第三章【損崎巳樹の政略】④
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「まるで迷路だな」
島崎は独語した。
生徒会役員を集め、練り上げた計画を話した翌日──放課後を迎えて少し経った時刻。島崎は柳骸坂高校の敷地内にいた。
柳骸坂──そこにある高校の名前の由来となっている急勾配を登り、柳骸坂高校に入ってから少し経っている。とりあえず校内の地理を把握しようと歩いてみたが、校舎に入ってすぐに方向感覚を失ってしまった。
柳骸坂高校は坂の中腹を整地して建てられている。校庭、テニス部練習場、野球部専用グラウンドと三つのグラウンドを持っており、体育館もかなり広い。その分部活動は盛んなのだが、元々面積が少ないために土地問題のしわ寄せはすべて校舎に行くことになる。柳骸坂の校舎は五棟あり、それぞれがバラバラの場所に──ほとんどグラウンドの隙間を縫うようにして建てられている。近い校舎同士は渡り廊下や連絡通路で繋がっているが、離れすぎていて繋ぐことのできないものもある。生徒は教室や職員室、理科室や美術室と言った各種特別教室や食堂などの目的地に向かうたびにパズルを解くかのように複数のルートから最短距離を探すことになるわけだ。
とはいえ、最初は面食らうだろうが慣れさえすれば大した問題ではないのかもしれない──問題になりうるとすれば、それは校外の人間だろう。
島崎自身、まさに今その問題にぶち当たっていた。
「…………迷った」
まさかこんな常識外れの構造だとは思わなかった。すべての校舎に昇降口があるわけではないため、例えばA─B─Cのように三棟の校舎が繋がっている場合にC棟に行きたくても一度A棟から入り、B棟を経由しなければならないような状況もある。また、なぜか一部階段がない階があり、そこに行くためには一旦別の棟に移って目的の階に繋がっている連絡通路を探さなければならなかったりする。
ここまで複雑では、部外者はいくら地図があっても迅速な行動は困難である。何か目的を持って校内に忍び込んだとしても、内部の者の手引きがない限りはまごついているうちに簡単に捕捉されてしまう。それはこの柳骸坂の支配者にとってはプラスの要因だろう──いや、この建築構造に目をつけて支配に乗り出したということもありうる。そういう意味では、この柳骸坂高校は迷路というよりはむしろ要塞と表現した方が適切かもしれない。
そんなことを考えながら歩く。
左胸に軽い痛みを覚えていた──制服の内ポケットに入っているものが歩くたびに体にぶつかり、地味に痛い。ズボンのポケットに入れ直そうかとも思ったが、人前で出すのは憚られた。なぜなら、それは潜入にあたって樋野から半ば押し付けるように貸し出されたバタフライナイフだったからである。使う予定はなかったが、ひとまずお守り代わりに受け取っておいた。
本当に──こんな物騒なものを使わなければならないような事態にならないといいが。
不意に、鉄琴の音が鳴り響いた。
「!」
瞬間、身構える。校内放送だ。
「ただ今、校内に不審者が侵入しました。校内に残っている生徒の皆さんは、単独で出歩かずに固まって待機して下さい」
不審者。
「これって……僕の事か?」
うろたえながらも、これが柳骸坂側の策略だと島崎は瞬時に気付いていた。
不審者のレッテルを最初に貼ってしまうことで、追いかけられていようが連行されていようが責め立てられていようが──一般生徒には何ら不自然に見えない状況を作り上げたのだ。
だとすると、すぐに追手が来るはず。島崎が校内に入ってからまだ二十分も経っていない──侵入をここまで早く察知した連中ならば、現在位置もすぐに探知できるとしても不思議はない。
おそらく向こうには単なる「侵入者」としてではなく、「陽陵学園からの侵入者」として認識されているだろう。仮にそうでないとしても、生徒会長として面が割れている島崎には一般生徒に紛れ込む作戦──たとえば制服の取り換えなど──は通用しないだろう。
やられた。
相手は島崎の思惑をすでに読んでいた。
でなければ、この対応の早さは説明がつかない。慎重に網を張り、異物が紛れ込んだらすぐにわかるような態勢を取って、手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。
相手は何の恨みもない一般生徒を毒牙にかけることもいとわない危険な集団──柳骸坂の暗部を探るどころか、校内に留まる事すら危険極まりない状況である。ここは一旦逃げるしかない──しかし、そもそも無事に逃げおおせるのか。
こちらにも知られるのを承知で全校に放送を流しているのだ、すでに校門を固めるくらいのことはやっていてもおかしくない。今から逃げるという考え自体が無意味なのではないか。
いや、考えるな。
島崎は脳裏に浮かんだ不吉な考えを打ち消した。
ともかく今は脱出することが最優先──考える前に逃げなくてはならない。最短距離を全速力で駆け抜ければ、非常態勢が整う前に校門をすり抜けられるかもしれない。
「あの──」
たまたま近くにいた生徒に声をかける。
振り返ったのは端正な顔立ちをした、日本人形のように髪の長い少女だった。
「ええと、出口はどっちですか?」
「ここを真っ直ぐ行って、最初の階段を下りて右です」
「ありがとう」
駆け出す。
少女は、無表情のままこっちを見続けていた。