追われる男
曇り空は月を覆い、蛍光灯だけが教室を照らしている。
「さっきの決め台詞良かった」
有里が仁科にグッジョブのハンドサインを送っている。
「え? そうかな。え? 照れるなあ」
仁科は頬を染めながら頭を掻く。
「けっ、そんなには凄くなかった。なにが『頭脳がぴかぴか冴え渡る』だ。お前は脳みそのしわがないから確かにツルピカだろうよ」
新藤は変な顔をしながら仁科の真似をする。新藤に向かって牙をむく仁科に、まあまあ、と富枝が割って入る。
「新藤の決め台詞も良かったぞ。『君のハートに一直線』心と心臓をかけてるんだろう」
富枝は、先ほどの新藤の真似をしてウインクをした。
「改めて見ると恥ずかしい!」
新藤は顔を覆う。仁科はニヤニヤ顔で新藤の顔をのぞき込もうとする。
こうして決め台詞の話でバトル部の面々が盛り上がっていると、突然、ドアがバシン!
と強く開かれた。
「はっ、はあっ、はあ……」
一人の見知らぬ男が転がり込んでくる。
「なんだ、なんだ?」
仁科は後ずさる。
「……お、追われてるんだ……はあっ」
男は体勢を崩し、床に寝転がる。
「大変! 誰に?」
有里が眉を下げて、男をのぞき込む。
「俺がいた組の奴らだ。俺が組を抜けようとしたら、指を詰めろって言われて。俺、怖くなって逃げてきちまった!」
一瞬、静寂が襲う。やっとの事で、富枝が唇を開いた。
「まさか暴力団組員とは」
富枝は、仁科が今までに見たことないほど目を見開いている。
「通報しよう」
新藤がポケットに手をかける。それを仁科が手で制した。
「夜中の学校にいる俺らもただじゃ済まないから、止めろって。なあ、あんた。警察に保護して貰ったらどうだ。あんたが一人で警察に行くんだ」
「お縄になるだろうが」
男は首を横に振る。有里が腕を組んで、男の方を見た。
「その人たちに捕まるよりはましだと思うけど?」
「来てないよな……」
男は有里の一言で気になり始めたようだ。追っ手が来ていないか、窓から学校前の道路を覗く。仁科たちも外を覗いた。
「どんな見た目なのが暴力団なんだ……?」
イマイチ仁科は想像がつかない。そのとき、学校前の道路に、がに股歩きの男が二人通りかかった。
あれか……?
仁科は目を細めた。そのとき、二人の男はこちらを見た。そして指さす。
「見つかった!」
追われている男が悲鳴を上げた。学校の前にいる追っ手は、こちらを指さしながら敷地内に入ってくる。
「来る!」
男は尋常じゃない慌てようだ。
「逃げるぞ! 警察に行くんだ! いいな!」
仁科が男に向かって声をかける。
「仕方ねえ! サツに捕まってやる!」
男は決心が付いたようであった。
廊下へ全員で出ると、仁科はすぐには階段を降りずに、廊下を進んだ。
「遠い方の階段を使おう。こっちの階段だと鉢合わせするかもしれない」
仁科たちは階段を降りると、玄関に向かって忍び足で移動した。先頭の仁科が止まる。廊下の角の向こう、足音が聞こえてくる。二人分の足音。仁科たちはゆっくり、気配を悟られないように後ろへ下がった。しかし追っ手の足音は近づいてくる。
もう見つかる!
そのとき、一つの教室の扉が開かれた。用務員が手招きをしている。仁科たちはその教室へと急いで入った。かび臭い匂いと、所狭しと並ぶビーカーやフラスコ。そこは化学準備室であった。用務員は扉を閉めると鍵をかけた。
「おじさん! どうしてここに」
仁科は聞いた。
「夜警中だったんだ。……あいつらもしかして、やばい奴なんじゃないか」
「そうだ。現役暴力団さ。そしてこちらは、元暴力団組員」
富枝が答えた。仁科も説明する。
「このまま捕まったら、指を詰められるんだって」
それらを聞いた用務員は、額を抑える。
「めまいがしてきた……」
「こんなに逃げちまったし、もう殺されちまうかもしれねえ」
男はうつむいた。
「……大変!」
有里が小声で叫ぶ。
「彼は警察に保護して貰うことにしたんだ」
新藤が説明する。用務員はうなずく。
「なるほど。とにかく学校を出ないとな。お前らにも危害が加わるかもしれない」
「怖い!」
有里が自分の体を抱きしめる。仁科は真剣な顔で有里を見た。
「大丈夫だ、有里。どうにかするぜ……おじさんがな!」
「人任せか!」
新藤のツッコミが冴えた。
化学準備室にて、仁科の方を全員が見ている。
「あいつら今ここの前を通ったから、しばらくこっちには来ないはず。見つけるまで帰らないだろうから、今のうちに玄関から出よう。この兄さんをおじさんが警察に置いたあ今日はそのまま全員うちに帰って、おじさんは警察がやつらを捕まえるか追い出すかした頃に戻れば良い」
「なるほど。分かったわ」
有里がうなずく。
「了解」
「分かった」
新藤と富枝も了承した。
「おう、分かった」
男もうなずく。
「仁科、こういうときだけは頭良いな」
そう言う用務員を仁科はにらみつけた。
仁科が化学準備室の扉をゆっくりと開く。廊下に顔を覗かせ、追ってがいないことを確認する。そして全員は廊下へ出て、玄関へ向かって歩いた。
「あっ、あそこ!」
窓から見える反対側の棟に、追っ手が見えるのだ。そして奴らは仁科たちの方を見ると走り出す。
「走るぞ!」
追いつかれないように、走って逃げる。
「やっぱり警察には行かねえ! このまま逃げる!」
男が言い出す。
「何言ってるんだ! 今は逃げ切れても、いつまた命を狙われるか分からないんだぞ!」
仁科が叫ぶ。
「家族に迷惑かけたくねえんだっ! 捕まったら、娘が可哀想で……」
男の走るスピードが落ちる。
「家族がいるのね……」
有里が悲しげな声で言う。
「家族もな、お前さんが死ぬよりは、捕まってた方が嬉しいだろうよ」
富枝が諭すように言った。そのとき、男が倒れた。次いで乾いた破裂音。男から、みるみるうちに血が流れる。仁科が振り返ると、廊下の向こう、拳銃を構えた追っ手たちがいた。仁科は急いで男の傷口を確認する。左胸、心臓がある方であった。やくざたちは去って行く。目的は果たしたと言わんばかりに。そのとき、倒れた男の胸ポケットから、写真が出てきた。銃弾が貫いた後がある。家族写真だ。女の人が、小さい子供と手をつないでいる。
仁科は立ち上がると、廊下の掃除ロッカーへ行く。そこからモップを取り出すと、仁科は走る。去って行く追っ手の背後へ。モップの柄で追っ手たちの頭を殴る。その後突き、次になぎ払う。追っ手たちは床に倒れ込む。気を失ったようである。
モップを構えた仁科は、肩で息をしていた。
「一命を取り留めたんでしょ、良かったわね」
昼休み、中庭で弁当を開きながら、仁科と有里が並んでベンチに座る。
男はその後一命を取り留めた。回復を待って警察が事情聴取をするようで、仁科が見舞いに行くと、警察が仁王立ちしていて、面会謝絶であった。
「よくやったわね、仁科。鉄砲持った相手をほうきでぶん殴るなんて」
「あの後、おじさん怖かったなー。鬼みたいだった」
「心配してんのよ。あんたって、危険に突っ込んで行っちゃうから」
有里は笑った。サンサンと晴れた日差しが、彼女を照らした。




