第4話 「片鱗」
「どこまで追いてくんのさ…」
食料探しに山に入ってから1時間ほど経った頃だろうか。ヒョウは幸谷に尋ねる。
途中、何かを拾っては、腰の袋に詰めているようだが、一向にその袋が膨れる様子がない。拾っては捨てているのだろうが、一体、何をしているのだろうかと、ヒョウは気になって仕方がない。
「こら、ヒョウ。師匠にその口の利き方は感心せんぞ」
「誰が師匠だ。馴れ馴れしく人の名を呼ぶんじゃねーや」
「俺が師匠に決まっているだろう。ところで、ヒョウ。お前が食料探しとやらを始めて、小一時間は経つが、今、何をやってるんだ? このままじゃ、剣を教える時間がなくなるぞ」
頭にカッと血が昇る。
そんな時間あるわけないだろう。こっちは食料探すので必死なんだ。昨日の角ウサギみたいな「美味しい獲物」にそうそう出会えるわけないだろ。昨日は運が良かったんだ。後ろで見ていて分からないのか? 獲物なんてどこにもいないだろう。
などと心の中で悪態をつくヒョウであったが、声には出さない。
ヒョウは獲物が見つからないので、上流の川で魚でも捕まえようかと思い始めていた。
「ちょっと見てくれ。こいつをどう思う?」
幸谷が腰に提げていた袋を逆さに振ると、中からドサドサと山菜や木の実、キノコ類。竹や蔦、解体されていない鳥やウサギ、灰色狢が出てきた。
最後にドサッと出てきた黒狼を見て、ヒョウがビクッと反応する。
「す、凄いです…、その袋…」
「袋かよ! まぁ、確かに兜牛の袋は便利だがな――て、こっち。これ、全部お前が獲物探ししてる間に、俺が狩ったもんだぞ」
ヒョウが不思議な袋に目を奪われていると、幸谷がわずか小一時間で仕留めたという獲物を指差す。
確かに後ろでゴソゴソしているのは、ヒョウも気付いていた。木の実やキノコでも拾っているのかと思っていたが、いつ狩りをしていた?
心の中が顔に出てしまった。
「うむ。お前が俺を見る尊敬と畏怖のこもった目、悪くないぞ」
「……烏丸流ってのがあると、こんだけ狩れるのか?」
腕を組んで偉そうにヒョウを見下ろす幸谷に問う。
ニヤニヤしているので、無性に腹が立つ。
ヒョウは「があああ!!」と叫びたい気分だった。
「う~ん、烏丸流だけじゃないが、まぁ、遠からずだ。どうよ、多少は興味が湧いたか?」
もちろん、ヒョウとしては昨日からずっと興味は湧いている。興味津々なのを必死で抑えているのが現状だ。
人付き合いに慣れていないのと、いちいちからかって来る幸谷という男に、腹が立って仕方ないだけであった。実際は子供っぽい対抗心で興味のない風を装っているに過ぎない。
だが、その程度の子供の仕草、さすがに鈍い幸谷にも筒抜けなのは、ヒョウ本人は気付いていない様子。
「さっき、熊の通った跡を見つけた。お前の腕じゃ、一人でこんな奥まで入るべきじゃない」
そんなことを言われても、ヒョウとて好き好んで、こんな山の奥まで入っているわけではなかった。獲物が見つからず、仕方なく、彷徨っているのだ。
それでも8歳の少年が、道に迷わず、ちゃんと小屋へ戻れる点については、称えてしかるべきだろう。ヒョウはそうやって一年以上もこの山で暮らしてきたのだ。
幸谷が出した獲物を袋に詰め直す。
「二人の飯にはこれで十分だから、小屋に戻ろうぜ。帰りは後から俺の動きを見ていろ」
幸谷は、いい加減素直になれ、と言外に言っている。
頑固さは、人を理解から遠ざけることを知っているのだ。
何か言い返したいヒョウであったが、問答無用の幸谷の態度に、返す言葉を飲み込んだ。
現実問題、食料の調達は完了している。
目的もなく、森の奥に居続ける意味はない。
「あ、それと、あっちにおそらく青鬼の巣がある。巣の規模は分からんが、絶対に一人では近付くな。お前も昨日2匹見たろ。あれの巣だろう」
サラリと幸谷が前日のヒョウの狩りの様子を見ていたことを洩らしたが、ヒョウは気付かない。
ヒョウとしては、あれをするな、これをするなと、いちいち上から目線が腹立たしいだけであった。
ヒョウは唇を噛み締める。
幸谷の言葉が正しいことが、尚更腹立たしかった。
確かに、ヒョウも一人の時はめったにここまで深く森に入ることはない。しかし、幸谷の手前、獲物が見つからないのが悔しいから、仕方なく来てしまったのだ。
一方、8歳の子の負けず嫌い気質は、当然、幸谷も気付いている。自分の手前、カエルやトカゲじゃ格好がつかないだろうことも。
しかし、幸谷にしてみれば、そんなヒョウの資質が、一層好ましく思えた。
子供っぽい対抗心結構じゃないかと。
子供だろうと、男なら、それくらいの対抗心がなくてどうすると。
幸谷の狩りの腕は間違いなく本物である。
それは幼いヒョウにも十分に理解できた。熟練の猟師と言えど、ここまで鮮やかな成果は不可能に思われた。どうやって狩ったのか、この目で見てみたい。
「分かった」
渋々といった風を装うが、たった今、狩りの成果を目の当たりにしたばかりだ。後ろからその様子を見せてくれるというのなら、ヒョウとしては願ったり叶ったり。
ヒョウは高揚する気分を抑えて、5mほど後ろを、ピッタリとくっついて行く。
それから小屋までの道のりは、幼いヒョウにとって、驚きとともに、ある種の感動すらもたらしていた。
とにかく幸谷の狩りは鮮やか過ぎた。
あまりに意味不明な技は一旦頭から除いて、彼の『歩法』と、どうやって獲物を見つけているのかの二点に注目した。
獲物を狩る狩らないはその後だと自分に言い聞かせる。
ヒョウはこの森がこれほど獲物に溢れていたという事実に、敗北感を覚えていた。幸谷相手にではない。森という環境そのものに騙されていたような、奇妙な敗北感を感じていたのだ。
今までの自分は何だったのかと。
身体はガリガリに痩せ、時には木食い虫や羽虫、ナメクジのようなものさえ口にした。
速くて狩れない飛び鼠を追い掛け回し、怪我をしたこともある。
渋い木の実や、美味しそうなキノコを食べて、盛大に腹を壊したことも一度や二度ではない。
それが、幸谷の狩りときたらどうだ。
体重は自分の3倍はあるだろうに、足音はヒョウの半分もしない。
幸谷が履いているのは、真新しいだけの、ただの草鞋だ。歩くたびに、パキッパキッと下草や落ちた枝を踏み抜くヒョウとは大違いであった。
森の中が、昨日までの森とは違って見えてくるようだ。
幸谷は熊や赤鬼、山猫といった、ヒョウでは絶対に敵わない獲物を狩っているわけではない。戦闘能力だけで言えば、全てヒョウにも狩れて不思議ではない獲物ばかりだった。
しかし、実際はヒョウには狩ることはおろか、見つけることすら難しい獲物ばかりなのだ。
袋から竹を取り出すと、今度は先を加工して、それで土を掘り始めた。
どうしてそこの土だけ、豆腐を切るように、掘られていくのか。
土中より出てきたのは、見事な自然薯だ。
試しに、ヒョウは幸谷を真似して、自分の足元に小刀を刺す。表層こそ積もった腐葉土で柔らかいが、その下となるといろんな植物の根が絡まり、到底、サクサクと「掬える」ようなものではない。
幸谷が灰色狢にスッと近付いて、トンと首を刎ねる。本日二匹目の灰色狢。
なぜ狢が幸谷に気付かないのか分からない。
確かに、幸谷は狢に近付く時、すべるように距離を詰めたが、それにしたって、あんまりではないかと。狢も狩られたことに気付いていないのではないか。
いや、昨日自らが体験したことを思い出せば、それも理解できた。あれは気付けないのだと。思わず口をついて出そうになる感嘆の声を、ヒョウは必死で抑える。
それはもうすぐ小屋に着こうかという時に起きた。
立ち止まった幸谷がぼうっと眺める方向に視線を移す。
10mほど先に、『斑ウサギ』がいた。
もちろん、幸谷が先に見つけたが、ヒョウもすぐに気付いた。幸谷の動きを一瞬でも見逃すまいと集中していたことが幸いした。
斑ウサギは角ウサギよりも小型。俊敏で、神経質な為、狩ることも見つけることも難しいとされる魔物だ。高級食材であるばかりでなく、斑模様の毛皮も高級素材として取引される。
斑ウサギは、その斑模様が迷彩になって、狩る狩らない以前に、とにかく見つけにくい。
目の良いヒョウは過去に一度だけ斑ウサギを見たことがあったが、20m以上は離れていたのに気付かれた。近づくことすら出来なかったのを思い出す。
その斑ウサギにヒョウが気付いた次の瞬間、逆に斑ウサギもヒョウの存在に気付いた。ピクピクと動いていた耳が、ヒョウの方に向けて固定された。風上に位置しているにも関わらず、凄まじい危機察知能力だ。
しかし、ヒョウが驚いたのは、斑ウサギの危機察知能力ではなかった。確かに驚くべき野生ではあるが、ヒョウにとっては既知の情報だ。
ヒョウが心底驚いたのは、恐るべき危機察知能力をもった斑ウサギが、幸谷に気付いた様子が無かったからである。
ヒョウの5mほど前に突っ立ってる幸谷には気付かずに、どうして斑ウサギから見て、幸谷よりも奥にいるヒョウに先に気付くのか。
幸谷と斑ウサギの間に、草やわずかな下枝はあるが、目隠しになるようなものは何もない。
第一、身体自体、ヒョウよりも幸谷の方が断然大きいのだ。
直後、斑ウサギは大きく跳ねて、二人の前から姿を消した。
幸谷が呆然としているヒョウの方に振り返って、ニヤニヤと笑っている。
「今の獲物はお前のせいで逃げたぞ」と言わんばかりだ。
ヒョウは悔しさで涙が落ちそうになる。
ヒョウにとって、狙った獲物に逃げられることは珍しいことではない。それこそ毎度、日常の出来事だ。それなのに、今は獲物に逃げられたことが、こんなにも悔しい。
昨日の角ウサギも含めて、過去に自分が狩った獲物は、単に間抜けな個体に過ぎなかったのだと、ヒョウは正しく理解した。そのことが悔しかったのだ。
「(幸谷が止まった時、俺も止まった。だから音はしていない。それでどうして俺にだけ気付くんだ……)」
「なぜ」と繰り返し自問するも、答えは斑ウサギのごとく、逃げてゆく。
ヒョウは惨め過ぎる自分が恨めしく、小屋に着いた時には、顔を上げることも出来なくなっていた。
間抜けな青鬼を一匹狩った程度のことで、得意に思っていた過去の自分に腹が立つ。
自分は弱い。
そのことが骨身に染みた。
悔し涙がこぼれないように、奥歯を噛み締めるのことで精一杯であった。
だが、幸谷の抱いた感想は、ヒョウとは180度違っていた。
「お前、帰り道、俺の歩き方と目線に注意してたな。斑ウサギより先に気付いたのも悪くない。正直、8歳のガキとは思えん」
そう言って、幸谷はヒョウの頭に手を載せて、嬉しそうにゴシゴシと撫でる。
何度も何度も「大したもんだ」と言いながら。
すると、言葉に出来ない強烈な感情が、ヒョウの心の奥底から、せり上がって来た。
それが何なのかも分からない。
もちろん、対処の方法も分からない。
とにかく、胸がいっぱいで、ただただ涙が止まらなくなってしまったのだ。
8歳のヒョウは、その感情の名をまだ知らない。