裕太の想い
「豊」
俺が始めて恋をしたアイツは……西条豊のことを下の名前で呼びやがった。
「ねぇ、新鮮でいいでしょ。豊って呼ぶね」
豊は戸惑うこともなく、頷いていた。俺はただ、その様子を影から見守るだけで、何も出来なかった。声をかければよかったのかもしれない。でも、俺には見せた事のない笑顔でアイツは笑っていた。悔しかった。アイツの笑顔が欲しいのに、親友の豊がこの時だけ憎かった。
「どうしたの、坂口……」
いつもの場所で、雲を見上げていた時だった。聞きなれない声がしたので、後ろを振り向くと、そこには普段はポニーテールにー結ばれている髪の毛を下ろしている秋田彩佳の姿があった。
「別に……」
俺は、どうでもよさそうにまた目線を空に向けた。
「別にって顔してないわよ、どうしたの?」
「どうもしてねぇし……」
そういえば、こうやってちゃんとした会話を交わすのは、初めてかもしれない。ふだん、滅多に話すことのない秋田彩佳は、自分から声をかけてるところなんて見た事もなかったから。だけど、俺に話しかけてきた時は吃驚などしなかった。言葉は悪いが、俺は実際、秋田彩佳がどうでもよかった。
「利穂のことだよね?」
秋田彩佳は、まるで何もかも知っているかのように、俺をつぶらな瞳でいつも見ていたのだろうか。
俺は、ちょっとだけ唇をかみ締めた。俺がその質問に答えないで黙っていると、彩佳は口を開いた。
「あのね、私……西条が好きなの」
その言葉を聞いて少しは驚いた俺は、顔を下げそして、後ろにいる彩佳を見た。彩佳もずっと俺を見ていたのか分からないけど、目が合った。
「本当はね、利穂も西条のことが好きなのよ、だから……」
間を空けて、すぐに続きを言うのかと思ったら、中々言わなかった。
「だから?」
「だから……恋より親友を選ぶの」
哀しそうに微笑む彼女をみたのはこの時が初めてだった。むしろ、笑っているところさえ見た事がなかった俺は、こんな顔をする彩佳に驚かされた。
そして授業の予鈴が聞こえると、彩佳はそそくさと出口の方へ行ってしまった。
「おい、待て」
俺がそう呼び止めると、彩佳は振り向きもしないで「何?」と答えた。
「お前……もっと素直になれよ!」
後ろ姿の彩佳は鼻でフッと笑ったのが分かった。
「あなたに言われたくはないわ、それに、私に今後一切、指図しないで……今度私に指図したら……」
そこで一旦言葉を切ると、俯きながら呟いた。
「……わよ」
風の音と、彩佳のあまりにも小さい声で何を言っているのか分からなかったが……俺にはこう聞こえた。
殺すわよ
ただの気のせいだったかもしれない。だけど、俺はそう取った。
それは、まだ入学して……一ヵ月半が過ぎた頃の出来事だった……。