第3話 「烏丸流」
神和国は三つの巨大な島と、数千の小さな島からなる列島国家である。とは言え、地理的条件により、他の大陸国家と交易はなく、統一国家、国民国家という概念はない。
200を超える藩がそれぞれに領地を治めている状態だ。総石高は1500万石とも2000万石とも言われている。
ちなみに、石高の「石」とは大人一人が一年間に食べる米の量である。つまり、1500万石なら、人口は1500万人になる。捨てる米を作る馬鹿はいないからだ。
もちろん、百姓は米だけを作っているわけではない。ゆえに、石高とは野菜や商品作物を含めた総生産のことであり、「=米の生産量」とするのは乱暴に過ぎるが、通常、100万石の藩なら、人口はおよそ100万人である。
人口の八割が人族で、残り二割が毛長族である。当然、混血もいるが、三代もすれば、少なくとも外見的には人族に分類される。
耳長族を自称する者もいるが、純粋な耳長族はいない。
三つの巨大な島は、上から北王土、大本土、東州土。この三つを合わせて、神和三国と呼ぶ場合もある。
北王土の深い森には、数千年前に渡来した耳長族(の末裔)が、今も皇族としてひっそりと住んでいる。その地は、特別に「英留府」と呼ばれている。
「府」とは古い言葉で、都のようなものであろうか。
大本土の東北部、堀切藩と乃代藩の藩境には、峻険な明神連峰が横たわっており、その中間にどちらの藩でもない、一種の空白地帯があった。
空白地帯とは言っても、そこで暮らしている者たちはいる。
とあることを条件に、堀切藩と乃代藩の双方が領有を放棄しているだけである。
「表向き」痩せたわずかな土地に、雑穀やソバなどを植えて、何とか戸数、71戸、約300人の村人がひっそりと暮らしていた。
主街道から遠く離れている為、訪れる者はほとんどいない。
近隣の村は遥か遠く離れており、凶暴な魔物が多く出るとの噂もあっては、交流しようと考える物好きもいようはずがない。少しでも天候が崩れ、山中で足止めを食らおうものなら、隣村に出かけて遭難、という事態にもなりかねない。
また、村の産物である雑穀を、わざわざ仕入れてどうにかしようと考える商人もいない。空き地ならどこにでも生える雑穀などを、過大な労力を費やして買い入れる商人がいるなら、その者はもはや商人とは呼べないだろう。別の目的を疑うべきだ。
村に訪れる者と言えば、時折、山岳信仰の修験者の類が迷い込む程度であろうか。迷い込んだ彼らは、まず、こんな場所に村が存在することに驚くという。
ゆえに、村の名前を知る者も近隣にはほとんどおらず、かなり特殊な村であった。
村の名を『烏丸村』という。
しかし、烏丸村の名は知らずとも、『烏丸衆』という、ある種の職業集団のことなら、知る人は知っているかも知れない。
例えば藩の軍関係の者、商人、薬師、また、魔道具職人や細工師、鍛冶師などだ。彼らなら『烏丸衆』を知っている。
村の西側に南北に連なる明神連峰の一つ、火無那岳。その麓にぽっかりと洞窟が口を開けている。
入り口の幅は約20mと、決して大きなものではない。しかし、見る人が見れば、ただの洞窟ではないと気付くだろう。
それは一般に『魔窟』と呼ばれている。
この魔窟こそ、烏丸村の全ての源である。
魔窟とは、一言で言うと、魔力が尽きるまで、洞窟内部で魔物を召還し続ける巨大な自然の装置である。特徴としてはマグマを噴出し続ける火山と似ているかもしれない。
魔力を求めて、魔窟は奥に奥に、下に下に、貪欲に成長し続ける。その特徴から、大陸などでは、生物とする説もあるほどだ。
魔窟の成長速度は、魔窟内に存在する魔力量にもよるが、平均すると、およそ10年に1階層といったところか。深くなるほど成長速度は遅くなる。
しかし、自然発生する召還魔法陣は、深い階層ほど複雑になり、召還する魔物も強力なものとなっていく。
一般に、10階層を超えると、特別な訓練を積んだ武芸者でないと、魔物の討伐は難しいと言われている。
魔窟の『寿命』については定かではない。
というのも、ある日突然成長を止め、ただの洞窟に変化してしまうこともあるからだ。中には勝手に埋まってしまう魔窟もあるという。
魔力が減り、成長が維持できなくなるのか。それとも元々魔物を召還し続けるうちに、徐々に劣化していく仕組みなのか。あるいは、迷宮の主のような存在がいて、引越しでもするように、どこかに行ってしまうのか。
全て謎である。
つまり、魔窟のメカニズムはほとんど何も分かっていないというのが実情だ。
烏丸村の魔窟は烏丸流の歴史とほぼ同じ、四百数十年とされる。ここより古い魔窟は神和列島内では、東州土にある、120万石の大大名比企藩が管理する魔窟、通称『比竜窟』のみである。比竜窟は500年以上の歴史があるという。
かつて北王土にも巨大な魔窟があったそうだが、現在は枯れて、ただ森が広がるのみである。
内部はハチの巣とアリの巣を足したような形状をしている。
大型のハチは内部が何層にも分かれた巨大な巣を形成するが、魔窟もハチの巣のように階層を形成する。同時にアリの巣のように、それぞれの階層から小部屋が生まれたり、また、その小部屋からさらに階層に分かれたり、分岐したりする。
まるで迷宮のごとしである。
魔窟が成長する為に必要とされる『魔力』は、大地より発生する魔素が、特殊な条件下において規則的に集まってエネルギー化したもとされている。
その魔力を使って、魔窟は魔物を召還し続けるのだ。
かつて中央大陸では魔法陣学が発達したが、その起源は魔窟内部で自然発生する天然の召還魔法陣と言われている。
魔窟内部に突然浮かび上がる魔法陣を研究することで、自分たちの役に立つ、様々な魔法陣を発明していったのだろう。
烏丸村の村人は、この魔窟を400年以上管理している。
幸谷が烏丸村に来たのは、10歳の時。
父母を流行り病で亡くし、途方に暮れていたところを、育ての親である楠三に拾われたのだ。
幸谷の父が鍛冶師で、楠三が定期的に素材を持ち込んでいたのが縁であった。
村に連れてこられた幸谷は早速『烏丸流』の剣術を仕込まれた。
烏丸流の修行は魔窟内で魔物相手に行なわれる。
修行は激しく、厳しいものであり、血反吐を吐くなどは日常茶飯事であった。しかし、生来の明るさが幸谷にはあり、剣の才能もあった。楠三と妻キエも、日々成長する幸谷を可愛がった。
「ころされる……」
というのが当時の幸谷の口癖であったが、楠三とキエが意に介した様子はなかったという。
烏丸流は『守斬』と呼ばれる技を覚え、深化させることを本道としている。
守斬は、烏丸流開祖・烏丸源次より連綿と伝えられてきた31種、7守24斬より構成されている。この31種の守斬が無限の連係を生むのだ。
また、31種の守斬以外に、歴代の皆伝者たちが編み出した、派生守斬も存在する。
一応、31種全てを習得すれば、晴れて免許皆伝である。
特に秘匿された剣術というわけではなく、全ての技が体系づけられているので、一通り流し、技のいくつかを身につけることはそれほど難しくはない。
だが、皆伝に至るには、天稟を備えた者が、命を賭けて長い時間修練を積まねば、到底到達できないと言われている。
ある者は、「烏丸流皆伝者こそ剣の極地」とまで言う。
烏丸流皆伝者は現在16名。
300人足らずの村の人口で、皆伝者16人という数を多いとするか、少ないとするかは、意見が分かれるところだろう。
しかし、例えばもし、この16名の皆伝者が一つの藩を落とすことを目的に覚悟を決めれば、耐えられる藩など存在しない。
それは石高100万石の大大名の藩であっても同じだ。
例えば、100万石の藩なら、領民の一割、およそ10万の侍格を抱えるが、一度の戦闘で全滅はしないまでも、数年で徐々に削られ、いずれ藩は滅びる。
逃げ道のない平野で激突すれば数で圧倒も出来るが、その時は烏丸衆は迷わず藩の外に逃げるだろう。そしてまた、別のところに現れて――。
追っているつもりが、小さな戦闘を繰り返すうちに削られ、何かの拍子に烏丸衆を別の藩が抱え込んだりすれば、それこそ戦になって合戦で蹂躙されるだろう。
烏丸衆ほどの圧倒的な質を、統一国家でもない戦国の世では、量で覆すことは出来ないのだ。
幸谷が烏丸流の基本2守である、『追い足』と『引き足』を習得したのが13歳。この2つは基本にして奥義でもある。
基本2守習得後は加速度的に他の技の習得速度が上がり、合わせて技自体も深化する。
通常、基本2守をものにするには、魔窟に入り始めてから、7~8年は掛かると言われている。ただし、それは10歳以下で入門した場合。15歳を超えて入門した場合は、余程の天稟がないと、習得は難しいとされる。
ちなみに魔窟に入らず、町の剣術道場のみで基本2種を身につけることは、何年修行を経ようとも、不可能と言われている。町の道場では膨大な経験を積むことが出来ないからである。
ゆえに、烏丸村で秘匿されてきたのは、技の体系ではなく、魔窟の存在そのものと言えるかもしれない。
魔窟は数こそ多くはないが、世界中に点在しており、ここ神和列島内においても、20階層以上の魔窟に限れば6箇所存在する。
いずれもその地を治める藩によって、厳重に管理されている。
もし管理に失敗すれば、その藩のみならず、周辺の藩にまで甚大な被害を及ぼすからだ。
女子供も含めてわずか300人程度の村一つで、50階層以上の魔窟を管理している例など、ここ烏丸村をおいて他にはない。
多くの食料、薬材、武具や魔道具の素材、また練兵にと、とにかく利用価値の高い魔窟であるが、その危険性ゆえ、100万石以上の大大名か、あるいは利益共有を前提とした、複数藩による同盟によって管理されているのが現状だ。
表向きにはわずかなソバや雑穀類などしか産しない烏丸村だが、魔窟の存在によって、実際の烏丸村は経済的には非常に豊かな村である。
にも関わらず、村の人口が増えないのは、魔窟で命を落とす者や、皆伝に至らなかった男衆が村を離れるからである。
村を出た烏丸村出身者が、遠く離れた他所の藩で、のんびりと町の剣術道場など営んでいることも珍しくない。
村を離れることに、特に制限はない。
もっとも、皆伝に至らなくとも、烏丸村出身というだけで、剣の腕は保障されている。「烏丸村出身」という情報は、その藩の家老格以下には伏せられるものの、どこの藩でも厚遇をもって召抱えられるのが常である。
烏丸村の特殊性と本質はここにある。烏丸村とはつまり、優秀な侍や、傭兵を輩出する村なのである。
大藩の剣術指南などに表立って抜擢されることは滅多にないが、知る者は知るのだ。
烏丸村出身の皆伝者は、およそ剣においては『最強』であると。
利用し利用される関係が、烏丸村と全国の藩の間に密かに出来上がっていた。
それは天下統一間近とされる豊田藩も例外ではない。豊田藩には三人の烏丸村出身の皆伝者が出向している。
一つの藩に同時に三人もの皆伝者が、長期に渡って雇われる例は、烏丸村の歴史においてさえ珍しいことである。
決して表立って語られることはないが、他藩の多くの家老格たちが羨望をもって口を揃える。
「豊田藩の隆盛は烏丸衆のおかげである」と。
幸谷が基本2守を習得してより、さらに6年。19歳の幸谷は基本2守の発展形である、『追い連脚』と『引き連脚』を習得するに至る。これにて皆伝である。
『追い連脚』と『引き連脚』は基本2守の発展形であると同時に、烏丸流の極意である。
『追い連脚』と『引き連脚』は言ってしまえば、『追い足』と『引き足』を最速で連続させる連係で、間に24種の剣技を混ぜられると、およそ尋常の剣士では対処できない。
戦場なら、敵が何人いようとも、烏丸衆一人で戦線を突破するだろう。
まさに最終奥義と言えよう。
19歳での皆伝は、烏丸の歴史においても早い。
楠三とキエは大いに喜び、その年の村の豊年祭では、幸谷が魔窟で狩った「赤鬼王」の巻き角2本と魔核を長老に献上した。
宴の場に集まった者たちは幸谷を、『開祖源次以来の麒麟児』と褒め称えた。
◇◆◆◆◇
「幸谷が『きりんじ』というのはわかった」
恐ろしく長い上に、子供には理解できない幸谷の話に、ヒョウがゲンナリとした表情で吐き出す。
ただ、基本2守か何か知らないが、ヒョウはあの奇妙な術だけは身につけたいと思い始めていた。
あの術とは、昨日水場で見た歩法のことだ。
ヒョウは昨日見た術が、特殊な『歩法』であると、何となく見当をつけていた。水場で幸谷が言った『引き足』という言葉を覚えていたからだ。
昨晩は寝床に入って、昼間起きたことを思い出しながら、ずっと考え続けていた。驚いたこと、悔しかったこと、いろいろである。いつもは早起きのヒョウも、今朝は少々寝坊した。
寝床から出て、小屋の外に出ると、幸谷が手製の木刀を振って一汗かいているところであった。一休みがてら、幸谷が「ちょっとこっちに来い」とヒョウを手招き。
そこから恐ろしく長い、烏丸流と幸谷自身の自慢話を始めたというわけだ。
「まぁな。確かに俺は源次以来の麒麟児なんだが、ここから話はちょっとややこしくなる。ま、そのへんはおいおい話すこともあるだろう」
そう言った幸谷の表情はやや曇っていた。
あの時、自分の前にいた幸谷が消え(たように見えた)、後ろに現れたのが『引き足』なら、その逆、最初に離れた場所から突然目の前に現れ(たように見えた)たのが『追い足』だろう。
ヒョウはそう結論した。
「で、『追い足』と『引き足』をこれから教えてくれるの?」
「んなわけねーだろ」
ばっさり。
「俺は9日後にここ由島藩の藩主さんに呼ばれていてな。街道使わずに、山越えしてきたら、ちと早く着き過ぎちまった。だから、その間の暇つぶしだ」
幸谷の言葉に、せっかく基本2守に興味が湧いていたヒョウはガッカリする。だったら、何を教えるんだよと。梯子を外されたような気分だ。
「そう。だったら俺はこれから食い物探しに行く。帰ってくるまでに出てってね」
「え~っ、俺の暇つぶしに付き合ってくれよぉ~」
馴れ馴れしく肘で突いてくる。
ヒョウはイラッとしたが、このふざけた男を追い出す方法を知らなかったので、諦めた。