7.キキテキカレシ
久々に外に出たレイナードは、その明るさに目を細めた。
明るい。どうやら、昼間だったらしい。
鬱蒼と茂る森にポツリと佇むこの屋敷は、レイナードの両親が所有している別荘のひとつだ。普段は管理人を入れて管理してもらっているところを借りたのである。
由羽とゴールデンウィークの間使いたいという理由で借りたのはいいが、聡い両親は気づいていたであろう。それでも貸してくれたということは、それだけ信じてくれているということだ。
それが余計に、レイナードの背中を押した。
彼はやってくる侵入者がいる方角に目を向ける。
数あるトラップをくぐり抜けてきている。そしてその速度もなかなかだ。そして空気からなんとなく、レイナードは気づく。
「……同類か」
思わず舌打ちが漏れる。
レイナードの父親は吸血鬼だ。それも、相当強い。種族の中の地位も高く、周りからは憧れられると同時に恐れられてもいた。
ゆえにその息子たるレイナードの周りには、同族があまり絡まないようになっていたのだが。
面倒くさい、とレイナードは思う。
吸血鬼は人外と中でも暴力という意味で強い種族だ。今までの雑魚とはわけが違う。
しかしレイナードの想いは、ただひとつだった。
「同族だろうとなかろうと、由羽に手を出そうとするなら殺すだけだ」
今までだってそうしてきたし、これからだってそうするつもりだ。
その揺るぎない気持ちだけを抱え、レイナードは森の中を駆ける。
由羽が眠る屋敷に、侵入者を近づける気などなかった。ゆえにレイナードは、森の中で片をつけることにしたのだ。
進行方向を阻むように陣取り、やってくる影に向けて目を細める。
ひとりだ。見た目は男である。
金色の髪に赤い目。間違いなく吸血鬼であった。
レイナードより身長は低いが、その脚力はなかなかだ。何より罠をすべて見切っている。戦闘能力は伊達じゃないらしい。
初見で粗方見当をつけたレイナードは、体を変形させる。
吸血鬼という生き物は人という形を好むだけで、実際の体は決まっていない。
ゆえに血液さえあれば、何にだって姿を変えられるのだ。
そしてレイナードはこれを見られたくないがために、由羽の前で戦うことをためらっていた。
だってその姿は、全然美しくない。
吸血鬼はとても、美的意識が高い種族なのだ。
しかしその最愛のヒトは、今はいない。
ならば、ためらう必要などどこにもなかった。
片腕を剣のように造り変えたレイナードは、自身の目の前で着地した男に鋭い視線を送った。
「死ね」
そんな、飾り気もない言葉が、戦いの合図。
それと同時にレイナードは一気に距離を詰め、変形させた腕を突く。
されど男は、それをやすやすと避けた。
「やだなぁ怖いよ! それにさぁ、同族同士の戦いなんだから、もう少し花が欲しいなぁ」
「そんなものが欲しいなら他所に行け」
「いやだよ。だって僕、君が大事に大事に守っているお姫様が欲しいんだもん」
軽い言葉に、余計に殺意が湧く。
何より、由羽の存在を口に出されたことが癪に障った。レイナードは追撃を開始する。
それが分かっていて、男はなおもあおる。
「そりゃあさー魔力がたくさんあって、美味しそうだっていうのもあるけど、他人が大事に大事に守り育ててきた花をむしるのって、すごく楽しくない?」
「歪んでいるな。何より性格がクズ以下だ」
「ふふふ。褒め言葉どうもありがとう」
予想以上に性格が悪い発言をしてくる男に、レイナードは嫌悪感をあらわにした。尊敬している父親とは似ても似つかない、クソッタレ野郎だ。吸血鬼にも色々いるものだと実感する。
彼は今まで一度たりとも、同族に相見えてないのだ。余計であろう。
可愛い顔をしているが、中身がゲスすぎる。
こいつに同族呼ばわりされるなど、死んでもいやだ。
そう思ったレイナードは、さらに速度を上げた。あまりの衝撃に地面がえぐれ、土がむき出しになる。
いきなり加速したレイナードに、男はわずかばかり瞠目した。どうやら予想外の速さであったらしい。
その証拠に男は、軽口を叩かなくなった。明らかな焦りが見える。
どうやら、そこまで速くはできないらしい。
追撃されていることもあり、男はこの視界も足場も悪い森の中バックステップをしていた。速度も上がらず、障害物も多く、なおさらきついのであろう。木とその小柄な体躯を使って上手に動いてはいるものの、限界に近いようだ。
レイナードはそれを、勝機と見た。
今までの中で一番足に力を込めると、跳躍する。
そのたった一歩で、距離はいとも簡単につまった。
そのまま剣型に変えた腕を前に突き出せば、男の左胸に突き刺さり穴が空く。
レイナードは抜く際形を手に戻し、心臓をそのままえぐり取った。
吸血鬼の一番の弱点は、心臓だ。その心臓さええぐり取れれば、さすがの吸血鬼も死ぬ。
手に残っている心臓を投げ捨てると同時に、男の体が地面に勢い良く転がった。
体は木の幹に当たり、ようやく止まる。
レイナードは一応、その安否を確かめようと男が倒れている場所までやってきた。
さらさらと砂のようになり始めている体を見て、安堵する。どうやらちゃんと殺せていたらしい。
由羽のため。そして吸血鬼としての矜持を守るためにも、この男を殺せて良かったと心の底から思った。
レイナードはそう思い、身をひるがえす。
「はやく、由羽のところに、かえら、」
帰らないと。
そう言おうと思ったレイナードは、背後から湧き上がる怖気に体を反らした。
瞬間、右腕をえぐるように何かが突き刺さる。
ま、ず、い。
レイナードは自身の腕を切り離し、そのまま地面に転がった。
新たな腕を作りつつ身を後ろに向けると、そこにはなんと先ほどの男がいる。
男は、消えかけの影から身を起こしていた。
「あーいったいわ……」
「お前……なぜ生きている」
「ん? 死んだよ? 弟は」
レイナードは思わず、目を見開いた。
そんなレイナードを見て、男は楽しそうに笑う。嗤う。
「いやさー僕たち双子なんだけど、弟のやつ本当に使えなくて。僕についてくることくらいしかできないんだよねー。だからさーいつも下僕として扱ってたんだよ。今回も僕が影に入って、体を操ってたってわけ」
弱い割に、まあ役に立ったかな?
その言葉に。
その、命を欠片たりとも尊ばない言葉に。
それどころか、自分自身の弟をおもちゃのように扱うその態度に。
レイナードの沸点が振り切れる。
こいつだけは殺さなくてはならない。
「お前のようなゴミは、早々に死ね」
そうつぶやき、レイナードは自身の腕を霧散させ男の元へと向かわせた。
はずだった。
しかし体は言うことを聞かず、そのまま倒れ込む。土の匂いが鼻についた。
レイナードは動揺する。
どうして体が動かない。
頭がぐるぐると回り、答えに辿り着こうと急速回転する。
そして、気づいた。
魔力、枯渇。
由羽に魔力を注ぎ続けた弊害が、こんなところで現れたのだ。
それを見た男はけらけらと笑い、影から人の体になる。そしてゆっくりと近づいてきた。
「へえ。魔力枯渇かー。タイミング悪いねえ、可哀想に……」
まるで、死にかけの獲物をいたぶるかのように。
男はゆっくりゆっくりと、歩を進める。
「本当に残念だ。まさか、大切な人も守れずに死んじゃうことになるなんてねえ……?」
妙にもったいぶった言い方も。
レイナードの心をわざとあおる言葉も。
完全に立ち位置が上になったこと、そして勝機が見えたゆえのものだろう。
しかしそれが事実であった。
このままここで死ねば、レイナードは由羽を守れない。
そして彼女との約束も、守れない。
そんなのは、いやだ。
されどどれだけ足掻いても、魔力が枯渇した体は言うことを聞かない。
レイナードは強く強く唇を噛んだ。
由羽。
由羽――
そんなときだった。
軽やかな声が響いたのは。
「レイに触れないで」
レイナードは瞠目する。そして何より歓喜した。
その声は。
レイナードが最も愛した、由羽の声だった。