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吸血彼氏  作者: しきみ彰
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1.サイキョウカレシ

 美しい金髪が、首筋をくすぐった。


 その感覚に、由羽ユウは身を震わせる。この瞬間が一番緊張するのだ。

 次いで、首筋に生ぬるいものが這う。舌特有のぬるさに、きゅっと目をつむった。


(くる)


 そう身構え、拳を握る。そんな由羽の心を見透かしたように、握られた拳を解く手が伸びた。

 互いに指を絡め、固く結ぶ。ほう、と詰めていた息を吐いた瞬間。


 ぷつりと、歯が肉を破る音がした。


「あ」


 思わず声が漏れ出る。

 痛みはごくわずかで、その後すぐに意識がふわりと浮いた。気分が高調するような、それでいて体温が引いてゆく、なんともちぐはぐな心地が広がった。無意識のうちに、口からわけの分からない音が出る。


「あ、ん、ああ……っ」


 まるで自分が自分でなくなったような、ひどく曖昧な感覚。体の力が抜け、由羽はされるがままに自らのすべてを預けた。


 由羽がそこまでリラックスできたのは、相手が彼だったからだ。

 そして何より、繋がった箇所から伝う温度が、彼女の心をほぐしてくれた。


 由羽がほうけている間に、彼は食事を終えたらしい。気づけば膝枕をされていた。木漏れ日とともに、彼の髪がきらきらと輝いている。


 ふと、翡翠色の瞳と目が合った。由羽の視線に気づくと、彼は目をか細める。


「ユウ。ごちそうさま」

「うん、レイ……お粗末様、でした?」


 へらりと笑えば、〝レイ〟は優しく髪を梳いてくれた。色の白い細長い指が、由羽の黒髪をいたずらに弄ぶ。


 その、ひどく整った美しい見目も。光に溶けてしまいそうな、儚い雰囲気も。

 彼を形作るものはすべて、人間離れしていた。


 それもそのはず。彼は、レイナードは、人間ではない。


 彼は、吸血鬼で。

 由羽の彼氏であった。


 ふたりの出会いは、生まれると同時。一般的に言うところの幼馴染というやつである。家同士がもともと仲が良く、ふたりは自然とともに行動をすることがほとんどであった。


 吸血鬼と人間、という仲であったが、特にこれといった衝突はない。人間と人外が共生する現代社会で、その光景は普通となっていた。


 幼馴染という一線を越えて恋人という関係に達したのは、高校一年の春である。

 付き合い始めてから一年と少し。

 ふたりはすっかり、高校一有名なカップルという認定をされていた。


 その証拠に、学校内で吸血行為をしていても、「今日も春だなぁ」という認識しかされないのである。


 中庭の一角は、ふたりのお気に入りの場所だ。昼休みは必ずここで昼食を摂り、おしゃべりをする。レイナードは毎回ではないが、週に一度由羽の血を求めた。彼女は恋人として、それに応じているというわけだ。


 ベンチの上で寝転ぶ由羽は、のろのろと起き上がり伸びをする。吸血行為の後に苛まれる特有の感覚も消え、むしろすっきりとした心地さえあった。不思議なものだ。

 レイナードの隣りに腰を下ろし、にっこりと微笑む。


「レイ、膝枕してくれてありがとね」

「そんなこと良いから、ほら、飲んで」

「はーい」


 元気いっぱいの由羽に呆れながらも、レイナードは、特製の飲み物を渡す。小さな瓶に入ったそれは、吸血行為をされた人間が飲む飲み薬であった。貧血を抑え、尚且つ吸血時に体内に入った毒素を中和してくれる。吸血鬼の歯には、人間にとって害になるものが付いているのだ。


 そんなものまで用意してくれる優しい彼氏に、由羽の顔も自然と緩む。友人たちからは「過保護」と揶揄される優しさは、由羽にとっては愛情と同義なのだ。彼のそんなところが好きで、由羽は幼い頃からそばにいる。


(今日も幸せだなぁ)


 春の陽気の中過ごす時間は、由羽にとっては特別だ。特にこの時期の中庭は過ごしやすく、そよぐ風が葉を優しく揺らしている。

 特に何を話すわけでもないが、レイナードがいると不思議と落ち着いた。

 少しだけ視線を持ち上げれば、レイナードは瞼を閉じている。彼も由羽と同じなのだと分かり、余計に嬉しくなった。

 少し近づき、レイナードの肩に頭を乗せる。


 その日ふたりは、昼休み終了のチャイムが鳴るまで、中庭で過ごしたのであった。











「あんたたちってほんと、バカップルの見本よね」

「えー。そんなことないよー」


 すべての授業が終わり、部活も終わり、もう帰るだけ、となった頃。

 親友のミコトがそんなことを言った。夕日が差し込み、彼女の黒髪を優しく彩る。長く艶やかな髪に、由羽は密かに憧れていた。


 由羽がへらりと笑うと、尊は紫苑色の瞳をすがめため息を吐く。

 その見目通り、尊も人間ではなかった。本人は決して、自分がどんな力を持っているのかを言おうとはしなかったが。


 由羽はと言うと、本人が言いたくないなら無理に問い詰めることはしなくていいと思っている。そのため十年ほどの付き合いだが、由羽は未だに尊の力がなんなのか知らなかった。


 部員たちが着々と帰り支度を進める中、ふたりはおしゃべりを続ける。


「いや、バカップルだわ。絶対そうだわ。うちの両親そっくりだもの」

「あーそういえば尊ちゃん、前にそんなこと言ってたね。そんなにすごいの?」

「そりゃあもう。砂吐きたくなるわ、ほんと」

「へぇ〜。でも仲良いのは良いよね。羨ましいなー」

「……まぁね」


 尊はなんだかんだ言って、両親のことが好きだ。それは、彼女の言葉の端々に散らばっている。そのため褒められると、まんざらでもない顔をするのだ。

 尊の緩んだ顔を眺めつつ、由羽はレイナードが来るのを待つ。彼は本当に過保護で、必ず迎えに来てくれるのだ。尊はそれに付き合う形で、由羽の側にいる。


 そうこうしていると、部室はふたりだけになる。数分おしゃべりに勤しんでいると、レイナードがやってきた。


「ユウ、お待たせ」

「レイ!」

「やっと来たわね。ほら、さっさと帰りなさいよ。私が鍵返しに行くんだから」

「うん、尊ちゃん毎回ありがとね。それじゃあ、また明日!」


 尊に礼を言い、由羽はレイナードと肩を並べる。夕暮れ時の空は綺麗で、窓から差し込むその色はとても美しかった。


「レイー今日も部活楽しかったー?」

「まぁまぁかな」

「そっかー。わたしはね、レイと離れている間、レイ何してるかなーって思ってたよ」

「……そう。嬉しい」


 そんな会話を交わしながら歩く廊下は、とても楽しかった。そんな楽しい気持ちを覆い隠すかのように、黒い影がするすると伸びてゆく。春の夕暮れは早く、すぐにでも闇に飲まれそうだった。歩が自然と速くなる。

 昇降口まで出た辺りで、レイナードが由羽の腕を引っ張った。


「レイ?」


 由羽が困惑げに声をあげる。しかしレイナードはその声を聞かず、由羽の口を塞いだ。柔らかい感触が広がり、彼女はようやく自らに起こった出来事を自覚する。


 唐突すぎる口づけに、由羽は目を見開き頬を染めた。

 抗議の声をあげる暇もなく、目の前が暗くなっていくのを感じる。


「ごめん、ユウ……しばらく、寝てて」


 なんで?


 そう問いかける前に。

 由羽の意識は闇に沈んだ。



 ***



 眠りについた由羽を抱きかかえたレイナードは、即座に昇降口から出た。刹那、下駄箱がひどい爆音をかき鳴らし倒れる。かぶりを振れば、見るも無残にひしゃげた『下駄箱だったもの』が、いくつにも連なり潰れていた。


「ユウが怪我したらどうしてくれるわけ、君たち」


 舌打ちをしつつ、レイナードは辺りを見回す。この時間にしては人がまるでいない。つまり相手は、人払いの術をかけたということだ。


「ほんと、迷惑だよ」


 何がしたいのか、さっぱり分からない。

 レイナードは周りを囲む者たちに、ため息を吐き出す。


 数は十三。

 誰も彼も人ではなく、見た目からして人外らしい人外たちだった。獣人や悪魔、烏天狗、夢魔、などなど。種類も性別も問わないそれらに、レイナードは肩をすくめる。毎度のことながら、実に鬱陶しい。


「その女を寄越せ」

「そう言われて渡す馬鹿がいると思う?」


 由羽は、レイナードにとって最も大切な人だ。誰を殺してでも守りたい人だ。幼い頃に出会い、彼女に恋をしたときから決めていた。

 そのためなら殺戮とて厭わない。由羽以外のモノはすべて、そこらへんに転がっている石と同義だ。


 邪魔ならば蹴り、それでも尚邪魔をするならば砕いて壊して目の前から排除する。


 それは今までもやってきたことだ。今更ためらうことはない。

 レイナードの瞳が紅く輝き、吸血鬼としての本来の姿を表す。


「お前らごときが、僕に勝てると思ってるの?」


 レイナードを中心にして、突風が巻き起こった。あまりの風に、体の軽い数人が遠くのほうへと飛ばされてゆく。

 溢れ出る魔力は、尋常じゃないほどの殺意とともに溢れていて。

 数多もの針のごときそれに、その場にいた全員が恐れおののく。


 そして気づくのだ。

「手を出した相手が悪かった」と。


 いっそ不気味なほどの笑みを浮かべたレイナードは、由羽を抱きかかえたまま冷たい声を発する。


「ユウに手を出そうとしたこと、地獄の淵で後悔してね?」













 職員室に鍵を返し終えた尊は、どこからともなく聞こえてくる騒音に眉をしかめた。


「毎回毎回よくやるわ、ほんと」


 今回の相手は大方、由羽のこともレイナードのことも知らない新入生たちだろう。不憫なことだ。知っておけば死ぬこともなかっただろうに。


 そんな感想を抱きながらも、尊の感情はこれっぽっちも動かない。むしろ死ねば良いとさえ思う。人外の思考などこんなものだ。

 そして尊自身も、由羽のことを大切に思っている。一人の友人として。


「それにしても、派手にやりすぎじゃないかしら?」


 あの男は、校舎ごと吹き飛ばすつもりなのだろうか。

 勘弁して欲しい。それを直すのは尊だというのに。


 毎度のことながら後始末に回される彼女は、後々のことを考えてため息を漏らした。


「そもそもあの男、ほんっとキチガイだと思うわ」


 本人が目の前にいないのを良いことに、尊は好き勝手につぶやく。事実だから仕方ない。されどほどほどにしておかねば母親に怒られるため、口に出すのは控えたが。


 何が気狂(きちが)いかというと、由羽に対するレイナードの執着っぷりだ。そこがまずおかしい。


「一体どこの世に、人間に幼少期から魔力を送り続けて体を改変させるバカがいるのよ……」


 そう。尊の言葉が、すべてを物語っている。

 レイナードは幼少期から、由羽のことを愛していたのだ。

 レイナードは吸血鬼だ。人外と人間が交わるには、人間が人間ではないものにならなくてはならない。そうしなくては、体が耐えられないためだ。そのために、人を愛した人外は、人間に自身の力を少しずつ与えて、人ならざるものへと変えてゆく。


 しかしそれは常に、危険と隣り合わせだ。特に大人になってから魔力を浴びると、反動により死に至ることもある。それを知っていたからこそ、レイナードは幼少期から魔力を与え続けたのであろう。幼少期から少しずつ慣らしていったほうが、抵抗がはるかに少ないのだ。由羽は自覚がないまま、着々と人ならざる者に変貌していた。


 その結果があれだ。由羽という器に溜められた魔力を、欲しがる輩が出てきたのだ。

 由羽自身に素質があったのも、事態が悪化した理由であろう。あれほどまでの魔力を溜められる器というのも、そうない。


 尊はずり落ちてきた鞄を抱え直した。空はすっかり暗くなり、校舎は独特の雰囲気をまとっている。人払いを済ませた校舎にはもう誰もいない。


 彼女はとりあえず、ことが終わるのを待つ。でないと明日、校舎が悲惨な状態で人目に触れることになるからだ。

 自身の手のひらを見つめながら、尊はぽつりとこぼす。


「そもそもあいつ、学生なんて年齢じゃないでしょうに」


 尊もそうだが、人外というのは総じて固定された概念ではない。年齢もある程度操作できるのだ。大抵のものは一番美しいとされる年齢で成長を止め、一生を過ごす。

 吸血鬼というのは人外の中でも破格で、強者に分類されていた。


 ゆえにレイナードが、意図的に年齢を操作し由羽を花嫁とするべく努めてきたことも。

 また彼女を守るためだけに、様々な土台を積んできたということも。

 あり得る話だ。いや、きっとそうだろう、そうだ。

 尊は自分のことを棚に上げてそう考える。


 自分自身、人間でいうところの学生なんて年齢じゃない、とか。色々な事情があるが、知ったことじゃない。


 どちらにきても、だ。レイナードが狂っていることは確かであった。


「あんな男に出会ったのが運の尽きなのかしら……」


 尊は、親友の行く末を思って肩をすくめる。しかし由羽のことだ。何を言われたとしても、たやすく受け止めてしまうことだろう。馬鹿だと言えばそれまでだが、その包容力に惹かれた一人としては、何も言うことはない。ただ、もし由羽が泣くことがあれば、レイナードを真っ先に始末してやろうとは思っていた。


 尊にとって由羽は、唯一無二の親友なのだから。


「……あ、そろそろ終わったかしら?」


 ようやく聞こえなくなった騒音に、尊は顔を上げた。レイナードは由羽を連れて帰るであろうから、あとは片付けだけだ。

 小さく欠伸をした尊は、黒髪を闇夜に散らしながら唇を動かす。


「さーて……修復修復っと」


 由羽の一番の不幸は、強い人外を無自覚に引き寄せてしまうことかもしれない。そう思いつつ、尊は廊下を行く。

 黒い髪がまるで、漆黒の羽のようにはためいていた。





 ――次の日。校舎はいつも通りの形で、そこに鎮座していた。

 まるで元から、何も起こってなどいなかったかのように。

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