01
その人は、学校から家までの中間に位置する公園の入り口に立っていた。
黒いスーツに赤いネクタイ。長い金髪を一つに縛っていた。顔立ちが綺麗なので、ホストとか、そういう職業の人なのかもしれない。とにかく、サラリーマンには見えない。
「お嬢さん」
始め、それが自分にかけられたものだとは思わなかった。あまり、道を歩いていて、呼び止められることがない私だ。
平凡を絵にかいたような私は、影が薄いらしく出席確認の時も良く担任から忘れられて飛ばされることがある。ごめんね。白井ちゃん。わざとじゃないのよ。担任のゆき先生はすまなそうに言っていつも肩を落とす。
「カラスみたいに真っ黒な髪のお嬢さん」
もう一度抑揚のない声が背中に当たった。
近くには誰もいない。私はようやく振り返った。
でも、カラスみたいとはひどい言い種だ。けして誉めてはいないだろう。
ちなみに、うちの女子高は校則が厳しくてみんな黒髪だ。
「ああ、やっと振り返って下さった。私、こういうものなんですが。」
彼は名刺を差し出して、戸惑っている私の手に無理矢理に握らせた。
「Sex株式会社、開発部部長 烏丸 蒼」
私は馬鹿正直に声に出して読んでから気がついた。なんて卑猥な会社名なのだろう。AVでも撮っている会社なんじゃないのかと、眉をひそめた。
「実は、モニターをお願いしたいのです。」
烏丸さんはごそごそと鞄を探って、綺麗に包装されたビニールを取り出した。もちろん、それは卑猥なグッズ、ではなかった。
「アイマスク」
「ええ、何の変哲もないピンクのアイマスクです。ラベンダーの香りがします」
正直、面倒だと思った。アイマスクなんかに何の興味もない私だ。
「難しいことは何にもありません。ただ、感想をこの用紙に記入していただくだけです。」
そういって、烏丸さんはまたしても用紙の入っている封筒を押し付けてきた。
「少ないですが、謝礼です。」
白い封筒を開けてみると五千円が入っていた。私は財布の中が、今月寂しいことを思い出した。
「やっていただけますね」
「はあ。」
割りの良いアルバイトだと思えば、頷かない理由は特になかった。
「書いた感想は、会社の方に郵送すれば良いんですか?」
「いいえ。明日、ご自宅の方に引き取りに伺いますので」
「明日。わかりました。」
明日、ということは今日さっそくアイマスクを使わねばならない。けれど、五千円もらった以上は文句は言えない。
烏丸さんがいつまでも、去っていく私に手を振っていた。ゆらゆら小振りに揺れる彼の手はとても青白かった。
家について、玄関の扉を開ける段階になってやっと私はそれを疑問に思った。
烏丸さんが私の家の場所を、何故知っているのだろうか。
私は途端に恐怖を感じた。やはり、断るべきだったのかもしれない。そもそも、本当にSex株式会社なんてものが存在するのか怪しいものだ。
「雪穂、邪魔。どいてくれよ。」
「ヒッ」
急に背後の扉が開いて驚いた。
首だけ向けると、兄の司が背後に立っている。私の兄とは思えないくらいにこの人は目立つ容姿をしていた。とにかく顔がよかった。明るい茶髪はサラサラだし、しかも小顔で、睫毛なんかは女の私よりも長い。そんな彼にも弱点はあり勉強が嫌いだ。
「その手に持ってるの何?」
「学校の書類!」
私は咄嗟に嘘をついて封筒を隠した。こんな奇妙な名前の会社のモニターを引き受けただなんて、兄さんにだけは知られたくなかった。ただのアイマスクのモニターなのに、何故だか知られたらいけないような気がした。
「ふーん。」
兄の司は基本的に妹の私には興味がない。私の肩を乱暴に押し退けてリビングへと入っていった。どうにも彼は綺麗な顔のわりに乱暴者である。
部屋は一軒家の二階にあり、兄の部屋の隣である。
私はその夜、ピンク色のアイマスクを着けて眠った。烏丸さんに押し付けられた封筒は机の上に、中身を見ないまま放り出してある。
アイマスクからは、確かに烏丸さんの言うとおりラベンダーの香りがした。これを着けて眠り、あとはアンケートに答えるだけ。これで五千円とは良いアルバイトだ、と私は安直に考えていたがとんでもなかった。
うまい話には裏がある。
「ようこそ。いらっしゃいました。封筒の中のルールブックはご確認いただけましたか? 確認していない? ダメだよう。そんなんじゃ、キミ。ええ、いけませんとも。」
その子は黒のゴスロリを着こなした、フランス人形みたいな外見の幼女だった。お目目がぱっちりしていてたいへん可愛らしい。艶々の金髪は柔らかそうだった。
「私、ビギナーのお客様への説明を担当させていただいております。ララと申しましす。よろしくどうぞー」
「え?」
そもそもここはどこなんだ。私は自分の部屋でベッドに入り寝ていたはずである。私は大いに混乱していた。
白い四角い部屋に私はいた。そこにはベットも机もクローゼットも何にもない。簡素な四角いだけの空間だった。
「ここはまだ入り口ですので、殺風景ですがご容赦くださいませ。ませませー。烏丸氏が簡単にご説明したと思いますが、ラブリーアイマスクを着けた時点で、参加意思ありと見なされます。相手を落とした場合は百万円が運営側から支払われます。逆に、落とされた場合は百万円をきちりきちんと現金で、お支払いただきます。ここまでで、質問はございますでしょうか?」
質問だらけですよ。
「そもそも落とすって? どこから?」
「いやですねえ。いやだあ。恋に、ですよー」
無邪気に、幼女ララは笑った。私も笑い返した。
「鯉?」
「それはエラ呼吸のお魚さんです。」
沈黙が白い部屋に落ちる。声を先に上げたのはララだった。
「ようは相手をメロメロにすれば良いのです。メロメロのグズグズの腑抜けにして侍らせれば良いのです。」
「えっと、それどっちも好きにならなかったら、どうなるの? そもそも、恋に落ちたかどうかなんて、どうやって判断するわけ?」
大金が動くのだ。誰も自分から惚れちゃいましただなんて言うわけがない。百万円も払うなんごめんだ。
ララはよくぞ聞いてくれました、というような顔で嬉々と口を開く。
「どちらも恋に落ちなかった場合、つまり引き分けの時には双方ともに運営側に五十万円お支払ください。恋に落ちたかどうかの判断は、ラブリーアイマスクがもろもろの技術で数値化しておりますので間違いございません。」
「もろもろ?」
「もろもろ、でございます」
滅茶苦茶だ。
そもそも私はアイマスクのモニターとしか聞いていない。詐欺だ。詐欺でないなら夢だ。頬っぺたをつねると痛いし、涙まで出てくるけれど夢に決まっている。
「ルール等をもっと詳しく知りたい場合は、目覚めた後に封筒の中のルールブックをご確認ください。」
目覚めた後。ほらね、やっぱり夢だ。