれは俺であって俺じゃなかったっていうか……」
風香の表情が曇る。 風香にとって、あの山中での日々は人生においても重要な時間だったし、初めて心穏やかに過ごせた時間でもあるのだ。 それを、光輝は曖昧な反応で言葉を濁したのだ。
「……はあ、なんとなくそうかなとは思ってましたよ。 でも、舞い上がってたのは私だけなんですね」
「あ、いや……ゴメン! 風香には謝っても済まされないとは思うけど、本当にゴメン!!」
光輝はいきなり地面に額を擦り付ける。 今の光輝には、謝罪の意を示すのにこれくらいしか思いつかなかったのだ。
いたたまれなくなった風香は、溜息を吐きながら光輝を起こす。
「……もういいですよ。 あの時の光輝君は確かにいつもの光輝君とは全然違ったし、なんとなく事情は察してますから。 でも、光輝君になにがあったのか、光輝君の口で聞かせて下さい」
「俺の口で? えっと……どこまで?」
「全部です。 もう、私たちが出会った頃から光輝君に何があって、何を考えていたのか」
「……分かった。 本当は海浜公園で最後に会った時に、全てを言おうと思っていたから……」
光輝は、風香に出会ってから自分の身に起きた事を一つ一つ思い出しながら、つたない説明ではあったが、自らの言葉で風香に伝えた。
比呂に嫉妬し、そして黒崎に遭遇し殺されてしまった事。 その後、リバイブ・ハンターに目覚め、比呂の裏切りを知り、冴嶋に殺された事。
桐生と出会い、殺され、黒夢に誘われた事。 冴嶋にリベンジした事。
瑠美との出会い。 風香に告白しようとしていたが、ネイチャー・ストレンジャーに殺されてしまった事。
白夢アジトで風香と再会した衝撃、比呂との和解、ギフトの覚醒。
ナンバーズのナンバー1として過ごした日々、次第に失われた五感と感情。
ドイツで知ったリバイブ・ハンターの真実と絶望。 全てを捨て、山中に逃げた事。
そこで自我を失い、内側から自分を眺めていた事。 風香との日々の事。 ホワイトの事。 そして、桐生を殺し、自我を取り戻した事……。
それからの瑠美とカズールとのアメリカでの生活。 そして、今に至る……。
全てを、洗いざらい話した。 話を聞いている間、風香は何度も涙を流していた。
「これが、風香に出会ってから俺に起った全てだ。 本当にゴメン、なんか俺、風香を振り回してばっかで」
「なんで謝るんですか? むしろ、そんな過酷な日々を送ってたのに、私なんかどうでもよかったじゃないですか」
「どうでもよくない! だって……どんな時でも、風香は俺の心の支えだったから……」
いつでも、どんな時でも、光輝の心の中には風香がいた。 感情を失い全てを捨てようとした時も、最後に風香に会いに行く程に。 常に光輝の中には風香がいたのだ。
感情が昂った光輝は、風香を抱きしめたくなる衝動に駆られる。 だが、既の所で思い止まった。
やはり、自分にそんな資格は無いのだと。 桐生を殺し、黒夢の仲間を裏切った自分が、人並みの幸せなど求めたらいけないのだと。
「どうしたの? 光輝君」
「……いや、なんでもないよ。 さて、俺たちはアメリカのゲートに向かわなけりゃ行けないから、風香とはここでお別れだな」
「……分かりました。 また、会えますよね?」
その風香の言葉に、光輝は直ぐに応える事は出来なかった。
暫しの沈黙……。 そして、漸く光輝が口を開いた。
「俺は……ボスの意志を継ぎ、アンノウンを倒さなければいけないんだ。 絶対に。 その後は……生きていても、俺がブライトだと知られれば、また国際指名手配犯となって、日陰の生活を送る事になる。 だから、風香とはもうお別れだ」
光輝は、風香に明確な決別を突き付けたつもりだったが、それでも風香は引かなかった。
「私は構わない。 だって、私は一度は全てを捨てて、光輝君の下に飛び込んだのよ? あんな山の中だったのに。 光輝君は言い訳して逃げてるだけよ」
「逃げてなんかない。 ただ……俺には資格がないんだよ」
桐生が自らの命を懸けて自分を救ってくれたあの日から時間が過ぎ、仲間も出来た。 それでもあの日、桐生の最後に遺した言葉……アンノウンを倒せたら、それで終わりにする。 その想いは消える事はなかった。
失って尚、桐生がどれだけの人物だったかを思い知った。 第一次ハルマゲドンにおいてアンノウンと戦い、理不尽な世界を変える為に先陣をきって血を流し、ついには能力者と無能力者の壁を打ち壊したのだ。
戦う事しか出来ない自分とは大違いだ。 そんな事は、自分ではどんなに逆立ちしても実現できない。 自分には、戦う事しか出来ないのだから。
桐生の様に多くの人たちの……国の舵を取る事など絶対に無理だ。
桐生には、桐生にしか出来ない事がまだ山ほどあったハズなのに、自分なんかが生き残ってしまって本当に良かったのかと自問する日々。 どんなに表向きは笑っていても、どうしても考えてしまうのだ。 そして、考えれば考えるほど、気持ちは沈んでいく。 やはり、自分は全てを終えた後、消えるのが必然なんだと……。
「財前も言ってたじゃないか。 今、必要だったのは俺じゃなくボスだったって。 俺だってそう思ってる。 でも、俺はボスを殺したんだ。 そんな俺に、そんな未来に希望を抱く資格なんて……」
なんのしがらみも無く風香と一緒にいられたら、どれだけ幸せだっただろうと思っても、もう自分には幸せになる資格など無いと諦めていた。
「……そうですね。 そんな暗い顔してるうちは、光輝君は幸せになんてなれないでしょうね」
風香は、穏やかな表情のまま、だけど力強い眼差しで光輝を見つめた。
「私は……桐生さんには申し訳ないですけど、他の誰よりも、光輝君が生きていてくれた事が嬉しい。 それだけで幸せを感じる事が出来ます。 いいじゃないですか、泣いたって、怒ったって、悲しみに暮れたって。 その都度、私が光輝君の分まで幸せを感じて、それをお裾分けして光輝君の沈んだ心を照らしますから」
「……な、何言ってんだ、俺はもう、風香とは……」
二度と会うつもりはない。 そう、強がろうとした。 でも、風香の目は全てを見透かしているみたいで、光輝は何も言えなくなってしまった。
「桐生さん……って、どんな人だったんですか?」
「え?」
突然、風香は桐生の事を光輝に聞いてきた。 その意図は分からなかったが、光輝はポツリポツリと語りだした……。
「……ボスと最初に会った時、俺はギフトに目覚めたばかりで……過信してたんだろうな、向かって行った結果、瞬殺さ。 でも、そんな俺をボスは拾ってくれた。 俺にギフト能力者として生きる全てを与えてくれた」
話してるうちに、自分の目頭が熱くなるのが分かった。 ここで、風香が何故桐生の話題を振って来たのかに気が付く。 風香は吐き出させたかったのだ。 光輝の、ボスへの罪悪感を。 それでも、光輝は話を止めなかった。
「ボスってさ、普段は威厳の塊なのに、ぶっちゃけ只の戦闘狂なんだよ。 でも、考え無しに暴れてる様に見えて、全部何かしらの思惑があってさ、とにかく凄いんだ。 そうだ、あん時だって……」
光輝は夢中になって話した。 桐生がどれだけ凄かったのかを思い出すかの様に。
「……それに、あれだけ強くて凄いのに、自分を信じてくれる仲間は絶対に守り抜くんだよ! だから……最期も……俺の事を……」
もう駄目だった。 堪えきれず、光輝の涙腺は完全に崩壊してしまった。
「私は国防軍でしたから、桐生辰一郎は敵だったんですけど、なるほど……軍が黒夢に勝てなかった理由が分かりました。 そんな凄い人が作った組織なんですもん」
なぜか、風香にボスを褒められ、光輝は自分の事の様に誇らしかった。
「そんな凄い人が、最期に自分の願いを託したのが光輝君なんですもんね。 やっぱり光輝君も凄いんだなぁ。 だから、たまには泣いても良いけど、桐生さんの願いを叶える為にも、自分には生きてる意味が無いとか、資格が無いとか考えるのはやめましょう。 桐生さんが選んだ人なんですから、胸を張って下さい」
「俺は……そんなボスを殺したんだぞ? 胸を張って生きていい訳が無い……そんな資格は無いんだよ」
まるで縋る様に、光輝は風香を見つめる。
すると、風香が光輝の頭を自分の胸元に強引に引き寄せた。
「そう。 桐生さんは……光輝君にアンノウンを倒してと願った。 でも、それと同じ位、光輝君に幸せになって欲しいと思ってたんじゃないかな?」
「ボスが……俺の幸せを?」
「だって……私は意識を失う寸前だったけど、桐生さん最期……笑ってたよ。 光輝君を、まるで自分の息子を見るみたいに。 自分の子どもに不幸になって欲しい親なんていないでしょ?」
光輝の脳裏に、桐生との出会いから最期の時までがフラッシュバックする。
桐生は、厳しくもあったが、いつでも光輝を影で見守っていてくれた。 光輝が一人前になるのを、ずっとサポートしてくれていた。
黒夢アジト深層部の石碑を見ながら、桐生の想いを聞いた。 自分の力でその想いを実現させてあげたい。 それが光輝の目標となった。
でも、最期に桐生は自分の命を、光輝を助ける為に使ってくれたのだ。
「光輝君が桐生さんに抱く感情は負い目なんかじゃない。 感謝だよ。 感謝して、それで、桐生さんの分まで精一杯生きなきゃ」
光輝は自我を失うと知ってから、桐生を殺すくらいなら自分がいなくなればいいと、ずっと一人でもがいていた。 でも、結局それは無意味になってしまった。
だから、今度こそ一人で、最後までやり遂げなけらばいけない。 そして、その後の未来は、自分には存在しない。 そう思っていたのだが……。
「……まいったな……、俺、カッコ悪ぃ」
好きな女性の前で号泣してしまった事に気が付き、涙を拭おうとするが……。
「カッコいいのも良いですけど、たまには弱さを見せてくれた方が、女性は嬉しいもんですよ?」
風香の優しさに甘えて、再び胸元に顔を埋めた後、光輝はしばらくの間泣き続けた……。
まだ、完全に贖罪の意識が消えた訳ではない。 それほど、光輝にとっても……黒夢のメンバーとっても、世界にとっても、桐生の存在は大きかったのだから。
それでも、光輝は少しだけ前向きになる事が出来た。 これからも、一人では挫けそうになるかもしれない。 それでも、そんな時に力になってくれる仲間がいる。 それがこんなにも心強いと云う事を知ったから。
光輝は顔を上げて涙を拭い、風香を見つめる……。
「風香……俺と……」
「私は。 もう逃げないって決めてるんです。 いつも……初めて自分の隊を持った白虎隊の時も、信頼出来る仲間と作った華撃隊でも、私は逃げてしまいました。 だから、今度は逃げません。 これでも国防軍の将軍ですから、逃げずに戦います」
光輝は、風香を失うのが怖くなった。 だから、一緒にアメリカへ行こうと言おうとしたのだが、風香は光輝の言葉を遮り、真っ直ぐに自分の決意を口にする。
それは、光輝に依存し、失敗を繰り返して来た弱い自分と決別するため。
今度こそ逃げずに戦い、堂々と光輝の隣にいたいから。 守られてばかりの自分では、光輝の隣りにいるには相応しくないと思ったからだった。
「そうか……。」
そんな風香の想いを、光輝も汲み取った。
そして、じっと風香を見つめる。
「あの時は……どこか、現実味がない約束だったけど……もう一度言わせてくれ。 アンノウンを倒したら……安心して生きられる世界が訪れたら、また、会いに来て良いかな?」
光輝は海浜公園での別れのセリフを、今度は素直な気持ちで言葉にした。
「……うん。 えへっ、会いに来てくれなかったら、私から会いに行くから」
それに、今度は風香も涙を流しながら、素直な気持ちで応えた。
きっと、アンノウンを倒せる。 そして二人で、新たな世界で共に生きる。 そう信じて、光輝と風香は口付けを交わす。
それは、長い間すれ違ってばかりだった二人の心が、漸く本当の意味で重なった瞬間だった……。