1:このアトリエはだれのもの?
それは美しい少女の姿をしていたが、少女ではなかった。
それは歯車と滑車で中身を形作られた自動人形。
この大陸中部に位置する『ルクセンビア』王国の誇るテクノロジーだ。
……薄暗い工房の中でようやく完成した、美しい少女の姿に似せた人形は何のために作られたのか?
自分にこの難しい注文を推しつけた腹違いの兄、ブランドンは明言していないが……恐らくこの特注の自動人形は、貴人の影武者、身代わり人形として活用されるのだろうと想像はできた。
「さて……ここが一番最後……」
ダヴィンは額の汗を拭う。
そして、一番大切な最後の工程……自動人形の印象すべてを決定付けるといっても過言ではない――その眼窩に、瞳代わりの魔導水晶をゆっくりとはめ込んだ。
「はふぅ……」
一歩下がり違和感がない事を確かめ、二歩下がりすべての処置の完成を確かめ……ここ数ヶ月に渡る努力がようやく完成した事を確認する。安堵のあまり近くの椅子に背中から崩れ落ちた。
ダヴィンは頬を拭う。目蓋は重く、指先までずっしりと疲労がつまっているようにくたくただ。
仕方ない。無理な仕事の工程を捻じ込まれ、最近は兄の工房にずっと缶詰だったのだから。
洗面台に向かい、蛇口を捻り、石鹸を塗りたくって顔をさっぱりさせていく。そうすれば12歳ほどの中性的な容貌が鑑に移った。
珍しい黒目黒髪に整った耳目と目鼻立ち。相応に見られる顔立ちだろうか。すっきりとした顔を撫でて、最後の確認を行う。
貴人の自動人形――その胴体部分や股間の当たりには滑車と骨格がむき出しのままだが、これは問題にならない。
これが貴人の影武者として使われるなら、服を着ない状態というのは考えにくい。もちろんダヴィンは資料があれば女性の肉体すべてを再現するだけの人形師としての天才的な力量があったが……彼は童貞なので、知らないものは作りようがなかった。
「ふひぃ、ふひぃ……おい、ダヴィン! 人形はできてるのか、ふひぃ!」
「これは、若様。……今しがた完成したところです」
時間きっかりに、この薄暗い工房へやってくる慌しい足音がある。
このアースランド家の正妻の子であり、次期当主であるブラントン=アースランドは、よく言えばふくよかで恰幅がよい若者だった。悪く言えば運動不足の不摂生を改めない怠惰な苦労知らずでもある。
そして……ダヴィンは、アースランド家当主、オイゲン=アースランドの私生児。
二人は腹違いの兄弟だったが……ダヴィンはこの肥満体の兄を、兄と呼ぶことは許されていない。
あくまで私生児であるダヴィンは、公的には父オイゲンに子供と認められておらず、立場は使用人に近い。兄に命じられれば、下僕として振舞わねばならなかった。
兄ブラントンは、はひはひ汗を拭きながらハンカチで顔を拭ったが、この薄暗い部屋に舞い降りた美の化身の如き姫人形に見惚れたように溜息を溢した。
ダヴィンは頭を下げたままだったが、どうだ、見たか、と内心自慢に思う。
自分と兄の間には厳格な地位の溝があったが、本当に美しいものの前には溜息しか出ないのだ。本当に美しいものを生み出せるかどうかには生まれなど関係ないのだ。
「おおおぉ……よし、早速持っていく」
「あの、若様……」
「ん? あー。おい」
ブラントンがそう言えば――彼の後ろから、バネの滑車の音を響かせてやってくるのは、木製の仮面とむき出しの骨格、滑車を備えた労働用の自動人形だ。
ダヴィンの手がけた美しい女性の姿をした『姫人形』のような例外もあるが……大勢の人が『自動人形』と聴けば思い浮かべるのはブラントンの連れてきた労働用の簡単な作りのものだろう。
中枢の魔導核に『式神』なる特異な魔術式を刻みこみ、使い手の魔力を登録して労働に従事させるこの魔導と機械の技は、ルクセンビア王国が諸外国に誇る優位性の一つ。
ブラントンの連れてきた自動人形は、背中に背負っていた籠を下ろす。
ダヴィンはすぐさま籠の中身にすがりつき、目を輝かせる。それは私生児のダヴィンでは入り込めない、貴族御用達の学園図書館から借り受けてきた技術書、専門書ばかりで、大人の学者がうんうんと唸りながら読み進めるような代物ばかり。
しかし、ダヴィンからすれば、これらの難解な書物こそがどんな宝物にも勝るのだ。
わくわくウキウキというべき顔で本のタイトルを物色するダヴィンは顔に喜色を浮かべてぱらぱらと中身を見漁る。そんな様子に鼻を鳴らすブラントン。彼からすれば、この美しい姫人形の発注と引き換えにできるならば本を借りるぐらいはなんでもない。悪くない取引であった。
「ぶひぃ……あんなわけの分からん活字の山を見てなんで頭が痛くならんのだ。
おいダヴィン、もし汚したり紛失でもしてみろ。鞭を食らわせてやるぞ!」
「そんな事はしません、若様!!」
どの本も学園秘蔵の品であったが、しかし貴族界では『新進気鋭の美術家、芸術家』という名声を盗作で得つつあるブラントンならば図書館も融通を利かせてくれた。
一冊一冊がちょっとした財産になるほどの希少な品。ブラントンが『もし汚したり無くしたりしたら鞭打ち刑』という彼の言葉も、至極当たり前の発言であり、ダヴィンは素直に頷く。
だが、次の一言はダヴィンには無視し得なかった。
ブラントンが指差す先――そこには美少女の自動人形を取り掛かる前に描いていた数枚の絵がある。
人に精巧に似せた姫人形を作るには、美術に対する造詣も深くなければならぬと思い、数日間スケッチに励んだ結果の作品だ。
「あれも持っていく。ふひぃ」
「え? ちょ……若様、お待ちください!」
ダヴィンは慌てて言う。
その数枚の絵はまだ未完成品で、姫人形の作成が終わったら完成させようとしていた絵ばかりだ。
なにより完成した暁にはモデルを務めてくれた相手に渡すことを約束した代物なのだし。
反射的に絵を運び始める自動人形を推しとどめようとするが、自動人形は顔を模した仮面をダヴィンに向けて、手で突き飛ばす。
「私生児の分際で俺様に逆らうんじゃにゃい、ぶひぃ!」
幾ら血が繋がっていたとしても、正妻の子と妾腹の子では歴然とした身分差がある。
ダヴィンは、ブラントンの振り上げられる魔法の杖での殴打に対して甘んじて受けるしかなかった。
本当なら、反撃の手段など幾らでもあるものを。
「いいかぁ! ここは俺様のためのアトリエだ! お前はあくまで間借りさせてやってるだけだ、ぶひぃ!」
(……いいや違うよ若様。ここはあんたのだったかもしれないが、今や僕のアトリエだ。あんた、父上にこの施設を作ってもらって一体何時間ここにいる?
あんたが此処にくるのは、僕の成果物を業突く張りな盗賊のように根こそぎ奪っていく時だけじゃないか)
ぎろり、と怒りと憎しみが瞳から溢れそうになるのを懸命に堪え、ダヴィンは頭を下げる。
落ち着け、やり過ごせ、この忌まわしい兄との会話を終わらせて本を読みたい。
「……申し訳ありません。若様」
「分かったらさっさと仕事に戻るんだ、ぶひぃ!」
吐き捨てる唾が、土下座するダヴィンの横で弾ける。
ダヴィンは、屈辱と怒りに震えながらも、黙って兄の侮辱に耐える事しか許されなかった