砂溢れる地の天つ柱
ハイファはどうしたものかと悩みました。
砂溢れる地の里はもう目の前なのですが、黙々と歩いているうちにいつの間にか崖の上にいたのです。
遠目からは分かりませんでしたが、ここは他よりも低い所にあるようです。
剥き出しの岩の崖は垂直に近く、手や足を掛けておりるのは難しいでしょう。
崖沿いに歩いていけば、いずれ道が見つかるのでしょうか。
悩むハイファの耳に、ふいに声が聞こえてきました。
「おうい、そこに居るのはもしかして、ハイファかなー?」
声の聞こえてきた崖の下を覗き込むと、大輪の白花を咲かせた巫子が手を振っています。
「はい、ハイファです! あの、これどこからおりればいいのでしょう?」
「向こう、そう、あっちからならおりられるからさー、そしたら里に向かっててー!」
「わかりました、ありがとうございます!」
巫子の指差した方へ歩いていくと、崖が崩れてなだらかになっている場所を見つけました。
ここの事を言っていたのでしょう。
大きな岩からさらに崩れて石、砂となっているそこを、安定した足場を確認しながらおりて行きます。
少し遠回りとなりましたが、もともと目の前に見えていただけあり里まではそれほどかかりませんでした。
砂に埋まりかけた柵を越えて里の中へ入ります。
「あら、巡礼の巫子さま? 砂溢れる地の里へようこそ」
「はい、昼出づる森の里より来ました」
軽く頭の花を傾けて挨拶をした里の民は言います。
「ごめんなさい、巫子は崖を見にいってるの。会わなかった?」
「会いました。道を教えてもらって、先にいくようにと」
「そうなの。じゃあ、巫子の家で待ってるといいわ。わたしが案内するから」
ちょうど用事があったと言う民に伴われて訪れた巫子の家は、道すがら目にした他の民たちの家と同じように固めた砂や大きめの石などを積み上げて造られたものでした。
「ここよ。待ってて……といおうと思ったのだけれど、その必要はなさそうね」
ハイファの後ろに目をやった民につられて振り向くと、砂ぼこりを上げながら駆けてくる巫子の姿が見えました。
「さっきぶりだねっ! 早く会いたくて走ってきたよー」
ハイファの前で立ち止まった巫子は持っていた二本の棒を砂に突き刺し、大輪の白花を揺らして笑いました。
巫子はハイファの両手を握ると薄緑色の目をキラキラとさせた満面の笑みで、
「よく来たよ。わたしはこの砂溢れる地の天つ柱が精霊主ワナイに仕えるスピュラ!」
「昼出づる森の天つ柱が精霊主トワイより祝福を授かりました、ハイファです。お久し振りです、スピュラさま」
「うんうん、ひとつ前の花祭り以来だね。ここまで大変だったろう?」
「途中までは精霊主ラピルイの風に乗って来ましたし、泉のことも聞いてはいたので……でも、本当に砂ばかりなんですね」
「大地の生まれる場所だからねっ! ああ、ラピルイの風いいなぁ……。わたしは風駆ける山の里から大天つ柱へ向かったから乗る必要が無かったんだよねー」
いいながらスピュラがハイファの手をぶんぶんと振りまわすのを見かねた民が口を開きます。
「スピュラね、ずっとそわそわしてたのよ。今日か、明日か、まだかなって」
「だってマヌカ、わたしが巫子になって初めての巡礼の巫子だよ?」
「あなた元気すぎるんだからほどほどにしてあげなさいよ。他の里の民にこの砂漠は辛いでしょうに、余計に疲れさせちゃだめよ」
スピュラは唇を尖らせて頬を膨らますとぱっとハイファから離した手を自分の腰に当て、
「そのくらいわたしだってわかってるよー」
「ふふ、ほら、水根持ってきたから」
なだめるように、マヌカは持っていた根の束をスピュラに渡しました。
スピュラは表情を一変させて受けとります。
「いつもありがとう! あっ、そうだ」
「わたしの仕事だもの。わかってるわよ、いってたものでしょう? 明日ね」
マヌカは微笑み、じゃあ、と花を傾けて去っていきました。
「さあ、うちへ入ろう! きみの里の話を聞かせてくれると嬉しいな。あとラピルイの風のこと!」
◇
◇ ◇ ◆
◇
翌日、祈りの儀式のあと、ハイファとスピュラはウロの入り口に向かって天つ柱沿いを歩いていました。
天つ柱の周囲はハイファが歩いてきた砂漠よりも柔らかな砂で覆われています。
ふいに立ち止まり、
「ここでさ。じっと砂を見てみてよ」
としゃがみこんだスピュラを真似ていると、天つ柱の根本に向かって少しずつ、さらさらとした砂の粒がひとりでに流れていくのがわかりました。
注意しないと気付かないくらいのほんとうに小さな動きです。
「──ね、少し動いてるでしょ。風に吹かれてるわけじゃないの」
「はい……」
「昨日の話の続き。昔は里の外に崖なんてなかったんだって。わたしたちにはもう当たり前の風景なんだけどね。他の天つ柱まではまっすぐに大地が続いてた。砂溢れる地の天つ柱は大地の生まれる場所だから、昔から植物より土や石が多かったんだ。天つ柱から離れるほどに緑が育っていく、そんな場所」
「いつからこうなったのですか?」
「三代前の巫子の時に崖が出来たって聞いてる。始まりは水が地に留まらなくなったことで、乾いた大地が崩れて砂に変わり始めたのはもっともっと前。植物が全然育たなくなってね。砂漠になった今度は大地の下に沈もうとしてる」
昨日、スピュラから聞いたことは三つあります。
裂けた大地のあたりは昔、緑豊かな草原だったこと。
花祭りから花祭りの期間くらいでは見た目の変化はありませんが、砂溢れる地の天つ柱を中心にして地面はすり鉢状に沈んでいること。
だから時々どれくらい沈んでいるかを測るのだ、ということです。
昨日里の外で出会ったスピュラは、まさにそれを測っているところでした。
測り方は単純です。
天つ柱からすり鉢の端、つまりは崖のふちまでを身の丈ほどの棒を二本、一直線に交互に並べていき、その数で測るのです。
沈んだ分だけ、数が増えていきます。
「ひとつ前の花祭りの時より三本と半分増えてた。ふたつ前の時は三本。裂けた大地が出来てから、沈むのが早くなったんだよね。それまでは三回の花祭りで一本分くらいだったのに」
「これからどうなるのでしょう」
「わかんない。またどこか大地が裂けるかもしんないし、もっと大きなことが起こるかもしんない。もしかしたら、これ以上は広がらないかもしんない」
スピュラは両手に掬っては指の間からこぼれ落ちる柔らかな砂を見つめ、そしていいました。
「──どうだとしても、わたしたちは精霊主とともに生きていく。それだけなんだけどね」
天つ柱は花の民であり、花の民は天つ柱。
天つ柱は大天つ柱であり、大天つ柱は天つ柱。
すべてはひとつで、世界と民は同義なのですから。
砂を払い、立ち上がったスピュラはハイファに笑いかけました。
「時間取っちゃった。いこっか」
ウロの中はややひんやりとしていて、奥へいくほどに湿っていました。
環境の大きく違う砂溢れる地の天つ柱の周辺の空気は他の天つ柱と異なって感じましたが、天つ柱の形や祭壇、ウロ自体はあまり変わらないように思います。
外の乾燥が嘘のように適度な湿り気が、かさつくハイファの肌を潤していきました。
中心部にたどり着き一歩踏み出すと、半円形に広がるように一斉に光傘木の群生が灯ります。
砂漠のどこにも、里の中でも姿を見なかった光傘木はどうやらウロの中にだけ生えているようです。
巨大な岩の前で膝をつき、毛先が橙色に染まった深緑の髪に咲く大輪の白花を傾けるスピュラに合わせてハイファも花を傾けます。
「砂溢れる地の天つ柱に宿りし精霊主ワナイ。白花の巫子スピュラが御前に! 隣にて花を傾けるは精霊主トワイより白花を賜り、承認を得しもの」
空気が動き、岩をこすり、大木がきしむような音がウロの中に響きます。
「砂溢れる地の天つ柱に宿りし精霊主ワナイ。昼出づる森の天つ柱が精霊主トワイより祝福を授かりしハイファが御前に」
ウロの中にもうひとつの呼吸が現れると、ハイファはゆっくりと顔を上げて目の前の大きな岩がゆらりと動くのを見ていました。
岩はうごめき、ずるずると根のように太く長い胴体を引きずって持ち上げると、その先端からちらりと赤く細い舌を覗かせて褐色の目でこちらを見下ろしました。
光傘木の明かりを反射する胴体の表面はつやつやとした規則正しい模様が並び、その隙間から蔦が這い出して無数の花が咲いています。
『──古に栄えし地上の文明。
幽を蔑し、悠を欲し、有を無とす種が興せしもの。
古に跋扈す荒きもの。
其は過信と盲信に酔い、神樹に成らんと企みし厚顔のヒト。
荒きものより神樹を守りし獣あり。
其を花獣と称す。
我が名はワナイ。
地と種をはぐくむもの──』
精霊主ワナイの低い声が、ウロの地面と壁を這うように響きます。
『──巫子ハイファ。
我は昼出づる森の精霊主の選択に異論なく、そなたを次代の巫子と承認す。
残る精霊主の元へ行け──』
精霊主ワナイは頭を下げ、ハイファの頭の花を細く先のわかれた舌でなぞります。
そして精霊主ワナイが離れると、精霊主ラピルイと時のようにハイファはそっと頭に触れました。
白花の右側には新しく小さな花が咲いています。
『──我は砂溢れる地の天つ柱が精霊主ワナイ。
子らの安らかなるを望むもの。
世界と子らの旅路に祝福を──』
そして再び岩をこすり、大木のきしむような音がしたかと思うと、精霊主ワナイの姿は元の巨大な岩に戻っていきました。
光傘木も次第に光を失っていきます。
「精霊主ワナイ。小花を、ありがとうございます」
ハイファは再びゆっくりと白花を傾けました。
これでふたつ目の小花、残るはひとつです。
ウロを出ると、中がひんやりとしていただけに暑く感じました。
息を吐くハイファの手をスピュラは取り、
「一度わたしの家に戻ろう。渡すものがあるんだ」
そう言って歩き出しました。
スピュラの家の前で待っていたマヌカは水根の束を渡しながら、
「今日の分の水根よ。多めに持ってきてるから」
「ありがとう、マヌカ!」
「ええ、じゃあ巡礼の巫子さま、水満つる湖の天つ柱までお気をつけて」
「はい!」
軽く花を傾けると去っていきました。
スピュラは受け取った水根を数本分けて束ね直すと、尖った薄い岩の欠片を懐から取り出して一緒にハイファに渡します。
「風駆ける山の里からここまで泉がなかったでしょ? 花祭りの時に精霊主から言われたんだけどさ、砂漠にはもう泉がないんだって」
「やっぱり……ひとつもですか?」
「うん。みーんな砂に消えてしまったの。だから、これを持ってって。昨日やって見せたから大丈夫だと思うけど傷をつければ水が出てくるから。水、持ってる分だけじゃ心もとないでしょ。根のままなら持ち運びやすいしさ」
すべての水が落ちた瞬間に染み込んでしまう乾いた砂漠では、他の里のような池や川はもちろんありません。
民が生きていくのに恵みの雨の水分だけでは足りず、精霊主ワナイは少ない雨の水や地中の僅かな水分をかき集め貯めることが出来る植物を作り出しました。
この里の民の携わる仕事の多くが、この水根の世話なのです。
「水をとった後の根は繊維をほぐして服を作ったりするんだけど、これだけだと足りないんだよね。でも丈夫だから色んなことに使えるよ」
「ありがとうございます、スピュラさま」
ハイファはそれらをかばんに収めました。
昨日、空いていた水筒には分けてもらった水と新しい祈りの果実を入れたので、泉の恵みがなくとも二回は問題なく夜を越えることができます。
今貰った水根と合わせれば、次の天つ柱まで心配はないでしょう。
そんなことにはならないと思いますが、あるというだけで安心感が違います。
収まりきらない長さの水根をかばんから飛び出させ、ハイファはスピュラに白花を傾けました。
◇
◇ ◇ ◆
◇
スピュラに見送られて砂溢れる地の里を出たハイファは、遠くに見える天つ柱に向けて歩みを進めていました。
どこまで見渡しても視界に映るのはなだらかに起伏する砂の丘と、遠くに並んで見える天つ柱と大天つ柱。
太陽がトワイに飲まれるまでにはまだ時間がありました。
「はぁ……」
あたり一面が砂というのは森育ちにとって珍しくはあるのですが、ここまで景色が変わらないとなるといい加減に飽きてしまいました。
──砂と砂と砂、あと空、なかなか面白かったな。砂漠を抜けるのは惜しかった。夜が特によかったんだ。どこからでも三日月がよく見えたからな。
からからと笑うノルタの姿を思い出して、ハイファは苦笑します。
三日月についてだけはハイファも同じ思いです。他はよくわかりませんが。
そんなことを考えていると、だんだんとノルタに会いたくなってきました。
「……ノルタさま」
髪を掬っては追い抜いていく風は細かな砂を運び、歩くたびに肩に三つ編みや服の裾からぱらぱらと落ちていきます。
風の音と自分が踏みしめる砂の音を聞きながら、気がつけばぽつりぽつりと口ずさんでいました。
「遠くひろがる いとしき世界
やすらかなる 腕のなか」
幼い頃から繰り返し歌い、誰もが知っている歌を。
ハイファもノルタから毎日のように聴いて育ちました。
今までも、そしてこれからも、決して絶えず継がれていく歌です。
歌われているのは、とても近くで繋がっているけれど、遥かに遠く、手の届かない存在。
それは大天つ柱との関係深く、民たちにも郷愁を覚えさせます。
見上げた青く透き通る空の向こう側、今は姿が見えない三日月に思いを馳せ、ハイファは歌を紡ぎました。
「民らを育みし母、わすられぬ日々
神樹は想う 民らは祈る──」
◇
◇ ◇ ◆
◇
花の民ならば、誰もが知っていることです。
それは太陽が自ら空を横切り、月が夜ごとに姿を変えていた頃の話。
創造主たる神樹のもと、実り豊かで広大な世界には多くの生き物が暮らしていました。
その中でヒトと呼ばれる生き物は五つの種族に分かれていました。
神樹の守り人・森の民と呼ばれた、今でいう花の民もそのひとつです。
そして五つの種族の中で最も繁栄し、力を持っていたのがサカエの民と呼ばれるヒトたちでした。
サカエの民は数が増えるのが速く、森の民には考えもつかない道具を使って住む場所や食べ物を作っていましたが、すぐに足りなくなってしまいます。
かれらは底も果てもない大きな水溜りを埋めたり、山を平らにして無理矢理住む場所を広げていきました。
それでもまだ足りず、さらなる繁栄を求めて他の種族が住む場所を奪おうと考えました。
その為に一瞬で木々を押し倒し粉々にする大きな道具が作られたのです。
抵抗する四つの種族は力を合わせてサカエの民に立ち向かいましたが、力の差は歴然としていました。
多くの民の命が失われ、大地は黒く、空は赤く、水は淀むばかりです。
不思議な力を使うマジナイの民によってなんとか守られた神樹でしたが、すでに周りの森は消えてしまっています。
そこに、四方から獣たちが駆けつけました。
花獣と呼ばれるかれらは神樹との古の盟約によって眠りから覚めたのです。
しかし、それからしばらくは気味が悪いほどサカエの民の動きがなくなります。
森の民たちの間には不安だけがありました。
このまま正気に戻って思い直してくれればと祈りましたが、その思いも虚しく散りってしまいます。
サカエの民は、熱い風を生むさらに恐ろしい道具を作っていたのです。
熱い風の道具によって大地は崩れ、神樹から離れていた生き物たちはみな消えてしまいました。
生きているものは神樹と花獣、森の民たち、そして森を囲むサカエの民だけ。
神樹を守るマジナイの民の力も失われ、とうとう森はサカエの民の侵入を許すことになります。
熱い風の道具が向けられる中、神樹は最期の力を振り絞って森の民たちの魂と花獣たちを自分のウロのなかにしまい込みました。
そして壊れた世界と断絶するためにウロを閉じたのです。
◇
◇ ◇ ◆
◇
三日月を二回見ました。
水満つる湖の天つ柱はもうすぐそこです。
かばんには空の水筒と祈りの果実がひとつと水根、使い終わった水根を乾かしたものが入っています。
祈りの果実はもう必要ないでしょう。
水満つる湖の天つ柱は水源であり、渇くことを知らない最も豊かな場所なのですから。
すでに砂漠は途絶えて草原から森に変わり、ハイファが見たことの無い植物ばかり生い茂っていました。
このあたりは祈りの泉の他にも大きな川や湖のある湿地帯。
久しぶりの心地良い森の空気にハイファは深く息を吸って伸びをします。
森を横断するようにして現れた川のほとりでは樹木が根ざして林となり、浮かんだ水草の隙間からは花々が顔を出して芳しい香りを漂わせていました。
川は幅広く、深そうです。
渡るために、ハイファは水面に浮かんだ大きな葉に目をつけました。
乗ることができれば木の枝で水をかいて天つ柱のそびえる向こう岸までいけそうです。
ハイファはちょうど良さそうな葉を選ぶと、かばんから乾かした水根を取り出して裂き、編んで紐を作りました。
そして拾った枝の先に岩の欠片をくくりつけます。
枝を水の中に入れ、ぶつかった感触を頼りに枝を引いたり押したりして茎を切ると、大きな葉がするりと水の上を滑っていきました。
そのまま流れていこうとする葉を引き寄せてハイファは足をかけます。
わずかに沈みはしますが、反った葉の縁が水の侵入を許すことはなさそうです。
ハイファは葉の真ん中に腰を落ち着けると枝で水をかいて向こう岸を目指しました。




