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怠惰な贈り物

 俺が彼女と出会ったのはいつのときの話だっただろうか。たしか、あのときもこんな雪の降る身も心も凍りそうなくらい寒い日だっただろうか。

 

 道端で死んだように冷たくなって倒れていた彼女を、駄目元で家に連れて行って一晩中看病して……あぁ、あの日の朝の驚きは今も鮮明に覚えている。


 朝の優しくない光に無理やり目を開けさせられた俺の目の前には、つい昨日まで死にかけていたとは思えないくらいすっかり元気になった、彼女の姿であった。


その朝陽に照らされた髪は、まるでふわりふわりと舞い散る雪のようで――


◆◆◆◆◆◆

 

 ペン先を布で拭い、お気に入りの金縁のペン立てに置く。日記を書くのもこれで何度目だろうか。幼い頃の俺は、たしか日記の端でコツコツと数えていたはずだが……


「残念、どうやら千まで数えて力尽きたみたいだな」

 

 古びた棚から出したこれまた古びた日記のページを破らないように慎重に捲ってみたが、カウントはキリのいいところで途絶えてしまっていた。


「でも三年近く続けたならそのまま数え続けろよ俺……」


と、昔の俺に軽く呆れつつ、棚に本をしまおうとしたそのとき、書斎の戸が乱暴に開け放たれ、外の冷たい空気がぶわっと入り込んできた。


「さ、寒いっ! いくら聖王祭が近いからっていくらなんでもこれは寒すぎるんじゃないかなレイ!」

 

 そして全身をひやりとしたものが覆う。暖炉の火でほどよく暖かくなっていた身体から急激に熱が奪われていくのを感じる。


「ミラ……寒いのはわかったから離れてくれ。このまま引っ付かれてたら俺まで凍えちまう」


「むっ、いいじゃないの少しくらい。こーんな可愛い妻が寒そうに震えているのよ? 身体を張ってでも慰めてあげるのが夫の務めってものじゃないの?」


「あいにくと、俺とお前はまだ夫婦じゃないんでな。黙って上着を脱いでさっさと暖炉にあたれ」


「……可愛いっていうのは否定しないんだ」

 

 ぼそりと何か言ったミラは、密着した状態からようやく離れ、いそいそとコートや帽子を脱ぎ散らかし始めた。


――ぴょこん


 帽子を脱いだ途端、三角形をした彼女の耳がピンと飛び出した。ついで、コート下に隠れていた彼女自慢のふさふさの尻尾が伸びをするように左右に揺れながらその姿を現した。


 彼女はいわゆる人狼族という、人間の身体に狼の特徴を持つという種族だ。普段は森や小高い丘などに棲む彼らだが、稀に人間の中に紛れて生活をしている者もいる。ミラもその一人だ。


 ミラは散らかした衣服を片付けることなく、そのまま煌々(こうこう)と燃える暖炉のすぐそばに丸くなるようにして座り込んだ。自分の尻尾を抱くようにして寝転がる彼女の姿は、気高き狼というより、やっぱり犬っぽかった。


「う~ん、暖かさが冷え切った身体に染みわたるぅ……はぁ、あとはここに――」


「ホットココアでもあれば完璧、だろ?」


 ほえ、と声をあげる彼女の目の前にそっと、淹れたてのココアの入ったマグカップを置く。


 すると彼女はむふぅと幸せそうに頬を緩ませると、のそりと起き上がり、両手でマグカップを持つとそのまま少しずつ啜り始めた。


「んく、んく、んく……はふぅ、さすがはレイ、私が言う前に私が欲しいものを用意しているだなんて、これはもう愛の成せる技だね」


「十年以上一緒に暮らしているんだ。その程度の事なら、言われなくても手に取るようにわかるわ」


「いやだからそれが愛の成せる技――」


「いいから黙ってあったまってろ」


「わぷっ」


 いつまでも戯言を吐くワンコに、お気に入りのブランケットを放り投げてかけてやる。狼だからかミラは匂いに敏感で、自分や俺の匂いなどがついていない物を極端に警戒する。


だからか、俺のいつも使っているブランケットも必然的にあいつのお気に入りと化してしまうのだ。おかげでこっちは少々寒い思いをしなくてはならない。


「いい匂い……このひと肌に暖かくなっているのもまたプラスポイントだね」


「人によってはそういうのを嫌がったりするもんだがな」


 そうツッコミを入れて自分の手に持ったマグカップを口に当てて傾ける。ミラに入れたものとは違い、少々苦めに作ったココアは微睡んできた意識を少しだけ目覚めさせる。ほんのりと甘く、それでいて飽きのこないこの味が俺は昔から好きだ。


 そのままぐいっと一気に飲み干し、机の上に置く。このあとの展開は大体想像がついているので早めに飲んでおくのが我が家で美味しくココアを飲む秘訣だ。


「さて、暖も取れて、うまいココアも飲めて、ついでに俺のブランケットも手に入れた。さすがにもう満足致しましたか、お嬢さん?」


 俺はからかうように、いつもの決まり文句を言う。


 すると予想通り、ミラの尻尾がゆらゆらと揺れ、口元に普段の無邪気なものとは違う、妖艶な笑みが浮かぶ。


「まだだ、まだ足りぬよ」


「なんと、これでまだ足りないと申しますか」


「あぁ、足りぬ。まだ足りぬものがある」


「俺にはわかりません。一体、何が足りないと申すのですか」


 するとミラはゆらりとこちらに振り返り、


「それは……お前だぁ!」


 がばっと勢いよく飛び掛かってきた!


 もちろんそう来ると予想していた俺は身体を捻って軽く受け流そうとする。いつもならこれで綺麗に避けられて攻防戦が繰り広げられるのだが――なんとも遺憾(いかん)なことに、どうやら今日は彼女のほうが上手(うわて)であったらしい。


 そのままかわした足に彼女の尻尾が巻きついてきたのだ。当然のように俺の身体はバランスを崩し、そのまま床に横転してしまった。その好機を獲物を狙う獣と化した彼女が見逃すはずもなく、俺の足首を掴みあっという間にブランケットの中に引きずり込んでしまった。


「ふっふっふ、今日はどうやら私の勝ちのようだね」


 勝ち誇った様子で言った彼女は、そのまま俺と並んで暖炉の前に座る。その尻尾は俺の身体に巻きつき、

しな垂れかかるようにしてこちらに体重を掛ける彼女は、帰ってきたとき以上に密着していた。


 俺は暖炉の明かりを見つめながら、ブランケットの中のぬくもりを肌で感じていた。何度味わっても飽きない、安心する暖かさだ。


「今日は町中が聖王祭の準備で沸いていたよ。私もグドウィンさん家のお手伝いをしてきたけど、相変わらずあそこの飾りつけは豪華すぎて大変だね。ま、おかげで今年の聖王祭はいくらか贅沢な物が食べられそうだけどね」


「グドウィンさんか……まぁ電飾芸術家ともなれば家の飾りつけも本気でやるんだろ。まぁ俺も、電飾で人の動きまで再現したときはさすがに驚いたがな」


 確かタイトルは『聖王祭の一日』だったか。どこかの家族を題材にしたらしいが、えらく盛況だったのをよく覚えている。あそこまでやってまったく金をとらないっていうんだから、芸術家っていうのはよくわからん生き物だ。


「レイのほうはどうだった? 今日は仕事も休みだったよね」


「ああ。まだ聖王祭まで一週間もあるっていうのに、親方のやつが全員に一週間分の有給をな……気前がよすぎるのもどうなんだか。俺は少し心配になるぞ」


「あはは、相変わらずだねケリーさんも」


「まったくだ。で、俺は予期しない暇を持て余した結果、柄にもなく聖王祭の準備をしてしまっていた」

 

 そう言って俺はミラの入ってきた扉より一回り小さい扉に視線を投げた。入りきらなかった飾りつけやら仮想用の衣装やらが扉の隙間からはみ出してなんともみっともない。


「へぇー、そうなんだぁ~」


 そして隣に座るミラの顔がうざったいくらいニヤニヤしているのがより気に食わない。悔しかった俺は少し乱暴にミラの頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。


「ふふ、ごめんごめん。レイが私のいないところではしゃいでたんだって思うとつい微笑ましくって」


「ほっとけ」


 バツが悪くなった俺はきっと羞恥心で耳まで真っ赤になっていることだろう。身体からもあまり気持ちの良くない汗がじっとりとにじみ出る。


「くふふ。あ、でもさすがにそれだけじゃないよね? いくらなんでも聖王祭の準備だけで一日潰せるわけないよね。うちってそんなに盛大に祝うことないし」


「まあな。と言っても去年よりは少し準備に手間取ってな。終わったのは日が傾き始めた頃だったな。それからは確か本棚の掃除と整理をしていて……あと軽く今日の日記をつけていた」


「相変わらずだね。いったいいつから日記をつけているんだい君は?」


 そう言うと彼女は小奇麗になった俺の本棚を少々呆れた目つきで見つめた。


 俺もつられて本棚に視線を動かす。片手で掴むには少々厳しい厚さの本が計十冊は置かれている。日にもよるが大体二年で一冊と言ったところか。最初の方は幼少の俺の拙い落書きなどもいくらか描いてあるが、物心ついた頃からずっと欠かさずつけている。


「前に何冊か見せてもらったことがあったけど、結構詩的に書いたりしてある部分とかもあっておもしろいんだよね、君の日記は。だから私は好きだよ」


「俺はお前に日記を見せた記憶は一切ないんだがそこんところあとで詳しく話してもらおうか」


 しまった、とミラの小さな口から漏れ出たのを俺は聞き逃さなかった。これはあとで仕置きが必要なようだ。


「あ、いやでも待って! 一回だけ、レイのほうから日記を見せてくれたことがあったじゃないか!」


「……そんなことあったか? 嘘だったら今夜は尻尾を全力で攻めるからな」


「それはそれでなかなか魅力的だけど……って、いやいやホントだってば! もう、ちょっと待ってて!」


 顔を真っ赤にしたミラは、ブランケットを抜け出て、本棚から日記を一冊抜き出してすぐにまた元の位置に戻ってきた。


「えとたしか……あ、あったあった! ほらここ!」


 そう言って彼女が開いて見せてきたのは、俺がつい先ほど思い出して開いたあの千回で止まっているカウントページだ。


「今日みたいな寒い日……私が生まれて初めて聖王祭を楽しんだあの日の夜に、レイが見せてくれたんだよ。それでね、あの時レイは私にこう言ったんだよ」


『これは俺の日記をつけた回数を数えたものだ。今日で千回目を迎える……けど今日で俺は日記をつけた回数を数えるのをやめる。なんでかって? そんなの、今日からこの日記が俺のつまらない日々の記録じゃなくて、俺たちの楽しい日々の記録になるからだよ』


「ってね?」


「…………」


 もう耳からマグマでも出てるんじゃないかってくらいに顔が熱い。昔の俺ぁいったいなんて恥ずかしいセリフを吐いていやがるんだ……! 幼い盛りとはいえ、いくらなんでもそれはないだろ俺! バカなのか、死ぬのか!?


「きっと私、そのときからレイのことが好きなんだと思う。出会ってまだ一日も立っていなかったのにね。あれからもう十年以上……私は今日までレイと一緒にいて一日たりともつまらないだなんて思ったことはないけど……レイは私といて、楽しい日々を過ごせた?」


 顔を真っ赤にした俺に、レイの顔が近づく。暖炉の明かりに照らされたその顔は、不安の色を混ぜつつも期待からか赤らんでいるように見えた。


 俺はミラの身体を抱き寄せ、俺の顔が見られないように胸元にミラの顔を寄せた。


「……つまらんかったら、そもそも日記なんてつけてねぇよ」


 ピンとミラの耳と尻尾が立ち、すぐにへにゃりと崩れ、俺の身体に絡んできた。スンスンと俺の匂いを嗅いでいるのが聞こえて恥ずかしくなった俺は、でも不思議と突き放すことができず、仕方なくその頭を撫でることしかできなかった。


「ねぇ」


 もぞもぞと顔を上げたミラが少し上気した様子で声を掛けてきた。「なんだ」と少しだけそっけなく答えてやると、くすりと笑ったミラの顔が耳元に近づいてきた。


「今年の聖王祭は、家でずっと一緒にいようよ。こうやって二人で暖炉の前でくっついてさ、ね?」


 俺はすっかり夜の帳が下りた空を窓越しに見つめる。静かに降る雪は、怖いくらいに白く、俺に巻きつく髪と同じ色をしていた。


 しばらくそうしたのち、暖炉の火を見つめながらため息を吐いた俺は、


「仰せのままに、お嬢さん」


とだけ言って、再びブランケットの暖かさを噛みしめるのだった。

どうもみなさんお久しぶりです!

久しぶりの投稿の第一弾が、まさかの自作品の転載という……べ、別にネタが浮かばないわけじゃないですからね!?


そ、それはおいといて。今回は珍しく短編です。それもたった5000字というツナ缶史上もっとも短いお話しです。


短いですが、個人的にかなりお気に入りの作品でもあります。ちょっとレイ、そこ代わって下さい。


しかし短編のため、特にキャラクターや世界観の設定などはなく、一応これだけで完結しています。


が、もしも続きが読みたい……なんていう声があれば、ツナ缶としても書くのはやぶさかではありません。というかぶっちゃけ書きたいです。


あ、あと聖王祭というのは、クリスマスの異世界ver的なものと考えてもらえれば大丈夫です。


それでは、また。

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