第6話 「カロとショウロ」
幸谷とヒョウは、旅籠の呼び込みに誘われるまま、『由見屋』という屋号の旅籠に泊まることになった。
『由見屋』はこの辺りでも評判の高級旅籠のようで、間口は広く、三階建て。入り口には、太い梁が張り出しており、大名駕籠でも横付けできるようになっている。周囲の旅籠と比べても、その威容は別格であった。
記帳を済ませると、使用人に部屋まで案内される。幸谷の三度笠と道中合羽は旅籠の玄関で使用人に渡してある。汗と埃を吸った、随分と汚いものであったが、使用人たちは嫌な顔一つ見せない。さすがは一流旅籠の使用人というべきだろう。
幸谷が部屋に持ち込んだのは、振り分け荷物と太刀、腰の『兜牛の袋』だけ。ヒョウは腰の小刀のみ。木刀は幸谷の自在袋の中である。
『兜牛の袋』は一般に『自在袋』と呼ばれ、兜牛の第四胃袋から作られる。兜牛は30階層以上の魔窟でしか召還されない、非常に珍しい魔物の一種である。
神和の国には兜牛はいない為、烏丸村で魔窟の調査とデータ化を生業にしている『窟主』たちに言わせると、他の大陸から召還されているのだろうとのこと。
ここ神和国は、他大陸との交流はほとんどないが、大陸の存在自体は常識としてあった。
自在袋の魅力は、何と言っても、大量に物が入れられる利便性だろう。
あらゆる職業、あらゆる場面において重宝され、かなりの高値で取引される。
容量は殺した時の兜牛の魔核の大きさに比例するが、一般的なものでも、200kg以上は入る。幸谷の自在袋は400kg以上の大容量を誇り、皆伝の際に長老より貰ったものだ。
満杯に入れても、形も重さも変化なし。その利便性は、袋一つで運び屋の商売ができるほどだ。一人で50kgの荷物を運ぶのは大変だが、自在袋があれば、一般サイズでも四人分の仕事を労無くこなせるのだ。
買えば、一般サイズのもので一貨大判で50枚以上と、ちょっとした武具よりも、遥かに高価な魔道具だ。魔道具多しと言えども、その価値と有用性は折り紙付き、神器にも等しいと言える。
※一貨大判=約100万円
魔核が第四胃袋の入り口に弁のように形成される為、魔核が自在袋の形成とその性質に影響していると言われている。
兜牛はこの第四胃袋に一時的に保存された餌を反芻することで、飲まず食わずで、数ヶ月は生きる。
魔道具職人や研究者によると、袋の内側に、肉眼では確認できない召還魔法陣が刻まれており、一旦入れたものが、持ち主の意思で自動召還されているのだろうとのこと。
近似種に鎧牛がいるが、鎧牛の胃袋は普通の胃袋で、モツ料理の食材としての価値しかない。
『由見屋』の構えは相当に立派で、奥に広く、20部屋以上は優にありそうであった。
通常、10部屋以上の旅籠には湯が設置されている。
それ以下の部屋数だと、効率が悪いので、風呂は設置されないことが多い。今日は二人とも既に入浴済みなので、湯のない小さ目の旅籠で良かったのだが、大きな旅籠屋でヒョウを喜ばせたかったのだろうか。
ヒョウは窓辺に座って、のんびり外を眺めていた。
2階から見下ろしていると、通りを大勢の人がせかせかと歩いているのが見えて、楽しい気分にさせてくれる。
日没までにはまだ2時間ほどあるが、今日は疲れた上に、風呂まで入って、腹は満腹。さすがに子供の身体には本日の旅程は堪えており、まぶたは今にも落ちそうにトロンとしている。
「ヒョウ、俺はこれから藩の練兵場がある花尾まで行って来る。俺が到着したことを伝えに行かにゃならん。晩飯までには戻るから、それまで寝てろ」
「分かった」
ヒョウはもうこれ以上、執拗な睡魔の攻撃に耐えられそうになかったので、即座に了解した。自分で布団を敷いて横になると、気絶するように眠りに落ちた。ヒョウが今まで体験したことのないほど柔らかく、温かい布団に、もはや抵抗する術はなかったのだ。
幸谷は幸せそうな寝息をたてるヒョウを確認し、ほっこりとする。
自分が帰るまで起こさないよう給仕の女に伝えると、足早に旅籠屋をあとにした。
◇◆◆◆◇
幸谷が練兵場に着くと、すでに多くの侍や侍格の傭兵たちが集まっていた。
列に並んでいる者たちを、藩の役人が次々に処理してゆく。
書面に名前と出身、武器や特徴などを記し、『割り証』を作るのだ。16歳(元服)以下の者は特別に試験を受けさせられる。また、役人の判断で、見た目や性別などから、年齢に関わらず、試験を受けさせられる場合もある。
割り証は2枚1セットの金属製の身分証だ。
割り証の縁で怪我をしないように四隅は丸くなっている。2枚1セットの割り証に同じ情報を魔道具で刻む。1枚は藩の役人が管理し、もう1枚を当人に渡していく。
これで登録は完了だ。
渡された方の割り証には穴が開いており、紐を通せば、首に架けられるように工夫されている
また、割り証には個人の情報とは別に、識別番号が刻んであり、戦場では番号で管理される。戦国時代が長く続いた為、このような合理的なシステムが生まれたのだろう。
ここに集まった者の多くは、仕官していない浪人だが、渡世人や、腕に覚えの町人や百姓たちもいる。藩の侍である正規兵とは別の、臨時雇いの足軽兵、いわゆる傭兵である。
一般傭兵の報酬は合戦の規模にもよるが、最近は基本日当で一貨銀6枚、合戦日日当で金2両が相場である。
戦局が不利にある藩の場合、傭兵が集まらない為、日当額を上げることがある。金は余分に掛かるが、兵の頭数が必要なら仕方がない。
基本日当とは、合戦のない日の日当を指す。
軍功を挙げれば、合戦日日当にプラスされる場合もあるが、敵将首などの派手な軍功は、いくらかの金で正規兵に譲ることが通例となっている。
特別に藩に依頼された者を除けば、歴戦の傭兵だろうと、新米傭兵だろうと、一般傭兵の場合は、基本日当も合戦日日当も変わらない。
また、よほどの事情が認められない限り、一度の合戦もないまま途中除隊はできない契約になっている。
つまり、数日だけ傭兵として契約し、合戦のないまま基本日当だけを頂いて去ることはできないのだ。もっとも、どこの藩の軍務方も予算は限られているので、なるべく合戦日を予測して雇うし、一般傭兵の場合は一日更新規約を利用して、対応しているようだ。
一日更新規約とは、傭兵との契約の更新を毎日行なうことである。違約金は発生するが、軍費の節約にはなる。
例えば、「今日は合戦がなさそうなので、契約しません。違約金一貨銀一枚払うので、明日また来てください」という役人側の要求が可能な規約だ。しかし、これを繰り返すと、ケチな藩だということで、傭兵が集まらなかったり、急な出陣に対応できなかったりと、役人側としても避ける傾向にある。
口入れ屋――いわゆる、民間の人材斡旋業者が役人と契約して、傭兵を戦地に派遣することは、あまり行なわれていない。傭兵の質と量の維持が難しいからである。質が悪かった場合、口入れ屋の責任問題にもなりかねない。
戦は藩の命運を左右する場合もある一大事業である。他人に下駄を預けるような、間抜けな藩はないと見え、手間と金は掛かるが藩の直接雇用が一般的である。
ちなみに、一人前の大工の日当は一貨銀一枚プラス昼食とお茶代が付くくらいだろうか。命の報酬を高いと見るか、安いと見るかは人それぞれだろう。
※一貨銀=約10000円
※一両小判=約10万円
列に並んでいた一人が幸谷に気付いたようだ。
「おおお! 幸谷じゃねーか! 久しぶりだ。烏丸衆がいりゃ、今回の仕事は楽なもんになるな。こりゃツイてる」
一目で人族でないと分かる男が、大きな声で幸谷に近づき、肩をぽんぽんと叩く。
毛長族猫種、白く細い毛がうっすらと頬や首、手の甲に広がっている。身長190cm以上ある大男だ。大きな鉈のような武器を背中に担いでいる。
毛長族の年齢は見た目ではなかなか分かりにくいが、見る者が見れば、毛の艶などでおおよそは知れるという。この男は35歳くらいだろうか。首の後ろから肩にかけての隆起した筋肉が、明らかに人族のものとは違う。
「おう、カロか。久しぶりだ。2年振りくらいか。相変わらず、その物騒な武器使ってんのか」
「憶えていてくれたか!」
「もちろんさ。それより、どうした、その顔。ケンカでもしたか?」
よく見ると、カロの目の下が小さく切れていた。鼻血を拭いたあとも見て取れる。
「いや…、まぁ、そんなところだ」
「お前にケンカ売るなんて、命知らずの馬鹿がいたもんだ。ははは」
二人の様子を見ていた者たちがざわつく。実はカロも傭兵としては、結構有名な男なのだが、周りが反応したのはカロに対してではない。カロの口から出た『烏丸衆』という言葉に反応したのだ。
二人がしばらく旧交を温めていると、その間に波のように練兵場内に情報が行き渡る。騒ぎが大きくなる中、「やった!」「大当たりだ!」と叫ぶ者までいる。
「烏丸殿、どうぞこちらへ」
役人が数人、幸谷の元に来て、「ささ、こちらへ」と別の場所に案内しようとする。『技売り』の時はいつものことなので、カロに別れを言って、小さな建物の中に入っていった。
「で、あの人何者なの?」
小さな猫種の少女がカロに尋ねる。
「あ、ん? ああ、ショウロか。あいつは、烏丸衆だ」
幸谷の後姿をぼんやりと見ていたカロは、少女に突然尋ねられて我に返る。少女はカロの横で、腕を組んでカロを見上げている。
身長は130cmほど、歳は10歳。カロを見上げる瞳は翡翠のように美しいが、子供にしては、表情が少々鋭すぎるか。
実は、一時間ほど前、ショウロは傭兵の試験を受けさせられ、落とされていた。
ショウロは年齢こそわずか10歳で、身体も小さいが、毛長族猫種の特性として、身体能力は大人にも匹敵する。
また、暇を見ては、カロが訓練を施している為、一般の傭兵としては十分な実力を兼ね備えていると、本人はもちろん、カロも採用を疑っていなかったのだ。
しかし、結果は採用されなかった。
不採用を告げられたショウロが「納得できない!」と叫び、役人に殴りかかった時は、カロが命の掛かった戦場ですら見せたことのないほどの速度で、何とか力ずくで取り抑えたのだ。
その際、カロを相手にショウロが大暴れすることしばし。
今回、厳重注意で済んだことは、公平に見て、幸運であったと言えよう。
別に役人が戦場は危険だからと、親心でショウロを採用しなかったわけではない。良くも悪くも役人はショウロの実力をシビアに判定し、その上で採用しなかったのだ。
軍資金は無限ではないので、役人は無制限に傭兵を雇うわけではない。予想される合戦の規模から、ある程度の足切りラインを設けて、その上で採用試験を行なう。
その為、カロは今回は予想される合戦が小規模だから採用人数が少ないのだろうと考えていた。
しかし、そうではなかったようだ。
カロは幸谷が今回の合戦に参加すると知り、ショウロが採用されなかった理由に思い至った。
そして納得した。
「父さん、そんなことは後ろで聞いていたから、分かってるの。その『烏丸衆』って何なのと聞いてるのよ」
少女は腕を組んで、「全く、鈍いんだから」と言いながら、カロを睨む。もはや少女の理不尽なイライラは爆発寸前だ。
「うっ、お前、口の悪いところが、日に日に母さんに似てくるなぁ。『烏丸衆』な。烏丸衆ってのはあれだ、乃代藩の隣に烏丸村って村があって、幸谷はそこの出身なんだ」
カロはショウロ不採用の理由が幸谷にあることを、上手く説明できない。
ショウロのコメカミがピクッと浮き上がる。カロの右側に立っていたショウロは少し腰を落とし、軸足を踏ん張る。
「せ~つ~め~い~に~、なってないッ!」
言ったと同時にグリッと足首をひねって腰を回転。肩まで連動させた、渾身の右拳がカロの腹に突き刺さる。
ショウロの当て身は、「ドンッ!」、と到底、子供の放った技とは思えない音を立てる。
どうにもイライラが止まらないらしい。
「あいたたた…」とカロは痛そうに腹を押さえているが、大して効いていないことは、技を放ったショウロが一番分かっている。カロの分厚く巨大な筋肉に阻まれ、派手な音ほどには威力は通っていない。
「お前、死んだ母さんよりも怖いぞ。俺、こういう説明は苦手なんだよ。ようはな、烏丸衆の連中は無茶苦茶強いんだ。だから、さっき、役人が幸谷に丁寧に接してたろ」
「へ~、いつも思うけど、人族は見かけによらないのね。それであの人、父さんよりも強いの?」
「何と言えば良いか……お前、前回の合戦についてきたよな」
カロの声のトーンが微妙に低くなった。一方、ショウロはどうしてそんなことを聞いて来るかわからない。
試験に落ちたイライラを我慢しつつ、何とか答える。
「ええ。両軍合わせて100人くらいの小さな合戦だったわね。父さん大活躍だったじゃない。離れたところから見てたわ」
傭兵込みで、両軍合わせて100人は、規模としては、かなり小さい。重要度の低い陣地の奪い合いか、大きな戦場の、一局地戦であろうか。
「一人で10人くらい倒したんじゃないの?」
「おうよ、8人倒したぜ。でもな、例えばあれ、幸谷なら一人で全員『斬る』ぞ」
「え?」
「幸谷なら間違いなく、それくらいは無傷でやる。2年くらい前に、初めてあいつを見たが、ありゃ、どうにもならん」
「ちょっ、何言ってんの?! 父さんよりも遥かに小さい男が、たった一人で50人も斬るって、無茶言わないでよ!」
仙術師なら、多少、話は変わってくるかも知れない。
大軍相手の大規模攻撃仙術。
そうした特殊攻撃を放つ仙術師が、数は少ないが、確かにいる。体内の『気力』を練り、周囲の『魔力』をも集めて、戦場を蹂躙する存在。
しかし、カロは「斬る」と言った。
ならば、仙術ではなく、武器は太刀一つであろう。ショウロは一つの合戦で50人も斬る者の姿が想像できない。
先ほど、カロが8人を倒したと言った合戦。その時でさえ、ショウロの目には、戦場はほとんどカロ一人が支配していたような印象を受けたのだ。敵方50人のうち、一人で8人も倒せば、自然、そうなるだろう。
その様子を遠めに見ていたショウロは、何とも言えない誇らしい感情が湧きあがったのを憶えている。
今回、合戦に傭兵として参加することを決めたのも、前回の合戦見学が大いに影響している。
「いや、50人じゃなくて、両軍100人、俺も含めた全員だ」
あまりに飛躍したイメージに、ショウロは逆に冷静になってきた。
100人でも止められないという。
先ほどまでのイライラは、いっそどこかへ飛んでいた。
「そう……」
ショウロのカロへの評価は、「馬鹿で口下手だが、嘘はつかない」というものだ。そんな父のことがショウロは大好きでもある。だから、嘘はついていない。父が100人斬るというのなら、幸谷という男はそれくらいやるのだろう。
そして、ふと思い出す。
急に冷静になった為、ごちゃごちゃだった記憶が整理されたのだろうか。
昼間、町を散策している時に、古着屋の前で会った、薄汚い山猿のような少年。ちょっと興味が湧いて、からかってみた。
少年の待ち人が現れた時、一触即発だった空気が一気に弛緩したのを憶えている。古着屋の中から出てきたあの男こそ、さっき見た幸谷だ。
記憶のピースが埋まって、思わず「なるほど」とつぶやく。
そして、全てを理解した。
「つまり、幸谷って男が今回の合戦に参加するから、傭兵の数は必要ないと。だから採用の基準が上がって、私が落ちたと。簡単に言うと、そういうことよね」
ニコリと笑って、カロを見上げる。
「おお、そういうことだ。さすが、俺の娘だけあって、お前は頭が良い」
カロの太い腕がショウロを抱き寄せる。
残念ながら、今回は合戦に参加は出来ないが、そんな化物をこの目で見られるのなら、ショウロとしては、是非もない。
むしろ楽しみになってきたほどであった。
ショウロは強者と言えば、カロしか知らない。
カロより強い者を見たことが無かったし、カロより強い者を想像することも出来なかった。
もし、そんな化物がいるのなら。
人族の身でそこまで強くなれるのなら。
自分の先に広がる可能性に、ショウロは全身が震えるのを感じる。
「さ、お前は暗くならないうちに、そろそろレイナトの長屋に行け」
レイナトはカロの旧い友人で、カロと同じ毛長族猫種の男。身軽な特徴を生かした鳶職人である。
カロが傭兵契約の間、ショウロを泊めてもらう約束をしている。
夜は保安上、練兵場は閉められるので、その前に行けということだろう。契約期間中は、傭兵本人は宿舎に泊まれるが、家族は泊まれない。
「あ、父さん、そういえば気になったことがあるんだけど――毛長族に『猿種』っていたかしら」
「聞いたこともないな」
カロは自分の娘が利口なのを知っているが、「お前、何言ってんだ?」と思わず口に出そうとして、何とか踏みとどまった。
せっかくショウロの機嫌が良くなったのだ。次また大騒ぎして、役人を怒らせでもしたら大変である。
触らぬ神に祟りなし。
「(俺も昔は血の気が多かったもんだが、ミア、お前の娘はそれ以上だな)」
カロはそんなことを考えながら、ショウロの後姿に手を振っていた。