5.ゲンカイカレシ
こつりこつりと、床を爪弾く音がする。明かりのない廊下に、その音はひどく響いて聞こえた。
レイナードは、地下へ地下へと降りてゆく。
階段を降りきり、そこにある扉を開けた先には――ベッドの上に横たわる少女がいた。
真っ白い、今にも折れてしまいそうなほど儚い少女。
一面が真っ白い部屋で、彼女という存在だけが浮き彫りになっている。
由羽だ。
彼女はベッドに横たわり、唇をかすかに開けて寝入っている。その呼吸が少しだけ荒いことに気づき、レイナードは慌てた。なるべく音を立てないよう気を配り、彼女にそっと近づく。それでも、靴音は嫌に高く響いていた。
「ユウ……」
恐る恐る手を伸ばし、レイナードは由羽の額に触れた。汗ばんだ肌に、髪がべったりと張り付いている。
苦しそうに眉を寄せた彼女に、レイナードは唇を震わせた。
「ご、めん……ごめん、ユウ……」
悲痛な声をあげても、由羽は一向に目覚めない。それは魔力注入による反動であった。
由羽を監禁してから早三日。レイナードはこうして何度も足を運び、由羽に魔力を注ぎ続けている。
彼は焦っていた。由羽の周りに湧いて出てくるやつらの、あまりの多さに。
このまま悠長に魔力を注ぎ続けたら、いつか必ず隙が生まれる。その隙につけこまれたら、レイナードは一生由羽を喪ってしまう。
由羽がいなくなるのだけは、嫌だ。
それを恐れたレイナードが取った行動は、由羽を安全な場所に隠しただひたすらに魔力を注入することであった。
器が満ち、魔力が由羽の体に馴染めば、彼女が狙われることはない。魔力は、その個体ごとで波長が違うからだ。定着さえしてしまえば、他の魔族が由羽を狙う理由はなくなる。
しかしその一方で、今の彼女の中にある魔力は、まっさらだ。どんな個体でも、飲めば自らの力へと変えられる。
ゆえに、急がなくてはならないのだ。ここが見つかる前に、どうにかしなくてはならない。
レイナードは由羽の体を抱き締めた。ドレス越しに、鼓動と熱を感じる。生きているという証を全身で感じ取り、彼はようやく詰めていた息を吐いた。
「ユウ、ごめんね……」
由羽は未だ目覚めない。
そのことに安堵している自分がいることに、レイナードは失笑した。
いまさら、何を。
何を言っているのだろうか。
彼女をここまで巻き込んでおいて、自分勝手に捕らえておいて。
どの口がそれを言う。
「俺が、吸血鬼じゃなかったら……良かったのにね」
レイナードはそうつぶやき、由羽に口づけた。
吸血鬼。
それは、血を吸い生き永らえる異形の者。
強者ゆえに弱者からは恐れられ、傅かれる。同じ強者からは幾度も喧嘩を売られた。レイナードはその度に、彼らを潰した。
すべてはユウのため。……いや、ユウと一緒にいたい、俺のため。
そう口ずさみ、両手を血で染め続ける。魔族ゆえに、罪の意識は欠片もない。彼らの本質は、そういうものだった。
ただ考える。もしこの場面に、由羽が出くわしたら、と。
彼女が今の自分を見たら、なんと思うだろうか、と。
あの陽だまりのような笑顔を、見せてくれることはなくなるのではないだろうか。
あの雲のようにふわふわとしていながら、すべてを包み込む優しい言葉を、かけてくれることはなくなるのではないだろうか。
それと同時に、自分が嫌いになっていくのを感じた。そんなことを思ってしまう自分に、怖気付いて、未だに言えないでいる自分に。
「ユウ、ごめんね……起きたとき、怒って良いから、何を言ってもいいから……だから」
形ばかりの謝罪の言葉を口にし、レイナードは由羽の首筋に舌を這わせる。ぴくんっと、由羽の体が震えた。息苦しそうに眉を寄せ、手を宙で彷徨わせる。
「あ……レ、イ……」
瞬間、レイナードの体がこわばった。しかしそれを振り切ると、彼は宙に浮く由羽の手首をベッドに抑えつけ、首筋に牙を立てる。
喉を潤す甘露が、今日ばかりはなぜかひどく苦く感じた。