第三章【損崎巳樹の政略】③
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「少しいいか?」
部活中の井鞘の前に現れた輪田は、いつもと変わらず平静な口調でそう言った。
「輪田か。練習はどうした?」
「今日は休みだ。ちょっと調べたいことがあってな──野球部の部費管理書を見せてもらえないか?」
「部費管理書? 部室の棚のファイルにあるぞ。自由に見ていいけど」
「そうか。練習の邪魔をしてすまない、勝手に見させてもらう」
「ん……いや、俺も行くよ。案内する」
「いいのか?」
確かに練習が中断されるのは煩わしかったが、興味が勝った。井鞘は輪田を先導し、歩き出す。
「輪田、そういえば逆井さんから連絡来たか?」
「ん? 何のことだ?」
午前中、逆井からミーティングがしたいと連絡があった。
意図が読めず、部活もあるのでひとまず返答を保留していたが、輪田も行くのかどうか気になった。初耳らしい輪田に、簡単に事情を伝える。
「そんな事があったか。俺は聞いていないな」
「そうなのか──時間差かな? それとも連絡ミスか」
「人がいいな」輪田はちらりと井鞘を見た。「俺は端から誘わないつもりだろう。推測だが、杉野部長にも連絡は行っていないだろうな」
「杉野さん?」
「逆井部長の中では俺達は敵対勢力と捉えられているだろうからな。ミーティングというのは自分の派閥作りが目的だろう」
「どうしてそう思うんだ?」
「そうとしか思えない。逆井部長は生徒会規則を読み込んでいる教条主義者だ──公的な話し合いなら臨時生徒議会を開けばいいことくらい知っているだろう。それをせず、拘束力の発生しない私的な場で何かを行おうとしているのだから、あまり公にできない企みと考えるのが自然だ」
企み。
その言葉に──井鞘はあるものを連想していた。
議論を捻じ曲げ、操作しようとする存在──井鞘自身が信じがたいと思っていながら、その可能性を捨てきれずにいる、何者か。
逆井がそれだと考えるのは、短絡的だろうか。
「お前は行くつもりか?」
「……いいや、派閥に入るつもりはないからな。逆井さんとは馬が合いそうもないし」
逆井が井鞘の感じる違和感の主なのかどうか確かめるために行くという選択肢もあったが、そこまで深入りしていいものかどうかも井鞘にはわからなかった。仮に、逆井の意図が輪田の言った通りの単なる派閥作りだと仮定するなら、行く必要はない。
井鞘の考えを知ってか知らずか、輪田は小さく頷いた。
「まあ、それが賢明だろう」
「ただ、集まった議員が誰なのかは調べておく必要があるかもな」
「慎重だな」
「小心者なんだよ。それよりいきなり部費の資料を見たいなんて、どうかしたのか?」
「生徒会資料室で調べ物をしていて、気付いたんだ。陸上部の部費が、生徒会の書類を見ると実際の額よりも大幅に多く計上されている」
「ミスか?」
「あり得ないとまでは言わないが、考えにくいな。食い違う金額のキリが良すぎる。ぴったり二十万円だぞ?」
「にじゅ──」
「大金だろう。しかも、見比べるとズレの原因だと指摘できる箇所がない──備品代やら大会時のエントリー代やら交通費やら、様々な項目に割り振られている。早い話、すべての明細が食い違っているんだ。これはどう考えてもおかしい」
実費と公の決済金額、その差額はどこに消えているのか──下手をしたら部長が横領しているともとられかねない事態だ。
「原因について、お前はどう考えているんだ?」
「ミスでないのなら一つしかない。意図的な行動だ。生徒会が──正確な言い方をするなら生徒会事務局内務部が、金額を水増しした書類をでっちあげている」
「やっぱりな」
今年度の部費管理書を見た輪田が冷静に呟いた。
「やっぱりって?」
「お前のところも操作されてるってことだよ。公称金額はこれだ。生徒会資料室の資料は持ち出し厳禁かつコピー不可だからこっそり写したものだが」
輪田は数字が羅列されたメモ用紙を差し出す──その中の「野球部」と書かれた項目には、確かに二十万円の上乗せをされた金額が記されていた。
「これは……」
信じられなかった。
水面下でそんなことが行われていたなんて──井鞘自身にも関係のある話だったなんて。
「予想通りだ。すべての部活動で二十万円の水増しがされているとなれば、差額はしめて二百万円──部費以外の予算にも同様の細工があるなら、金額はさらに増える。これだけ金をかき集めて、生徒会は何をしようとしている?」