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我、機動部隊ト(シテ)交戦セリ

作者: 山中 孤独


マリアナ沖で翔鶴は中破しましたが、帰還した世界線です。大鳳は残念ながら沈みました。

なので第一航空戦隊は解体されてませんし、微妙に喪失した艦艇も異なる設定にしてあります。


フィクション小説なので、色々とご容赦ください。

「山口多聞」氏の開催する架空戦記創作大会2019春の参加作品です。





 希望はどこに見出すべきか。

 希望があるところにこそ、希望はあるのだ。


 自分の判断が、これほど功を奏したことはこれまでの人生でないだろう。

 彼の男に帝国の希望を託すことなど到底できない。


 提督はどこかでそんなことを思っていたのかもしれない。


 この戦争の始まりが真珠湾攻撃であったが故に、この戦争において機動部隊が帝国の希望となったことは疑うべくもない。そして今、帝国の機動部隊の指揮官はこの提督の手に委ねられている。

 そして提督の持つ矜持が、台湾沖に艦載機を展開させることをためらわせた。

 半数以上を教練、調整の名目で待機させた。あの手この手で、連合艦隊や軍令部に文句をつけられようと艦載機を手元に残した。これが今となっては、どれほどの希望になっているか。

 もし台湾沖で航空戦に参加させていたら、艦載機をすりつぶしていただろう。

 

 彼の男の艦隊が突撃する。帝国機動部隊は敵機動部隊を誘引する。この作戦は了承した。

 だが決して彼の男の艦隊に希望を託すのではない。

 帝国機動部隊のその死に様を後世に恥じぬように見せつけることこそ、帝国の希望となるのである。

 もちろん提督は生き抜く努力をしようと誓っていたが、帝国機動部隊が二度と出撃することはないだろうとも思っていた。

 練度に不安の残る航空隊。なけなしの護衛艦艇。艦隊の常道にあらずというべき作戦。

 唯一誇るとすれば、損傷しながらもなんとか命をつないできた翔鶴と瑞鶴がこの艦隊に残っていることだけである。

 真珠湾攻撃の時、一航戦や二航戦に比べて練度の劣るといわれていたが、今やその第一航空戦隊を務めており、しかも帝国の希望というのだ。しかも自分が翔鶴と瑞鶴の名誉の死に期待していることに、提督は笑うこともできない。


 一航戦の翔鶴、瑞鶴。

 三航戦の瑞鳳、龍鳳、に加えて臨時編入の隼鷹。 

 空母だけで五隻。さらに、伊勢や日向、大淀といった主力護衛艦を含め、合計で19隻。

 開戦時なら何とか機動部隊の体を成している、と言われても仕方ないが、これほどの劣勢でこれだけの戦力をかき集められただけでも称賛されるべきであろう。


 まぁ、よくもこれだけの部隊を手元に残せた、と提督自身も自分を称賛した。

 隼鷹を配備し、護衛艦艇を最低限でも確保できたこと。これ以上のことはないだろう。

 雨の中、出港する艦隊。

 ほとんどのフネはもう戻らないだろうことに、提督はただただ胸を痛めた。

 

 

 

 21日より、航空機偵察を開始した。

 22日、小型艦艇への補給を開始。艦載機偵察は継続していたが、翔鶴収容の天山2機が未帰還となった。

 未帰還機が2機で済んでよかったと、心の中で安堵していた。艦隊全体への補給はできたもののままならず、もし不具合など発生していたら、補給のできない艦艇があってもおかしくない状況であった。この日は幸運であった、と提督は思った。

 潜水艦の襲撃も受けたが、損傷を受けた(フネ)は無かった。

 

 24日、予定地点に到達。

 計画通りに偵察機が発艦。瑞鶴、翔鶴、隼鷹、大淀から二派にわかれて14機が出撃した。

 11時頃、正式に報告を受けた。

 「敵機動部隊、本隊ヨリ方位二一〇度、距離一八〇浬ヲ北方ニ進行中。空母ヲ含ム有力部隊」

 敵機の触接を受けているような様子もない。

 帝国の希望たる機動部隊が敵より先に、艦隊を見つけられたのだ。

 この好機を逃すわけにはいかない。

 「……皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ。本隊はこれより、航空戦力をもって敵戦力を撃滅せんとす。各艦に通達せよ」

 号令を機に、命令が各艦に飛ぶ。

 提督は加えて、訓示を伝えた。

 「攻撃隊は天候の状況により、母艦への帰還困難と判断した場合、比島陸上基地へ着陸しその旨本隊へ通達せよ」

 艦隊は失っても、艦載機を失う意味はない。

 最後の一兵まで、最後の一瞬まで、帝国海軍は戦い続けなければならない。戦い続ける生き様こそ、日本の希望となるからだ。

 そしてそのためには戦力の温存は至上命題である。無駄に命を散らす必要はない。

 胸に抱いた決意は、口には出さず、甲板を見つめる。

 戦爆連合、合わせて118機は編隊を組み、南下した。

 同時に各隊に、出撃したことを打電した。

 「攻撃隊、艦戦50、艦爆70、艦攻16、敵機動部隊ヲ攻撃ス」

 戦・爆・攻合わせて18機が整備不良や遅延により出撃できなかったのは、やはり練度の低さや艦載機の整備不足を肌に感じた。こればかりは仕方ない。零戦は出撃に際してかき集めたから不良機も多いのだ。むしろこれくらいで済んでよかった、と心の中でまたも安堵していた。


 敵は果たしてこちらに食いついたであろうか。

 攻撃隊からの報告がない一方、敵艦隊からの偵察機もない。

 敵空母が健在である可能性がある一方、こちらに食いついているかについてはかなり疑問である。

 機動部隊はこれからどうすべきか。

 この戦争がはじまってからずっと考え続けているが、正しい答えは導き出せない。

 現在、機動部隊が保有する戦力は、戦艦2、巡洋艦4、駆逐艦8、空母5。

 敵艦隊を叩くだけの艦載機すら残されていない。

 彼の男の艦隊からは、重巡をはじめ被害が出ていることだけは伝わってきている。

 敵艦隊の誘引を果たすには覚悟を決めなければならない。

 この艦隊は、全滅してでも、敵艦隊を誘引しなければならない。

 ならば、どうするか。


 伊勢と日向にがんばってもらうしかなかろう。

 なけなしの艦戦の援護で、敵艦隊へ突入するしかない。

 無謀だといわれようと、後世にその生き様を見せつけなければならない。

 何度でも繰り返そう。生き様を見せつけることこそが希望なのだ。これこそが帝国機動部隊の使命なのだ。

 そう言い続け、繰り返さないと、何のために戦っているか分からなくなりそうで怖かった。

 「艦隊は南方へと進出し、敵艦隊を撃滅する」

 提督ははっきりと告げた。それは自分の意思を、声で後押しするかのように。


 この時の提督の中には、戦力を二分し空母を退避させんとする案もあった。

 だが、敵機動部隊の餌として、帝国海軍に残された主力空母以上に最適なフネは大和や長門くらいだろう。伊勢や日向だけでは荷が重いし、大和に囮をさせるのは役不足でしかない。

 やはり、空母がそれを担うしかないのだ。

 確実に釣り上げるには、相応の餌が必要。

 そういう意味でも、提督の機動部隊には全滅以外の道はないのだ。


 その日の内に隼鷹航空隊と瑞鳳航空隊の一部、17機が帰還した。

 敵戦闘機の襲撃により落伍したために、敵艦隊が見つけられず本隊に帰還したらしい。

 それ以外の機はスコールもあり、比島陸上基地に向かったものと思われた。


 攻撃隊の戦果は不明だった。

 攻撃隊が遺した最初で最後の報告は「敵機動部隊ヲ攻撃ス」だけであり、それ以降に報告がなかった。

 これが意味するのは攻撃によって通信可能な爆撃機・攻撃機が全滅したという事実であり、それは帝国機動部隊の乾坤一擲が無に帰したということでもあった。

 



 海戦が終わってから判明することだが、機動部隊が攻撃したのはフレデリック・シャーマン少将率いる第38任務部隊第3群であった。

 その日既に、比島基地航空隊の爆撃機が空母プリンストンに突如として単機で攻撃を敢行しプリンストンを大破炎上に追い込んでいた。

 そんな中で、翔鶴・瑞鶴の主力攻撃隊が集中攻撃を行った形になり、ここでも運が味方したと言えよう。

 結果、空母レキシントンが沈没、エセックスも中破し、他、軽巡、駆逐艦も損傷した。

 もっとも、帝国機動部隊も攻撃前後に爆撃機や攻撃機のほとんどは撃墜され、陸上基地に降り立ったのは三分の一に満たない34機(内7機は再出撃不可)であった。


 更に第3群にとって不幸だったのは、機動部隊の攻撃を凌いだ後、レキシントン、プリンストンが相次いで爆発したことにより、救助活動中の軽巡バーミンガムが大破航行不能に陥り、消火活動にあたってた駆逐艦2隻も中破したことであった。バーミンガムはこれにより、雷撃処分になった。

 結果として、空母2隻、軽巡1隻を喪失、空母1隻、駆逐艦2隻中破、他数隻損傷という、大敗北であった。

 歴史の皮肉なのか、レキシントンは大戦中、二度にわたり翔鶴と瑞鶴によって沈められた艦となった。


 ハルゼーは、レキシントンとプリンストンが沈没した事実に激昂した。

 是が非でも提督の機動部隊を撃滅せんと闘志を燃やしていたのだが、帝国機動部隊及び提督はこのことを知る由もなかった。

 攻撃が功を奏し、彼の男の艦隊の損害は大きく反転したことが偵察機の報告から判明しており、米機動部隊を預かるハルゼーは、彼の男の艦隊が退却したと思っていた。

 よって、ハルゼーの目標は、提督率いる帝国機動部隊に定められていた。

 

 15時半頃、敵偵察機に発見され、直掩機によって撃墜したものの米機動部隊に発見されたことは確実であった。

 そして、日が沈んで、機動部隊に彼の男の艦隊は一時反転の報が入ってきて以来、再反転の報が入ってきていたなかった。

 故に、提督もまた、彼の男の艦隊が退却したと思っていた。

 

 日付が変わり、25日。

 提督は、早朝の段階で、稼働中の艦戦以外の、艦爆、艦攻、戦爆を全て、陸上基地へと移すことを決定した。これで提督の手元に残った稼働機は、上空直掩用の艦戦39機である。

 既に、機動部隊は北を目指していた。釣り上げたと確信したからには、より遠くへ釣り上げる必要があるからだ。

 7時の段階で、敵偵察機の触接を受けていたため、直掩機15機を展開させた。


 8時15分、遂にハルゼーの第一次攻撃隊が帝国機動部隊を襲った。

 襲撃に合わせて直掩機をさらに19機増やして34機を直掩とした。この直掩機たちが活躍をする。

 直掩機が攻撃隊の攻撃直前に直上より急襲したことで、攻撃隊の一部が爆弾や魚雷を投棄したため、攻撃隊として機能しなかった。

 この結果として、米海軍の第一次攻撃隊150機は前方に展開していた瑞鳳、龍鳳に襲い掛かったが、日向や大淀、駆逐艦の対空弾幕と、直掩隊の善戦により、瑞鳳が被雷1至近弾2、龍鳳が至近弾3、伊勢が至近弾2のみと比較的軽微であり、直撃は瑞鳳の魚雷1本のみであった。瑞鳳は速力を落としたが、喪失艦無しで攻撃の第一波を乗り切った。

 撃墜は、艦艇による対空攻撃にて3機、直掩機により11機を記録。

 一方で、直掩機も5機が撃墜された。


 敵の第一波を乗り切り、落ち着きを取り戻した最中の10時頃、日向の電探が敵の第二次攻撃隊を捕捉し、十五分ほどで攻撃を受けた。

 第一波で損傷を受けていた瑞鳳に米海軍の第二次攻撃隊容赦なく爆弾を投下した。

 10時25分頃、水柱が幾重にも乱立する中、瑞鳳は爆発を引き起こし、水面に溶けていった。

 隼鷹や龍鳳も攻撃の的にされたが、それぞれ一発ずつの直撃弾と至近弾で乗り切った。

 また、護衛を担う駆逐艦への攻撃も行われ、桑が後部甲板直撃により大破炎上。霜月・槇も損傷を受けた。

 

 第二派も乗り切って尚、翔鶴と瑞鶴は損傷がなく、隼鷹、龍鳳は小破で火災も鎮火していたため、空母は4隻が健在であった。

 翔鶴と瑞鶴の飛行甲板が無事であったため、直掩機は何とか発着艦が可能であり、直掩機18機がまだ帝国機動部隊の上空を守っており、それが艦隊の全ての者たちにある一定の安心感を与えていた。

 大破した桑は火災を鎮火することが出来ずに自沈処分になり、桑の乗組員は大淀と長良に分乗した。

 

 米海軍の攻撃は止まず第三派が一時頃には到達し、今度標的にされたのは、いよいよ翔鶴と瑞鶴であった。

 100機の攻撃隊が襲来する中で牙を剥いたのが、翔鶴、瑞鶴、伊勢に搭載された12センチ噴進弾による弾幕であった。

 敵の攻撃隊を撃墜することに対しての効力はあまり無かったが、急降下爆撃を中断させるのに役に立ち、瑞鶴は無傷で済んだ。

 一方、不運なのは、やはりというべきか翔鶴で、直撃弾二発に加え、対空砲火により撃墜した敵機が2機も飛行甲板に命中するという悲劇に見舞われ、炎上した。

 これに続いて、翔鶴を狙った魚雷二発が、秋月に命中し、大爆発を引き起こした。

 回避運動中だったこともあり、大爆発に巻き込まれた艦艇は無かったが、生存者救出もままならなかった(もっとも爆沈したため生存者がいた確率は低いが)ため、秋月の生還者は存在しない。

 

 徐々に護衛艦を減らし、空母が損傷していくのを目の当たりにして、いくら全滅を覚悟していたとはいえ、提督は心が痛んだ。

 艦隊は、喪失したことによりできた穴を埋めながら、かろうじて輪形陣を維持できてはいたが、直掩機は11機にまで減り、瑞鶴に搭載された航空燃料も尽きかけていた。


 午後五時になり、米軍は25日最後の攻撃を行った。

 同時にこれは現代に至るまで空母同士の決戦の最後の航空攻撃となり、ハルゼーが繰り出した最後の一撃でもあった。

 100機余りが、鎮火しきれていない翔鶴を海に還さんとまたも群がった。

 しかし、いくら炎上しているとはいえ機関部が損傷したわけではない。

 水雷屋上がりの翔鶴艦長は、空母でも足の速い翔鶴の力をここぞとばかりに発揮し回避した。

 悲しいかな、帝国海軍は熟練搭乗員は失っても、熟練艦長は未だ多数健在だったのだということを、こんな形で認識させられたのだ。

 一方の瑞鶴は健在の対空砲で翔鶴に群がる敵機を攻撃しつつ、自分へと注意を引きつける形となったが、やはり至近弾のみで損傷は極めて軽微であった。

 伊勢もまた、三式弾や12センチ噴進弾の活用により、敵攻撃隊を近づかせんと奮闘した。

 充実した対空火力や強固な船体を持つ伊勢や瑞鶴はともかく、護衛艦はそうもいかない。

 伊勢の陰に隠れてはいたが対空任務を全うしていた五十鈴がここで、直撃弾1発、魚雷1発を受け、速力が低下し落伍。桐、霜月も直撃弾を受けて中破となり、戦力は少しずつではあったが、確実に減らさていた。

 これ以上、空襲を受ければ、翔鶴も瑞鶴も失いかねない。

 そんな状況まで追い込まれた。


 だが、時間が彼らを救った。

 日が沈み、米軍は航空攻撃する機会を失った。

 流石のハルゼーも夜間航空攻撃をさせようとはしなかった。

 ハルゼーはぎりぎりまで帝国機動部隊を求めて追撃したが、ついぞ捉えることはできなかった。

 この戦いの結果、ハルゼーは機動部隊指揮官としての資質を問われることになったのは仕方ないことであろう。

 彼は結局、責任を問われる内に軽い病に倒れ、終戦直前まで空母機動部隊の指揮官となることはなく、日本軍に対して攻撃を行ったのは、エンガノ岬が最後となったのである。


 五十鈴は速力が8ノットまで落ち込んでいたが、伊勢による曳航で戦闘海域を離脱。

 翔鶴も炎上は鎮火したものの、戦線復帰するまでには相当な時間を要する状態であり、見てくれは痛々しかった。

 提督は、損傷している空母や護衛艦が浮かんでいるのを見て、複雑な気持ちになった。

 彼の覚悟とは真逆の結果。喜んでいいのか、悲しめばいいのか。

 提督の葛藤はともかく、艦隊は瑞鳳、秋月、桑の三隻を失ったのみで、16隻が帰還した。

 

 

 

 

 後にエンガノ岬沖海戦と呼ばれるこの海戦は、こうして締まらない形で、史上最後の空母決戦として、幕を閉じた。


 米海軍にしてみれば、日本海軍最後の反攻作戦に手を焼いたというだけでなく、局地的戦闘において勝敗は大局に左右されないということが改めて示された形となり、その後の米軍の戦闘では一層手厚い攻撃がなされるようになった。

 

 日本海軍としては、機動部隊が敵を完全に誘引できたにも関わらず、主力部隊の攻撃がうまくいかず、多くの主力艦を失って、敵の数多くの艦艇の内のほんの僅かを沈めたにすぎなかった。

 提督の期待した「機動部隊の死が帝国の希望となる」という思想も、機動部隊が全滅しなかったことにより破綻し、敗戦により多くの人々の記憶からも数多くの戦闘の一回に過ぎないとして忘れ去られた。

 

 提督は終戦後に、エンガノ岬で散れなかったことを悔やんだ。

 その後悔も歴史の中に埋もれ、残ったのは日本が戦争末期において奇跡的な反撃をした、という物語だけだった。

 

 物語は、これからも語られ、漂う。沈むことに抗うフネのように。



 



ハルゼーだけ人名を出してしまったのは、ちょっとだけハルゼーに思うところがあるからであって、嫌いだとか偏見だとかではないです。

ハルゼーって、カッコいいとこありますよね。


心あるご意見・ご感想、お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[一言]  企画参加ありがとうございます!  日本機動部隊が最後に大活躍したエンガノ岬沖海戦。自分とは違う切り口で、楽しく読めました。特に2隻の鶴の姉妹が戦果を挙げつつも生き残ったのが良かったです。…
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