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リメンバー・アイスバー

【リメンバー】

正しくはremember

『思い出す』『思い起こす』『覚えている』など、様々な意味を持つ単語であるが。この場合は思い起こすが適当だろう。

そう、これはあの短な失恋の中で存在したかもしれず、しかし語られることはなかったフィクションである。

 アイスの当たり棒は当たらない。


 これは、僕の人生観そのものであり、経験則だ。僕はついぞ、当たったことがない。

 まぁ、そもそも買ったことがないのだけれど。

 そりゃあ、買わなきゃ当たらない。あいにくと、僕はたかだか話題作りくらいにしかならない当たり付きアイスにお金を使うなんて、そんなことは嫌いだった。


「ねぇ、アイス買ってきてよ。当たり付きのやつ」

「嫌だよ」


 だから、即答した。

 夏を先取りしたような、急にやってきたじめじめとした暑さ。本来のカビ臭さが余計に強調されているのにエアコンが付いていないのは、どこぞの居候が生意気にも節約を唱えたからだ。お前を放り出すのが一番の節約だよ。

 そんな、僕の嫌いな居候様は、家主の気持ちなど知ったことじゃない。我が物顔で大の字になってただでさえ狭い床を占拠し、抗議に足をバタバタとやっている。完全に身体が大きいだけのガキだった。

 僕はそれを、我が家に唯一のプラスチック団扇で涼を取りながら、ベッドの上で見下ろしていた。

 実に、気分が良い。


「やだやだー。やだやだやだやだー!」

「自分で買いに行けばいいじゃないか。自分で金を出して」

「何言ってんのさ。きみのお金で食べるから美味しいんだよ」

「都合よく理性を取り戻すな」


 腕までも振り回し始めたと思ったら、ピタリと止まって、仰向けのまま、逆さまに僕を見上げる。前髪が重力に従って、普段は見えない額が丸見えだった。そこにじっとりと浮かぶ汗を見て、キャミソールとほとんど太腿の見えているショートパンツを見て。

 こいつ、色気があるんだかないんだか。大きく、嫌味ったらしく、ため息をついてやった。


「あっ、今エッチなこと考えた! 絶対エッチなこと考えた! エロの罪で買ってきなさい!」

「考えてねぇよ……」

「嘘だね! 私の女の勘がそう告げている!」

「そんなに元気なら、それこそ自分で行け」


 指摘してやると、それまで腕がちぎれて飛んで来るんじゃないかってくらいに僕を指差していた手が活動を止め、しなびたアサガオみたいにへたっていく。


「だみだ……。季節も、人も、みんなして私を虐めるんだ……」

「その通りだよ。だから諦めてじっとしててくれ」

「もう、最終手段を使うしかない」

「はぁ? 残念だけど、何をしたところで--」


 そこで、僕は言葉を失った。


 彼女は自分の背中と床の間に手を潜り込ませ、そこから取り出したのだ。そして、天に向かってかざされる。ちょうど僕の手に馴染む大きさで、薄く、長方形をした。ひどく見覚えのあるその物体は。


「てってれーん。きみの携帯〜」

「ふざけんな」


 某国民的アニメのオマージュが地味にそれっぽいのが腹立たしい。確かにロックこそかかっていないが、侮るなかれ、その電話帳にはろくに連絡先など入っていない。断っても断ってもしつこく聞いてきた、あの先輩の番号くらい。

 そんなこと、彼女もわかってるだろうに。意味もなく彼女の汗で携帯を蒸らされたと思うと、呆れて言葉も失おうというものだ。


「ふっふっふっ、侮っているね」

「返せ」

「でも、忘れてるでしょ。ここにはきみのバイトの先輩の連絡先が入っているんだよ」

「返せ」


 したり顔で言うけれど、おでこ丸出しで見上げながら言われても何も響かない。だのに、団扇の先で携帯をはたき落とそうとするのはきっちり避けやがる。この抜け目ないんだかよくわからないところが嫌いだ。

 やがて、幾度目かの追撃すらもかわした彼女は、そのまま器用に起き上がってあぐらをかく。向かい合うと、彼女はにひひと笑った。

 死ね。


「これから私は、その先輩に電話をかけようと思いまーす」

「言っとくけど、別にサプライズにもならないぞ? あの人は、そもそもお前が転がり込んでくるのを予言した人だからな?」


 もしかしたら、今電話がかかってくるのも予想してるかもな、と言いかけて、背筋が冷えた。何故だか、サムズアップするゴリラのシルエットが浮かぶ。口は災いの元と言い淀む僕を置いて、彼女は「それでも私は電話します!」と運動会の選手宣誓みたいに宣言した。


「……別に構わないけど、長電話はするなよ」

「んー、それはきみ次第じゃない?」

「はあ? 一体何を話すつもりなんだ」

「んふー、それはねー」


 本当に、得意満面で携帯を操作しだしてしまった。どうせろくなことをしないが、変に動きたくもない。暑いし。

 それに、どうせ話されて困るような過去とかもそんなにない。あったとしても知られてない。知られてないはずだ。知られてないといいな。

 別に何ということもないけれど。何ということもなく団扇を扇ぐ手は加速して、彼女の一挙手一投足から目が離せない。


 そして彼女は、満足気に、いたずらっぽく、言った。



「喘ぎます」



「……は?」



「喘ぎます」



「え……?」



「だからぁ、喘ぐの」



「ふざけんなっ!」


 思考を停止した頭脳が、やっと再起動する。

 冗談じゃない。僕の携帯から、女の子の喘ぎ声を、先輩に電話で流す。何だそれは。地獄か。

 僕はついにベッドという殿上から降りて、実力行使に出なければいけなかった。


 手を伸ばす。かわされる。


 手を思いっきり振る。かわされる。


 手を力いっぱい振り抜く。かわされる。


 悲しいかな。僕の手は携帯に触れることすら叶わない。ほれほれ、と。彼女が得意満面にゆらゆらとさせる携帯が、遥か遠くの存在に感じる。

 だからといって、どうしようかと歯噛みしていると、こいつは操作を再開しやがって。


「あっ! 電話帳開けた!」

「待てっ! ほんと待てっ!」

「あー、本当に全然ない。すぐ見つかったー」


 そう言って、意識が携帯に向いた一瞬。


「--そこだっ!」

「きゃあ!」


 勢い余った。

 確かに携帯は弾いた。でも彼女も押し倒してしまった。

 携帯は放物線を描き。地面を滑り。部屋の隅で止まった。画面が下向きになっているから、通話しているのかしていないのか。


「ほんとに、するの……?」

「なっ……」


 絶句。

 艶のあって恥じらうような、女の声。手を口元にやって、身を小さくする彼女。

 別に、その色気に当てられたわけではない。ただ、携帯が通話中かもしれないから。

 その一瞬の動揺が命取りだった。


「あんっ……恥ずかしいよ……」

「くそっ! 少し静かにしろ!」

「んーっ! んーっ!」


 咄嗟に彼女の口を抑えるが、何故だ、むしろいやらしくなった。

 しかし、ここで彼女を自由にしてしまうのは看過できないリスクを伴う。僕は彼女に馬乗りのまま、彼女の口を抑えたまま、空いた片手を必死に伸ばすのだが。


「と、届かない……」

「んっ……んうっ……」


 指の先はかかるのだが、どうしても引き寄せられない。必死の格闘をする間にも、彼女は何故か身体までよじらせて喘ぎ出している。クソみたいな女優精神だ。


 --ちろり。


「うわぁっ!」


 その時だ。

 ぴちゃりと、湿った柔らかい肉の感触。それが、指と指の間を羽が触れるように軽くなぞる。ぞわぞわとした快感が背筋をかける。


「すきありっ!」

「……あっ」


 思わず力の抜けた拘束から、彼女がするりと抜け出す。そして携帯を取られてしまえば、状況は振り出しだ。


「運が良かったね。でも、次はこうはいかないかもよ?」

「あぁ、そうだな……」


 彼女が見せる携帯の画面は、先輩の連絡先を映すだけで、つまりは電話をかける一歩手前。次は確実に殺られる。社会的に。

 僕は何だか、どうでもよくなっていた。暑い中暴れたりしたからだ。僕はしばらく、彼女の唾液で湿った指を眺め、そして立ち上がった。


「わかったよ、買ってきてやるよ。だから、携帯返せ」

「えー、ほんとー? 返した瞬間、やっぱいかないとか言うんじゃない?」

「じゃあ買ってくるから、そしたら返せ」

「それならよろしい」


 面倒くさいのは嫌いだ。ちゃっと買ってきてちゃっと返させて終わりにしよう。別に、こいつも嫌がらせが好きなわけじゃあないから、預けといても平気なはず。

 汚された指をズボンでぬぐいぬぐい、昨日の買い物のレジ袋から財布を見つけ出し、足取り重く玄関に向かう。「当たり付きだよー」と言う念押しに生返事を返した。

 玄関を開ける。額にじんわりと滲み始める汗を感じて、もう帰りたくて仕方ない。


「いってらっさい」

「……いってきます」


 しかし、そうは問屋いそうろうが卸さない。

 ちらりと振り返ると、ぐてんと寝転がった彼女は顔だけ覗かせて、これ見よがしに僕の団扇で扇いでいやがる。


 アイスの角に頭ぶつけて死ね。

「あっ、当たった当たった」

「そうか」

「ねぇ、引き換えてきてよ」

「なんで僕が」

「実はここに、キミが明日提出するレポートの表紙が……」

「いい加減にしろ」

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