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彼女の引力

彼女の引力


少女はその時、部屋にいた。部屋で宇宙人であるウルル軍曹というキャラクターが活躍するアニメを見ていた。熱が出ていたためと、停学にもなっていたので、家に出ることが無かったため、パジャマ姿でいた。

それは少女が外の喧騒に気がつき、窓のほうへ歩きカーテンを開けようとした時だった。

《ドコーン》

突然、天井の穴を開け、何かが飛び込んできたのだった。

「う、ウルル軍曹!?」

 それは着ぐるみだった。

「……イタタ。…何が、起きて、って」

「え? その声、もしかして?」

「あ、天音さん……?」

「…………ええっと、もしかして」

「聞いて、天音さん、なんでこうなったか、僕も実はよく分かっていないんだけど、聞いてくれると嬉しい」

「…………」

落ちてきたのが、『彼』であることがわかると見る間に少女の顔が赤くなっていく。なんで、突然現れたのだろう、という疑問を持つことなく、少女は息を吸い、

「お、お前は、う、宇宙人!」

叫ぶと少女はものすごい勢いで部屋の外に飛び出していった。

「あ、天音さん……」

 ウルル軍曹の格好をした少年、坂上優陽はなんでこうなったのか、頭を抱える。決して、望んでこうなったわけではなかった。むしろ、少女から離れる努力をしたのだ。だが、離れようとすればするほど周りがそれを許さず、まるで見えない強い引力に引き寄せられるようにして、ここに落ちる結果へと至ったのだ。なぜ、こんな格好をして、優陽が天音の屋根から降ってきたのか。それは朝の出来事にまでさかのぼる。

 



優陽の人生において、ここまで人に注目される日が来るとは。

「ねえ、あれって」

「うん、入学式の」

事件が起きた次の日の朝。聖峰高校の南門の近くに来ると多くの視線を感じる。聞こえてくる言葉の共通単語は、

「宇宙人、なんだって」

「え、なにそれ、面白そう」

『宇宙人』。噂は尾ひれをつけ、それこそ、あること無いこと好き放題に何でもござれという状態。昨日の晩、修さんには笑われたし、優陽の母親には心配された。今朝は近所でさえ、昨日の出来事は噂話と広まっているようで、ひそひそと優陽の方を見て何か話していた。

 昨日、あの後、正成やあの少女と一緒に校長室に呼ばれ、少女は三日間の停学、正成は中学校に連絡され、優陽はトイレ掃除一週間分を言い渡された。完璧にとばっちりを受けた形になってしまった優陽である。だが、目下の優陽の悩みは、この宇宙人騒動。その、宇宙人と噂されるのが自分であることをいまだに受け入れられずにいる。

 そんな中で自分が当事者であることをイヤでも理解させられてしまう、みんなの反応。

(ああ、目立たず生きていくことのなんと幸せなことか)

もし、宇宙人が本当に地球に来たら、そのことを覚悟して来て欲しいものだ、となんとなく宇宙人を心配する優陽。

――桜舞う玄関まで続く道に、風が吹き、花吹雪が起こる。

憂鬱なことばかり考えていた優陽としては思い描けない光景。春らしい空気が美味しく感じられる。少し、学校に入るまでに気分を入れ替えたいと思っていた矢先のことだったので少し気がまぎれる。歩く足取りはまだまだ重いが、この高校に通えることは嬉しく思う。ここの校長にはちょっと、いやかなり心配な気もするが、その他の高校教師はきっと優秀に違いない。どんなことを学べるのか心待ちにしよう、そう思う。

(勉強に集中すれば、こんな噂なんて)

 優陽はとりあえず、

(なんとかなるだろう)

楽観主義に逃げることにしたのだった。


さて、聖峰高校の校舎は二階建ての玄関がある棟が一棟と三階建ての建物が三棟ある。一年の教室は一階の西側にある棟。聖峰高校は基本、各学年の棟が西側にあり、東側の棟に特別教室や移動教室がある。北側の棟は職員室と三階に食堂とその屋上には弁当などを囲めるテラスがある。南側の上はなぜか関係者以外立ち入り禁止になっている。噂では、そこでボディガードたちが日夜学園を見張っているとの事。実際、あの黒服たちは、そこで常時見張りをしているのだろう。


玄関で靴を履き替え、すこし歩き、優陽が自分のクラスに入ってくると、騒がしかった教室が一瞬で静かになった。

(ああ、この反応は効くなあ)

心の中で涙を流す。しかし、何度も言うが、優陽の表情はただ眠たげにしか見えない。

 

優陽が歩き出すと、教室の空気も元通りになっていった。優陽は少し胸をなでおろして、自分の席に歩いていく。優陽の席は窓際の席で、前にある教壇から数えて三列目だ。席に着くと、持っていた鞄を机に一旦置き、文房具と今日使う教科書一式を机の中にしまっていく。

最後に本を取り出し机に置くと、鞄を机の横に掛ける。一段落したので、優陽は中学での朝の習慣である、読書に没頭することにした。ホームルームまでに時間はまだあるということで、すこし一息をつける。そして、その本を読もうとページをめくろうと仕掛けたその時、後ろから声が上がった。

「『大宇宙の謎』? 宇宙人ってのは、そんなのに興味あんのか?」

(しまった、よりによってなんてタイムリーなものを! 僕の馬鹿!)

今までいい感じに忘れかけていた事が今の一言で完全に思い出してしまう。後ろを振り向き、

「あの、別に、僕は宇宙人では」

 と優陽なりに精一杯の抵抗をしようと試みる。後ろの席から優陽の本を覗き込むようにして見てきたのは、スポーツ刈りをした少年だった。どことなく、青春の青臭さがこの少年からにじみ立ているような気がする。そんなことを失礼ながら優陽は第一印象に抱いた。

「あ、おれは皆口速人みなぐち はやとってんだ。よろしくな」

 そういってニカッとその白い歯を見せて笑って見せた。

「……よろしくお願いします」

優陽はそんな爽やかな挨拶に面食らって反応が遅れてしまう。もともと、そんなに人付きあいが得意なほうではない優陽なので、初対面にはどうしても人見知りしてしまうのだ。

「なんだなんだ、眠そうだな。宇宙人は睡眠時間が短いのか?」

「いや、これは眠そうに見えるだけで、全然眠くはな」

「そうだ、お前、あのキナコジュースを飲めるんだってな? あれ、どんなふうに飲んでんの?」

優陽の言葉が終わらないうちに、速人と名乗った少年は、次の話題へと移行させていた。

(苦手なタイプかも)

 そんな速人に苦手意識を感じてしまう優陽である。

「どんなふうにって、普通に」

「へー、そうなのか。おれ、今度飲まなきゃいけなくなっちまってな。で、意見を聞いたんだが、そうか、普通か。さすが宇宙人だな。俺飲めっかなー」

『飲んでいるだけ』とつなげようとしたが、またもや会話は優陽の意図しないところへと飛んで行ってしまう。どうやら、この少年は人の話を最後まで聞けないらしい。とは言っても、言いたいことは大体伝わっているから会話に支障は無いのだが。

「ところでよー、入学式の女の子、停学一週間らしいな」

「そうみたいだね」

とりあえず、この少年と会話することをあきらめ、相槌を打つことだけにとどめておくことに優陽はしたようだ。

「いやー、面白かったよな、あの子」

「うん、そうだね」

優陽の意識はもう速人のほうではなく、持ってきた本に注がれているので、適当に相槌を打っているだけである。最新のブラックホールの謎を解説しているその本は今までの知識と照らし合わせられて結構楽しい。

「速人君」

「きょ、恭子」

「うんうん」

 優陽がその本の中に書いてある、白鳥座aの記述に入った時、一人の少女がいつの間にか速人の横に立っていて、話しかけてきた。恭子と呼ばれた少女は人懐っこい笑顔を浮かべて、

「その女の子、私たちと同じ中学出身なんだよー」

 と結構重要な情報を提示してきた。

「え? マジで」

「へー」

(回転運動をする超巨大ブラックホール……ああ)

だが、優陽はもう既に別世界に旅立っている。反射的に相槌を打っているが会話の内容は耳に入っている感じはない。

「あまり人と話してるとこは見ないけど、すっごいかわいいからさー、気になってはいたんだよねー」

おっとりとした口調で恭子は言った。

「そうなんだ、まあ、きょ、恭子のほうが可愛いけど、な!」

 ドサクサ紛れに速人が勢い込んでくどき文句を述べる。

「ありがとー」

そんな言葉を何事もなかったかのように受け流す恭子。

「男の子の間でも、結構有名な子だったのにー、速人君知らない?」

「いや、おれ、恭子以外眼中にないから」

あきらめず、速人は会心の一撃を返す。

「あははー、ありがとう」

速人の放った一撃は、柳の枝のような恭子の返答によって、むなしく虚空の彼方へと消え去った。

「ねーねー、君も、私たちと同じ中学出身だよね? 見たことあるもん」

「……」

恭子が優陽のほうに話を振る。既に相槌さえ消えてしまっている。優陽はM87銀河に思いを馳せているので、当然聞いていない。

(20億個の太陽並みの質量か)

 優陽は段々と興奮してきたのか、少し光悦した表情になっている。

「天音さんのこと知らない?」

「……」

〈ゴン〉

「……!?」

頭に衝撃を受け、ようやく優陽は元の世界に戻ってきたようだ。何が起こったのかよくわかっていないのか、クエスチョンマークを頭の上につけたような顔をしている。

「恭子が話してるだろう! 聞け!」

拳をつくった速人の目には涙が浮かんでいた。少し八つ当たり気味になっているのは気のせいだろうか。

「えっと、何の話?」

 今までの話の流れが全くつかめていない優陽。痛む頭をなでながらそう質問した。


「星河天音さん」

優陽ははじめて聞いたその名前を詠唱するかのように声に出した。入学式の時の衝撃的な宇宙人発言の首謀者の名前だ。どうやら、恭子も速人も優陽と同じ中学出身らしい。

「えっと、それでねー、君……えっと名前は?」

話し始めようとして名前を知らないことに気づいたらしく、恭子が聞いてくる。

坂上優陽さかじょう ゆうひです」

女の子とあまり話さない優陽なので、さっきよりも緊張して答えた。

「優陽君、天音さんとは知り合いじゃないのー?」

「ぐぬぬぬ、優陽、お前、俺の恭子とそれ以上会話するな」

「速人君はだまってねー」

 嫉妬丸出しの速人をいさめる恭子。扱いには慣れているようだ。

「多分、知り合いではないと思うけど。うーん」

記憶の中を検索したがヒットしない。だが、宇宙人発言をした少女、天音は優陽のことを知っていた。それはいつからなのかは分からないが、少なくとも、優陽があんな爆弾少女に会ったのは人生初である。

「天音さんがあんなに叫ぶ姿なんて、私みたことないー」

恭子はのんびりした声で、天音のことを思い浮かべているのだろう、考え事をしているような表情だ。

「きょ、恭子、そんな顔を、こんな男に見せないでくれ……!」

 約一名がそんな恭子の姿にハートをキャッチされている。確かに、その姿は可愛い。

「そう言われても、僕には心当たりないんだよ」

「優陽くんさー、宇宙人だってばれるようなことあった?」

 優陽が宇宙人前提のその質問をもう否定する気にもなれず、

「ない、と思うけど」

 と返した。

(というか、宇宙人じゃないけど)

 せめて心の中では否定をする。

「うーん。でも、天音さん中学の頃はずっと大人しいというか、ちょっと不思議な子ではあったけどー、あんな騒ぎを起すような子ではなかったんだけどなー」

「でも、不思議な子ではあったんだね」

ちょっと不思議という表現に一言申すなら、絶対『ちょっと』は余計である。『すごい』不思議な子だと、優陽は思う。

「天音さんはねー、すっごいもてるから、ファンクラブまであるんだよー」

「へー」

あまりそういうことに関心を持っていなかったので、そういう情報には疎い。

(ちょっと、不思議な感覚)

優陽の第一印象の彼女は確かに綺麗で可愛い女の子だったが、その後の発言や行動があまりにもハチャメチャ過ぎて、そんな印象は吹っ飛んでしまっていた。だが、第三者である彼女から天音という少女の話を聞くのは、思いのほか興味深い。

「で、ね。そんなだから、告白されるの大変だろうなー、と思うだろうけどー、彼女にはお兄さんがいてー」

「うん」

(へーお兄さんいるんだ)

そんな情報にさえ、思わず心から相槌を打ってしまう。

「そのお兄さんがまた有名な人なのー」

恭子は実に楽しそうに話している。耳を傾けやすい。

「とっても、優しくて、頭が良くて、かっこいい人なんだけどー、妹である天音ちゃんにはとっても甘くてー、すっごい溺愛ぶりでー」

だが、優陽が平常でいられたのも、次の台詞までだった。

「妹に手を出す人には容赦ないのー」

「うん?」

「告白しようとした人をぼっこぼっこにしちゃうらしいよー」

「ううん?」

 あまりにもあっさりと恭子は言ったが、不穏な言葉が度々、見られたような。気のせいだろうか。

「天音さんとただ挨拶しただけで、大きな騒ぎになったこともあるらしいよー」

(絶対、気のせいじゃない!)

優陽が心中で叫んだその言葉に合わせたかのように、それはホームルーム開始のチャイムが鳴る間際の事、優陽にとってはこの上ないほどの不吉な予感を感じさせるタイミングで、

<ガラガラ>

扉の開く音がする。

「そのお兄さんはー、この高校の生徒会副会長らしいよー」

 恭子ののんびりとした場違いな声によって理解した事実が優陽の悪寒を倍増しにさせた。

「……えっと」

開いた扉のほうを優陽は向けず、

(まさかね、あははは)

と心の中で乾いた笑いをし、必死に気のせいだと思うようにする。

(そう、別に、扉が開かれたって入ってくるのは、普通に考えれば、同じくクラスの生徒か、それとも先生だろうし)

(一歩、深読みしたとしても、クラスを間違えた同級生という説もあるかもしれないし、学年が一個上に上がったことを忘れて、いつものように扉を開いてしまった、二年生かもしれない。だから、別に、こんな話をしていたからといって、天音のお兄さんということがあるはずが)

 わずか一秒にも満たない思考。だが、現実は小説よりも奇なり。


「宇宙人はどこだあああああああ!!」


低く、しかし歯を食い縛り、今にも襲い掛かりそうな獣の咆哮を思わせる重音が、

(あったああああああ)

優陽の予感が的中したことを示していた。眼鏡を思わず外し、掛け直す。




 涙を心の中で流しながら、優陽は扉のほうを向いた。すると、身長の高い黒髪の二枚目な男子生徒が荒い何かのオーラもとい怒りを周囲に迸らせ、睨みを利かせている。近くにいた生徒と一言二言会話し、その生徒が優陽の方を指差す。突然入ってきた男は優陽と視線が合うと、ギラリと目を光らせたような気が(優陽には)した。そんな男に周りの生徒は圧倒されており、凍り付いてしまっている。

「お前が、優陽とか言う、宇宙人か?」

 地響きが聞こえてきそうな足取りで優陽のほうへ歩いてくる。思わず、優陽は腰が引け、情けなくも後ずさりしてしまう。だが、優陽の席は窓際であるため、窓に背をつけてしまうだけだ。男はそのまま距離をつめ、優陽に襲い掛かるようにして優陽の背後にある窓に手をつく。

 吐息がかかる距離。見方によっては、かなり危うい路線の人が喜びそうなシーン。優陽にとっては猛獣に食べられる前のウサギのような心持ちだ。いつ、襲い掛かられるかわからないため、目を塞いでいる。

「お前が天音の……」

「?」

だが、いつまでも襲い掛かってくる気配がないため、優陽は瞼をそっと開いた。男は低くうなり声を上げている。

「どう責任とってくれるんだ」

何故か、その男は涙目で、だが確かな怒りを秘めた目で、優陽を見ている。

「責任?」

「なんだ、なんだ」

周りがその言葉に反応して、ざわつき始める。優陽は尋常ではない事態(もとい、今に始まったことではないが)に戸惑いを覚えてしまう。優陽は恐る恐る、

「何のことでしょう」

 かすれ声で言った。

「天音がな」

男は突然涙がその目からこぼれ落ち始めた。もはや、怒り顔でさえ端整といっても差し支えなかった男の顔は見る影もないほどくしゃくしゃになっている。優陽はこの異常事態に助けを求めようと、周囲を見回したが

 恭子は、

「あー、おにいさんだー」

と呑気に騒いでいるだけで。

「おー、やれー、やっちまえー」

 速人はすっかり優陽の敵になって応援しているくらいで、事態に介入する気はなさそうである。他の人は凍り付いてしまっているので、優陽のことを構う度量のある者はいなさそうだ。

(正成がいれば、助けてくれるんだけどな)

こんな時に意外に頼れる幼馴染の顔を思い浮かべる。その正成は現在、麻衣の手につかまり中学校に強制登校させられている。きっと校長からのありがたーい話を受けている最中だろう。ついでに麻衣からの説教も含まれるので、余計に肩身が狭い思いをしているだろう。正成の自業自得だが。

「天音が」

そんな事を不意に考えていたが、男の声で掻き消える。

「い、いたい、いたいですって」

男の手が優陽の肩を掴む力を強くする。思わず顔をしかめる優陽。だが、そんなことも気にならないくらいの一言が男の口から飛び出す。

「死んでしまううううううううううう」

もともと流していた涙を、洪水のように流し声を一層大きくして、咽ぶ。鼻水がでて、涙と一緒になってしまっている。それが口にも入っているので、叫んだ方向にいる優陽の方にはそれがミックスされて飛んでいるかもしれない。

(泣きたいのは僕のほうだよ)

それが気になって言葉の意味を把握するのに時間がかかる優陽。

「えっと」

 何とか死ぬという単語だけ、理解できた優陽はそのことに触れようと質問する。

「ちょっと、お兄さん、かな? いや、それより死ぬって」

「お兄さん」

ピクッと反応し、

「お前殺されたいのか! 誰がお兄さんだ。誰がお前を義弟と認めるか!」

突然、男が優陽の胸倉を揺する。万力といっても差し支えない、恐らく天音の兄と思われる男の力。抵抗さえできず、されるがままになってしまう。

「い、いや、それよりも死ぬってどういう」

 揺すられながら何とか言葉を出す。

「はっ」

優陽の一言でまた思い出したのか、涙を再発させて、

「天音が、お前のせいで、死ぬかもしれないんだ!」

 と誤解を与えかねない発言のオンパレードを叫ぶ。案の定、周りがそれに反応し、

「ま、まさか、宇宙人の!」「い、いや、だって、それじゃあ」「ああ、知られたものを消す、宇宙人の陰謀に巻き込まれて……」「ば、バカ。その先はお前さえも」「いや、俺たちも知っているから、もう既に」「お、おい、マジかよ」「いやー怖いー」「恭子は、お、おれが守る!」「うーん。どうせなら、入学式に自転車で乗り込んできた男の子がいいなー」「きょ、恭子!」といっそ清々しいほどに誤解は人から人へと波紋を広げていった。

(もう、どうすればいいのかわからない)

優陽がこの誤解を解く方法をあきらめかけた、その時、コホンと咳払いが聞こえ、大きく乾いた手たたきの音がした。

「あー、君たち。そろそろホームルーム、始めたいんだけどなあ……」

いつの間にか、入学式のとき受付にいた幸薄そうな男性教諭、三吉あたるが教壇に立っていて、困った表情を浮かべている。そして、静かながらはっきりとした口調で、述べる。

「ああっと、とりあえず。優陽君、それから、えっと君は英二君だったかな。ちょっと廊下に立っててください」

 どこからともなく黒服たちが現われ、優陽と男に水バケツを差し出した。

(はあ、こんなことって)

 優陽はとりあえず、一言。

「僕も、なんですね」

一応だが確認する。

「はい。君もです」

ニコリと三吉あたるは笑った。





 完璧にとばっちりを受けた形で、優陽は時代錯誤の両手水バケツの廊下立ちという珍しい経験をすることになってしまった。

(できれば、一生経験したくなかったな)

 重いバケツが手をしびれさせる。ひどく情けない姿でありながら地味にきついのがこの罰の特徴である。

(理不尽だ)

隣を横目で伺うが、優陽と違って余裕なのか、なおも涙を流しながら、バケツを軽々と持っている。

「えっと、英二先輩で、いいですか?」

先ほど、三吉あたる先生が言っていた名前を思い出し、聞いてみる。男は何も答えず、沈黙。

「違うんですか?」

「……なんだ」

 どうやら英二で合っているらしい。

(ギロリと睨んでくるのはやめてほしい)

 英二はようやく会話できる状態になったらしく、涙をにじませた目で優陽を見てくる。

「で、死にそうだという話ですが」

「ああ、誰かさんのせいで、瀕死の状態だ」

言葉の端々にとげがある。

「どういうことですか?」

 説明されなければ把握もできないため、とりあえず、質問するしかない。

「どういうことも何も」

英二が恐らく怒りか悲しみによるのだろう、バケツを握る手を震わせ、呟いた。

「昨日の入学式の後、帰ってきた天音を迎えた時だったんだが」

英二はそこで言葉をきり、昨日の様子を思い出す。




「おお、天音帰ってきたか」

最初に気づいたのは英二が、天音を出迎えるために玄関まで行った時だった。だが、玄関まで行って、天音の様子がいつもと違うことに気づく。

「どうしたんだ?」

「え?」

天音の顔が少し赤い気がするのだ。

「風邪か?」

「ううん。別に寒くないし」

天音は否定するが明らかに赤い気がして、額に手を当ててみる。少し、熱いが、確かに風邪というにはそんなに熱くはない。だが、風邪の予兆かもしれないと思い、心配になる。とりあえず、自然な動作で、天音の頭をなでようとしたが、

「英二兄、やめて」

天音はそんな英二の手を逃れて嫌がった。それにショックを受けてしまう英二。どうすればいいのかわからず、おろおろとしている。

「なんで! 俺を嫌うのか? 天音えええ」

情けない声が出ていることに気づいていないのだろうか?

「あのさ、英二兄、前から私イヤって……あ」

突然、腰が砕けてしまったかのように、玄関にへたり込んでしまう天音。

「ど、どうした、天音!」

 英二はそんな天音に慌てて駆け寄る。天音の声や顔がどことなく力が無いような気がしていたのはやはり気のせいではなかったらしい。

「これは、本格的な風邪か?」

 英二の心配が最高潮に達した時、天音の口から意外な言葉がでる。

「優陽……宇宙人……、えへへ」

笑顔が眩しく英二は思わず、胸キュンだ。しかし、今の言葉に聞き捨てなら無いものがあった気がする。気のせいかと思ったが、

「ちょっと、天音。今の優陽って、誰?」

「うふふふ」

「あ、天音?」

英二がそう質問しているが、そんな言葉も聞きとれないほど疲れているらしい。ひたすら、『優陽……お前は……宇宙人……』とうわ言のように繰り返し、やがて、安らかな眠りに入っていった。

英二の腕で静かに寝息を立てる天音。英二としては、これ以上質問することなどできるはず無かった。天音をお姫様抱っこしながら、天音の部屋に運ぶことにする。すると、母が玄関のドアを開けて入ってきた。

「あらあら、天音、寝てしまったのね」

「うん、何か疲れてるみたいだ」

「そうね、多分、そうだと思うわ」

英二の母は天音の寝顔を見ながら困ったような表情とため息をつく。

「天音ね。今日、入学式でちょっとやらかしたのよ」

「?」

「優陽くんって男の子に向かって、入学式の最中、ステージを乗っ取って『お前は宇宙人だ』って叫んだの」

「天音が?」

英二は思わずそう聞き返した。天音のほうからそんな騒動を起すことなど、あまり考えられない。天音は基本的に人と話すのが苦手だし、今までにそんなことをしたことなど、それこそ、天音が英二たちと本当の家族になった日の出来事ぐらいだ。そのことを英二の母も感じたようで、

「天音がそんなことをするくらいだからね。きっと、天音にとってそうしなければならないくらい、優陽って男の子に何かを伝えたかったんじゃないかしら」

 優しげな微笑を眠っている天音に向ける、母。

「何かって何を」

 英二は恐る恐る聞いてみる。

「さあ」

 英二の母は肩をすくめた。でも、なんとなく分かっているような感じだ。そして英二もまたなんとなく、分かることがある。それは、

「気に喰わねーな、優陽か」

 その優陽という名前の男は、英二にとって敵意を向けるべき存在であるということだ。

「……あんた、くれぐれも優陽君に粗相しないようにね」

そんな英二の目つきが変わったことに気づいて、無駄だと知りつつも忠告する母。

「……っち。天音にちょっかい出す奴はゆるさねー」

 獣が獲物を狙う時のギラリとした目つきでそう呟いた。



 

そんな一幕を英二が思い出している間、優陽はなぜそこで言葉を切ったのかわからず、ただ英二の顔を見ていたが、その表情が次から次へと変わっていくのを見て、

(この人は表情豊かな人だな)

 とうらやましく思っていた。優陽は表情があまり変わらないのでよく誤解されてしまうのだ。眠くも無いのに『眠そうだね』と言われてしまう。

ところで、英二の顔がだんだん、険しくなっているようなのは気のせいだろうか。



 そして今日の朝。英二がいつものように天音の部屋に行き、天音を起こそうとドアの前でノックした。天音は朝が弱いので、英二は毎朝、そんな天音の寝起きを見ることもかねて、目覚ましの役割をしている。

ちなみに、天音の部屋にはちゃんと目覚ましはあるのだが、その目覚ましの音に全く気づかず、爆睡する天音である。よって、天音がこの時間に起きていることは稀であり、修学旅行などの楽しみにしているイベントが無い限り、まず起きない。

 なんの返事も無いということで、遠慮なく天音の部屋のドアを開ける。

「あ、あれ?」

 英二としては予想外なことに、ベットには麗しき姫君、天音の姿は無い。いつもなら『地球征服でありませーぬ』とスヌーズ設定された某キャラクターの声が鳴っているのだが、その目覚ましが今日はしっかりと止められていた。

 ハンガーに掛けられているはずの聖峰学園の制服がなくなっていることから、入学式が終わりいよいよ本格的に始まる高校生活にわくわくして起きてしまったのかもしれない。

(居間にいるのか……)

 階段を下りて居間に向かうが、

「おはよう、っていない……」

天音の姿はなく、嫌な予感がして、テーブルに座っていた母親に、

「母さん、天音は?」

「おはよう。天音なら、部屋にいない?」

母がご飯をお椀によそって英二に渡す。炊き立ての白米の香りがする。だが、英二としてはそんな白米の香りに食欲をそそられるよりも、

「いないから、聞いてるんだけど」

「あら、それなら、トイレかしら」

「制服が無かったんだけど」

「制服が? 変ね、天音熱出してるのに」

「熱? あの後?」

「そう」

「どれくらい」

「三十八度八分」

(何てことだ!)

心中で天音が苦しんでいる姿を想像する。きっと、汗がいっぱい出たに違いない。苦しくて、うわ言のように、兄の名前を言ったのかもしれない。

(いや、そうに違いない)

そんな天音を愛おしく、その髪をなでてあげたかった。英二が、そうできなかったことを激しく後悔していると、

「まてよ、そんな状態なのに、制服が無いってことは……!」

 脳裏に風邪のせいでうまく動けない体を一生懸命動かして登校する、苦しそうない息を吐き、汗で制服を濡らす天音の姿が思い浮かんだ。

 そんな天音の色っぽい、じゃなく、危機的状況を助けるため、

「天音、今、兄ちゃんが行くからな!」

 英二は急いで愛しの妹を救出するために家を出たのだった。



 だが、どんなに急いでも天音の姿は見当たらない。ついには、学校に着いてしまった。

「……しょうがない、天音のクラスまで行くしかないかな」

(天音には怒られるかもしれないけど)

 桜の花びらが散り、ほのかなピンク色のじゅうたんが敷き詰められた歩道を渡りながらそんな事を思う。でも、仕方ない。今は緊急事態なのだから。

 だが、

「いない」

 教室を見て回っても、天音は見当たらない。


 最短ルートで走ってきたので、もしかしたら何処か別のルートを通って、登校しているのかもしれない。もう一度、玄関に向かい、校門の方へ向かう。すると、

「見たか?」「ああ、あれが噂の宇宙人なんだってな」「なんか、冴えない奴だったな」

 登校する生徒のそんな会話が聞こえてきた。

(宇宙人……って、もしかして昨日、母さんが言ってた)

 入学式のことが噂になって波紋を広げているらしい。登校する生徒の多くが『宇宙人』『入学式の時』という単語を使って会話していた。

校門で待っている間、時折、一部の女子生徒が英二の方を見て、『あの人かっこよくない』と英二には聞こえないような小さな声で話しながら通り過ぎていく。

 そして、少しして、一人の眼鏡を掛けた、眠そうな顔をした独特のおっとりとした雰囲気を持つ男子生徒が整然と、すこしゆっくりとした静かな歩みで近づいてきた。そんな少年独特の歩みを追い越してきた新入生らしき女子生徒が、

「ねえ、あれって」「そうだよね? 入学式の」

 好奇心を刺激されたような目で後ろを振り返りながら談笑している。

(どうやら、あれが、えーっと確か)

 英二は昨日、天音の口から聞いた名前を記憶の奥から呼び起こす。すると、昨日見た、天音の『優陽……お前は……宇宙人……』と言っていた安らかな寝顔を思い出して、頭に血が上る。

「あれが、天音の言ってた、宇宙人か」

 本人かはまだ分からないと思ってはいても、そうかもしれないと思っただけで、心の中でさまざまな黒い感情が渦巻く。ぎりぎりと歯軋りして優陽の方を睨みつけていると、不意に視界の隅で優陽ではない気になる誰かの視線を、英二は感知した。

(なんだ?)

 視線を優陽からそらして、ほとんど無意識のうちに感じたその存在の正体を見ようと前方を見る。

だが、優陽以外に続々と登校する生徒達がいるだけで、特に英二が気にするような存在はいないように思えた。英二は自分が何故気になったのか、分からず首を傾げる。しかし、何かを見落としているような気がして、改めて、注意深く見回してみると一部の生徒が電柱の陰を見てこそこそと話していることに気づく。

英二は何を見ているのか気になって歩き出す。優陽とかいう宇宙人かもしれない存在らしき人物の横を通り過ぎて進んでいくと、

(まさか……!)

電柱の陰からそっと覗きこんでいる怪しい人物の姿が映る。英二は悪い予感が止まらなかった。その人物の髪の毛が風になびいて、白金のように美しくキラキラと輝いているように見えるのだ。

そのような金色の髪の毛を所持する人物は限られる。

「あ、天音…?」

 半信半疑、いや信じられない、信じたくないという気持ちで、その電柱の陰を覗き込む。

 金色の髪。極上のサファイアの輝きを秘めた瞳。まさにこれは、

「天音、なに、やってるんだ」

 英二の最愛の妹であった。そんな英二の、戸惑いのにじみ出た言葉が聞こえないくらいに、天音は一心不乱に何かを見つめている。視線の先を追うと、先ほどの少年の後ろ姿が映る。

 丁度、桜吹雪が起こり、少年の周辺に桜が舞い、少年の髪がなびいているところだった。

その後姿は幻想的な絵画のように美しい、――少なくとも少女にはそう見える。

英二はそんな天音の見たこともないような憧れを秘めた視線の色に、

「おい、天音!」

 理由もつかない衝動に駆られて大声をだす。だが、そんな英二の声も天音には届かない。天音に近づき、

「目覚めろ、天音!」

 その肩を掴むと、

「うっひゃああああ#$%&*@!」

 天音は地面を飛び上がって驚く。肩を掴んだ英二の方を向くと、

「え、英二兄。いつのまに」

 やっと我に返った天音は英二の存在に気づいて驚く。

「それは、こっちの台詞だ。天音はここで、なにをしているんだよ」

「え? な、なにも」

 誤魔化すように視線を逸らす天音。

「電柱の陰に隠れてるのはなんでだ? 怪しいぞ」

「あ、えっと……。ふ、普段、あんまり電柱の様子を見てないから、心配になって。ちゃんと倒れたりしないか、触って確かめてたの」

 電柱に触って、『えっと、この電柱はっと。ちょっと曲がってるような……、地震の時は要注意だね』じっくりと観察するふりをする天音を、英二は強張った笑みで見る。

(こういうときの天音は、何かを俺に隠そうとしているときなんだよな)

 天音の挙動不審な行動に嫌な予感しかしない英二である。

「どうしたんだ、一体? 明らかに、何かを覗いてるようにしか見えなかったが」

「ち、ちがうよ」

天音は必要以上に気を張った様子で否定してくる。

「え、英二兄の気のせいじゃないかな? 私は何も見てないよ?」

「そうか……」

 英二は一度気を静めるように息を吐く。

「昨日、天音が言っていた、優陽とかいう宇宙人のことを見ていたのかと思ったんだが……違うのか」

「ひゃい?」

 英二の言葉の中に予想外の単語があったことに気づいてギクッと天音は顔を強張らせた。

「え、ええ、え、英二兄、なんで、ゆ、優陽君のこと知ってるの?」

「ゆ、優陽君……!」

 胸を抑えてうめく。天音の口から自分以外の男の名前が出たことに大きな心のダメージを負ってしまう。英二の心のライフポイントがあるとすれば半分が今の言葉で失われたであろう。崩れ落ちそうな膝を何とか立て直して、

「昨日、天音が倒れているとき、寝言でな。うなされていたようだったが、大丈夫か、敵か、そいつは」

 実際には天音はうなされておらず、かえって周りを華やかな気分にさせるような幸せな表情を浮かべていたのだが、その事実を英二の都合の良いように脳内変換したらしい。

「うう」

 恥ずかしいのか頬をほんのり赤く染めてうめく天音。

「そんなこと言ってないもん、英二兄の気のせいでしょ」

「だがな、天音。今自分が言ったことを思い出してみろ。明らかに、優陽って奴を知っているかのような聞き方だったぞ」

「はうああ! しまった。英二兄の策略に引っかかった!」

 今になって気づいたのか、大袈裟に驚く天音。

「いやいや、天音。俺は何にも策略めいたことを言ったつもりはないぞ。で、そのゆ、優陽っていう奴のこと、お兄ちゃんに詳しく教えてくれないか。敵なのか、そいつは」

「い、いや、えっと。優陽君は、う、宇宙人、というか」

「っぐう!」

「どうしたの? 英二兄?」

「い、いや、続けて。それで、敵なのか、そいつは、そうなんだな、敵なんだな?」

 天音が『優陽』と、しかも『君』をつけて話すところに、心に大きなダメージを負う英二。血を吐くような心地でなんとか聞く体勢に入る。

「優陽くんは、その、私に自分は宇宙人だって打ち明けてくれた人なの。それで、私は」

 もじもじと恥ずかしそうにする天音。そんな天音の姿を全く無視し英二は、

「なるほど、それで、天音はそいつに誘拐されそうになったと……。つまりは敵なんだな。よし、まかせておけ、兄さんがちょっと行って、もうしないようによーく言い聞かせてくるからな」

 勝手に話の先を想像して怒り心頭になっていた。

「ま、待って。ち、違うよ、英二兄!」

「どうした、天音。どうして止める」

 激しく燃えた殺意を周囲に振りまきながら、先ほどの優陽らしき人物のところに向かおうとしたところを止められ、肩透かしにあったような感じになる英二。早く、そいつのところへ行って、落とし前つけにいかなければならないというのに。

「い、いや、もうちょっと話を聞いてほしいよ、英二兄」

「そ、そうか」

 星の光を思わせる瞳の色が陰って、哀しく彩られた視線に大人しくなる英二。

「そ、それで、その。あの。私は、彼が宇宙人って言ってくれて嬉しくて」

何かを思い出すように振り返る天音の表情が、まるで陽だまりの中にいる時の温かさにほっとする瞬間の表情で、英二としては胸の苦しさと痛みは増すばかりだ。

(天音がこんな表情するなんて、な)

自分にはこんな表情を向けてくれているかと思うと不安になる。

「わ、わたしも、その同じ宇宙人だから」

あまりにその表情が可愛くて、美しくて、その表情をさせているのが、英二ではない男だという事に、ギリギリと心臓を締め付ける感覚になる。まるで、天音と英二との間に見えない空間があって、英二の居る空間だけ重い見えない何かが圧し掛かっているようだ。それに堪えられず、

「だからね、私は」

「―――天音は宇宙人じゃないだろう!」

 怒鳴っていた。天音は思いがけない英二の様子に、

「え、英二兄……?」

英二の表情に苛立ちを感じ取った天音は、滅多に見せない英二の雰囲気に戸惑ってしまう。

一瞬で頭が真っ白になり、何も考えられなくなり、顔色が悪くなっていくのを天音は自覚した。体が震えだしそうになったとき、

「ち、違う。俺は怒ってない。大丈夫、大丈夫だから」

笑顔を浮かべた英二とその言葉に、

「……そうなの? 良かった」

天音は緊張した心を何とか緩めることができる。

(何やってんだ、俺は)

英二自身、理由のつかない、いやつけたくない苛立ちを天音に見せたことをすぐに後悔する。英二のその様子を見て縮こまっている天音。天音は、怒りに敏感に反応する。怒りをぶつけられるとパニックになってしまうのだ。それは、天音の抱えている傷が過剰に反応する結果であり、未だに、過去の傷が天音の中に確かに存在することの証拠でもある。不安な表情をさせてしまっていることに心痛を感じる英二。

それでも、脳裏によぎるのは、朝早く熱があったはずの天音がここにいる理由。内心で舌打ちをし、

「天音、もしかして、朝早く起きたのは……優陽とかいう宇宙人を見るためなのか?」

「ええっ! ち、ちがう」

 慌てて否定する天音。だが、そんな動揺した表情と声で言っても説得力などあるはずも無い。

「あ、宇宙人」

不意に校門の方向を指差す英二。

「……!」

さっと電柱の陰に隠れて、英二が指差した方向を覗く天音。

「あれ?」

だがその方向には目的の人物が居ないことに気づいたようで、

「どこ? どこ、英二兄」

「……」

 引っ掛かったことにも気づかず、英二の服の裾を掴んで聞いてくる天音。優陽はもう教室の中である。

「天音、なんでそこまで」

「へ? はっ!」

 ようやくだまされたことに気づいたらしく、顔をボンと赤くして、

「う、うう」

 意地悪、といった視線を送ってくる天音。

 もう、間違いようが無い。認めたくは無かったが、どうやら天音は優陽とかいう宇宙人を見ていたらしい。何のために?

「あ、天音……もしかして」

 続きの言葉を言い掛けて飲み込む。

だって、そんなこと万が一にもありえないのだ。

(天音が、誰かを、異性として、す、すき、すき、す、す、すき、すきやきになるなんて!)

などと悪い思考の流れを無理やり変えようと努力する英二。

「ち、違うの。だから、これは本当に優陽君が宇宙人か、確かめるために、観察しているだけで、別に、……優陽君に何か、言い…ゴニョゴニョ……」

「そういえば、天音、体調は大丈夫なのか?」

「え?」

「熱あったろ?」

「……ねつ?」

 目を瞬かせる天音。しばらくすると、じわじわと天音の顔が赤くなっていき、

「きゅー」

 突然、倒れた。

「あ、天音ええええええええええええ!」

 倒れた天音に駆け寄り、抱き起こす。

「天音、すまなかった!」

 そんな声に苦しそうに反応しながらも、少しの寝息を立てていた。額に手を当てるともう熱くなってしまっていて火傷しそうなほどだった。

(あ、あ、天音が死ぬー!)

「天音えええええ、大丈夫かああああああ!」



(ピピピ)

「三十八度八分ううううううううううううううううううう! えええええええ!」

「英二、落ち着きなさい」

 こうしてなんだかんだ言って天音を家に連れ帰った英二だったが。

 慌ててはかった体温計の数字を見て、さらに心配は最高点に達していた。

 三十八度八分の高熱は確実に、天音の意識を奪っている。とりあえず、天音の額のタオルを手に取り、氷水がある洗面器に浸し、そのまま乗せる。当てられたタオルの冷たさに反応して、心地よさそうな表情を浮かべる天音。そっとその瞼が開いた。

「英二兄……」

おぼろげな意識で、英二のことを認識したらしい。

「あれ、今何時?」

「うん?」

「学校は?」

「どうでもいいじゃないか! 今日はお前の傍にずっといるよ! こんな高熱、もしものとき、どうするんだ!」

そんな言葉をかける。天音は少し苦笑という感じで微笑んだ。だが、すぐに憂いの混じった表情になる。

「どうした?」

「……」

 後ろから母もやってきたようで、英二に、

「全く、天音が眠れないじゃない。私が今日一日しっかりと看病するから、大丈夫よ」

「い、いやしかし、こんな高熱、し、し、死ぬかも」

「いいから」

有無も言わさない、その声色に、英二はしぶしぶ従うことにする。

「ごめんなさい、お母さん」

 不意に天音が弱弱しい声で謝ってきた。

「どうして、謝るの?」

母が優しく微笑む。

「何か、悪いことしたの?」

「それは……昨日、あんなことしちゃったから」

 本当に申し訳なさそうにしている天音。天音は人一倍、親に嫌われることを怖れる。それは、病気になったときに如実に現われるのだ。母は大きく首を横に振る。

「そうね。でもね、天音のあんな元気な姿を見れて、私は嬉しかったのよ。天音にあんな一面があったなんて、ね」

「……」

天音が恥ずかしそうにしている。

「そんなこと気にしなくていいのよ。だって、わたしたちは家族なんだから」

 そんな言葉に天音はそっと何かを押し殺すように、唇をかむ。だが、すぐにこらえきれず、涙を流し始めた。

「おかあさん……ありがとう」

涙と鼻水が出てきて、母はそっとティッシュを差し出し、そのまま天音は鼻をかむ。

「まだまだ、熱っぽいわ。ご飯はまだ食べれそうに無いわね」

「……うん」

「ヨーグルト、食べなさい。持ってきたから」

「うん」

手にはヨーグルトとスプーン。母お手製のカスピ海ヨーグルト。スプーンですくって天音の口に運ぶ。

「どう?」

「美味しい」

 天音の眩しい笑顔が出て、母も英二も少し安心する。だが、その顔色はまだまだ優れない。きっと、普段あまりしないことをした反動だろうと英二は思った。もしも、そんな時に、厄介なウイルスに掛かってしまったら? このまま高熱が続いてしまったら? 

(し、死ぬ。あ、あ、天音が死ぬ)

そんなことを考えるだけで、英二の心配は再燃する。

「やっぱり、ここに!」

「いいから、あんたは学校に行きなさい!?」

 そんなことを小一時間ほど繰り返したのであった。

そして、母親の説得に負け、何とか学校に登校する間にも、幾度となくそんな思考が駆け巡り、戻ろうかと思い、だが、そんなとき、英二は思ったのだ。

そもそも、天音があんな状態になったのは誰のせいか? 天音に無茶をさせたのは誰か?

 そうそれは、天音が宇宙人と宣言した男。

(宇宙人め……!)

(そうだ、いずれにしても、そいつは、俺にとって、ひいては天音にとっても)

「敵なんだな!」

 全速力で学校のほうへ駆ける英二。溜まりに溜まった圧力がエネルギーに変わるように、今の英二は無敵感にあふれていた。





そんな思考の果てにたどり着いた、優陽への憎悪はまさに阿修羅のごとき表情を英二にさせていた。優陽は思わず、距離をとる。

「お、お前のせいで、あ、天音は!」

「い、いや、だから、死にそうってどういうことですか?」

 怒りを突然再燃させた、英二についていけない。

「天音はな、今、高熱で倒れているんだ」

震える声が怒りの高まりを示すかのようで、段々抑えが効かなくなってきている。

「昨日、帰った後、すぐに倒れて、それから起きてこない」

「え?」

 優陽としては、寝耳に水である。あんなに元気に見えたのだが。

「もし、そんな状態で、新型のウイルスにかかってしまったらどうする! っていうか、どうしてくれるんだ!」

「うわっ」

 バケツさえ放り投げて、優陽の胸倉を掴んでくる。優陽のほうも、辛くなっていた事もあって、あっさりとバケツを落としてしまう。廊下というのは音が響くものだから、当然先生の耳に入り、教室の扉が開いて、三吉あたる先生が出てくる。

「……」

 幸薄そうなその顔を曇らせて、

「君たち、……静かにしてくださいね。君たちにとって、それは楽しいことなのかもしれないけれど、僕のような凡庸な人間にとって予想外のことが起きない、平凡な日々がなによりも大切なことなんだよ。理解してください」

 と静かに言ってきた。

(僕もその一人なんですけど)

優陽は、そう心の中で抗弁する。異常な事態が自分のせいであるような感じだが、今までのことを考えてみても、自分が望んで騒いでいるようなことは全く無いのだ。むしろ、突如として現われた人物達が一方的に、優陽を巻き込むという構図なのである。それなのに、優陽もそうした人たちと共に数えられるのを優陽が納得することなどできないだろう。

 それなのに、英二のほうは、

「俺の妹に手を出したんですよ? これが冷静でいられますか」

 と誤解を招く発言をしてくる。

 きっと教室の中にも響いているはずなので、何人かの生徒の誤解をさらに昇華させて、好き勝手な噂へと移行していくだろう。優陽としては、迷惑なことこの上ない。

「手を出したというのはどういうことだい?」

 あたる先生がため息混じりに聞いてくる。

「それは、天音が、眠り際に『宇宙人』と悪夢にうなされて倒れたことから推察すると、この隣にいる人間に何かしらのセクハラ行為、もしくは未遂行為をって、くっそおおおお、そんなことを天音にしたのか!」

英二は話しているうちに、本当に最悪なことを優陽がしたことになってしまったらしい。なぜなのだろう。明らかに、推測から、妄想となり、それを現実に変換してしまっている。鼻息荒く、再び優陽の肩を掴み、振り回してくる。

「いや、僕はそんなことしてません」

「またくだらない言い訳を。なら、なぜ、天音が倒れたという気だ。全てはお前のせいとしか考えられない」

「い、いや、だって、それは天音さんが、宇宙人だって勝手に」

「あ、あ、天音えええええだとおおおおおお! お前如き一般市民がその口で呼んでいい名前ではない! もっと、こう、貴重なんだよ! 神聖なんだ! 俺の天音の名前をお前が口にするな!」

「と、とんでもない。ただ、その、宇宙人だと、言ってきたのはあなたの妹さんで」

「ふっ、何をいっているんだ。天音が宇宙人だというなら、お前は宇宙人なんだ。なにをしに、この地球に来た。天音をさらう気か。とうとう、宇宙までその可愛さが知れ渡ってしまうとは全く怖れ居るぜ、わが妹よ。だが、この俺がいるかぎり、天音はやらないぞ! あ、あと妹さん、と呼ぶのも許さん!」

(ああ、そんな理屈って。あと、ほかにどんな風に呼べば?)

 振り回されて、目が回りそうになっている優陽。されるがままになってしまう。あたる先生が、それを見て、

「はいはい。そろそろ、そこらへんで、ね。英二君。君は副会長でもあるんだから、これ以上は見過ごせないよ」

 英二を止めてくれる。

「副会長よりも、天音のほうが大事なんです」

「それは、わかったから。それで、君は結局、そこの彼にどうして欲しいのかな?」

 あたる先生の冷静な指摘を受け、考える英二。少し、目が回ってしまっている優陽は、足元をふらつかせている。

「金輪際、天音に近づくな。宇宙人」

 優陽を見据えて、はっきりと述べた。

「……はあ。努力します」

優陽としては、そんなことを言われても、そもそも優陽のほうから、天音に近づいた記憶は無い。というか、入学式の時に始めて知った。

(しかし、宇宙人って言われても、自分のことなんだって理解できるのが地味に悲しい)

 なんというか、自分でさえ、宇宙人のような気がしてくる。このままでは、宇宙人であることを自分が認めてしまいそうで怖い。どうにか、自分でも誤解を解く方法を探さなければならない。時間が解決してくれればいいのだが、その前に自分を見失っては元も子もない。

「ところで、天音さんは結局、大丈夫なのでしょうか?」

天音が死ぬと喚くので、少し優陽の中でも心配はしてしまう。

「名前を呼ぶなと言っただろうが!」

 英二は不機嫌そうに顔を顰めながら言った。

「天音はお前のせいで倒れたんだぞ!」

「……あの、それは僕のせいなんでしょうか?」

 そこらへんが、いまいち納得できない優陽である。だが英二は一切のタイムラグもなく、はっきりと、

「お前のせいだ!」

「す、すいません」

 どこらへんが優陽のせいになるか分からないが、残念ながら巻き込まれた形とはいえ、無関係とは言えないので、否定することができない優陽である。

「今朝はヨーグルトのみだったんだぞ! あの細い身体がますます細くなって、折れてしまったらどうしてくれるんだ!」

(耳がおかしくなりそう)

 英二の大きな声が振動になって痛いくらいだ。あたる先生はそんな大声に、やはり幸薄そうに困った表情を浮かべている。

「英二君。そこまでにしてくれないかい? そろそろ、授業を開始したいので、ね。とりあえず、これ以上、天音さんに近づかない、ということでいいかな?」

「そうです。わかったか」

 最後は優陽を脅してくる。そんなに念を入れなくても、優陽はできるなら、関わり合いを持つことを避けようと思っていたところなのである。なので、心配は要らないのだ。これ以上、宇宙人であるという噂を広げたいとは思わない。


「それは、どうかな!」


まとまりかけた雰囲気を壊すような一言。そんな声を聴いた瞬間、あたる先生は頭が痛そうに額に手を持っていく仕草をする。その声の方向を向くと、校長である、吉田葦人が廊下を歩いてこっちに来るところだった。

「校長。一体、何をしにここに?」

「ふははは、愚問だな、三吉。私が何を生きがいにしているか、お前がよく分かっているはずだろう!」

「当てて見せましょうか?」

 重いため息をついて、

「どうせ、厄介ごとを僕に押し付けに来たんですよね」

 何かを悟った境地の一言。

「そうだ。そして、それは、優陽君、君にも関係がある」

 満足げに校長はうなずき、優陽に目を向けた。

「はあ」

 優陽は状況把握できず、とりあえず相槌を打つ。ちなみにまだ、英二に肩をつかまれたままだ。至近距離に見上げる形とはいえ、英二の横顔がある。早く、放してほしいと優陽は思う。

「天音さんを、急遽、君のクラスに編入することにしたよ」

 笑顔でとんでもないことを校長は言った。

「優陽君、特別に君の席の隣にしてあげよう」

「な、なにいいい!」

「えええええええ!」

英二と優陽のそれぞれの叫び声があたりに響く。さっきまで、関わることがないように、という話をしたというのに、このままでは、関らないことなど不可能である。そうさせまいと、英二が慌てふためきながら校長を問い詰める。

「ど、どういうことです、校長」

「英二君。人というのは、分かり合えるために、まずは接して、話すことが大事なことなのだよ」

 いかにももっともらしい口上で説得を図る、葦人校長。だが、三吉先生は見抜いて、

「もっともらしいらしいこと言ってますが、要するに、面白そうなら何でもいいんですよね、校長」

 苦く笑いながら真相を述べた。

「はっはっは、三吉くん。それ以上言ったら、君の今月分の給料が泣きをみるよ?」

「いや、とても深い考えを持っていらっしゃるんですね、校長。いやー、御見逸れしました。いよっ、校長! 権力者!」

言葉の端ににじみ出る圧力に屈する三吉先生。最後は皮肉気味だったが。

「ま、待って下さい! クラスを変更、ってまだ始まったばかりだというのに! 天音が可哀相じゃないですか!」

「始まったばかりだからこそ、何も愛着もないと思うが?」

「っく!」

英二も何とか思いとどめさせようとしたが、撃沈された。

(ここは僕が何とかしなければ)

「あのー、それだと、他の人たちの迷惑に掛かるんじゃないでしょうか? 先生方とか」

 優陽が考えた最善の一手。だが、校長は意も介さず、

「人はね、優陽君。迷惑を掛けずに生きることなんてできないんだよ」

 重々しく言った。だが、その言葉の内容を伴わない校長の軽さがにじみ出ていて、全然心に染みない。

(僕に関わる人って、なんで普通じゃないんだろう)

 優陽は真剣に自分のせいではないかと考えてしまう。

「ところで、英二君、君は遅刻ではないか? さっさと自分のクラスに行きなさい」

「し、しかし」

 食い下がる英二に、諭すような口調で葦人校長は言う。

「いいから。今は自分のクラスに戻りなさい。というか、強制」

パチンと指を鳴らすと、三人の黒服たちが現われ、英二を拘束する。

「な、離せ、まだ、おれは、くっ」

とりあえずは今まで肩を掴まれていた優陽としてはありがたい。少し、一息つく。

「ところで、英二君、天音さんは具合悪いそうだね」

「そ、そうですが」

 なんとか逃れようとしているが、相手はガチムチの筋肉男三人だ。英二がいくら、体格がよく、体力があろうとも、勝てるわけが無い。嫌な予感が走ってしまう英二だが、何とか返事をした。

「それはいけないな。優陽君、君も心配だろう」

 優陽に校長は矛先を向けてきた。優陽もまた、嫌な気配しか感じない。

「は、はあ」

「ということで、優陽君。君は放課後、お見舞いに行きなさい。校長命令」

 最後にハートマークがつきそうな口調で葦人校長は笑いながらそんなことを言ってきた。

「のおおおおおおおおおお」

 大絶叫する英二。

「……」

 唖然としてしまう優陽。何が『ということで』なのか分からない。

「はああ」

 いつものことに深いため息をつく、あたる先生。

 こうして、優陽の受難はまだまだ続くのであった。校長の気まぐれもとい、命令によって。




「宇宙人が」

とささやく声。

「いや。おれは見たんだ、あいつが、少女に怪しく笑っているのを」

「じゃあ、その時にはもう……」

「鬼畜ね」

(あ、あははは)

昼休み、噂が行き交う廊下を抜け、トイレに優陽は向かっていた。別に用足しのためではなく、罰として与えられたトイレ掃除のためである。指定された複数のトイレ場所を一週間かけて掃除するというものなので、その場所に移動しているところだ。廊下を歩きながら優陽はもう何度になるかわからない、渇いた笑いを心に浮かべて、空元気に平静を保とうと努力する。奇異な者を見るようにして優陽のことを見てくる視線に堪えようとしているが、心配せずとも、あまり顔色は変わっていないように見える。だが、それが返って周りが、優陽のことを不気味に思ってしまっている一因になってしまっている。優陽はその事にはどうやら気づいていないようである。そして、英二の襲来は確実に爪跡として残った。優陽の宇宙人説がまたもや悪化して、『鬼畜』『人殺し』レベルになってしまっていた。というか、もはや、噂じゃなく中傷レベルだ。幸い、その噂は半信半疑という感じで、確たる証拠が無いものなので、そこまで信じられていないようだが、何にしても、悪くなっているのは確かである。




そんな優陽を後ろから見ている一団がいる。

「対象発見」

「あいつかああああああ」

彼らの目には敵意があり、今にも優陽に向かって飛び掛りそうだ。

「落ち着け。対象がトイレに行くまで待つのだ」

「隊長……」

「分かっている。私も同じ気持ちだ。だからこそ、今は時ではない」

「っく」

 何かを堪えるように周りの人間がうめく。

 そんなやり取りを知らず、優陽は目的の場所に着き、中に入っていった。


(はあ)

 優陽は深いため息を吐く。

 掃除の道具を取り出し、外に掃除中という看板を置いて、作業しようとした矢先、突然

男子生徒達が入ってきて優陽を取り囲んだのだ。

「坂上優陽。われわれ天音親衛隊は、お前に大きな怒りを感じている」

 恐らくリーダー格であろう男が、優陽に向かって拳を握り締めている。声も怒りが含まれていて、穏やかではない雰囲気である。

「優陽君。君はわれわれ、天音さんをこよなく愛する、天音親衛隊を通り越して、天音さんにこ、声を」

何故か、そこで言葉に詰まる男。周りの人が、それに合わせてうめき声を発している。

「あ、天音さんに声を掛けられるという罪を犯した」

(え、えっと)

いきなり断罪されてしまう優陽。声を掛けられただけで罪って、どれだけこの人たちは天音を慕っているのだろうか。だが、そんな男の言葉を聴いた周りの天音親衛隊(自称)の方々は歯軋りをして身を震わせていた。

(さ、殺気が)

 そんな視線のせいで背中に嫌な汗をかいてしまう。

「それだけではない!」

さらに親衛隊のリーダーらしき男は言葉を続ける。

「あの、あ、天音さんと、この親衛隊の隊長である私さえ、あれだけ長く話したこと無いというのに、き、君は」

言葉が段々熱を帯びていく。息が荒くなっている。

「会話し、目線を合わせた」

 男はその言葉を言うだけで耐え切れなくなったのか、目線をそらす。その目には涙が浮かんでいた。

「う、うらやましい」

「お、おれなんて、天音さんが眩しすぎて、サングラスないと見れないから、いつもサングラス常備しているんだぞ」

 とかなり情けない言葉を鬱々と言う親衛隊メンバー。リーダーがさらに言葉を重ねてくる。

「しかも、入学式のときに、な、名前を」

名前のところの発音が妙に高い。

「あ、天音さん、の、う、麗しき口から、き、貴様の、な、名前を、よ、よ、よ」

 リーダーはどうしてもそのあとの言葉を続けられないようで、苦しそうにあえいでいる。

「呼ばれたな!」

 血を吐くような感じで叫ぶリーダー。その言葉を聴いた親衛隊隊員たちはいっせいに絶望した表情を浮かべる。

「お、思ったより、ダメージが」

「あ、ああ、最初の頃はそれを聞いただけで、包丁を探したぜ、おれ」

 不穏な言葉が優陽の精神を抉った。ここにいては、本当にただではすまない雰囲気を受けるので、早く逃れたいと思う優陽である。

「あのー、それで?」

優陽は内心では汗を流しているが、顔には全く現われていない、いつもの眠そうな顔で親衛隊隊長に問いかけた。隊長は重々しくうなずくと、

「うむ、君はどうやって天音さんと知り合ったのか、聞きたくてね。なにしろ、私たちが、常日頃、各隊員たちに報告させている、天音人間関係モダニズム網に君はひっかからなかったのだよ。だが、あの引っ込み思案でおしとやかで、清楚な天音さんが、全く知らない人間に声を掛けることなどありえない。だから、君に心当たりが無いか、聞きたかったのだよ」

と言ってきた。だがボソリと

「という名目で近づいて君をリンチしようとしているだけだけど」

と不穏な言葉が聞こえてきたのは気のせいだろうか。優陽がどう答えようが、リンチは決定ということだ。

「えっと、そのー」

優陽がジリジリと迫りくる隊員たちの圧力にどうにか逃れようと考えている時、別の隊員が突然入り口から入ってきて隊長に、

「隊長、この男は、天音さんに対するセクハラ行為を行ったとの容疑が出ています」

 余計なことを言ってくれた。隊長は表情を変える。

「な、なにいいいい! その情報は確かか?」

「先ほど仕入れた情報です。何でも、天音さんに『へっへっ、お穣ちゃん、俺と宇宙でランデブーしないか』とはあはあと息を荒くし話しかけたとか」

(なに、その噂!)

 優陽は知らないところで流れる噂の力に恐怖する。

「き、きさまああああ」

「うわあああああ」

 男は、背中から取り出した、天音命と書かれた木刀を取り出し、構えた。迫力があり、優陽は思わず、声をあげてしまう。だが、その眠そうな表情は変わらないので、ある意味得な性格をしている。

「貴様ああああああ。そんなことをしたのかあああああ」

「したのかあああああ」

「ランデブーしたのかああああ」

「俺もランデブーしてええええええええ」

「うらやましいいいいいいいいい」

 怒りとともに、心の底で思っている感情垂れ流しの隊員たち。ここで受け答えを間違うと、大変なことになりそうである。だが、さきほど、要らぬ情報を流した隊員は、言葉を続ける。

「それだけでは、ありません。天音さんに話しかけた後、その手をつ、つっ掴み」

 どこかで聞いたような声のような気がする優陽。変なところで声が詰まるのも怪しい。

「天音の肌に触れて、連れ去ろうとしたとのこと、って、お前は、そんなことを天音にいいいいいいいいい」

 言葉の途中で突然切れた隊員。その隊員の姿を見て思わず優陽は声をあげる。

「え、英二先輩!?」

どうやら隊員に装っていたらしい英二が優陽に向かって飛び掛ってきた。

「はっ、しまった!」

「え、英二だとおおおおお」

 装うことを失敗した英二と親衛隊隊長が声をあげた。英二だと知ると、親衛隊隊員たちは緊張した表情を浮かべ、戦闘態勢に入るかのように身構えた。隊長の方も明らかな敵意の眼差しで、英二の方を見ている。

「英二いいいいい。貴様、何しにきたああああああ」

「ふっ。愚問だな、勝人まさと

 どうやら二人は顔見知りのようで、ちなみに隊長の名前は勝人であることも分かった。優陽としては展開についていけないので、事態を見守ることしかできない。先ほどの雰囲気を吹き飛ばしてくれただけありがたい話である。

「俺が、何かしに来るのは、お前たちが俺のエンジェル天音に近寄るからだ」

 声だけはその二枚目の顔と相まってかっこいいのだが、言っていることがシスコンである。特にエンジェルの所だけ、なぜ高音だったのだろうか。

「英二、こっちは長年天音に近寄ろうと努力してきた。だが、貴様が何度でも私たちを邪魔して来るせいで、挨拶もままならない。なのに、今回のことはどういうことなのだ」

「っく」

痛いところを突かれたのか、英二は顔をしかめた。

「しかも、今の話は本当か。こいつが、声を、名前を、ばかりか、天音さんのし、神聖な、は、は、肌に」

 卒倒しそうな表情で勝人は頭をふらつかせている。いつの間にか矛先が優陽に変わってしまっていた。他の隊員たちも、

「た、たいちょー、こいつは極刑です。し、死刑にしましょう」

「い、異議なしであります」

「こ、こんな奴、生かしておけません」

 と言って来る。だが、隊員の1人が、思いつめた表情で、

「だが、その手に触れたのであれば、間接的にでも、天音さんのぬくもりを…」

 と優陽に視線を向けてきたので、寒気が優陽を襲う。

「いや、一度も触れてなんて」

 優陽が耐え切れず、抗弁しようとしたが、

「っく。俺も信じられないが、天音が家で突然倒れて、こいつの名前を呼んでうなされていたんだ。こいつに何かされそうになったのは間違いない」

 無視して英二が火に油を注ぐ。

「っく、英二、貴様、どういうことだあああああ」

 勝人はこらえきれず、英二のほうに木刀を振る。優陽のほうにもヒュンと風を切る音が聞こえてくるくらいの速さ。それを何とか避け、距離をとる、英二。

「貴様ともあろう者が、不埒な輩から天音さんを守れなかったというのか」

「っく」

「長年、争ってきた親衛隊の隊長として、これほど、情けないことはない」

「っち。そういうお前も、天音を守るといきまいていたくせに。ま、天音は俺が守るが」

「なにをおおおおお、天音さんは俺が守る。貴様に任せてはおけない」

「ふっ、笑止だな。お前に天音は守れんよ」

「貴様、言わせておけば!」

再び、木刀を打ち下ろしてくるが、横に避ける英二。体勢を一旦整え、木刀を正眼で構える勝人。勝人が素人ではないことは優陽の目にも明白だ。それを避ける、英二も只者ではない。

「所詮、貴様は他人。俺は、天音の兄として、一生守り抜いてみせる」

「だが、家族など、配偶者にもなれない。所詮はその配偶者が天音さんにとってのナンバーワンになる。そして、貴様はそれになることはできないが、おれはなれる!」

「何を言ってる。お前なんぞに天音はやらん」

「お前は天音の父親かあああああ!」

 いつのまにか、二人の戦いになってしまっている。そこで、優陽はそろりそろりと出口のほうへ足を向ける。

「た、隊長、それは親衛隊心得第一条『決して独占することなかれ』に著しく、違反しています」

「そ、そうであります。天音さんは独占するのではなく、親衛隊全員がその行く末を見守ることがこの親衛隊の心得ではないのですか?」

「隊長自ら、抜け駆けしようというのですか」

「うっ。しまった」

 勝人はそんな親衛隊の不審を買ったらしく、窮地に立たされている。

「親衛隊諸君。ここで、新たな心得を訓示しよう。それは」

隊員たちがそんな隊長に姿勢を正して、聞く体勢を示した。勝人体調は口調も重々しく、

「隊長だけは、天音さんを独占しても良い」

 と勝手な宣言。開き直り方が凄まじい。

(なに、この自分勝手な心得?)

優陽は心の中で突っ込んでしまう。当然、そんな言葉を聴いて、隊員たちが支持するわけでもなく、

「なに言ってんだアンタ!」

「こっちは、我慢しているっていうのに」

 と怒りを爆発させている。だが、そんな隊員たちに勝人は逆切れして、喚く。

「ええい、うるさい! 貴様たちも、俺に黙ってよく天音さんに近づこうとするではないか!」

「な、なんのことですか?」

「全然心当たりありませんよ」

(この隊員たち、抜け駆けする気満々だよ)

 隊員全員が目が泳いでいるので、ばればれである。

「そんなことよりも!! 許せないのは、そこの男だとは思わないか、勝人!」

 そんな親衛隊隊長を救ったのは英二。抜け出す瞬間を伺っていた優陽は思わずうろたえてしまう。だが、何とか包囲網は抜けることができている。あとは、タイミングの問題。

「天音の今の敵は間違いなく、この男なんだ。この際、長年のいがみ合いは捨て、共闘すべき時だとは思わないか」

「確かに、目下の罪人はこの男であることには間違いない。天音に近寄る不貞な輩、天音さんに話しかけられただけでなく、不埒なことをしたとのこと! 必ず成敗してくれよう! なあ、皆もそう思うだろう」

「おおう!」

「コロース!」

「うおおおお!」

 隊員たちは当初の目的を思い出すと、怒りが再燃したらしい。

「あ、あのー、決して、僕は不埒な真似などしていないです」

このままではあまりにも一方的なので精一杯の優陽は抵抗をしてみた。だが、隊員たちはそんな声が聞こえていないらしい。皆、準備体操を始めている。

(この雰囲気、嫌)

「さらに、皆にこの情報を伝えておこう」

 英二は今にも飛び掛ってきそうな親衛隊に油を注ぐためか、注意を引いた。

「そいつは」

英二は苦々しげに顔をしかめると、どこまでも不快そうな声で着火剤を放り込んだ。

「そこの男は宇宙人もとい変態者でありながら天音の席の隣だ」

その言葉を告げられた瞬間、その場の空気が確かにひび割れたのを優陽は感じた。

「な、ななな」

「と、ととととなりいいいい?」

目を見開き、どよめく。さらに、静かに英二は言葉を続ける。

「皆、誰もが思うだろう。天音の可憐な顔を隣で見ることができ」

「うぐ」

「その小さな唇から紡ぎ出す花びらのようなその声を間近で聞け」

「あう」

「天音から漂う、甘い果実を思わせる爽やかな香りに、魅了され」

「っぐぐぐ」

「時には天音が落とすシャーペンやら消しゴムやらを拾ってあげることを許され」

「ぎゃあああ」

「その感謝として小さな微笑を恒星のように輝かせてくれる、そんな瞬間を」

「……ゴクリ」

 もはや最悪とも言える雰囲気。皆一様に、歯軋りし、優陽のことを見る目が異常なほど血走っている。英二の絶妙な言葉が確実に、隊員たちの優陽を憎む力へと変わっていくのが優陽には分かる。

「こいつは許されるんだぞ!」

 英二のその言葉を合図にして、優陽に飛び掛る親衛隊。優陽は一目散に出口へ全力疾走する。

「うおおおおおお! てめええええええええ!」

「許さん、もう、許さん! 貴様など、トイレのファブリーズを掛けて、教室に放り込んでくれる! お前は、ファブリーズ宇宙人として、残りの高校生活を送るがいい!」

(なんか、嫌だ。意味が分からないけどソレは、嫌だ)

「ぬるい! 全身まっぱにして、その裸体を大衆の目の前で曝してくれる!」

(こ、怖い、怖すぎる。目が真剣すぎでしょ!)

 優陽は当然ながらつかまるわけには行かない。全力で、廊下を走り、逃げる。

その後、授業の予鈴が鳴るまで優陽は追い掛け回されたのであった。



そして、授業終了のチャイムが鳴り、当直が終了の号令を掛けると同時に、優陽は教室の扉を乱暴に開け、廊下に飛び出していた。一直線に北側の棟に繋がる外廊下に駆け込む。背後で、『宇宙人!』という声がして、喧騒が聞こえてきた。優陽の予想通り、休み時間を狙って先ほどの続きをしに、親衛隊が教室に駆け込んできたのだろう。優陽としては、あんな人数に囲まれてはなす術もないため、先手を打とうとこうして駆け出しているというわけだ。外廊下を抜け、階段を上り、職員室の隣にある部屋をノックする。ここまで全力疾走で駆けて来たため、苦しそうに優陽はあえいでいる。ノックから少しして、

「合言葉を言え」

 恐らく、校長であろう声がした。優陽は合言葉の定番である、

「開けゴマ」

 を吐き出すように言った。

「ブッブー。正解は、『らんま二分の一に出てくるシャンプー可愛いよね』でした。残念だが、ドアは開けることはできない。出直すのだな」

 校長の間の抜けた声に脱力仕掛けたとき、

「葦人さん」

 女性の声が嗜めるように校長を咎めたのが分かった。校長はしぶしぶという感じで、

「入ってきなさい」

 と了承してくれた。優陽はまずは安堵して、まだ荒い呼吸を静めながら『失礼します』と言って入室する。すると、中には見るからに高級そうなソファーの上で、教頭である佳乃さんに膝枕をしてもらって耳かきしている校長の姿。幸せそうに目を細めて、気持ちよさそうな声が耳障りなほどに聞こえてくる。そんな体勢で聞いてくる校長。

「どうしたんだ、ええっと。優陽くんだったかな?」

「はい……。今日は校長にお願いをしにやってきました」

 優陽は神妙そうな表情で校長に言った。その表情から真剣なものを感じたのか、姿勢を正して、ソファーに座りなおしてくれた。そんな様子に少し安心して、

「実は、ほかでもなく、天音さんの件、白紙に戻してくれないかと思って伺いました。つまり、その、クラス替えと隣の席にする件のことです」

 そこまで一気に言って、

「お願いします」

 頭を下げる優陽。それを見て、顔にあるチョビ髭を触って何かを考えるような表情を浮かべる校長。教頭の佳乃さんは、そんな校長の隣に立って静かにしている。

「なぜだね?」

 優陽はその質問に間髪を居れず、

「このままでは、僕の精神が持たないので」

 できる限り、必死に伝えようと顔を上げてはっきりと述べた。眠そうな顔が、少しは起きたか、というレベルにまでなってはいる。

「ふむ、なにやら深刻のようだがね。だが、君は天音さんとこのままでいいのかね?」

 校長は立ち上がると、デスクが置かれている窓の方へ歩き始めた。

「なにやら、生徒の一部が君に反感を抱いているのは知っている。このまま天音さんと接点を持たなければ、確かにある程度は落ち着くかもしれない」

 窓の外を見て、校長は言葉を静かに紡いでいる。

「だがね、それはあまりにも、安直すぎる決定だと私は思う。君は天音君がなぜ、あんなことを、……宇宙人だと君に告げたのか、知りたくは無いのか?」

「そ、それは」

 優陽は問われて、言葉が思わず詰まった。自分としては、この件を早く流してしまいたいと思っている。だが、おかしなことにその時、少女の真剣な目が脳裏に浮かんできてしまったのだ。そんな自分の気持ちが分からず戸惑ってしまう。

「君は流しそうめんを知ってるかね」

「……はい?」

「流しそうめんというのはだね、一見、無駄に見えるかもしれない。なぜ、そうめんを流す必要があるのか、普通に食べればいいではないか」

 いきなり話しがぶっ飛んだ方向に行っているのはなぜなのだろうと優陽は思いながら、辛抱して聞く。

「そうやって、流しそうめんの本質を知らない人間は否定するかもしれない。だがね、一見無駄に見えるこの流しそうめんだが、やってみると、面白いものなのだよ。流されたそうめんを掴むチャンスは限られている、それをいかに多く掴むか。それを楽しむのが、流しそうめんの魅力だ」

「……はあ」

優陽の戸惑いに気づかず、校長は話の結びにかかる。

「人生や青春も同じだ。一見、無駄のように見えることの中に重要なことは隠されていることがある。だが、そんな出会いもやってみなければ、発見しようとしなければ、あるいは時を逃せば、見つけることはできないかもしれない。流しそうめんのように掴もうとしなければ、食べることはできないのだよ」

 校長はそこで話を区切るようにして、優陽に向き直る。

「君は、どう思う? どうする? 普通のそうめんだけを食べて、流しそうめんを食べないか、それとも、食べてみるか、よく考えてみるんだな」

 校長は真剣な顔で諭すように優陽に言った。だが話の内容は流しそうめんを食べるか、食べないかという意味不明なもの。だが、不思議と優陽は笑うことはできなかった。

「しかし、このままだと……」

「私にいい考えがある」

「え?」

「要は、君に反感を抱いている一部の生徒を静めればいいのだな?」

「まあ、あと、宇宙人ではない、ということを」

「それはムリ」

「ええ、そんな?」

 宇宙人疑惑を解消したいという願いは聞き届けられないらしい。

「だが、その一部の生徒を静める解決策を与えることはできる。だが、天音さんとの接点をあえて断ちたいというなら、そのようにしよう。さあ、どうする?」

優陽はそんな真剣な表情に、少し考えた後、顔を上げて答えを返す。

「白紙に戻してください」

「なにいいいいい!」

 校長が驚愕して、

「今のは、普通肯定するところではないかね」

 慌てて言い募る葦人校長。そんな二人のやり取りをおかしそうに笑っている佳乃教頭。優陽は頑なに首を振った。なぜなら、この校長の今までの行動から推察すると、その考えが間違いなく悪い方向になるとしか思えなかったからだ。だが、そんな優陽の思考が正しいことはすぐにわかった。

「ええい! とにかく! こんな面白そうな材料を、このまま終わらせてなるものか!」

 突然、校長が指を鳴らすと、黒服たちが入ってきて、見る間に校長室に機械が運び込まれる。気がつけば、校長は立派な机の前に座っていた。そして、おもむろに1人の黒服が、

「本番、行きます」

 と号令をかけ、指折りで3、2、1、スタートとジェスチャーして、カメラを回し始めた。

「ええ、諸君。私こそ、この学園のボス、吉田葦人である」

「な、なにしてるんですか?」

 状況が飲みこめず、呆然としていた優陽が疑問をぶつける。だが、優陽の口は黒服の1人にふさがれ、動かないよう体を羽交い絞めにして拘束してきた。悪い予感しかしない。

「突然のことで申し訳ないが、天音親衛隊の諸君、そして英二君。君たちはなにやら、坂上優陽君に対して、恨みを抱いているようだね。私は、この学園を統率する者として、この問題について悩んだ。どうすれば、この面白い……、おっと、失礼。この騒動をもっと拡大する方向に、ではなかった、解決へと導いていこうかと苦渋したよ」

 こめかみを押さえて、苦渋を表す校長。優陽はなす術もなく、そんな校長を見ることしかできないでいた。

「そして、ふっと、名案を思いついた。それは……」

 校長はポンと手を打つ仕草をした。そして、一旦言葉を区切って、

「争奪戦だ!」

 大きな声で告げた。その声が校内で響き渡ってリフレインしているような気が優陽にはした。



「名づけて『美少女を巡る男達の仁義なき戦い!』」

校長の無駄に熱い声が校内に流れる。なぜか校内の窓という窓が何かに塞がれて暗くなり、窓や壁という壁に校長の姿が映りだされる。それを見て、「なんだ、なんだ?」「美少女?」「た、隊長」「しばし待て、まずは話を聞くのだ」と一部の生徒が騒ぎだす。

「ルールは簡単だ」

実に楽しそうに朗々と語る校長。無駄なことには、なぜここまで生き生きとしているのだろうか。

「ここにいる優陽君が今から、星河天音くんの家にお見舞いにいく。インターフォンを押すか敷地内に入ったら優陽君の勝ち。だが、逆に、それを阻止できたら、英二君、親衛隊の諸君、そちらの勝ちとなる」

校長が不敵な笑顔を浮かべ、立ち上がる。そしてまたもや指を鳴らすと、部屋が暗くなり、校長の背後で、地図らしき画面が表示された。

「ただし、英二君、もとい親衛隊諸君が天音くんの家から半径30メートルは、優陽くんがその地点に侵入するまで離れていることが条件だ。始まりの時間は放課後が終わり、私が指定するスタート地点へ優陽君には移動してもらい、親衛隊の諸君は自由に作戦を決め、天音さんの家に行くまでの道程に待ち伏せしてもらう。私が皆に合図を出すので、そこでスタートとなる」

 天音の家らしき場所が赤くなっていて、半径30メートルの範囲を円形にして表示されている。優陽が出発する地点は特に表示されていない。どこからスタートするかは分からないようになっているようだ。

「阻止したとする判断は、優陽くんを捕まえて30秒カウントし、経過した場合。もし、親衛隊の諸君が優陽くんに勝った場合、優陽くんを自由にしてもらって構わない。天音さんのクラス替えは取り消そう」

(自由にって!)

ドサクサ紛れにとんでもないことを言った校長に詰め寄りたいが、身動きできないため眠たそうな目で訴えるしかない優陽である。そんな優陽を無視し、

「さらに」

校長の目が怪しい光を帯びた。

「優陽くんを一番最初に捕まえた者に、天音くんの眩しい、とっておきの秘蔵写真を進呈しよう」

 一枚の写真が拡大されると、それを見た瞬間学校の校舎が揺らぐかのような喚声があがった。写真には天音さんともう1人の美少女が水着姿で談笑しているところが写っていた。その写真を見て興奮し、「隣って、まさかあの御坂麻奈か?」「マジかよ!」「天使が二人いいいいいい」「天音さんと御坂麻奈って知り合いなのか……!」「なんと愛らしき顔をしているのだ、嫁にしたい」「水着いいいいい」などと思い思いに叫んでいた。

御坂麻奈とは最近新星のように現われた超実力派のアイドル歌手で、その可愛い外見だけでなく、歌唱力とダンス力で世界でも注目を浴びている有名人だ。優陽でも知っているくらいなのだから、周りが騒ぐのも無理はない。

(なんで、こんな写真を持っているんだろう?)

なぜその写真を校長が持っているのか、優陽は疑問に思ったが、校長という人物自体、謎の生命体なので持っていても不思議ではない様な気もしなくも無い。どっちにしろ口は塞がれているので、問いかけることもできないので、そのことはあまり考えないようにした優陽である。

「ただし。優陽君が勝った場合、この写真は優陽くんのものとなる!」

 校内がまるで音楽の途中で音が止んでしまったオーディオ機器のように静まり返った。そして、静かな殺気を優陽の元に届けている。背中がゾクッとした。

「開始する前に、優陽君に手出しした場合、反則として私からのきついお仕置きがまってるから、しないことをお勧めする」

 忠告するような口調で、校長は言うと、

「では、頑張って参加してくれたまえ。みんなの校長でした」

 そこで放送が終わったのか、ようやく黒服の拘束が解かれた。もはや、何も言う気力もない。人目が無かったら、思わず座り込んでしまうことだろう。

「どうだ。楽しくなってきたじゃないか」

「……楽しんでますね、校長」

 何でこんな人に相談しようと思ったのだろう。今後、何があってもこの校長にだけは話さないようにしようと優陽は心のうちに決めた。

「なにか、憂鬱そうな顔をしているが、大丈夫かな優陽君」

「はあ」

 息をついて、優陽は半ば諦めながら、

「あの、この勝負、僕にはなんのメリットもないと思うんですが……」

「なんだね、この写真ほしくないのかな?」

「……はい」

 校長の心変わりを願うように言った。

「では、勝てたら、何でも優陽君の願うことを一つ叶えよう」

「嘘じゃないですよね」

 優陽としては全然、参加する理由にはならないのだが、先ほどの写真よりもメリットがある。断ったとしても、この校長のことだから強制的にでも参加させられてしまうことだろう。それに、早く平安な日常を取り戻したい優陽としては、この条件で飲むしかなかった。

「ああ、男に二言はない」

「……わかりました」

 優陽は力なく承諾したのだった。




 こうして放課後になると、周囲は争奪戦の準備に入っていた。

『んちゃっす』

某有名漫画家のロボットのような挨拶が突如として始まり、地方テレビ局枠を使って放送されていた。

『突然の放送に戸惑っておられる方がいらっしゃると思いますが、この時間帯は放送予定を変更して、聖峰高校放送部が提供する『美少女を巡る男達の仁義なき戦い』を放送いたします。この番組は我が高校の絶対的権力者の命により、1人の男と、嫉妬に狂う飢えたストーカーたちによる、星河天音さんを巡る熱き戦いを実況放送にてお送りします! われわれは今、ここで起こる出来事の目撃証人となります! 司会は、我が高校が全国一と誇る放送部から一年生の私、進藤未来ミクがいたします』

お茶の間にはテレビを通して、進藤未来と名乗った少女の声が流れ髪をショートにした少女の可憐な顔が映し出されていた。吉田グループの力を持ってすれば、地方のテレビ局を占拠することも造作のないことなのだ。テレビを見ていたおばあちゃんが「あらあら」と笑顔を浮かべながら、おじいちゃんと一緒にのんびりとお茶を飲んでいたその時。ある若者は腹筋をしながら「この子、可愛いな」と見ている時。天音がパジャマ姿で宇宙からやってきたウルル軍曹というキャラクターが地球侵略を目論んでいるシーンをDVDで見ている時。そんな穏やかな夕方の一時、大勢の人が見守る中、準備が推し進められていた。空にはヘリが数台飛んでおり、地上では数十人のカメラマンがその様子を撮れるよう準備をしていた。

『ご覧ください。ここに集まった大勢の参加者の姿です』

 進藤未来が手を向けた方向にカメラが振られると、百名は居るだろう人間達が集まっていた。

『見てください。この方たちは、星河天音さんの親衛隊の皆様です。今回のこの戦いのために集まった方たちです。この熱気、伝わってくるでしょうか』

 進藤未来の言うように皆一様にその表情がやる気に燃えていた。さらに言うと特攻服のようなものを皆が着ており、その背中には天音親衛隊とロゴが入っていた。

『親衛隊の隊長の進藤勝人さんにお話を伺います。勝人さん、これだけの人数、よく集まりましたね』

『うむ。これも日頃の鍛錬と私の人徳の故だろう』

『やけに自信満々ですが、妹から伝言です。「きもいぞ」と』

『おいおい、妹よ。というか伝言じゃなく直接だしな。なんでそんな他人というよりもミジンコを見るような眼差しで見るんだ』

『はて、なんのことでしょう。私には兄が居ないはずですが』

『そ、存在が消されてる』

『いや、しかしすごい数ですね』

『天音さんを愛する聖峰高校の同志だからな。協力員はこの高校だけではない、この放送を見てさらに集まってくるだろう』

『ひとりを相手に大人気ないですね』

『どんな相手も全力を持って応じるのが、男というものだ』

『ひとりの少女のために一人の男と多人数で相手にするのが男ですか。さすがですね』

『そこはかとなくとげを感じるが?』

『賞品のプロマイド、当然、狙ってくるんでしょ? どうされるんですか?』

『もちろん、私が、おっとおほんおほん。写真はみんなで山分けするに決まっているだろう、うん』

『とても怪しいコメントに団員たちの目が何かを訴えていますが大丈夫でしょうか』

『き、貴様ら、何を疑っているのだ。もちろん、俺があの男を捕らえたら、お前らに必ず現像してやる。だから、お前らの誰かが捕まえても必ず俺に写真を渡すのだ、いいな!』

『イエッサー』

『皆、気合入れろおおおおお!』

『おー』

 その声とは裏腹に、「あれ絶対独占する気だぞ、隊長」「俺が捕まえてやる」「捕まえて、自分だけのものにしてやる」と皆が内心思っているのだが、捕まえるという一点のみで団結している。ある意味、合理的な集団である。



 そんなやり取りがされている時、優陽は何故か上靴を履かされたまま黒服たちに連行され、車に乗せられていた。窓から、空を飛び回るヘリの存在を確認して、嫌な胸騒ぎを感じる。いつのまにか事態が大きくなっていっているような気がする。優陽としては、早くこの事態が解決されればと願うのであった。

 車が不意に止まった。車のドアが開けられ、降りるように促されたので、どうやらここがスタート地点のようだ。車から降りると見慣れた場所であることが分かった。そこは正成の家の近くにある川原だった。その川原の茂みの中に身を潜めるよう指示され、言われたとおり隠れることにする。1人の黒服だけが残り、車が走り去る。優陽はどうしたものかと思案していた。先ほど、スクリーンで見た限りでは大体ここから天音の家との距離は15分ほどだ。と考えているうちに、重大なことを見落としていることに気づいた。

「あの、天音さんの家、正確な場所、僕知らないんですけど。地図とか無いんですか?」

「ここに」

 どうやら準備はしてくれたようだ。その地図を受け取って正確に位置を把握する。今いる川原から天音の家に行くには川を越えなければいけない。天音の家は駅前の近くで、ショッピングモールが立ち並ぶ大通りを抜けた先にある一等地が並ぶ高級住宅街の一角にある。まず最初の難関となるのは、見つからないように向こう岸に渡ることだ。見つかってしまった場合、また隠れるにはリスクが高い。一応、逃げ込めて、隠れられそうな場所を頭に思い描いた。そうこうして考えを進めているうちに最大の難関に行き着く。天音の家に行くためには、必ず通らなければ行けない道というものがある。最終的にはその道にたどり着かなければ、優陽はゴールすることはできない。その道にアプローチするために通れるルートは二本に絞られ、当然ながら、そこの道に親衛隊たちが大勢いることが予想できる。高級住宅街は優陽の方向から行くと急勾配の登り坂を通らなければいけず、敵とすれば見渡しやすい。地の利はあっちにある。

(どうしよう)

 優陽が思い悩んでいた時、黒服に肩を叩かれ、携帯を渡された。優陽は不審に思いながらその携帯を取り、耳のほうに持っていった。

「もしもし」

『優陽くんか?』

「そうですけど。その声は校長ですね」

『そうだ。みんなの校長だ』

「えっと、何でしょうか」

 少々うんざりしてしまってなおざりに聞き返す。

『今回、君は人数的に不利なので、三つの助け舟を自由なタイミングで使えるようにした。その携帯のメニューボタンを押してみてくれ』

 言われたとおりに操作すると、三つの画面が表示された。

『一つ目は、パートナー、二つ目は、道具、三つ目は、助けて校長、だ』

「……一つ目と二つ目は分かりますが、三つ目は分からないです」

『三つ目は、特にどうしようもない状況になったときに使うことをお勧めするよ』

 校長の不敵に笑う声に思わず背筋がゾクッとした。

「どうやって助けてくれるんですか?」

『ボタンを押すだけさ』

「ボタン?」

『早速使いたいかね』

「い、いえ。いいです」

 どうせろくなことが起きないに決まっている。優陽としては三つ目を使う事態にならないことを祈るばかりだ。

『使えるのはどれも一回限りだ。考えて使うように』

「……はあ」

『ちなみに相手は百人以上の体制で臨んでいるから、そのつもりでな』

「ひゃ、百人!」

『では健闘を祈る』

「ちょ、ちょっと」

 プツリと電話が切れてしまった。優陽としては、予想外の数に愕然としてしまう。百人も居れば、囲まれてしまったらアウトだ。囲まれないように細心の注意を払う必要がある。より緊迫した心持ちだ。

とりあえず、争奪戦が始まる前に優陽は味方を増やすことにした。携帯のメニューボタンを押し、パートナー画面をクリックする。すると、特殊な効果音が鳴り、しばらくお待ちくださいと表示された。5分くらいして、遠くから悲鳴のような声が聞こえ、それがだんだん近づいてくるのが分かる。すると、先ほど優陽を連行した黒服の車が見えて、車の上に縄でぐるぐる巻きにされた人間が乗せられていた。車が急停止して止まると、上に乗っていた人間が吹っ飛ばされて、優陽が隠れている草むらに向かって飛んできた。

「うぎゃあああああおすうう」

 派手に転げまわりながら、優陽の前で停止した人間は、優陽のよく知っている人物であった。

「だ、大丈夫? 正成?」

「うぐぐぐ。うん? 優陽じゃねーか。そうか、お前もなんだか分からん連中に突然襲われたんだな」

「いや、違うけど。正成は?」

「おれか? 家に居て、晩御飯の下ごしらえをしていたら、突然黒服たちが家の中に入ってきてな。あっという間に連れ去られて、今に至るぜ」

「ご、ごめん」

 優陽が意図したわけではないが、使ってしまった本人として思わず謝罪した。というか、この調子だと何も知らされていなさそうだ。

「で、優陽は何で、こんなところに?」

 正成が聞いてきたので、優陽は今までの出来事をかいつまんで説明した。優陽自身もついていけていない展開を正成に説明するという作業はなかなか難しさを感じたが、何とか内容を伝えることが出来た。

「ふーん。それで、俺はお前を天音っていう、入学式の時の女の子の家に連れて行けばいいのか」

 突然の事態にも関らず、意外と冷静に聞いてくれた。優陽はそんな友人に心強さを感じる。だが、

「って、そのために誘拐するか! 普通!」

 正成はやっと理解が追いついてきたようだ。

「普通じゃないから、こんな事態になるんだよ、正成」

 優陽は今まで1人でこの異常事態に巻き込まれていたため、段々と慣れてきてしまった部分があったが、正成のおかげで、普通ではないことを改めて認識することができた。


 優陽が正成の反応に慰められたその時、

「皆の者、準備は整ったか!」

市内のどこにいても聞こえるくらいの大音量が聞こえてきた。この声は校長だ。

「親衛隊の諸君も配置は決まったようだな。では。『美少女を巡る男達の仁義なき戦い』、スタート!」

 号令とともに合図となる大きな空砲が撃たれ、突如として争奪戦は始まった。



『さあ、始まりました、天音さんを巡って繰り広げられる男達の戦い! 解説は私、進藤未来の相方、深田恭子さんに来てもらいました』

『よろしくねー』

『いやー始まりましたね』

『未来ちゃん、あのね』

『なんですか、恭子さん』

『私はたい焼きだと小倉あんよりもクリームが好きなんだけど、未来ちゃんはどっち派?』

『おっと、ここでいきなりの斜め横発言! 私はどっちかというと、チーズ派だったりします』

『ええー、でも、チーズってなんか邪道じゃないですか。ご飯の上にたこ焼きを乗せるくらい邪道じゃないですかー』

『ここでまさかの論議を巻き起こす発言! だが、チーズ派として、また関西の人たちのために敢えて言いましょう。邪道ではない、正道であると』

 

未来と恭子がそんなことをテレビで放送している間、優陽と正成はというと、橋の様子を探っているところであった。正成が一通り、橋を見てきてくれて、様子を伝えた。

「まずいな、橋のところには必ず1人見張りが居るぞ」

「そうだね」

 できれば、やり過ごしたいところだ。直接行こうにも川の幅は結構広く、その間に確実に見つかってしまうだろう。

「どうしようか」

「渡るなら、近くの車道が通っていて、比較的人通りも多い、この橋がいいんじゃないか?」

 正成が指差すところは、大通りにつながる橋だった。

「え、なんで? 普通、少ない所にしない」

「ああ。普通はな。だからこそ、警戒してる。逆に、見張りが多ければ、注意力も散漫になる。うまくすれば、気づかれない」

「そうだね。問題はどうやって、見張りの気をそらすかだけど」

「しょうがないな、俺が何とかしてやるから、そのうちにやり過ごせよ」

 正成が肩をすくめ、言った。

「俺が合図したら、橋を渡って向こう岸で落ち合おう。いいな?」

「あ」

 そう言うと正成はさっさと土手を登り、橋のほうへ歩いていった。優陽も気づかれないように近づき、正成の合図を待つ。


『おっと、ここで動きがありました。大通りにつながる橋から出てきたこの人物、楠木正成さんと言いまして、校長情報によれば、優陽選手の今回ただ1人のパートナーです』

カメラがクローズアップされ、正成の姿が映し出された。顔を引き締め、その意志の強そうな瞳と相まって、心なしかいつもはボサッとした髪が整えられていて、格好良く感じられる。

『あー、入学式の彼、正成さんって言うんだー。わたしー、彼のこと好きなんですよー』

『落ち着いてください、恭子さん』

 

正成は見張りをしている親衛隊の1人に話しかけた。

「何をしてるんだ?」

「何だ、貴様は?」

 突然、話しかけられて少し警戒をしているようだ。正成はそんな緊張をほぐすかのような自然な振る舞いで言った。

「いや、何か同じ格好した連中が大勢いたからさ、何してるんのかなって思ってな」

「ああ、われわれは天音親衛隊といってな、ちょっとある人物を探しているのだ」

「ある人物?」

「そうだ。人物というか、宇宙人だな」

「宇宙人だって!」

 正成は大袈裟な身振りで驚いて見せた。

「なんだ、貴様、心当たりあるのか?」

「どうした?」

 そんな正成の様子につられ、他の隊員も集まってくる。さりげなくは橋全体を見回すが、集まってきた4人の隊員以外いなかった。正成は言葉を続け、できるだけ注意を引くような口調で言う。

「あそこの方でな、怪しい人間が俺に話しかけてきたんだ。なんでも、人に追われているらしくてな。それで、一緒に『プリントランデブルッソ』と言葉を唱えてくれないかと頼まれてな。怪しいと思った俺はそれを断ってきたんだが……」

「プリント……なんだって?」

「その人物怪しいな」

「ああ、確かに怪しい」

 怪しいというか、本物のやばい人だろう。

「あれが、もしかしてお前達が探している宇宙人のことかもしれない」

「……どうする……?」

「お前が見たそいつはどこにいた?」

「あれは、あっちだったかな」

 優陽が隠れている場所の反対にある川原を指差す正成。

「よし、俺とお前で様子を見てくる、二人はここに残れ」

「分かりました」

 二人が駆けていくのを見て、正成は優陽にこっちに来るようさりげなく手招きする。優陽はうなずきそろそろと歩き出す。

「そういえば、ここにずっと待ってるのも大変でしょう? 正直暇でしょう」

「……ああ、ただ立ってるだけとはいえ、こっちに来るとは限らないからな」

「おい、そんな事言ってる時に限ってくるもんだぞ」

(まずい)

 優陽はもう、橋を歩いているので、見回されたらばれてしまう。もう駄目か、と優陽が目を瞑ったが、

「いやいや、そんなこと無いですって。それよりも、こんなときの暇つぶし、やりましょうよ」

「暇つぶし?」

 どうやら、正成は意図的に二人の視線からは死角になるような位置に移動して優陽が見えないようにしてくれたらしい。絶妙な動きである。

そして、そんな正成が提案した遊び、それは……。


『正成選手、ここでまさかの影送り作戦! 二人は自分の影に夢中で優陽選手が橋を通っていることに気づいていない!』

『すごいー』

『やっている本人達は気づいていないですが、影送りしている姿は間抜けです』

『あははははー、うん?』

『どうしました、恭子さん?』

『いやー、気のせいかなー、聞きなれた声がしたようなー』


「正成いいいいいいいいいい!」

「うん?」

 正成が隊員と一緒に影送りをしていた時、声がしてその方向に正成が向くと、1人の少年が立っていた。優陽もその人物の姿を確認して額におもわず手をやる。

「俺と、恭子を賭けて男の勝負だ!」

「は?」

 目が点になって聞き返す正成。空を仰いでいた隊員たちも声の方向を向く。

「優陽のパートナーだがなんだか知らねーが、貴様にこれ以上、恭子の心をたぶらかさせるわけにはいかねー!」

 速人であった。全身に怒りのオーラもとい嫉妬の炎を燃え盛らせて、どうやら、テレビで見て、すぐさま駆けつけたようだ。そのスピードはマッハを超えていたことだろう。

「優陽って、宇宙人のことだよな」

「パートナーって」

「そういえば、こいつ、入学式の時の奴に似ていないか?」

 ギクッとする正成。顔を見られないようにそらした。優陽も思わずその場で硬直してしまう。

「何をしている、こいつが優陽だ!」

「!」「っち!」

 速人が優陽を指さした瞬間、正成は駆け出した。突然のことに戸惑っていた隊員たちだが、首元につるされていた、笛を吹く。甲高い音が周囲に響いた。恐らく、見つけた時の合図なのだろう。

「優陽には悪いが、お前には正成って奴を叩きのめすための捨石になってもら!」

 速人が硬直している優陽の体にタックルしようと駆け出しながら言った台詞の途中、彼の視界は真っ黒なものに塗りつぶされたのだった。


『おおっと、ここで正成選手、容赦ないとび蹴りを相手に食らわした! その動き、獲物を駆るチーターのような速さ!』

『あはははー、速人くん、弱い』

『ですが、ピンチであることは変わりありません! これで、優陽選手の居場所が敵に知れ渡ってしまいました! 優陽選手と正成選手、無事に逃げ切ることができるのか!』

『頑張れー、正成くん』

『速人さんは完全に忘れ去られていますね、恭子さん』


「やばい、囲まれるぞ、優陽」

 元々、運動が得意ではない優陽なので、走るのはそんなに速くない。なので、迫ってくる追っ手を交わすために逃げていはいるが、このままでは追いつかれてしまう。正成が陽動しようにも、正成の顔が親衛隊に浸透していないだろうから、効果は薄いだろう。

「このままじゃあ、捕まっちまうぞ! 優陽!」

「っく、仕方ないか」

 優陽はあらかじめ隠れることにしておいた建物の陰に走った。後ろから迫ってくる足音が聞こえるので、ここまで追いかけてくるに違いない。だが、優陽がその場所に入ったのは、複数の建物が入り組んでいて、細かな路地になっているため、追っ手をまきやすいからだ。角をジグザグに走り、適当な場所に見つけた階段の裏に身を潜める優陽と正成。

「優陽、ここにいたら見つかるのは時間の問題じゃねーか!」

「分かってる」

 荒い息を吐きながら、優陽はポケットに入れておいた携帯を取り出し、メニュー画面をくリックし、祈るような気持ちを込めて、道具ボタンをクリックした。するとまたもや特殊な効果音が鳴り、しばらくお待ちくださいと画面に表示される。焦る気持ちで待っていると、少しして黒服がぬっと現れ、でかい袋を置いて立ち去った。

「なんだ? これ」

「分からないけど、とにかく開けてみるしかない」

 その袋を開けて取り出すと、中に入っていたものは二人分の何かの衣装であった。

「こ、これは」「うっ」

 その衣装を見て、二人は固まった。だが、ドタドタと足音が聞こえてきて、

「居たか?」「こっちには居なかった」「こっちもだ」「じゃあ、あっちだな」と声がして、考える間もなく、着替えはじめる。その衣装はチャックではなくつなぎになっていて、最後に頭部を装着する方法であったため、戸惑ってしまって着替えるのが遅くなってしまう。焦りながらなんとか頭を装着したときカチッと音が鳴ったような気がしたが人が近づいてきていたのでそれを気にする余裕はなかった。走ってきた隊員たち。目を瞑る優陽。そんな正成と優陽の姿を見る隊員。その目に映ったのは。


『こ、これは子供たちに大人気のウルル軍曹とパンダのぬいぐるみだ! 逃れるために着替えたようですが、これは大きな賭けに出ました! あまりにも不自然な場所! しかも何の関連性も無い異色のコラボ! 親衛隊、気づくことができるか!』

『あははー、可愛いー』


「ウルル軍曹だ」「パンダだ」「何でこんなところに?」「なんだ、貴様達は」と親衛隊は当然ながら不自然な場所に居る、その着ぐるみに向かって声をかけてきた。どうしようかと逡巡した優陽だが、正成が反応した。

「うん? なになに、怪しい者じゃありません? ただのパンダとウルル軍曹です?」

 正成が扮するパンダはなぜかサインボードを持っていた。ささっと別のサインボードに持ちかえる。

「それよりも、先ほど二人組に男子が駆け抜けていきましたが、何だったんでしょうか? 何! それは確かな情報か!」

 パンダとウルル軍曹の着ぐるみが頷く。中々、可愛らしいといえば可愛らしく、シュールといえばシュールである。

「そいつらだ! 行くぞ! くそ、ただのパンダとウルル軍曹が気になって時間を食ってしまった! 皆の者、行くぞ!」

「パンダまたな」「じゃあな」と少し珍しそうな視線で正成と優陽が扮する着ぐるみに手を振って駆けて行く隊員たち。


『何と、切り抜けた! 着ぐるみ作戦成功です! いやー。驚きましたね、恭子さん』

『私、あのパンダみたいなの、どこかで見たことあるー』

『ちょっ、恭子さん、気のせいですよ、それは』

『そうかなー、アニメで見た気がー』

『いやいや、それ以上は、もう禁則事項です、恭子さん』

『えー、それもどっかで聞いた気がする』

『おほんおほん、さー、盛り上がってきました、争奪戦。果たして、優陽選手は無事に天音さんの家に辿りつくことができるのか!』

『あ、今、誤魔化したでしょー』


 一息ついて、正成と優陽はとりあえず着ぐるみを脱ごうとした。だが、

〈うん?〉「あれ?」

 おかしなことに着ぐるみの頭を脱ごうとしても脱げないことに気づく。力いっぱい引き抜こうとしても抜ける気配が全くしない。そこで、着替えるときに地面に落ちた携帯が鳴った。悪い予感がしたが、着ぐるみのまま優陽は携帯に触れる。すると、メールが届いていたので、開いてみると、

『言い忘れていたが、二番目の道具を着用した場合、外せるのはこの争奪戦が終わってからだぞ☆ 校長でした』

 優陽はおもわず倒れかけた。そんな優陽を受け止めながら、

〈どうした、優陽、何があった?〉

 サインボードを掲げて聞いてきた。

「どうして、サインボードで?」

〈なぜか、この着ぐるみを着用した瞬間、こうするような衝動に駆られて〉

「どこから出てるの、そのサインボード」

〈分からん〉

「分からないって」

〈それよりも、どうした?〉

「いや、あの」

 携帯を見せて正成に見せる。その内容を読んだ瞬間、

〈なにいいいいい! じゃあ、おれ、このまま、声なしか!〉

 と文字を太くして驚きが表現されたサインボードを掲げた。

「いや、普通に喋ればいいんじゃないかな、正成」

 このままの姿で天音さんの家にたどり着かなければならないらしい。良く言えばかなり意外性のある格好。悪く言えば、どこからどうみても目立つ格好だ。ただでさえ絶望的な状況なのに、と優陽は頭を抱えずには居られなかった。とりあえず、携帯を着ぐるみについていた鞄の中に入れて、

「どうしよう」

 そう呟く。そして正成がそんな優陽(ウルル軍曹)の肩を叩き、

〈こうなったら、開き直ろうぜ〉

 何故か表情は分からないはずなのに、パンダの妙な気迫が伝わってくるのであった。


『面白い展開になってきました! ご覧ください、堂々とパンダとウルル軍曹が、街中の、ショッピングモールが立ち並ぶ店の大通りを歩いております。敢えて、敢えてこの格好で歩く勇気は賞賛に値する行為です!』

『あははー、私、触ってみたいー』

『確かに! こう見ると可愛く見えてきますね! ですが、間違いなく目立っております。ここを抜けて、一気に天音さんの家に近づくことができるのでしょうか!』


ざわざわと周りが騒いでいる。それもそのはず、街中に目立つ着ぐるみが闊歩しているのだから。親衛隊にもしっかりと見られている。だが、堂々としているからなのか、声をかけられることはなかった。見られるたびに優陽の心臓の鼓動は騒いでいた。羞恥心もあり、逃げ出したい衝動とも闘わなければならなかった。子どもが後からついてきて、「あー、パンダだ」と抱きついてきたり、「ウルル軍曹、あれやってー」とせがまれ、「ウルル軍曹でありませーぬ」と言わなければいけなかったりした。大通りを抜ける頃には疲労は十倍ほど増加していた。だが、それが幸いしたのか、難なく抜けることができたのだった。

〈案外、いけるもんだな〉

「うん。でも、このまますんなり行くかな?」

〈さあ〉

 パンダは肩をすくめながら小さめな文字でサインボードを掲げた。どうやら、そうやって静かに話していることを表現しているらしい。しばらく歩を進めていくと高級住宅街の方へ登るための入り口が見えてきた。だが、

〈まずいな、検問ができている〉

「うん」

 親衛隊の格好をした人間が通せんぼしていて、入るのが難しい感じだ。きっとこの着ぐるみも脱ぐよう、言われるだろうと容易に予想できる。そう思った矢先に、

「そこのお前達、怪しいな」

 声がかけられてしまった。その声の方向を向くと、親衛隊の隊長である勝人がこちらに歩いてくるのが分かった。できるだけ平静を装いつつ(着ぐるみ姿なので顔は見えないはずだが)応対する。

「ちょっと顔を見せてもらおうか」

「えっ?」

 優陽と正成は顔を見合す。

「うん? 今の声……貴様は宇宙人ではないか!」

 今の驚きの声で見分けたらしい。不覚を取った優陽である。

〈違いますよ、何ですか?〉

「貴様ではない! ウルル軍曹か……、ふっ、お前らしい格好だな、宇宙人。それが、本来のお前の姿なのか、まあ、いい。みんな囲め!」

ジリジリと迫ってくる、親衛隊。少しずつ後退する優陽と正成。緊迫した状況である。汗がぬいぐるみを着た二人の背中から流れ落ちている。だが、それとは正反対に着ぐるみの顔はどこまでも間の抜けた顔を曝していた。

どうしたものかと正成と優陽も思案していたところに、怪訝そうな表情を浮かべた1人の少女が自転車を押しながらこちらに歩いてくるのが見えた。それを見た正成が、

〈しめた! 走れ、優陽!〉

サインボードを掲げながら突然走り出す正成。それにつられる様に駆け出す優陽。

「逃げたぞ! 宇宙人だ! 追うぞ!」

 勝人の怒号とともに声が上がり、追ってくる親衛隊。

「えっ、えっ?」

 自転車を押していた少女、坂上麻衣の方に向かって疾走してくるパンダ。その後を追うように懸命に走ってくるウルル軍曹。その後ろを鬼のような形相で迫ってくる勝人率いる親衛隊。突然のことにパニックになっている麻衣に向かって、

〈その自転車を、貸してもらうぞ! 麻衣!〉

 サインボードを見せた。困惑と恐怖に彩られた表情を見せている麻衣だったが、その文字に何かを感じ取ったのか、

「まさか、正成?」

 と聞いてきた。後ろの喧騒でかき消されてしまったが。

 奪い取るようにして、麻衣から自転車を受け取ると、すばやく高さを調節してサドルに乱暴に乗っかった。優陽も自転車の後ろに乗っかると正成は勢いよくペダルを漕ぐ。自転車が勢いよく走り出した。

「飛び掛れ!」

 勝人の指令により飛び掛った隊員たちだが、少しの差で優陽もといウルル軍曹のぬいぐるみを掴むことなくその手はむなしく空を切った。冷や汗をかいた優陽であるが、正成の運転に振り回されそうになっていたため、意識はそっちに飛んでいた。

「ちょっ、正成、落ちるって」

 だが、そんな優陽の言葉に反比例して自転車は加速していく。目指すは、高級住宅街の上り坂。すごい勢いでペダルを回すパンダ。その迫力に検問していた隊員たちが腰を抜かしていた。

「おい、ちょっ!」「マジかよ!」と隊員が叫ぶ。


『おおっと、ここでパンダすごい勢いで検問に迫っていく! 恐ろしい! パンダの凶暴性をうかがい知ることができます。パンダの突進を誰も止めることができない!』

『パンダー、すごー』


〈ど、けええええええ〉

片手でサインボードを掲げ、親衛隊を蹴散らすように検問を抜けた、正成。そのままの勢いで登り坂を走る、が段々勢いが無くなっていき、遂には止まってしまった。

〈っく、ここからは走るぞ!〉

 ここまで来たら勢いで駆け抜けるしかない。半径30メートル圏内はあともう少しだ。優陽がその圏内に入るまでは親衛隊は入ることができないため、そこには親衛隊は配置されていないはず。検問に相当の人員をかけていたので、もう片方の道にも同じように居たとしても、短時間までここまで坂を登ったおかげで対応が遅れているはずなので、チャンスは今しかなかった。


『親衛隊の包囲網を抜けて、パンダとウルル軍曹全力疾走で坂を登っていく! その光景は可愛らしいようでいて不気味です!』

『あははー、面白い、パンダ必死すぎー』

『しかし、それを追いかける親衛隊! 怒涛の勢いで走る人間が1人居ます。親衛隊隊長、進藤勝人! 必死すぎて顔が痛いことになっていますが、とにかく凄まじい!』


「待てええええええ! 貴様達にはやらせはせん! やらせはせんぞ! 天音さんのプロマイドは俺のものだああさああ!」

後ろから鬼の形相で迫ってくる勝人。だが、ここで優陽と正成は登り坂を登りきり、三叉路に行き当たった。左に行けば、天音の家。だが、前方を見るとそこには最後の敵がいた。そう、今まで不気味なまでに現れなかった人物。

「待っていたぞ、優陽」

 日が沈み、真っ赤に染まりつつある西日を正面に浴びたその人物。星河英二その人である。


『クライマックスに差し掛かってきました、『美少女を巡る男達の仁義なき戦い!』。 ここで最大の山場となる場面に出くわしました。正面には天音の家に抜ける道。その先を抜ければもう誰もいない半径三十メートル。だがしかし! そこに誰も配置していないわけが無い! 前方には我が高校が誇る生徒会副会長、星河英二! それに親衛隊隊員4名! 絶体絶命です! 優陽選手(ウルル軍曹)と正成選手パンダには後ろに下がるという選択肢はもはやありません。なぜなら! 後ろには多数の親衛隊が追ってきているからです! 勝つには前にしか活路はありません! さあ、ピンチをチャンスに変えてくれ!』

『あははー、頑張れー』


前方に加え、さらに後ろも勝人が追いついてきていた。優陽と正成は、お互い目配せする。

〈もう、行くしかない!〉

「うん!」

ここまで来たのだ、負けたくない気持ちが優陽にも芽生えていた。それは不思議に優陽を高揚させ、それでいて、冷静にさせていた。

「正成、直前まで真ん中を走って、一気に左方向に走って。僕は正成と同じタイミングで曲がる。そしたらそのまま正成を盾にして走り抜けるから」

〈おいおい、オレは捨石か?〉

 おそらくパンダの顔の中で朗らかに笑っているであろう正成が、サインボードを掲げ、走りながら肩をすくめた。優陽は覚悟を決めて、最後の全力疾走を仕掛けた。

「むっ」

 突っ込んでくるのかと英二は思い、体勢を整え、構えを取っている。親衛隊も肩をがっちりと組み、衝撃に備えている。

〈行くぞ!〉

「うん」

 いきなり方向転換した正成に親衛隊の4名はついていけなかった。加えて、同じタイミングで方向転換した優陽の姿を見失っている。阿吽の呼吸で示した、優陽と正成のコンビネーションはまさに圧巻の一言であった。だが、しっかりそれに反応していた人物が居た。星河天音の兄、英二である。巧みに正成の(パンダの)足を払い、それに足を取られた正成が転ぶ。正成は転びながら英二の体にしがみつこうとしたが、避けられる。だが、その少しのタイムラグによって、優陽が前方に抜けることができた。その先は半径三十メートル。障害となるものは最早、何もない。あとは走り抜けるのみである。

「っくううう」

 お腹から搾り出すように、優陽は叫んだ。


――天音の家まであと三十メートルだ。ぬいぐるみのせいで重たい体を必死になって前へ運ぶ。

――あと二十メートル。天音の家が遠くに見える。たった二十メートルが。動かす足が遅くてもどかしい。

――あと十メートル。インターフォンの位置を確認した、その時だった。

「させるかあああああああ!」

後ろからの衝撃。英二が渾身のタックルを優陽に仕掛けたのだ。一瞬、感じた浮遊感。腰にしがみつかれて、体感速度としてはゆっくりと吸い込まれるように近づいてくる地面を優陽は見ていた。そして、そのまま地面に倒れ伏す。

《ズガガガガガ!》

 感じる摩擦。アスファルトの匂いが鼻腔を刺激する。着ぐるみが幸いして大怪我になることは無かったが、それでも手に擦り傷ができたのがわかるチリッとした痛みを感じた。


『おおっと、ここで優陽選手、捕まってしまった。これからカウントされます! このまま終わってしまうのか!』

『はうううー、イタそー』


 黒服が現れカウントを開始した。

必死にもがくが英二はしっかりと捕まえており、離さない。

「っく!」


『おっと後ろでは、パンダ奮闘しています! 後続で来た勝人隊長などをなんとか押しとどめている! すばやい動きで足を払い、蹴飛ばし、勝人隊長の木刀を白刃取りで止めている!

まだ、逆転を信じて闘っている! だが、優陽選手、ここまで来て、逃れることができない!」

『ウルル軍曹! パンダ、頑張っているぞ!』


――カウントはもう少しで二十を切ろうとした。

 逃れようと足掻いてはいるが、逃れられる気が全くしない。負けたくないと力いっぱい思いつつも、逃れることができない。

「っく」

 奥歯をかみ締める。そんな時、鞄からカランと音がして何かが落ちた。携帯である。

『三つ目は、特にどうしようもない状況になったときに使うことをお勧めするよ』

 そんな言葉が脳裏によぎる。その時は全く使おうとは思わなかったが、今は。今だからこそ。

力をふりしぼり、携帯を掴み、

「っくううう!」

 異変に気づいた英二がそれを止めに掛かったがもうその時は三つ目の画面をクリックした後だった。

――カウントが十秒を切った。

 特殊な効果音が鳴り、校長の声で、

『使ったね! ポチッとな』

 するとキューンと音がした。その音の発信源は優陽の足から聞こえてくる。

――カウントが五秒を切る。

 足元から光が灯り、

『おっとどうした! 突如としてウルル軍曹の足が光った』

優陽の靴が勝手に動く。

「え?」

――カウント四秒

 英二ごと優陽は立ち上がった。膝を屈伸させる。自分の足なのに自由が効かない。

「ちょっと」

――カウント三秒

「うわあああああああ!」

 そのまま優陽は天音の家に向かって凄まじい速度で飛び上がった。天音の家の門を抜け、天音の屋根の遥か上まで飛び上がった。何がなんだか分からない、優陽。優陽の体に掴んだまま離さなかった英二も一瞬のことに絶句している。

『おおっと、優陽選手、消えたああああ』

 あまりの速度にカメラもついていけていない。

――カウント二秒

 優陽は空中に浮いたまま、ちょうど子どもの頃見たアクションヒーローが怪物を倒す時に使った技のような格好を何故か自分の意志とは関係なく取らされていた。

――カウント一秒

 天音の家に優陽はこの前の隕石のように落下する。


《ズドーン》


 こうして、天音の家の屋根を突き破り、丁度、天音の居た部屋にウルル軍曹は着陸を果たしたのであった。

当然ながら、この人間離れした出来事に周りが騒がないはずがなく、

『これはどうしたことでしょう! ウルル軍曹に扮した、優陽選手が消えたと思ったら、家の屋根に何かが飛び込みました!』

『うわー、なになに、どうなったの』

『どうやら、優陽選手、一瞬で空に飛んで、屋根から家に侵入をしたようです! いやー、人間業ではない! まさに宇宙人だからこそ、できたことでしょう』

『宇宙人すごーい』

 とテレビを通して、放送された。

優陽には災難なことだが、この出来事により、優陽の宇宙人説は有力視されることになったのである。

その後、部屋を出て行った天音に変わり、音を聞きつけた天音の母親が出てきて、壊れた屋根に卒倒していたが、そこは今回の最高責任者たる吉田葦人校長自ら説明し、しっかりと校長が怒られていた。どうやら、校長と天音の母親は知り合いらしい。あの異常な動きの原因は優陽が履いていた上靴。一見、他の生徒と同様の靴のように見えるが、その実、校長自ら設計したスーパーキックシューズである。その目的は変身ヒーローに影響された校長が、生徒がもしもの時、護身用に使えるように開発したものらしい。試験として、1人の生徒をランダムに選定して、履いてもらうことにしたらしい。そして選ばれたその生徒というのが遅刻してきた優陽というわけだ。

結局、修理等はすべて、吉田校長が受け持つことで合意となった。怒られて涙目になっていた校長は、

「そもそも、使った優陽くんが悪いんじゃないか」

 と言い訳しようとしていたが、

「なに、言い訳してるんですか、校長」

 と天音の母親に睨まれ縮こまっていた。

「あなた、後で、……分かってるわよね?」

 教頭のそんな怪しい笑顔に、凍ったような顔になった校長も印象的であった。




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