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 第1話 「ヒョウ」

【第一章】 神和国編

 第1話 「ヒョウ」



 由島(ゆしま)八川(やつかわ)村と姉坂(あねさか)村の村境には、人の手がほとんど入っていない、峻険な山々が広がっていた。主街道からは遠く離れており、運搬の便から、材木目的の木こりの手が入ることも少なかった。

 標高は500m以上、1000m未満といったところであろうか。高さはそれほどでもないが、道が悪かった。利用する者が少ないのだから、舗装されることもなく、人の行き来を阻んでいた。

 山菜や薬草の類は豊かであったが、その分、魔物の危険性も高いとあっては、好き好んで登る者もいない。

 また、山岳信仰の修験者が登るには、標高が低く、近隣の村人が里山として利用するには高すぎるという、なかなか利用の難しい山々であった。


 その中の一つ、低い木が茂った場所で、少年はジッと目を凝らし、獲物が自分の射程に入るのを待っていた。


 歳は7~8歳くらいだろうか。身長は120cm程度。顔だけはたまに洗っているようだが、手足は薄汚く、不器用になめした動物の皮を足に巻きつけて履物としている。


 慢性的な栄養不良なのか、酷く痩せている。顔色もあまり良いとは言えないだろう。目だけがギラギラ――としているわけではなく、疲れ果てているように見える。数日はまともに食べていない様子が伺えた。

つまり、少年の狩りは子供の遊びではなく、生活の基盤なのだということが見て取れた。


 着物はボロボロで、色落ちした柄は、元はどんな色だったのかも分からない。逆にそのことが迷彩として一役買っているという有様だ。

どこかの戦場で拾ってきたのだろう。右手に持った脇差し用の小刀は、それゆえに少年の扱う武器としては重さ、長さ、ともに十分であった。


 この少年くらいの歳になれば、農作業などの手伝いをすることは普通のことである。

 また、百姓たちによって管理されている里山で、子供同士、魚や蛙、昆虫や山菜などを採取することは、ある種の社会勉強でもある。そうやって、村で暮らしていく方法を、自然と学ぶのだ。

 それはどこか牧歌的で、のどかな山村の日常風景として昔から続いていることであった。


 しかし、今、少年がいるような、人の手がほとんど入っていない山奥で、10歳にも満たない少年が狩りをするとなると話は別である。

 理由は簡単だ。

 危険だからだ。


 「くそ…青鬼(あおおに)がいやがる…」


 人の手が入っていない山は、魔物がいるから危険なのだ。ただでさえ、飢えや渇き、怪我などで危険なのに、積極的に人を襲ってくる魔物がいるのだ。

 魔物だけではない。

 山犬や熊などの通常の獣も十分危険だ。うっかり獣道に入ってしまえば、猪の突進を受けてしまう可能性もある。何しろ、猪は数が多い。子供が突撃を受ければ、当たり所が悪ければ即死。即死でなくとも、致命傷は免れないだろう。子供が一人で、山中で動けなくなれば、やはり魔物や山犬の餌になるだけだからだ。


 つまり、少年が里山以外の山で狩りなど、本来あり得ないのだ。

 そもそも狩り以前の話として、子供が里山以外の山に足を踏み入れれば、その雰囲気と、人外の気配を察知し、引き返すのが普通である。


 一体、少年はなぜこのような危険な山で狩りなどをしているのだろうか。

 少年の狙う獲物は、自身が隠れている茂みから10mほど離れた木の根元にいた。


 巣穴を掘っているのか、それとも小さな虫でも探しているのか、前足と後ろ足を器用に使って土をかいている角ウサギだ。

 問題は、その角ウサギからさらに20mほど離れた場所にいる、2匹の『青鬼』であった。青鬼は「ギャギャ」「ギャーッギャッ」と何を話しているのか、騒がしい。

 少年は自分の危険よりも、角ウサギがそれに驚いて、逃げ出しやしないかと、ハラハラしている。


 青鬼とは、身長100~120cmほどの濃い緑の皮膚をした二足歩行の魔物である。

 オスの頭には親指の先ほどの小さな角がある。

 肉はそのままでは臭いが、殺した直後に魔核を抜いて血抜きをし、内臓などを丁寧に下処理した後、半日ほど水に晒して魔力を抜く。さらに濃い塩水に漬けてから天日干しすれば食用になる。


 食用に加工してしまえば、不味いわけではないのだが、食べるまでに手が掛かるので、青鬼を好んで狩る者はいない。基本的には、増えすぎないように個体数調整の為に狩るだけの、害獣という扱いが一般的だ。


 ただし、それは里山での話。

 人の手が入っていない山では、個体数調整の必要はない。勝手に魔物同士で潰し合い、最適な数に調整されるからだ。


 魔物の肉は当然、魔力を帯びており、魔物ごとに食用に適した魔力と適さない魔力がある。個人で程度の差はあるが、頭痛、吐き気など、二日酔いのような、「魔力酔い」と呼ばれる症状を起こすことがあるのだ。

 青鬼の場合はそのままでは食用に適さないので、魔力を抜く工程が必要になるというわけだ。


 青鬼の寿命は15~20年ほどで、歳をとるにつれ、皮膚の色が薄くなる。繁殖力旺盛で、環境にもよるが、メス1匹あたり一生に、20~30匹産むと言われている。

 野犬や狼、熊などの動物。さらには黒狼(こくろう)大牙猫(おおきばねこ)赤鬼(あかおに)猪鬼(ししおに)三色熊(さんしょくぐま)牛鬼(うしおに)などの魔物。それらほとんど全ての大型肉食種が天敵となる。

 青鬼は雑食性で、数こそ多いが、森におけるヒエラルキーの最下層に位置する魔物である。


 しかし、二足歩行型の魔物常として、知能はある為、優秀な変異種が誕生した場合、巨大な巣を形成することがある。一旦巨大な巣を形成してしまうと、下手な魔物では数に圧倒され、一帯を青鬼が支配してしまうことも珍しくない。

 そうなると、人族の小さな村など簡単に飲み込んでしまう。

 間引きを怠ると、大変危険な魔物でもあった。


 魔物か魔物でないかの差は単純だ。

 身体のどこかに魔核(魔核を磨いて魔道具用に加工したものが魔石)があるか否か。魔核があれば魔物というわけだ。

 青鬼の場合、肛門と性器の間に直径1~3cmほどの魔核がある。二足歩行の魔物はほとんどが青鬼と同じく、肛門と性器の間に魔核がある。


 魔物はその魔核ゆえに、上位種へと変異する場合がある。

 青鬼は歳をとると色が薄くなると先述したが、上位種は逆に色が濃くなったり、角が肥大したり、中には皮膚が赤銅色になる個体なども確認されている。特色は一様ではない。


 通常、武装した人族が1対1で不覚を取ることはないが、それでも2匹相手にすれば十分に危険である。3匹以上になると、これは相当な腕がないと、無傷で掃討することは難しい。

 体格が同等の――例えば子供が1対1で青鬼を相手にすれば、その子供は間違いなく撲殺されるだろう。


 ゆえに、先の少年の言葉だったのだ。

 じっと身を潜めること数分、2匹の青鬼は行ったようだ。


 「(2匹じゃ勝ち目はねぇしな…)」


 少年は心の中でつぶやくと、目の前の角ウサギに集中する。


 実は、少年は過去に青鬼を狩ったことがある。

 その時は青鬼が1匹の時で、さらに自分の方が少し高くなった有利な場所に位置していた為、奇襲が成功したのだ。

 今回は2匹、地理条件も悪かった上に、目の前には一心不乱に穴を掘っている角ウサギがいる。

 選択の余地はない。


 少年は角ウサギの左上方に投石。石は木に当たり「コンッ」と音を出した後、「ガサッ」と下に落ちた。

 角ウサギが穴を掘るのを止めて、音のした方向を伺う。様子を伺う為に、耳をあちこちの方向に向ける習性は、普通のウサギと変わらない。

 少年はさらに左手前に投石。直後、角ウサギは危険を察知し、大きく跳ねる。少年のいる方向に逃げようとするが、少年は茂みをガサガサと音を立ててけん制、すぐに右側に周る。

 前方は大木、左側はダメ、茂み側もダメ。角ウサギが残った右側に首を向けると、右側には細い獣道があった。角ウサギの逃げ道は決まった。


 角ウサギは即座に細い獣道に向かって跳ねるが、そこには既に回り込んだ少年の小刀が待ち構えていた。



 ◇◆◆◆◇



 少年は岩壁の隙間からチョロチョロと流れ出る湧き水で、手と口元を洗う。角ウサギの血で汚れているからだ。


 少年は胃袋が背中にくっつきそうなほど飢えていた。


 昨日は獲物にありつけず、干したトカゲを齧っていただけである。何の味もしない、苦いだけの干したトカゲであったが、ナメクジや昆虫の類に比べれば、まだマシであった。


 もしも今日獲物にありつけなかったら――というのが、今日起きて最初に考えたことである。いや、今日に限らず、食事の心配は、この山に来てから毎朝の日課となっていた。


 少年の知識、勇気、体力、時間、それら全てが食べ物を探すことに費やされていると言って良かった。それでも尚、生きているだけで――否、死なないだけで精一杯であった。

 少年のガリガリに痩せた身体がそのことを証明していた。

 しかし、今日は違う。


 獲物があるのだ!


 少年の足元にはわずか7~8歳の子供が処理したとは思えないほど、綺麗に肉と毛皮が分けられた角ウサギがあった。ご丁寧に、大き目の葉にくるまれている。


 「(久しぶりの角ウサギの肉だ…)」


 獲物を狩れた達成感と、味を想像しての期待感とで、口元がニヤニヤしっぱなしである。

 狩った獲物をどうやって食べようかと考えるのは、狩った者だけに許される特権だろう。その特権を少年は十分行使していた。

 それでも、すぐに小屋に飛んで帰らないのは、どういった心境だろうか。わざと勿体ぶっているのだろうか。

 獲物がない時はすぐに帰るのに、獲物がある時に限って、空腹にも関わらず、モタモタする。食べるまでの時間を楽しもうと、そういった心理が働くのであろうか。

 ともかくも、少年は幸福であった。


 季節は秋。

 少年はまるで意識していないが、冬が間近に迫っていた。肉でも木の実でも、大量に蓄えなくてはならない。冬になれば、獲物も減るからだ。雪でも積もれば、少年の寝倉から狩場に出ることすら困難になるだろう。

 そうなれば、餓死、あるいはカロリー不足で体温が低下し、凍死。

 少年の喜びは理解出来るにしても、本来、幸福を噛み締めている場合ではない。残された時間は多くはないのだ。


 角ウサギは子供にとっては十分大きいので、2~3日は腹いっぱい食えるだろう。今日は右足、明日は左足、明後日は――考えているだけで、少年の口の中には自然と涎が溢れてくる。


 ちなみに、少年の手だけではなく、口元にも血がついていたのは、肝臓を生で食べた上に、血を飲んだからだ。

 別に少年が吸血族というわけではないし、極限の飢えが生肉を喰らわせたわけでもない。

 以前、岩塩を舐めて、腹を壊したことがあり、それ以来、少年は動物の血液から塩分を補給するようにしているのだ。肝臓は腐りやすいが、栄養がある上に、血も合わせて塩分補給にもなる。


 山で生きるための知恵ではあるが、もちろん、血液に塩分やミネラルが含まれているなどの知識が少年にあったわけもなく、偶然、獲物の血を舐めたら、「美味しく感じた」からに過ぎない。

 身体が欲するものを摂取したら、結果的に、少年の食生活環境においては良いものであった、ということだろう。


 なるほど、少年はこの年齢にして、一人で生きているようだ。

 しかし、少年にとって敵は、自然や魔物だけではない。人もまた、敵となりうるのだ。

 自分以外は、全て敵。

 少年にとって、山とはそういうものであった。


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