昼出づる森の天つ柱
「われらが母 精霊主 トワイよ
その枝葉は その地の根は 果てもなく
空をつかみ からめ抱く
そびえる 天つ柱
宿りし 精霊主よ
母の恵み 母の加護
花の民は つつがなく
務めを果たし 今日を過ごさん
花の民は 祈りをささぐ
白き無垢の 祈りの光
かしらに誇る 花を傾けん
花の民は 祈りをささぐ
地を駆けゆき ひとつとならん
かしらに誇る 花を傾けん
われらが母 精霊主 トワイよ
永久なるその 恵みと加護 安らぎよ
われら民は 花とともに」
天つ柱の祭壇の前に集まった民たちは輪になって祈りを歌います。
祭壇の上で民たちと向かいあって立つ白花の巫子ノルタの隣に、次代の巫子となるハイファはいました。
静かな歌にあわせて光の玉が舞うように飛び交い、幻想的な光景が広がっていきます。
巫子がこの祈りの光をひとつにまとめ、天つ柱にささげるのです。
祈りを受け取った天つ柱は淡い光を放ち、その光は波打ちながら樹皮を伝って遥か空の上の枝先まで広がっていきました。
地面の下では、根元へ伝わった光の波が粉のようなきらめきを散らしながら草花を揺らして四方八方へと駆け抜けていきます。
祈りが終わり、余韻の残るほんの少しの空白のあと、ぽつりぽつりと降り出した雨を民たちは全身に浴びました。
ただの雨ではなく、天つ柱、精霊主の力のこもった恵みの雨です。
それはとても温かく、民たちを満たしていきました。
これは民たちが毎日決して欠かさない、とても大切な儀式です。
儀式でささげられる祈りは天つ柱を通して大地を駆け巡り、世界を維持する糧となります。
世界の維持には祈る民が必要であり、世界を巡ったあとに還元される恵みは民たちが生きるために必要なものなのです。
天つ柱は花の民であり、花の民は天つ柱。
天つ柱は大天つ柱であり、大天つ柱は天つ柱。
すべてはひとつに繋がり、どれかひとつでも欠けては成り立たないのです。
世界と民は同義なのですから。
「──恵みに感謝します。精霊主トワイ、われらが母よ」
民たちを見渡したノルタはいいました。
「今日もつつがなく過ごされますよう。われらは精霊主トワイととも」
こうして今日が始まります。
民たちはひとり、またひとりとそれぞれに与えられた仕事に向かっていきました。
民たちを見送ったあと、ノルタは振り返っていいます。
「さあハイファ。あたしたちもいこうか」
◇
◆ ◇ ◇
◇
ノルタとハイファが訪れたのは、祭壇からぐるりと天つ柱をまわってちょうど反対側にあるウロの入り口です。
ハイファは初めてこの中に入ります。
ウロは天つ柱に宿る精霊主のいる場所。
巫子にのみ入り口が示され、立ち入ることを許されているのです。
「ここに入るのは花祭りの時と、自分の巡礼、巡礼の巫子を伴って。そして、精霊主からお告げのある時だね。まあ、これは余程のことがなければ無いといわれている。この里で今までにあったとは聞いていないな」
「必要が無ければ入り口も開かないんですよね」
「そうさ。今日みたいな日じゃないとね」
ウロの入り口は天つ柱の巨大さに比べればとても小さく、二人並んで入れる程しかありません。
ハイファはノルタに続いて中へ入っていきました。
奥へ進めば進むほど狭くなっているようです。
入り口の明かりが小さな点となって見えなくなるまで進むとノルタが口を開きました。
「この先が天つ柱の中心。精霊主のおわす場所、ウロだよ」
ノルタはそう言いますが、真っ暗で何も見えません。
明かりを持ってきていないのにどうするのだろう、と思ったハイファの腕をノルタは笑って軽く引っぱりました。
引かれるままに足を踏み出すと、支えとして触れていた壁が途切れて手は宙を掴みます。
と同時にうす明るい光が半円形に広がるようにして灯っていきました。
「わぁ……」
光傘木の群生です。
光傘木は木陰に生えていて夜になると光る性質を持っているのですが、こんなにたくさん同じ場所に集まっているのはとても珍しいことです。
照らされたウロの中は広く半円形……いえ、円形をしているようでした。
壁に沿って生えている光傘木が途中で途切れているため、半円形に見えたのです。
光にうっすらと照らされたもう半分には巨大な岩がそびえていました。
ノルタは見上げるほどに巨大な岩の前に膝をつくと、茶色がかった深緑色の髪の上に咲く大輪の白花を傾けました。
ハイファも続いて膝をつき、白花を傾けます。
「昼出づる森の天つ柱に宿りし精霊主トワイよ。白花の巫子ノルタが御前に。わが隣で花を傾けるは、つつがなく十の花祭りを過ぎ、晴れて巡礼の日を迎える次代の巫子」
空気が動きました。
なにか、大きなものが動く音。
岩をこするような、大木がきしむような、そんな音がウロに響きます。
「ハイファ」
ウロに入ってからドキドキと落ち着かないハイファはノルタに促され、教えられた通りの言葉を紡ぎます。
「精霊主トワイよ。次代の白花の巫子、ハイファが御前に。つつがなく、大天つ柱が大精霊主マヤナフへの巡礼の日を迎えました。今日までの加護、恵みに感謝いたします」
ノルタとハイファふたり分の呼吸しかいなかったウロの中に、いつの間にかもうひとつ呼吸が増えていました。
今まで近くで感じたことのないとても大きな存在の気配。
顔を上げると、目の前の岩がゆらりと動くのが見えました。
岩のように見えたそれはのそりと身体を震わせながら身を起こし、こちらを見下ろしました。
明かりの中に浮かぶ頭の上にはぴんと立ったふたつの三角、黄色く光る目、照らされてなお黒い体には蔦が這い無数の花が咲いています。
「──精霊主」
何と美しいのでしょうか。
自分たち以外の生き物は初めて見ましたが、恐ろしいとは少しも思いませんでした。
ハイファが精霊主の姿に感動していると、ウロ中の空気を振動させるような声が聞こえてきました。
『──古に栄えし地上の文明。
其は全を願い、善を模し、繕を棄つ種が興せしもの。
古に跋扈す荒きもの。
其はすべて等しく在れと掲げ、異なるを忌み害せし高慢のヒト。
荒きものより逃れし折、神樹が守と選びし獣あり。
其を花獣と称す。
我が名はトワイ。
昼と夜をもたらすもの──』
精霊主は曇りのない鋭い眼でじっとこちらを見ています。
『──巫子ハイファ。
我はそなたの頭に白花を授けた。
何事もなく十の祭りを過ぎたことを認め、次代の巫子と承認す。
三方の精霊主の承認を得よ。
大天つ柱が大精霊主のもとで白花の務めを知れ──』
精霊主がその大きな頭を下げるのに合わせてハイファがうつむくと、鼻先が頭の白花に押し当てられました。
精霊主が、母が、その息づかいを感じられるほど近くに。
ハイファはどくどくと速まる自分の鼓動の音を聞きながら、触れられている頭から流れ込んでくる温かな気を感じていました。
毎日の祈りで与えられる恵みの温もりよりも、もっと温かなものです。
ハイファは、これが精霊主トワイの祝福なのだと気付きました。
正式に白花の巫子となる一歩なのだと。
どれほどそうしていたのでしょうか。
とても長い時間のように思えました。
精霊主はゆっくりと元の姿勢に戻り、再び空気を震わせて、
『──我は昼出づる森の天つ柱が精霊主トワイ。
子らの安らかなるを望むもの。
世界と子らの旅路に祝福を──』
そして最初の岩のこすれるような、大木のきしむような音がしたかと思うと、精霊主はもとの巨大な岩の姿に戻りました。
光傘木も次第に光を失っていきます。
ハイファは再び、深々と白花を傾けました。
「精霊主トワイ、感謝します。巡礼へ向かうこの花の子をどうか……お見守り下さい……」
ウロの外へ出て振り返ったときには、入り口はすでに周囲の樹皮に溶け込んで分からなくなっていました。
ハイファは先を行こうとするノルタを呼び止めます。
「ノルタさま」
「ん」
「天つ柱より生まれてからこれまで育てて、巫子としての役目を教えてくださってありがとうございました。ハイファはノルタさまのような立派な白花の巫子となります」
「なんだい改まって」
「ふふ、大好きです」
「あたしもだよハイファ。……大きくなった。お前の産花が蕾の時からずっと見てきたんだ。お前は良い巫子になれる……あたしは知ってるよ」
「ノルタさま…………あの、もう一度だけ……お願いします」
「はは。ん、おいで」
ハイファのお願いに優しく微笑んで両手を広げると、そこにハイファは飛び込みます。
さわやかな香りに包まれてハイファは思わず泣きそうになってしまいました。
ノルタはぽん、と頭を撫でると穏やかにいいました。
「さあ、行こうか」
ふたりは一度家に戻り、昨日のうちに必要なものを入れておいたかばんを取ると、里の外れへ向かいました。
木の枝同士を組んだだけの簡単な柵が並んでいます。
ここから先が里の外だという目印です。
そこでは民たちが集まり、ハイファたちを待っていました。
仕事を中断し、旅立ちを見送りに来てくれたのです。
口々に言葉をかける民たちに、ハイファはひとつずつ応えていきます。
「ハイファさま!」
民たちの隙間を潜り抜け、小さな子どもが前に出て来ました。
間近の花祭りで生まれたリシュラという名の子どもです。
「ハイファさまっ。おまもりをつくったの、みんなで!」
そう言って振り返ったリシュラの目線の先には、同じく小さな子どもたちが並んでいました。
「ありがとう……!」
子どもたちから渡されたのは天つ柱の落ち葉や蔓、光傘木を使って作られた組紐でした。
次代の巫子が巡礼へいくときの花祭りで生まれた子どもたちがこうしてお守りを作ることが風習となっているのです。
ノルタも似たようなものを身に付けています。
貰った組紐を使って三つ編みにした深緑色の髪を肩に垂らしたハイファに、子どもたちは嬉しそうに満面の笑みで頷きます。
ノルタは民たちが静まった頃を見計らっていいました。
「精霊主トワイに祝福されし次代の巫子ハイファはこれから大天つ柱が大精霊主マヤナフへの巡礼へと向かう。つつがなく果たし、大輪の白花を授からんことを、われら昼出づる森の民は祈ろう」
その言葉とともに民たちは一斉にハイファに向かって頭の花を傾けました。
ハイファは民たちの顔を見渡しながら、はっきりとした口調でいいます。
「次代の巫女ハイファ、正式に巫子としての証を得るため巡礼へ向かいます。母たる天つ柱を離れようともわたしの心、わたしの祈りは精霊主トワイとともに。導きに従い、いって参ります」
ノルタや民たちが見守る中、里の外へと歩み出します。
ハイファは一度だけ振り返りました。
ノルタはきっと、しょうがないやつだと苦笑していることでしょう。
思った通り、ノルタの声が聞こえてきました。
「ハイファ! いってらっしゃい!」
ハイファは引きつりそうな喉をぐっとこらえて手を振り、声を張り上げました。
「……いってきます!」
◇
◆ ◇ ◇
◇
ハイファは天つ柱を離れてから初めての夜を迎えようとしていました。
夜とは、精霊主トワイが太陽を飲み込み、世界と民に休息をもたらすものです。
昼の明るさは欠片も無くなってしまいます。
その前に、泉と休む場所を見つけなければなりません。
ハイファはあたりを見回し、丈夫そうな枝の木を選ぶと手をかけてよじ登りました。
少しでも高いところからならば、遠くの様子が見えるかもしれないと思ったのです。
ですがすぐにハイファは木から降りてしまいました。
「……意外と、見えないんだ」
里の木は見晴らしがよかったのですが、手入れのされていない里の外では生い茂る枝葉が視界を遮ってしまいます。
ノルタはこういう時、どうしたらいいと言っていたでしょうか。
これまで色々と教わっていたはずです。
そうだ、と呟いて目を閉じると、じっと感覚を研ぎ澄ませました。
しばらくそうして、ハイファはぱっと目を開きました。
微かに水の気配を感じたのです。
「あっちかな」
胸の辺りまで伸びる草をかき分け、時折立ち止まっては気配を探ります。
歩いているうちに、何もしなくても方向がわかるようになってきました。
そしてついにハイファは開けた場所に水の湧き出る泉を見つけることができたのです。
「よかった、見つかって」
もうあたりはだいぶ暗くなっていました。
急がないと何も見えなくなってしまいます。
ハイファは泉の近くのぬかるみを避け、少し離れた乾いた地面を選んで草を倒し、ふかふかの寝床を作りました。
間に合った、と安堵の息を吐くとともにハイファはかばんを置いて寝転びます。
太陽が完全に精霊主トワイに飲み込まれ、真っ暗になった夜空からは白い三日月だけが冷たくハイファを見下ろしていました。
三日月。
それは決して空から動くことはなく、いつも決まった場所にあります。
昼間は太陽の光に隠されて見えなくなりますが、夜になるとこうしてまた見えるようになるのです。
空を切り裂く白い三日月は温かな太陽とは正反対でとても恐ろしいもの、という共通認識があり、見たくないからと明るいうちに眠りにつく民も多くいました。
ハイファもこの三日月を恐ろしいと感じていましたが、見ないでいることも妙に落ち着きません。
むしろ、見なくてはならないと思っていました。
夜になると必ず空を見上げ、白い亀裂の向こうをじっと見つめます。
そうしていつの間にか眠りに落ち、夢の中へと旅立つのです。
◇
◆ ◇ ◇
◇
「ノルタさま、どうして、たみはさとのそとにでてはいけないのですか?」
小さなハイファはこてんと首を傾げて問いかけました。
「それはね、里の外、つまり天つ柱から離れてしまうと生きてはいけないからだよ」
「すこしもでてはいけないのですか?」
「少しくらいなら大丈夫さ。でもね、昼と夜を繰り返すことはできない。民は天つ柱の外では恵みを受けられないんだ。ほら、毎日お祈りをするだろう。あれは巫子がいないといけない。巫子を通さないと天つ柱に祈りを渡せないんだ。あたしたちの祈りを捧げ、天つ柱から恵みをいただく。外じゃあいくら祈っても恵みが受けられないんだよ」
「それでは、じゅんれいはどうするのですか……? ほかのあまつはしらにいかないといけないのでしょう?」
不安に震えるわたしを抱えたノルタさまは向い合せになるように膝の上に乗せてくれました。
「お前は巫子になるものだ。精霊主の祝福を受けたものは巡礼のときに限り外でも祈りが通じる場所があるし、それ以外にも方法はある。一時しのぎだけどね」
そしてわたしの頬を撫でながら、ゆっくりと正確にいいました。
「外には泉がいくつもあるからね。天つ柱の根がある泉だ。そこへいけば恵みを受け取れて、次の天つ柱への標を教えてもらえるんだ。なあに、探すのはそんなに難しいことじゃない。近くにいけばわかるようになってるのさ」
◇
◆ ◇ ◇
◇
目を覚ますとトワイはすでに太陽を吐き出していて、あたりはすっかり明るくなっていました。
三日月もすでに空に紛れて見えなくなっています。
ハイファは草の山から体を起こしてぐっと伸びをしました。
「ふわぁ……」
泉の前まで来てかがみ、水の中に両手をくぐらせて顔を洗うと、ひんやりとして気持ちのいい水はハイファをしっかりと目覚めさせます。
三つ編みも一度解い水面を見ながら綺麗に編み直し、身支度を整えました。
そして着ている服の裾をたくし上げてきゅっと結ぶと、泉の中に足を踏み入れます。
泉は浅く、膝のあたりまでしかありません。
ざぷざぷと、泉の中心に突き出た大きな木の根を目指します。
ハイファの三倍はある大きな根です。
これは、地面の下に張り巡らされた天つ柱の根の一部。
泉の水はここから湧き出しているのです。
根の前まで進むと、ハイファは両手を胸の前で組んで目を閉じました。
「われらが母 精霊主 トワイよ
その枝葉は その地の根は 果てもなく
空をつかみ からめ抱く
そびえる 天つ柱よ
宿りし 精霊主よ
巫子の白花 祝福を
われはひとり 歩みゆく
夜越えて昼 祈りをささげん
里の民と 合わせし祈り
白き無垢の 祈りの光
かしらに誇る 花を傾けん
花の民は 祈りをささぐ
大地を駆け ひとつとならん
頭に誇る 花を傾けん」
歌い紡ぐごとに、淡い光の玉が浮き上がります。
ハイファは天つ柱の根にそっと手を添えました。
「われらが母 精霊主 トワイよ
永久なるその 恵みと加護 安らぎよ
われら民は 花とともに」
光が根に移ると、表面を波打って泉に溶け込み、波紋を広げて周りの地面へと伝わっていきました。
泉に浸かった両足からは温かな気が上ってきます。
恵みの雨とは受け取り方が異なりますが中身は変わりません。
上手く出来たことにほっとしたハイファは一息ついて泉から上がりました。
結んでいた服の裾をほどき、寝床にしていた草の山に置いたままだったかばんを取って肩からかけます。
行くべき方向は、恵みを通して天つ柱が教えてくれました。
ハイファは示されるままに歩き出します。