2:楽しいことを考えよう
魔法道具を使ってお湯を沢山沸かし、頭髪を洗い流し、数日間根を詰めた結果の垢を洗い流す。
「楽しいことを考えよう、どんな本があるのかな?」
ダヴィンはふんふん鼻歌を歌いながら、野原で拾った花を煮詰めて作った洗剤で頭を洗い体を流して身奇麗にする。
実際のところ、ダヴィンは兄の事を除けば今の生活に概ね満足していた。
兄のブラントンは横柄で横暴で、暴力など日常茶飯事だったが――少なくともケチではない。
高価な顔料が不足すればすぐさま買い足してくれるし、今回のように専門書や稀書を取り寄せてくれる。せっかく描いた絵を持っていかれることは嫌だったが……ダヴィンも、今の環境を整えるために相当金が掛かっていることは察していたから、売った絵で費用を補填するのも仕方ないと思っていた。
30分ほど軽く仮眠を取り、頭の中をすっきりとさせると本を抱えて別室に向かう。
「さーて。読書の時間だ」
そこは読書室と銘打ったおかしな部屋である。
眼球代わりの水晶をはめ込んだ、右腕と上半身しかない『自動人形』が数十機、教室で学問を受ける生徒のように規則正しく床に固定されている。ダヴィンはその人形一機一機の前に本をとんとんと置いていき――最後に、近くに設けた安楽椅子に体を沈めた。
「……魔力糸を展開、直接制御開始……」
指先から伸びるモノ――それはダヴィンの膨大な魔力を糸の形へと形成した物質。それは鋼に勝る鋼糸であり、拡張された感覚枝であり……そして、自動人形を制御する『式神』へと自分の意識を重ねる特異な魔術であった。ダヴィンはこれを本を読んで独学で完成させている。
同調を開始――ダヴィンの脳内に、数十機の自動人形の視界と、ソレが写す映像が出てくる。
本ではこの感覚を多重思考と呼んでいた。どうやってソレを成しているのか、とダヴィンに問われても答えられない複雑な脳内の働き。ムカデがどうやって何十本もの数の足を動かしているのか分からないように『できる事はできるのだ』としかダヴィンは答えられなかった。
それはまるで天才的な頭脳を持つただ一人の人間が、何十人にも増えているかのような膨大な情報の吸収を実現する。
この桁外れの学習能力こそが――ダヴィンという万能の天才を支えているのだが……それを知るものは、どこにもいないのであった。
「……面白かった」
ダヴィンは椅子から身を起こすと、テーブルの上の本を丁寧に持ち上げ、最初と同じように一つずつを籠に直しておく。
専門家が一冊読み解くのがやっとの本をすべて満喫したが……今は脳髄が加熱しているかのような感覚。多重思考を行うと、いつもこんな具合だった。脳みそが疲れているのだろうか。
頭を動かしたから、次は手を動かすことにしよう。
ダヴィンは前から決めていた通りに、絵を完成させようと、アトリエに戻ったが――ブラントンに、作成中の絵を持っていかれたことを思い出し、嘆息を溢す。
確かに絵としてはそれなりによくできている。しかしまだ付け加えたいところはところどころあった。未完成品を完成させられなかった。それも他人の横槍のせいで。
嫌いなブラントンの顔を思い出して、むしゃくしゃした気持ちを堪えながら……ダヴィンは、町の中心で行われる工事を見に行こうと決める。
このルクセンビア王国では、近日中に世界各国から様々な物産や芸術品を集めた大博覧会が開かれる。
その中には、このあたりで生息していない珍奇な動植物も多数持ち込まれていると聞く。
そういった特別なものは見れなくとも、大きな建築道具などが働く姿はいい刺激になるに違いない。
早速スケッチブックを片手に、工事の様子を見に行くことにした。
もしかしたら、またあの子に会えるかもしれないと思いながら。
「オイゲン=アースランド様、ブラントン=アースランド様、ご来訪なさいました」
ブラントンはその肥満体を礼服にぎゅうぎゅうと締め付けながら冷や汗をだらだらと流している。
王宮の中で、父と二人きりでこの国の王と姫君に対面する――流石にその栄光と緊張は比類ないものであった。
……頭を伏せ、このルクセンビア王国であるロバート王と……その愛娘であるアンネリア姫が着席し、文官が許可を出してようやく頭をあげる許しが出る。
「オイゲン、おぬしの息子の名声は聞き及んでいるぞ。会うのを楽しみにしておった」
「ははっ! あり難き幸せ!」
「傑物が出てくれて余も嬉しい。……おぬしが、ブランドンだな?」
「は、はひぃ!! な、名前を覚えていただき光栄でしゅ!」
肘がガクガクと震え、声が上ずって緊張する。ブランドンは自分の無様な応対を省みる余裕などなかった。
……彼の家、アースランド家は領地を持たない法衣貴族の中だが、特に金に困ったことのない裕福な家だった。
だが、その理由は、労働、軍事の双方で使われる『自動人形』の製作者がアースランド家の初代当主であり、大変な傑物だったからだ。その功績を讃え、アースランド家は少なくない量の年金が支払われている。
ただしその初代以降はどれも傑物からは程遠く、『先祖から小遣いを貰って生活している』というのがもっぱらの評判だったのだ。
その評価を覆しつつあるのが――ブラントン=アースランドだ。
芸術家であり、自動人形の製作にも才能を示す天才児。その出現は『凡庸続きのアースランド』『先祖のすねかじり』という評価を覆すに十分で、オイゲンはこの肥満児の息子を殊更大事に扱っていたのである。
その評価を得る事になった一つが――ゆっくりと運ばれてくる。
ブランドンは『姫人形』の上に被せたシートを引き剥がす。
……そうすれば、王の隣で椅子に座る姫君と瓜二つの姿が露になった。
「まぁ……すごい! わたくしにそっくりです!」
「おぉ……これほどに似通った姿とは! むき出しの骨格と滑車が見えなければ、見間違いそうなほどによくできている……」
王と姫は感嘆の言葉を隠しきれない。
「ぶ、ぶひぃ……あ、アンネリア姫様、こちらのぜんまいばねをお手に、背中の穴に突き刺して回してください。それでこの人形は姫の影武者となります……」
「あ、ありがとうございます、ブラントン様」
丁寧に会釈し、ぜんまいばねを受け取るアンネリア。受け取った掌に、ブラントンの熱っぽい鼻息が掛かったことに一瞬、びくりと背を震わせたが、自制心を働かせてそれを堪えた。
少なくとも、自分と瓜二つの人形を作る才能は尊敬に値するものだ。
ぜんまいばねを受け取り、それを自分と瓜二つの人形の背中に突き刺し、一度、二度と回せば……まるで魂を吹き込まれたかのように『姫人形』がゆっくりと動き出す。
最初は痙攣のような振動をしていたが、次第にその動作は人間めいた滑らかさを見せていく。
胴体の部分でむき出しの滑車とバネが計算しつくされた精密な動きを見せる姿は――数学もまた美を構成する要素であると知らしめるかのよう。姫人形はくるりと後ろに振り向き、アンネリア姫に向き直ると、丁寧に膝を折り、指先は存在しないドレスの裾を摘まんだかのように会釈した。
『初めましテ、ご主人サマ。これよりあなたさまの影となり御身を守る盾となりまス』
「喋った、それもわたくしとそっくりですわねっ」
「うむ。……よくぞこれほどのものを作り上げてみせた。感謝するぞ、ブラントンよ」
「あ、ありがたきしあわせぇー!」
多少びくついたところこそあるもののの、王族に直接拝謁する栄誉を得た若者ならば普通でもある。王と姫はそれほど気にするほどもない。
そのまま王は頷き、言う。
「素晴らしき才能と能力よ。今後も期待しておるぞ」
だが……その言葉を受けた時、ブラントンの顔に一瞬恐怖の影が過ぎる。
まるで絶対にできない仕事を命じられたかのような――だが彼が、何か言うより早く後ろに控えていた父オイゲンが満面の笑みで答えた。
「お任せください、陛下! わが子ブラントンは必ずや陛下のお力に成りましょうぞ!!」
「うむ。……ブラントンよ。そなたがわが国に欠かせぬ自動人形の性能向上についても素晴らしい知見を持っていると聞いておる。
そなたの働き次第では、姫の降嫁もありえよう、励むが良い」
その父の言葉を隣で聞いていたアンネリアは小さく、恥ずかしげに微笑む。
王族として生まれた以上、こういった政略結婚は宿命であると諦めていた。ましてや目の前の青年、ブラントンは芸術家としての名声も、そして自動人形の改良という点でも、国が手放してはならない人材である。王家と親戚になるという餌を釣ってでもつなぎとめておきたいのだ、父は。
それは王として正しいだろう。父としては、どうかとも思うが。
「ひょへ?!」
ブラントンが素っ頓狂な声をあげる。
公爵家でもなんでもない、法衣貴族に対する待遇としては最高の褒章に、アースランド家の当主オイゲンは一瞬呆けたような表情を見せたが……その意味するところを察すると、満面に喜色を浮かべ、横にいる息子のブラントンの頭を抑えつけ二人一緒に土下座しがら叫ぶ。
「あ、アンネリア様をいただけるなど臣下として光栄極まります、あり難き幸せぇぇえ!!」
どすん、と地面に額をこすり付けるオイゲンの姿に、ハワード王は苦笑を浮かべ、アンネリア姫もまた……暗然とした気持ちを押し殺し、王族の義務のように微笑んでみせる。
ブラントンが嫌いなのではない。そもそも好きとか嫌いとかさえ感じないほどに、相手の事を知らない。
けども、頭を上げたブラントン=アースランドの顔は不可解だった。
なぜか彼の顔は……死刑宣告を受けたかのような恐怖に引きつっていた。