5:きもちわるい
青空の下、大通りを楽隊が盛んに音楽をかき鳴らしながら進んでいく。
大勢の群集が、大通りの両脇にぎゅうぎゅう詰めになりながらもダヴィンは目を輝かせてその動物を見た。
「わぁ……すごいっ。あれが象かぁ……」
その後方から姿を現すとんでもなく大きな生き物の姿にダヴィンは感動の声を上げた。
見たこともない巨大な四足歩行の動物。口の当たりからはとても大きな牙だか角だかが伸びており、時折観客に答えるように大きな鼻を揺らし、持ち上げながら叫び声をあげている。
知らないものを見た喜びと感動に震えた後、ダヴィンはそのまま走りはじめる。
懐にはこの数ヶ月仕事を続けてかき集めた銅貨の山。小銭ばかりだけれども、この大博覧会で一個だけ……展示されたものを見る事ができる。
他にも動植物や、自動人形、興味を惹かれるものは山ほど存在していたけど……一晩中悩みぬいて選んだのは、やっぱり美術展だった。
ここは大陸各地からかき集めた盗掘……もとい、美術品や絵などを陳列している。
どのような珍品が集められているのか――ダヴィンは周囲の眼など気にせずに進む。
『最初の神』の世界創生の絵、『白い光の女神』を象った巨大な絵、玉虫を模したネックレス、いにしえの大王の黄金の埋葬品、植物から搾り出した液によって不思議な光沢を帯びる食器、その土地の伝承を掘り込まれた大きな箪笥。どれもこれもダヴィンの知的好奇心を満たす美しいものばかりで、何度感動と賛嘆の溜息をついたか数え切れないほど。
「ここだけすごい人だかりだ。どんな絵なんだろう!!」
そして……ダヴィンは、大勢の人々がこぞって干渉しようとする一枚の絵に近づいた。
こんなにも沢山の人が見ているのだから、さぞかしすごい絵に違いないと期待に胸を膨らませ、押せや退けやと先に進み出て――。
綺麗な額縁に飾り立てられた――自分の絵に対面した。
「……は?」
なんだ、これは。
その絵は見覚えがあった。数日前に兄のブラントンに強奪された書きかけの作品が、大勢の衆目に晒されている。
『……ほぉ。これが噂のアースランドの若き天才の』
『なるほど、実に美しい……少年の姿に扮した美しい姫君か』
街中で偶然出会ったあの『お姫様』のために。
お互いに生活の中の愚痴をこぼしあった大切な友人のためだけに描いた絵が、大勢の衆目の眼に晒されている。
自分の友達にあげるはずだった『お姫様』へのプレゼントが、どうしてこんなところにあるのだという強い困惑。次いで喉の奥底から突き上げるような失望と憤怒を感じる。
ダヴィンは自分の研鑽が、自分の努力が、すべてが辱められているような怒りを覚えた。
『それに他にも沢山、若き天才の作品があるぞ?』
『さすがルクセンビア王国。このような若い才能をどこから拾い上げてきたのか』
なんだと? ダヴィンはくらくらと眩暈がするような気持ちのまま視線を滑らせる。
あれも、それも、これも、どれも。
「……全部、ぼくのじゃないか」
どれもこれも見覚えがある――当たり前だ。
兄のブラントンの工房の中で、自由に絵を描いていいといわれて喜び勇んで描き続けた作品たち。
自分の描いた作品が……自分ではない名札を付けられて飾られている。
ダヴィンの胸の中に渦巻く強烈な吐き気と嫌悪感と憎悪。それは創造する事に心血を注ぐ人にとっては耐え難いことだと分かるだろう。
自分のかけがえのない大切なもの達が、途轍もなくけがらわしい何かによごされていることへの、耐え難い嫌悪感に、ダヴィンは後先のことなど考えずに動いた。
「わっ! この餓鬼、何をするっ! おい、馬鹿やめろ、この芸術を汚すなぁ!!」
「うるさい、だまれぇ!」
ダヴィンは叫ぶ。
芸術を汚しているのは奴(兄)のほうだ――ブラントン=アースランドの名札を付けられて辱められたこの作品を後世に残すぐらいなら、己自身の手で処分したほうがいい。
ダヴィンは近くにいた貴族らしい男のサーベルを盗み取ると――そのまま刃を投げうち……心血を注いで描いた『お姫様』の絵の真ん中に――どうしようもない決定的な傷を突き立てる。
ぽたり、と涙がこぼれた。
『お姫様』にあげるための絵なのに。
なんで僕は自分で大切な絵を破っているんだ。
「このっ……この餓鬼ぃ!!」
「国の宝となる絵になんてことをぉ!」
警備兵達がダヴィンの頭を掴み、警棒で殴打する。
がつんっと眩暈がするような激痛と共に倒れ付し、足蹴にされながら、ダヴィンは瞳からあふれ出る涙を耐える事ができなかった。
怒りと憤懣のまま剣を突き立て――けれども、けれども、どうして僕はこんな事をしなければならなかったのだろう、と嗚咽に震えた。
(馬鹿共が、馬鹿共が、お前等に何が分かる!! 自分で生み出した大切な作品を、自分で処分せねばならなかったこの悔しさがお前達にわかってたまるか!!)
兄ブラントンが、絵を売ることは別に構わなかった。あの工房では様々な画材や道具を買ってもらったのだからそれは構わない。
だが……盗作は許せない。あの描くときの悩み苦しみを知らない赤の他人が盗んで奪いとる。それは絶対にやってはならないことなのに――あの兄は、そんな人として当然の事さえ知らない外道だったのか。
「ブラントン……殺してやる……ブラントン!!」
暴行を受け続けても、なお心の中で憎悪は膨れ上がり。
激痛で意識を手放すまでの間、ダヴィンは呪いの言葉を吐き続けた。