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策略生徒会Ⅱ 柳骸坂を昇れ  作者: 中川大存
第一章【樋野祐圓の策動】
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第一章【樋野祐圓の策動】③

 

          [3]

 

「はい、もっと大きく発声!」

 吉良崎由衣はぱんぱんと手を打った。その音は体育館の広い空間の中では虚ろな響きしか残さなかったが、壇上の新入生達は目に見えて反応した。

「だから、さっきから何度も言っているじゃないか! そんなところに俺がいたって証拠はどこにもないんだ──」

 舞台中央の少年が自棄になったように声を張り上げる。感情表現ができていないが、さっきまでの照れが残る芝居よりはずっといい。

 演じることに照れがあるというのはつまり、役に入り込んでいないということだ。演目の中でなく現実の地平に意識を置いている──これが良くない。演劇をやろうと思うなら、いの一番に学ばなければならないのはまさにそこなのである。

 彼らは新入部員。つい二週間ほど前に入学してきたばかりの一年生である。

 陽陵学園の演劇部では、年度が改まって最初の練習で、新入部員達にぶっつけ本番で劇を一本やらせることになっていた。

 無論、衣装も舞台設定も何もない。がらんとした舞台の上で、ジャージ姿の一年生達はたった今渡された台本を片手に演技するのである。吉良崎の見るところ、半分以上は中学でも演劇部に所属していた経験者のようだが、彼らもいきなりのことに大きく戸惑っていた。

 しかし、それでは困るのだ。

 道具の不具合、脚本や役柄の唐突な変更──本番に向けて入念な準備を行う演劇部においても、予想外のハプニングは珍しいことではない。突然立ち現れる状況にいかに柔軟に対応できるか──その資質を見ることこそがこの恒例行事の真の意味なのだ。そしてそれは、この演劇部が持つ裏の顔にも関わってくる。

 吉良崎は、かつてこの部を束ねていた切れ者の顔を思い浮かべた。この指導方法を導入した彼女こそ、吉良崎の理想とする人間だった──

「部長ー」

 気の抜けたような声で思考が中断される。

 振り返ると、二年の部員の爪山弘明が手を振りながら歩み寄ってきていた。

「お疲れ様、爪山君」

「おお。どうだい? 新入部員は」

「まあ、ボチボチってところかしら。技術的にはイマイチだけど、それなりに本気でやろうとしてる子は多いみたい」

 ふうん、と言って爪山は大して興味もなさそうに舞台を見やった。

「で、どうなの?」

「部長の言う通り、確かに市内のきなくさい噂はちらほら聞こえてきてるよ」

 爪山はまるで世間話でもするように、飄々とした調子で報告した。

「こないだのことで、南岳前会長が統括していた市内の裏ビジネスが一挙におじゃんになったわけだからな。ある程度の混乱はむしろ当然ではあるんだろうが、今まで抑圧されてきた感情ってのがなかなか馬鹿にできないレベルまで来てたようだぜ。確定情報じゃねえが、ざっと調べただけでもこれだけのごたごたが起きてる」

 爪山は一枚の紙を差し出してきた。時期、場所、当事者の高校名などが列挙されたそれに目を通し、なるほどね──と吉良崎は相槌を打つ。「ざっと調べた」と言う割にはなかなか細かく調査されている、と感心した。

 陽陵学園文化部最大規模の部活動である演劇部には、二つの顔がある。表の顔は、その名前通りに演劇を企画し稽古し上演する、ごく普通の演劇部としての顔。そしてその裏に隠れたもう一つの顔が──最大にして最深の人脈を備え、諜報、支援、妨害、偽装、その他あらゆる活動をこなす工作機関という姿である。

 この爪山は表向きには脚本チームの班長という肩書きではあるが、裏では一切の対外的諜報活動を取り仕切る男だった。

「関わっているのはどんな高校なの?」

「まあ簡単に言えばこれまで陽陵の下請けや中継係なんかの役回りを請け負って小銭を稼いでた連中だな。かつてのボスに取って替わろうと、利権を巡ってかなりの抗争を演じてるってわけだ。もちろん決して表で大きな問題になることのない戦いではあるんだが、領土拡張のためにかなりえげつねえ権謀術数が繰り広げられてる風だな」

「ふうん。さながら戦国時代ってわけね」

 吉良崎の返しに、爪山は顔をくしゃりと歪めて笑う。

「言い得て妙だね──その乱世に、突如として信長が現れたって話なのよ。周りの敵をことごとく片付け、そいつらの利権を残らず奪い取って急成長してやがる学校が一つある」

「要注意ってことね。こちらに攻撃を仕掛けてくる可能性は?」

「勢力拡大という目的からすれば、低いと思うね。失脚して力を失ったウチには、今やそこまでの旨味がない。少なくともあちらさんにとってはな」

「……何か引っかかる言い方ね」

「その情報が流れ込んできた経路ってのが問題なのよ。どうもウチの生徒が一人、最近そこに接触を図ったようなんだな。生徒を呼び出して、何かの約束を取り付けたらしい」

「陽陵の生徒? 何年なの?」

 吉良崎の問いに、一年さ、と爪山は軽やかに答えた。

「そいつの名前は樋野。部長も知ってんじゃん?」

「樋野? それって生徒会書記の樋野祐圓?」

 爪山が頷いたのを見て、吉良崎は顎に手を当てて考え込んだ。

 最近力をつけてきている高校への、このタイミングでの意図的な接触──偶然の一致か。それともあのなよなよとした少年は、何か企んでいるのだろうか。

「現状で分かってんのはそれくらいだ。その一年坊主が何を考えてるのかはわからず終いだけど、まあ、そんなこと考えるのは俺らの仕事じゃねえやな。どうするよ? まだ何か探んのか?」

 その声の中に面倒臭さの波長を感じて、吉良崎は内心で溜め息をついた。

 この爪山という男は命じられれば仕事はきっちりこなすものの、どうにも要所要所で怠けたがるきらいがある。野心がないというのは安心して重用できる利点でもあるのだが──ここまで自分の役割に熱を入れないというのも問題だった。

「いえ、とりあえず突っ込んだ調査はそこまでで十分──話は変わるけど、この前から始めてもらってる例の仕事の方はどう?」

「ああ──まあ、やってるよ?」

 爪山は締まりのない笑顔を浮かべたまま答える。特に楽しい類の話をしているわけではないのだが、爪山は何もなくとも常にへらへらと笑っている。喋り方もフランクで馴れ馴れしいし、意外とフレンドリーな男なのだ。

「演劇部のお家芸なんだろうが、諜報要員の俺には慣れない仕事だな。つってもまあ、そんなに難しいわけじゃねえけど」

「すぐに役立つ仕事じゃないけど、気長に進めておいてちょうだい」

「はいよ、了解」

 ほんじゃ、と右手をふわりと挙げて、爪山は歩き去った。その後ろ姿を見送ってから、まだ演目が続いている舞台に視線を戻す。

 ──この程度の局面では、動くには値しない。そう考えていた。

 仮に樋野が何かを画策しているとしても吉良崎には別にどうこう言うつもりもなかったし、何らかの行動を起こす気もなかった。

 正直言って今の生徒会には興味がない。吉良崎の心中を占めているのは、前に一通のメールを残して姿を消してしまった前部長──演劇部を諜報機関に作り変えた張本人、朱河原舞台のことだけだった。

 吉良崎は朱河原を尊敬していた。

 信奉していた、とすら言えるかもしれない。

 彼女の冷徹で正確な見通し、臨機応変の作戦を次々に思いつく頭脳、大所帯の演劇部を一点の解れもなく纏め上げる統率力──すべてに惚れ込み、自ら側近役を買って出て教えを乞うていた。

 彼女は最後のメールで言った──必ず戻ってくる、それまでは連上に従え、と。

 朱河原が後事を託した稀代の策謀家、連上はイギリスに帰国してしまった。

 そして、未だ朱河原からは何の音沙汰もない。

 身の振り方に迷った末、吉良崎はとりあえず確保しておいた新島崎政権の会計のポストに潜り込むことにした。

 生徒会に所属しているのは、島崎に従属しているからではない。朱河原が戻り、再びこの学園の覇権を望んだ時に、獅子身中の虫として現生徒会を搔き乱し、崩壊させ、乗っ取る手助けをより効果的に行うために過ぎなかった。

 だから。

 樋野が何かを企んで島崎を倒そうとしていたとしても、別にそれはそれで構わない。島崎は連上のパートナーを務め、闇の帝王たる前生徒会長を倒した男──相対する者としては一筋縄で行く相手ではないのだから、ここで予想外の伏兵に斃れてくれるのなら後々朱河原の君臨が容易になるというものだ。

 かと言って、島崎を潰すために積極的に樋野の支援をしようとも思わない──朱河原の再来の予兆すらない今、わざわざ事を荒立ててまで島崎と敵対するつもりはないからだ。それに島崎が万全の状態でいようとも、朱河原ならばきっと最後には勝つはずだった。

 今の生徒会に興味がないとは、つまるところそういう意味である。

 まあどちらにしろ、そもそも樋野が生徒会に弓を引こうとしていると確定したわけでもないのだから、こんなことは意味のある仮定ではない。はっきりした情報も得ていない現状では、手遊びの空想でしかない。

 樋野に動じず、私は私の策を仕込むだけ──吉良崎の頭の中には、現在進行中の仕掛けの利用法が何通りも広がっていた。


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