第23話 「喧嘩始末」
ヒョウとショウロは子供ながら、相手の攻撃を食らえば、ただでは済まないことを知っている。
よって、当然ながら、表情も真剣そのものだ。
フミは万斎が立会うお陰か、最悪の事態は免れると平静を取り戻したが、それとて、100%二人の安全を保証するものではない。
やはり、不安そうな表情は隠せない。
唯一、堀田蓮左のみが、二人の間に立つ万斎を、興味深そうに見ていた。
兄雪平と違って、蓮左は「烏丸流」が何かを知らない。聞き耳を立てていた為、剣術の流派であることくらいは察しが付いているが、それ以上の知識はなかった。
だが、蓮左の天才性は、万斎の只者ではない存在感を、何となくだが感じ取っていた。
万斎も、蓮左のことを面白そうな子供だとは感じていたが、今はそれどころではない。二人の喧嘩の仲裁の方が大事である。
万斎は多少の怪我や打ち身程度は気にしていないが、それ以上の怪我をさせるつもりはない。
万斎にとって、その程度のことは難しいことでも何でもない。
万斎が目指しているのは、二人を満足させつつ、大怪我をさせないように立ち回ることであった。
「(どうしたもんか……。いっそ、前言撤回して、喧嘩を止めてしまおうか)」
それが一番簡単である。
ただし、いくら大きな怪我もなく「決闘」を分けることが出来たとしても、遺恨が残るようでは下策である。次の決闘の際に上手く仲裁できる者が立ち会えるかどうか分からない。
子供らしい喧嘩。
激しく争った後は、さっぱりと仲直り。
それが理想である。
だが、二人の戦闘力を鑑み、それは極めて難しいことだと万斎は考えていた。
「(ええい、ままよ!)それでは――」
最初に仕掛けたのは、やはりショウロであった。
万斎が開始の合図の声を入れる前に戦闘が始まったのは、単純に、万斎の不手際であろう。
落とし所を思いつかないうちに始まってしまった。
「(何て喧嘩っぱやさだ。普通、合図を待つだろう……」
ショウロにはショウロの思うところがあった。
万斎はショウロと幸谷の間に一悶着あったことを知らない。
下段水面蹴りからの、二連中段蹴り。
下から上へ、父・カロと何度も繰り返している得意の連係だ。
ヒョウは水面蹴りこそ躱したものの、二連中段蹴りを食らってしまう。
「くっ!」
「声を出せるってことは、大して――」
通常、浅かったとは言え、得意の二連蹴りが決まったのだから、ショウロとしては、軽口の一つも吐きたいところである。
だが、ヒョウはそんな無駄な空気は読まない。
そもそも、ヒョウが蹴りを食らったのは、袈裟斬りを決める為に構えを上げたからだ。
防御ではなく、正眼から八双に構え直したから食らった。
その分、八双気味に構えている為、ショウロの蹴りが浅くなった。
つまり――
ビュッ
ヒョウの袈裟斬りがショウロの上着を裂く――とまでは行かないが、切っ先がかすった。
「(下段蹴りは読んでいて、それのみ躱し、その上で次弾は相打ち覚悟で袈裟で決めるつもりだったのか)」
通常、下段の攻撃は読まない。
下段攻撃は致命傷にはなりにくいからだ。
無手の組み手であっても、下段は基本的には「崩し」だ。
「(おそらく着物の下は血が滲んでるわね)」
カロとの組み手では絶対に味わえない、ヒリヒリとした緊張感をショウロは感じていた。
「(ヒョウがここまで使えるなら、ショウロって子は無手では無理だな。それにしても……)」
そもそも、無手で剣(木刀であっても)に挑むのは無謀である。
しかも、二人の場合、性格にも問題があった。
ショウロがオープニングブロウとして選んだのは、得意の連係ではあるが、必殺の連係ではない。
下段からの「崩し」である。
一方、ヒョウの場合、木刀であろうと、食らえば致命になりかねない袈裟斬り。
性格なのか、闘争に対する意識の違いなのか、二人には明確に差があった。
「(それにしても、あの坊主、さっきから二人の決闘ではなく、俺の方ばかり見ているな……)」
蓮左はずっと万斎を観察していた。
二人の決闘の行方ではなく――
「(あの御仁、どうやって止めるのでござろうか)」
その瞬間を見逃すまいとしていた。
ヒョウはもう一度袈裟斬りから入り、今度は胴払いに連係させる。
逆袈裟は教わっていない。
いずれも届かず。
「(ここで『追い足』を使えれば、決まってたんか)」
ヒョウは教わった三種の技、すなわち、袈裟、胴払い、突きのみで決めたいようだ。
一方、ショウロは最初の攻防で、ヒョウの木刀の間合いを、ほぼ掴んでいた。
恐るべき集中力と言えよう。
ただし、間合いを掴んだだけでは、無手での攻撃は届かない。
リーチが違うからだ。
拳を届かせるには、木刀の長さ分の距離を詰めなくてはならない。
「ふしゅー、ふしゅー……」
集中力が極限に達したショウロの口から、息が漏れる。
眼はらんらんと輝き、ヒョウの一瞬の隙すら見逃すまいと戦闘態勢を整えている。
今度はヒョウが仕掛けた。
ヒョウが足元の砂利を蹴り上げ、目くらまし一つ。
と同時に、一気に自分の間合いに入る。
ショウロは砂利の粒の全ての軌道が見えているのか、顔に当たる砂粒にも、微動だにしない。
ヒョウが間合いに入り、袈裟斬りを打とうと木刀が跳ねた瞬間、ショウロの軸足が爆発的に地面を蹴り、前蹴りのように出した左足がヒョウの左足付け根に食い込む。
しかし、この左前蹴りはヒョウを蹴り飛ばす為のものではない。
ショウロは左膝で、前蹴りの衝撃とヒョウの突進力を吸収させ、そのまま右膝を跳ね上げる。
カロを相手に、何度も何度も繰り返した必殺の連係。
身長差があるカロの顔面を蹴る為に開発した、身体を駆け上がり、膝蹴りを決める技。
猫種の身体能力無くしては、なかなか身につくものではない。
前蹴りからの分岐はいくつかあるが、最後に右膝を決める連係は、ショウロが最も得意とする連係であった。
顎へ膝を決める連係もあったが、ショウロが選んだのは即頭部を打ち抜く連係。
ヒョウが身体を仰け反らせて、顎への攻撃をかわす可能性があったからだ。
飛び上がって即頭部を狙う連係は、若干タイミングが遅れる分、避けようが避けまいが対応できる。
いわゆる、二択連係。
ゆえに――
ガキィッ
ヒョウの即頭部にショウロの右膝がガッツリ食い込んだ。
「(決まったッ!)」
とショウロが右膝を振り抜いた瞬間。
ドゴッ!!
体勢を崩したヒョウの木刀が、袈裟から逆胴へ軌道を変え、ショウロの胴にまともに入った。
「うっゲッ!!」
「(木刀を止めることなく振りつつ、膝を食らう瞬間、首を『強化』した!?)」
ヒョウの『強化』に気付いたのは万斎のみ。
「強化を刻む」訓練が、思わぬ副産物を生んだようだ。
瞬間的な超高速強化。
『強化』のバリエーションの一つではあるが、相手の攻撃に合わせての部分強化はかなり難度の高い技である。攻撃力を上げる為に使われることの多い『強化』だが、もちろん、防御にも使える。
ヒョウは首を強化したにも関わらず、即頭部に膝を受けて脳震盪を起こしていた。
ショウロの飛び膝の威力がヒョウの強化を上回っていたのだろう。
ただし、意識はあるようで、ヨロヨロと四つん這いでショウロに迫る。手には木刀を握ったままだ。
一方、ショウロは逆胴をまともに食らったのだ。それも連続強化によって速度も威力も上がった一撃を。
内臓破裂は免れたものの、内臓にもダメージは達しており、あばら骨も数本折れていることは間違いなかった。
万斎が見抜いた通り、ヒョウはショウロの飛び膝を食らう瞬間、首を『強化』していた。
さらに、袈裟斬り自体も、連続強化で速度を上げていたのだ。
ショウロは直前に二度、ヒョウの袈裟斬りを見ている。
その上で、軌道も間合いも掴んでいた。
だからこそ、飛び膝の連係が決まった。
だが、ヒョウも「袈裟斬りの軌道が読まれていること」を読んでいた。
読まれることは最初から織り込み済みだったのだ。
ショウロはその類稀な集中力で、直前に見た「強化されていない」袈裟斬りの軌道を読んでいたので、速度の上がった袈裟斬り――実際には膝を食らって軌道の変わった逆胴を食らったというわけだ。
「(砂利の蹴り上げといい、敵の錯誤を誘う直前の袈裟斬りといい、何ともはや、汚いと言うか、何でもアリと言うか……)」
内心、苦笑しつつも、万斎はある種の衝撃を受けていた。
あまりに実戦的過ぎたからだ。
少なくとも、子供の喧嘩の範疇ではなかった。
それは今まさにこの瞬間のヒョウにも言えた。
ヒョウは追撃の体勢に入っていたのだ。
「(紫堂はこういう剣は苦手だろうな)」
万斎は自分の息子のことを考える。
ヒョウは脇を押えて蹲るショウロに、四つん這いでヨロヨロと近付き、トドメを刺そうとしていたのだ。
ヒョウが木刀を振り上げた瞬間――
「馬鹿もん。さすがにここまでだ」
万斎がヒョウの腰帯を摘み上げる。
それを合図としたのか、ヒョウは意識を手放す。
「ショウロとやら、この勝負は引き分けだ。良いな! お前たちも良いな!」
フミは不安そうな表情で、コクコクと頷いている。
「(あの御仁、何も見せてはくれなかったでござるな)」
公平に見て、少年と少女の攻防は子供離れした見事なものであった。
それは大人だろうと、子供だろうと、見た者は誰もが感心するレベルのものであったろう。
真剣勝負とは、それだけで、人の目を惹き付けるのだ。
しかし、蓮左の場合、万斎が何も見せてくれなかったことを、ただ、残念に思うのみであった。
心残りだったのだろうか。
蓮左の伸ばした魔力紐が、ゆっくりと万斎に伸びる。
「そっちの坊主も分かったか? ちゃんと見てたよな? お前も見届け人の一人だぞ!」
万斎が足元を見ながら、ニヤリと笑う。
それは蓮左の伸ばした魔力紐が触れる瞬間であった。
蓮左が伸ばした魔力紐が一気に霧散する。
「承知いたしました」
万斎は気絶したヒョウを、10mほど離れたところにあった、丁度良さそうな石台の上に寝かせる。
「お嬢ちゃん、しばらく寝かせて目が覚めなきゃ、顔に水でもぶっ掛けて、起こしてやってくれ。脳震盪だから、早すぎても良くないが、長すぎても風邪をひいてしまう。頼んだぞ」
フミがコクコクと頷く。
「さて、ショウロ。お前は多分、あばらが折れてる。もしかしたら、内臓も傷つけているかも知れん。だから、由島の治癒術士に診せて治してもらう。何、俺のツテで何とかしてやる」
「……あり、が、ッうッ」
そのまま文字通り、内臓を刺す痛みを感じたショウロが涙を浮かべて、歯を食いしばる。
「下手に動くと、折れた骨が内臓を傷つけてしまうぞ。ゆっくりと一番楽な姿勢を探すんだ。その体勢のまま、俺が治癒術士のところまで運ぶ」
「お待ちくだされ。それがしの母うえは中級の回復魔術を展開出来ますゆえ、私が母うえに頼んでみましょう。ショウロ殿もヒョウ殿も、同じく母うえの手習いの弟子でござる。他生の縁がありましょう」
先ほどまで地面に座り込んでいた蓮左が、尻の土ぼこりを払いながら、進言する。
「ほぅ、展開ときたか。魔術と言うと、エバレット流かな?」
万斎の見立てでは、蓮左は身長こそヒョウより低いが、年齢はヒョウと同じくらいと読んでいた。
実際は7歳なので、当たらずも遠からず。
7~8歳の少年にしては、言葉遣いもしっかりしているし、先ほど、魔力網を自分に伸ばしてきた不敵な態度もある。
エバレット流魔術を会得しているとなれば、下手をすると、ヒョウやショウロよりも面倒なガキなのではないかと、万斎は考えを改めていた。
「左様でござる。大っぴらにはしておりませぬが、由島の治癒術師よりは速くて正確かと」
大っぴらに出来ない理由があった。
神和国で「魔術」と言えば、それは六海藩における「仙術」のことを意味する。
ここ由島藩は現在、天下分け目の戦いを控えた豊田藩側に属する。
一方、六海藩は豊田藩の呼びかけに応じていない。
つまり、由島藩にとって、敵となる可能性があるのだ。
ゆえに、大っぴらには出来ない。
7歳の少年が、そのことを理解している。
「確かに。ここから近いのか?」
「階段を下りて、数分も歩けばすぐでござる」
「(数分か……)では、言葉に甘えるとしよう。案内してくれるか?」
受け答えがとにかく大人びていた。
「数分」という短い時間の単位は、神和国においては大人でもあまり使わない。
二時間おきか、三時間おきか、鳴る頻度は地域によって変わるが、普段は時の鐘か、もっと大雑把に太陽の位置でおよその時間を知るくらいだ。
「分」という時間の単位を意識して生活している者は少ない。せいぜい30分単位か。
「(どういうガキだよ……)」
わずかのやり取りであったが、万斎の目の前で喧嘩をした二人よりも、蓮左の方が万斎の印象に深く残った。
何やら、嫌な予感と共に。
◇◆◆◆◇
「(寝ている時は、こんなに可愛い顔をしているのに……)」
フミが寝ているヒョウの髪をすいていると、ヒョウの即頭部に大きなコブが出来ているのを発見した。
「(あれまぁ、こんな大きなコブが……)」
もちろん、ショウロの右膝を食らった場所である
それは見る間に大きくなるようであった。
一応、好奇心と言うべきなのだろう。
指先でそっと触れてみる。
「(は、初めてコブを触ってしまいました……しかし……)」
フミは何故か、そのコブをギュウっと圧してみたい衝動に駆られる。
それが一体どういう衝動なのか、フミ自身にも全く意味不明だ。
とにかく、ぽっこりと腫れた患部を見ていると、邪悪な願望がふつふつと湧き上がる。
「(フミ、どうしちゃったの!? 何を考えているの!)」
尚も、さわさわとコブに触れる。
痛々しいのに、どうしたわけか、タンコブはフミの心を楽し気な気分にさせるのだった。
コブを見れば見るほど、笑えるのだ。
ここまで巨大なコブは見たことがなかった。
「(駄目よ、フミ! それ以上力を入れては駄目!)」
先ほどよりも、さらに腫れてきているようだ。
何故か笑顔のフミ。
患部がうっ血して腫れているのだ。
それは明らかに、ヒョウにとって不幸な出来事のはずだ。
それなのに、どうして自分は笑っているのか。
憎い相手なら分からないでもない。
他人の不幸を笑う下衆な了見と承知しつつも、11歳ともなれば、そういう感情の機微も理解は出来る。だが、ヒョウは憎いどころか、むしろ、好意を抱いている数少ない友達の一人だ。
フミは自分の気持ちが理解出来なかった。
「(一体、どこまで膨れるのでしょうか? まさか、ある瞬間、焼餅のように、プシュウと皮膚が破れるようなことはないと思いますが……うふっ)」
そんなわけがない。
11歳にもなって、そういう発想はあり得ない。フミは分かっていて、内心呟いているのだ。
ようは、タンコブを焼餅に例えて、楽しんでいるのだ。
「(どうせ破れるのなら、いっそこのまま指で押さえて……)」
「う、ん~」
「え?」
ヒョウが気付いたようだ。
ヒョウの身を案じていながら、どういうわけか、残念な気分になるフミであった。
フミは名残惜しそうに、ぽっこりと腫れ上がったヒョウの即頭部から指先を離す。
フミはこの日、怪我の中でもタンコブだけは特別なものであり、周囲を楽しい気分にさせるものだと理解した。
◇◆◆◆◇
狭い路地を入ったところに建つ、いわゆる九尺二間(約六畳)の棟割長屋であった。
土間を除けば、五畳にも満たないだろう。便所は長屋の端の共同便所、風呂は銭湯である。
堀田左内は傭兵稼業や、仕官活動(就職活動)によりほとんど家にいないので、狭いながらも何とか寝起き出来るスペースは確保できている、といった感じ。
金銭的に豊かとは、到底言えないだろう。
「しかし、大した術ですな」
「昔とった何とかでしょうか」
「『エバレット流回復魔術』、知識としては存じておりましたが、本日、初めて拝見させて頂きました」
現在、万斎とショウロは堀田家の長屋に上がりこみ、その狭い一室でショウロの怪我を堀田ゆきに診せていた。
既に治療が始まって、30分といったところか。
随分とショウロの表情も柔らかくなってきていた。
痛みが引いてきているのだろう。
「万斎様にお願いしたいことがあります。今回は怪我人がショウロちゃんですし、蓮左の申し出があったとのこと。息子の友達ですから、喜んで診させて頂きますが、ここ由島藩は豊田派です。出来れば六海藩ゆかりの者と知られたくはないのです。お察し下さい」
「いずれ息子さんの口から聞くことになるかも知れませんが、私は烏丸衆です。烏丸の名に賭けて、決して、堀田殿には迷惑をお掛けしないと誓います」
「まぁ!」
堀田ゆきが驚いた声を上げ、蓮左の方を向く。
蓮左は、母・ゆきの『回復魔術』を、恐るべき集中力で観察していた。
蓮左の視線は、ゆきの手元から離れない。
烏丸衆のことは、ゆきも知るところなのだろう。
現在、烏丸衆は豊田藩側に「技売り」という形で組している。
万斎はそのことを、敢えて自分の言葉で伝えた。
「今回、豊田藩にしばらく雇われることになりまして、たまたま町内を散策しておったのです。すると、廃社の境内で見知った子同士が『決闘』などと口走り、喧嘩の気配。仕方なく立会人を務めました」
「『決闘』とは穏やかではありませんね」
「全くですよ。この子がこんな大怪我をしたのは、まさしく私の不甲斐ない結果ですが……その、どうにも、ヒョウもショウロもとにかく喧嘩っぱやくて」
「……」
ショウロは何も答えない。
「万斎様とショウロちゃんとはどういう関係なのでしょう?」
「実はこの子のことは、ほとんど知らんのです。ヒョウの方を多少知っておりまして、簡単に言うと、ヒョウの師匠が私の友人なのです」
「とすると、幸谷様も烏丸衆なので?」
「幸谷をご存知でしたか。あの馬鹿者は、師を名乗っておりながら、ヒョウに『心』を教えることを失念しておるようです。帰ったら、キツく言い聞かせるつもりです」
「一度、ヒョウさんの手習いの挨拶に来ましたが、さっぱりとした、なかなか気持ちの良いお方でした。しょせんは子供の喧嘩ですから、ヒョウさんにも、幸谷様にも、あまりキツく当たるのはお止め下さいまし」
「いえ、ヒョウはまだ正式にこそ、烏丸村の一員ではありませんが、戦場でもないところで、町人と喧嘩沙汰など、許されることではありません。灸を据えるくらいはさせてもらいます」
ゆきの申し出に、「とんでもない」と言った様子で、万斎が拒否する。
断固たる態度を取るとの宣言だ。
「では、なるべく優しく……さて、終わりました」
「約30分といったところですか。それも、私と話しながら」
「骨折は骨よりも、傷ついた内臓の方が怖いのですよ。骨が裂けて内臓に深く刺さっていると厄介ですが、今回は綺麗に砕けていましたからね」
「そういうものですか」
万斎は治癒術については全くの素人なので、堀田ゆきの言葉を、そんなものかと納得するのみだ。
「ショウロちゃん?」
「はい」
ゆきは命の――とまでは行かないまでも、ショウロにとってはほとんど奇跡とも言うべき魔術で治してくれた恩人だ。
ゆきの言葉に神妙な態度で返事をする。
打ち身や捻挫などと違って、内蔵を刺す痛みは、ショウロをして、殊勝な態度を取らせる程度には、重症だったのだろう。肉体的な意味においても、精神的な意味においても。
「何日かは、便や尿に血が混じることがあるけど、心配しなくても大丈夫よ。ショウロちゃんはまだしばらくは手習いに来るんだから、明日もこっそり診ます。それと、私に診てもらったことは、皆には内緒にしてちょうだいね」
「……分かりました」
「じゃぁ、ショウロ、家まで送ろう」
「は、はい……」
一応、先ほどまで骨折していたのだ。体力も消耗している。
練兵場に戻るのはさすがに億劫であった。日が落ちるまでに、また練兵場からレイナトの長屋に戻らなくてはならない。
ならば、このままレイナトの長屋に行くしかない。
カロへは万斎かヒョウが適当に伝えるだろう。
今日のことが、いずれカロに知られることは仕方ないにしても、レイナトまで知ることになるのは、何とも面倒なことだと、ショウロは暗澹たる気分になるのだった。
主に、喧嘩で引き分けたことについて。




