第三章【損崎巳樹の政略】⑦
[7]
「それは生徒議会議長の長谷井さんでしょうねえ」
ここの生徒に聞いた通りの道筋を辿ったのに出口に到着できなかった顛末を話すと、片桐はすぐにそう答えた。
片桐に誘導された島崎は、空き教室にいた。教室といっても、掃除の具合や壁際に積まれている椅子や机などから考えて現在では倉庫のように使われている部屋のようだった。
入口が奥まった場所にあり、相当見つけにくい。とりあえずは安全のように思われた。
「議長?」
「長い黒髪の、あまり活発そうでない見た目の女子なんでしょ? その人の言葉に惑わされたって言うんなら、多分間違いないですよ」
「議長……あの人が?」
島崎は思わず訊き返した。確かに発音の仕方ははきはきとしていたし、そういった会議を取り仕切っている人間だと言われれば頷けるような気もする。
片桐は困ったように少し首を傾げた。
「彼女は極度に人見知りな人でしてねえ──生徒会長の損崎さんにしか心を開いていないんですよ。それだけならいいんですが、会長以外に話しかけてくる人間は皆自分を騙そうとする敵だと思ってるような節がありまして」
「それで?」
「会長以外の人に話しかけられると──至極真面目そうな顔のまま、嘘をついて騙すんですよ」
「……な」
島崎は束の間呆然とした。
それは、あまりに徹底している。
被害妄想の気があるのか──いや、人見知りゆえの警戒心が高じ過ぎたがゆえの反応なのだろうか。
しかし、信じがたい異常さへの驚きとは裏腹に、島崎は心中で納得してもいた。先程片桐は島崎を連れて迷わず階上へ上がり、複雑な経路を辿ってこの隠れ場所へやってきた。
それは長谷井というらしいあの女性の性質を知っていたから──島崎が袋小路に誘われたのは柳骸坂による策略の一部ではなく彼女自身の防衛機制からの行動だった、ゆえにまだ進行途上の包囲にはすり抜ける隙があると看破していたからなのだ。
内部事情に精通している片桐がいなかったらこううまくはここへ辿り着けなかっただろうし、そもそも長谷井の性質にも気付くことはできなかった。片桐が目の前に現れたのはまさしく天の助けだと思いながら、島崎はひとまず会話を続けた。
「それはまた……あの長谷井って人は難儀な性格なんだな。そんな調子で議長が務まるのか」
「議会の進行は、あらかじめ作られているテンプレートを丸暗記して読み上げているだけなんです。言わば人間テープレコーダーみたいなものですねえ。でもそれ以外の仕事──うちでは書記ってポストがないんで、議長が議会で出た意見を書きとめたり、後で議論の経過をまとめて議事録を作ったりするわけなんですが──そういうものも、結果を見る限りではちゃんとこなしてるようですねえ。まあ、会長がうまく操縦してるんでしょう」
「操縦って──」
片桐は真面目な顔で、操縦ですよ、と繰り返した。
「自分に極度に依存し、第三者に決して心を開かない人を要職につける──それは、自分の操作の通りに動くロボットを設置したのと同じです。言い換えるなら、損崎さんは会長でありながら議長の権限も支配しているんです。要するに──」
「会長は掌握しようと企んだんですよ。この学校のすべてを」
島崎はその言葉に、事情を知っている者特有の確信めいた響きを感じた。
この男は──島崎にとって有益な情報を、何か持っている。
しかし、それを引き出したいからといって、簡単に同調するのは得策じゃない。ホイホイと話に乗ったら、柳骸坂を疑っていますと宣言するようなものである。片桐は協力してくれているとはいえ、生徒会との繋がりを持つれっきとした議員──ここで島崎の真意を悟らせたら、回り回ってそれが会長の耳に入ることだって十分考えられる。
島崎は素早く打算を巡らし、結論を導いた。
ここは何も知らない人間を装って不審な色を消し、かつできるだけの情報を手に入れておくのが最善の手だろう。
「その思いつきは意外性があって面白いけどさ──考え過ぎなんじゃないか?」島崎はわざと大袈裟に肩をすくめた。「第一、柳骸坂ってのは生徒議会でほとんどのことが決まってるんじゃなかったっけ? いくら執行機関を意のままに動かせるようになったって、意思決定が他人によってなされるんじゃ支配とは言えないだろう」
「ところがそうでもないんですよ。みんな──」
そう言いかけて、片桐は不意に口をつぐんだ。
「失礼」
ポケットから携帯を取り出す。どうやらバイブが鳴ったらしい。
「はい、片桐です……はい。え、招集って……どうしてですか? あの、あ……はい。ええと、僕は……あの。はい。は、はい。わかりました。では」
「急な用事?」
通話を終了した片桐は、島崎の問いにゆっくりと首を振った。
「すみません、島崎さん。僕があなたを匿っていることも──すでに向こうにはバレているみたいですねえ」