第二章【井鞘達郎の奔走】④
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どろどろに溶けてしまいたい。
ずるずるに崩れてしまいたい。
手も足も邪魔だ。
心も体も無駄な垣根だ。
もしそういうものが全部どろどろの液体となって、そしてその状態で他人と混ざり合うことができたら──その時には、本当の意味で分かりあえるのかもしれない。
隠し事も嘘も何もなく、本当に百パーセント他人を理解することができるのかもしれない。
それはきっと幸せなのだろう。
悩みもきっとなくなるのだろう。
損崎巳樹はそう思っていた。
「だからね巳樹ちゃん、私ってやっぱり駄目なのかなあ、つまりあの、私って本当はもっとさ──」
生徒会執務室で、損崎は何十回目か分からない長谷井の相談を受けていた。
長谷井は、損崎から見ても奇妙な性格だと思う。人見知りが、あまりに度が過ぎているのだ。自分だけを信用してくれるのは有難かったし何かと便利ではあるが、人間としてはあまり近付きたいタイプではない。
しかし損崎は長谷井に何か近しいものを感じていた。
髪形も身長も造作も、見た目に何一つ共通点はない。性格も一見すれば正反対である。しかし──もっと深いところ、パーソナリティに関わるある一点で、損崎は長谷井と共有するものを持っていた。だからこそこれまで付き合ってこれたのだと思っている。
「会長、そろそろ時間です」
部屋に入ってきた酔月と軽井沢に損崎は手を挙げた。
「ええそうね。ごめんマリ、続きはまた後で改めて聞くことにするわ」
「うん、うんうんうん、ごめんね忙しいのに時間とっちゃって。ごめんね本当にごめんね」
異常なほど卑屈にすがるような調子で長谷井は損崎の手を握る。
「これから臨時議会よ。あなたも色々悩みはあるでしょうけど、お互い仕事は頑張りましょう」
「うん大丈夫。心配してくれてありがとうホントに嬉しいよ大丈夫うん大丈夫だから」
長谷井は損崎の手を放すと、足早に生徒会執務室を後にする。酔月と軽井沢の横をすり抜ける時にはすでにいつもの作り物のような無表情に戻っていた。
損崎は部屋に残っている二人に視線を移す。
「軽井沢君、今回の臨時議会では参考人として特別に君にも参加してもらう事になるけど、打ち合わせ通りに頼むわ」
「了解っす」
軽井沢はいつも通りにごく軽い返事をした。
「酔月君、いつもの指示は出してあるわね?」
「すでにメールで伝えてあります」
「よろしい。今日の議会も問題ないわね。交流試合の件は?」
「陽陵学園から、正式に試合を受ける旨の返答がありました」
すべてはうまくいっている。
計画は間違いなく順調に進行している。
そのことを考えるたび、損崎はどろりとした目に見えない淀みに包まれたような気分になる。
嫌な気分ではない。むしろ、安心する。
この粘液質の中に溶け込み、混ざり、一体となりたい。そうなって初めて損崎は心の底からの安定を得られるのだと──そんな妄想じみた考えが、損崎を動かしている。
そのことは誰も知らない。それでいいのだ。
肩に垂れた髪を払いのけ、損崎はにっこりと微笑んだ。