第116話 対峙した者
――東京
都内の最高級ホテル。その最上階BARラウンジは、普段は夜景を楽しめる人気スポットなのだが、今日は貸切状態となっていた。
窓際のソファーに座り、夜景を見下ろしているのは、黒夢のボス・桐生辰一郎。
長年の宿願がほぼ達成しつつあるにもかかわらず、その表情は優れない。
「まだボウヤは見つからないのかい?」
するとそこへ、桐生とは旧知の仲である白夢のボス・白蛇雪がやって来た。
「ああ……。 まったく、一体何処へ消えちまったんだか」
「折角本物のヒーローになれる段取りもしてたのにねぇ」
雪の言葉に、桐生は溜め息を吐く。すると……
「やぁ、流石に年寄りは早いね。 まだ約束の時間より30分も前なのに」
現れたのは、黒夢とは長年のライバル関係にあった陽炎のボス・霧雨右京だった。
「年寄りとは失礼だね。 私はまだ現役だよ。 私の魅力が分からない様じゃ、アンタもまだガキんちょだね」
「え~? なんの現役なんだよ、オバチャン」
霧雨は人懐っこい笑顔を雪に向ける。 まるで本当の子どもか孫かの様に。
そして、今回の会合の最後の1人が到着する。
「桐生と雪さんは分かるが、おまえが時間前にいるなんて意外だな、霧雨」
現れたのは国防軍元帥・財前敏昭。今や国防軍のみならず、肩書き的にはまだフィルズと呼ばれるダークサイドの能力者すらも従える、この国の中枢の一人。
「ちっ、目の上のタンコブめ。 言っておくけど、僕はアンタに協力してるんじゃ無いから、そこん所勘違いしないでよね」
桐生と雪の前では穏やかな笑顔を浮かべていた霧雨の表情が曇る。
「安心しろ。 私もおまえの事など信用していない、このハイエナ野郎が」
「なんだと~?」
財前の皮肉に霧雨が戦闘オーラを漂わせて立ち上がる。だが、桐生がそれを制し、霧雨を無理矢理ソファーに座らせた。
「不毛な争いは時間の無駄だ。 早く本題に入れ、財前」
「分かったよ」
桐生、財前、雪、霧雨。
この国のギフト能力者のトップと呼んでも過言ではない四人が一同に会した。
「さて、日本では予定通り第一弾のフェノム再来は抑え込む事に成功し、現在は他国へも援軍を送っている。 我々の長年の宿願でもあった能力者と一般人の平等な社会を創る法案も、間もなく国会で可決されるだろう」
「おや? 野党はおろか、まだ与党内でも反発する議員もいるんだろう?」
雪の言う通り、財前や桐生、霧雨の活躍でフェノムを早期に撃退した事により、世論は法案の可決を支持する方向に傾いている。
だが、国の行く末を決めるのはあくまで国会。ほとんどがギフトを持たない無能力者である国会議員なのだ。
「ここまで来たらやり用は幾らでもある。 徳川の支持率も安定しているし、今では与党内の半数以上が法案に対して理解を示している。 そうなれば野党など関係ない」
「……まったく、本当に長かったな、ここまで」
桐生が夜景を見ながら、目をつむる。
桐生と財前は、20年前のハルマゲドンに参加し、生き残った10人の内の2人。
財前はアンノウンとの直接対決の場にはいなかったが、桐生は鬼島と、アンノウンと相討ちの形で殉職した当時最強のスペシャリストだったエルビン・クルーガーと共に、アンノウンとの直接対決に立ち会った1人。
アンノウンを倒し、凶悪なフェノムがいなくなった事で、誰もが安心して暮らせる平和な世界が訪れると、桐生はそう思っていた。
だが、ギフトを持つ能力者が国の中枢となる事を恐れた無能力者達は、自分達が能力者達を支配する側である事を知らしめる様に、次々と能力者達を押さえ付ける法律を造り上げ、ある意味能力者達を監視下に置ける環境を構築した。
桐生や他の能力者達は勿論反抗した。だが、無能力者達の行動が迅速だったため機を逃してしまう。その上、数の上では無能力者が圧倒しているのだ。
仮に、国内で能力者と無能力者が戦争を始めたとしよう。
ギフトを手に入れて個の力では能力者が圧倒的に有利だとしても、無能力者にはそれを補う化学兵器がある。
化学兵器のほとんどは、レベル9以上のフェノムには効果が薄かったが、人間は違う。それが例え能力者だとしても。
桐生や鬼島クラスならば、大多数の兵器を持った兵士と渡り合えるだろうが、それ以外の能力者では絶対に数の力には太刀打ち出来ないのだ。
それが分かっていたから、自分以外の能力者の血を無駄に流させないために、英雄と呼ばれる鬼島は組織の一員として、従う道を選んだ。
だが、桐生と財前は納得していなかった。
必ず、無能力達に支配された世界を変えると決め、財前は国防軍に残り、桐生はフィルズとなった。表と裏から世界を変えるため、二人の全てはそのためだけにあったのだ。
「法案は勿論重要だ。 だが、世界が破滅してしまえば全ては無意味となる。 アンノウンの復活も近いからな…… 」
桐生の言葉に、場の空気が変わった。
「予言の結果では、アンノウンの封印が解けるまで、あと半年。 各地でのフェノムの再来がそれを証明している。 今回は犠牲を払いながらも人類が持ちこたえるだろうが、アンノウンが復活するとなれば今の戦力では厳しいだろうな……」
桐生は現状の戦力を分析した結果、このままではアンノウンには勝てないと考えていた。
その分析に財前も頷く。
「アンノウンか……。 20年前、世界中から結集した能力者は精鋭揃いだった。 全員が当時の国防軍大将クラスと言っても良いほどに。 にもかかわらず、100人いて生き残ったのが10人だったからな」
「今の俺が当時の全盛期の鬼島に退けを取っているとは思わん。 だが、今の俺でも、アイツを超えているかと考えると、自信を持って超えたとは言えん」
桐生の言葉に、霧雨が驚いた表情を浮かべる。
「桐生のオッチャンでも勝てないって思うって、エルビン・クルーガーって奴はどんだけなの?」
エルビン・クルーガー。アメリカ出身で、歳は生きていれば桐生と同じ。
そのギフト能力は覚醒の末に比呂が発現させた、歴代最高のS+であるワールド・マスター。文字通り、熟練度次第では世界を支配する事も出来る程の超絶ギフトだった。
「真田比呂もワールド・マスターに目覚めたが、クルーガーに比べればまだ圧倒的に熟練度が足りない。 このままの成長速度なら少なくともクルーガーの熟練度に到達するまでにあと10年は必要だろうな」
財前の分析は正確だった。 それでも、現段階の比呂でも、既に世界的に見ても10本の指に入るであろう実力者だ。つまり、現状の戦力は当時と比べて劣っているという結論になる。
「……現状、俺の他にあの頃の鬼島やクルーガーと並ぶ可能性がある能力者は1人しかいないだろうな……」
「……周防光輝、ブライトか」
桐生と財前、2人が思い浮かべたのは、異色のギフト、リバイブ・ハンターのギフトを駆使し、複数の高ランクギフトを所持するブライトだった。
「だって、ブライトはあの老害達を殺してから行方不明なんだろ? 案外もう死んでんじゃない? せめて死体があれば僕が影として率いてやるんだけどなぁ」
霧雨が呟くと、全員が押し黙ってしまった。それぞれがそれぞれの思惑を思い浮かべて……。
そして、財前はチラリと霧雨を見て、言うべきか言わぬべきか考えた後、口を開いた……。
「これは、先日ドイツから亡命して来て、私が個人的に匿っているドクター・シュトロームから得た情報なんだが……ブライトの事は忘れた方が良い」
ドクター・ロイター・シュトローム。
ドイツでリバイブ・ハンターを研究していたマッドサイエンティストだ。
ブライトの手によって研究所を追われ、ドイツ国内を逃亡していたのだが、ブライトが行方不明になった事と何らかの関係があるかもしれないと踏んだ財前が、数日前に身柄を確保したのだった。
ブライトの事は忘れろ。 ……リバイブ・ハンターの秘密を知っているシュトロームの情報から導きだされたであろう言葉に、桐生は眉間に皺を寄せた。
「忘れろだと? どういう事だ、敏昭」
「特に君だよ、桐生。 君のためにも、そして、多分君のために姿を消したブライトのためにも、彼の事はもう忘れた方が方が良い……」
そして、財前はシュトロームから得たリバイブ・ハンターの秘密を語った。
能力発動の条件と弊害。それにより、桐生を殺さなければブライトの自我が崩壊し、戦うだけの戦闘マシーンと化してしまう事を。
それを聞いた雪は、涙を浮かべた。
「そうかい……だからボウヤは……」
「つまり、自分が狂人になる事よりも、桐生のオッチャンを優先した訳か。 複雑だけど、分からなくもない選択かもね。 実際、僕もオッチャンやオバチャンには恩があるから、気持ちは理解出来るからね……ってうわぁ!?」
すると、黙って俯いていた桐生がテーブルを叩き割った。
「……ブライト……あの馬鹿野郎がっ……」
桐生の表情は、悲しみや戸惑いなどではなく、明確な怒りを浮かべていた。
「落ち着けよ桐生。 いくらブライトの実力が君に匹敵するとしても、君と彼では経験値が違う。 一度、アンノウンと対峙しているという経験値がね。 だから、彼が自分の命よりも君の命を優先したのなら、黙って彼の意を汲んでやるべきだ」
桐生は考える。 ブライトの事を。 そして……
「アンノウンと対峙した経験値か……。 だからこそ、俺にしか分からない事もある」
桐生は立ち上がり、歩き出した。
「おい桐生! まさか、バカな事を考えてるんじゃないだろうな!?」
導きだされる嫌な予感に、財前が桐生の肩を掴む。
「心配するな。 わざわざ命をくれてまでヤツを助けてやろうとなどせん。 ただ、確認すべき事が出来ただけだ」
暫し睨み合う桐生と財前。
やがて……財前が桐生の肩から手を離した。
「俺達の……俺やおまえのために、自らの命を犠牲にした多くの同志たちの宿願が、漸く達成されるんだ。 おまえが死ねば、同志たちの死は無駄になるんだ。 それを忘れるな?」
黒夢を立ち上げてから、多くの仲間……同志たちが、桐生の目的に賛同し、散っていった。
そして、ブライトもまた、そんな同志たちの一員となる決断をしたのだ。 それを、桐生はよ~く理解していた。
「アンノウンと対峙した俺だから分かる事。 そのために、俺は俺が出来る最善を尽くすまでだ。 ……心配するな、無駄に死ぬつもりはないさ」
そう言うと、桐生はバーを後にした……。




