14粒目:わたくしはカコさんに借りを返さなくてはいけませんの
ふう、体育が終わった。
とりあえず喉の渇きを癒そう。
水飲み場で蛇口を捻り、飛び出した水に口をつける。
──ぶはあっ。
頭をさわさわ撫でられる感触に吹き出してしまった。
「太郎やめろ!」
やっぱりだ。
振り向くと、クラスメイトの太郎。
「撫でたくなるものは仕方ないだろう」
「仕方なくないってば! 鼻に水が入ったじゃないか!」
「ごめんごめん。その代わり食堂で撫で撫で代として味噌汁奢るからさ」
「安っ!」
ボクの頭は三〇円か……。
まあいいや。
どうせ食欲もないし。
──生協カフェテリア。
バイキング式になっているので予算に応じて食べられるのが便利。
まだ半ばオリエンテーション期間のせいか、昼時なのに結構空いている。
おかげでテーブルはボクと太郎の独占状態。
眼前のトレイには御飯と豚汁が載っている。
「太郎、ありがとう」
横を向いて、太郎に頭を下げる。
試しに言ってみたら、味噌汁を豚汁にグレードアップしてくれた。
こいつ、何ていいヤツなんだろう。
「いいってことよ。その代わり四日間は撫で撫でさせてもらうからな」
別に構わないけど……。
こいつ、一体どんな趣味をしているのだろう。
再び、頭をさわさわ撫でられる。
「だから太郎、やめろってば!」
「俺、ここ」
あれ?
そういえば太郎はボクの隣に座っている。
じゃあ、後ろの人はもしかして?
「ツインテールは切っちゃいましたの?」
「マ、マリ!?」
「薫サマ、ごきげんよう」
この虫も殺さない様な天使の微笑み。
何てふてぶてしい。
でも……それ以前に何の用事?
しかも「薫サマ」って何?
向こうとしては二度とボクに関わりたくないはずだけど。
「薫、このすんごいかわいい人お友達?」
ああ、ここにも騙された人が一人。
この女はこうやって下僕を増やしていくのか。
「橘と申しますの、薫サマを少々お借りしてもよろしいかしら」
「返してくれるなら」
太郎はそう言って、マリに席を譲る。
しかしマリはボクの友達じゃないし、ボクは太郎のものではない。
──マリが太郎の後ろ姿を見やってから話しかけてきた。
「随分と貧相な食事ですわね」
「大きなお世話だよ」
「時間とらせるお詫びに私が主菜を奢ってさしあげますわ。お待ちになって」
マリが立ち上がり、おかずの載った皿を持ってきた。
「召し上がれ」
「コロッケ? 何だか似合わないものを」
「そんなことありませんの。ウスターソースをどぼどぼにぶっかけて潰して伸ばして食べれば、いくらでも御飯をおかわりできますの」
それはそれでおいしそう。
案外カコさんとマリって気が合うんじゃなかろうか。
……じゃなくって。
「とてもお嬢様の台詞には聞こえないんだけど」
「わたくし、自分のことを『ウルトラハイパーかわいい』と言った覚えはあっても『お嬢様』と言った覚えはありませんの」
「でもその外見は──」
「お金だけはある家ですの。ですけど由緒も家柄もないですし、あまり他人様に胸張って言える商売じゃありませんの。学校も大学からの外部入学ですし」
マリはさもつまらなそうに訥々と語り続ける。
「だからカコさんが尚更妬ましかったんですの。あの方は付属小学校あがりの生粋のお嬢様。家は名門華族の流れで、父親は若くして総理。常識人ぶってる割に世間知らずで突飛な行動繰り返すのが、見ていてイライラしますの──」
はあ……つまりは嫉妬か。
共感はできないが理解はできる。
「──ま、良くも悪くも天真爛漫で純真でお人好しですわね。わたくしと違って」
マリが軽く溜息をつく。
「まさか、そんなことをグチりに来たわけでもないよね?」
マリとしては、口にわざわざ出した辺り「今後一切手出しはしませんの」と念押ししたつもりなんだろうけど。
「ええ、まずは約束守ったことをお伝えしようと思いまして」
「わざわざ?」
「その方が安心するんじゃありませんの? わたくしの下僕達はきっちり口止めしましたの。ぱふぱふとかぱんぱんとか、体こそ許しませんでしたけど大変でしたの」
「ぱふぱふ? ぱんぱん?」
「責任をとるとはそういうことじゃありませんの?」
こいつ、ボクの想像の上をいきやがった!
言葉を出せないでいると、マリが続ける。
「本当の恥は粗相したことでも、それを拭かされたことでも、ぱふぱふでもぱんぱんでもありませんの。自分の吐いた言葉を違えることですの──」
なんて堂々とした物言い。
もう、ただ、呆気にとられるしかない。
「──わたくしは今後も他人をバカにしてコケにして踏みにじる生き方しかできませんの。わたくしにとって他者は快感を得るための道具でしかありませんの」
「……少しは反省しなよ」
やっと言葉が出た。
「そこを反省する気はありませんの。わたくしはわたくしが一番かわいいんですの。でも──」
マリが言葉を溜める。
「でも?」
「──だからこそ、わたくしはわたくしを裏切れませんの」
いわば悪役の矜恃か。
最悪すぎる……けど、ここまで言い切られるとかえって清々しい。
「見上げたものだ」
つい、口をついてしまった。
するとマリが照れた様にほんのりと頬を赤らめた。
「それに薫サマとの約束でしたもの……」
そんな矜恃を褒められて喜ぶなんて、やっぱりマリは頭が沸いてる。
ボクとしてはマリとこれ以上話すことなんてない。
とっとと切り上げよう。
「じゃあコロッケ御馳走様」
結局半分も食べちゃいないけど。
しかし立ち上がろうとするとマリが制止してきた。
「まだ話は終わってませんの」
「何さ?」
「薫サマ、カコさんのカレシなんかじゃありませんわよね?」
「……カレシだよ」
言葉に詰まってしまったけど、何とか答えきる。
だけど胸が痛い。
マリなんぞに嘘を吐く罪悪感は持ってないけど。
「それでしたら、どうしてあの時隠れてたんですの? それが全てですの」
こういうところだけは沸いた頭でも回るんだな。
「だったらどうしたのさ」
「それで先程の話の続きですけど──」
マリが言葉を溜める。
どこの話の続き?
「──わたくしとお付き合いして欲しいんですの」
はあ?
今何て言った?
「マリって……その……言っちゃなんだけど……バカ?」
ここは言葉を選ばない。
バカじゃなければ、また何かを企んでるとしか思えない。
「バカですわ。だから二度とあんなことしない様にわたくしを導いてほしいんですの」
「どうしてボクがそんなことしないといけないのさ」
「わたくしにお仕置きしてくれたのは薫サマが初めてですの……」
まさか、変な方向に目覚めた?
ボクは表情に出したのか、マリが慌てた様に訂正する。
「いえ……あの……わたくし、両親にすら叱られたことありませんの。だから実はあの時……体の芯が熱くなったんですの……それもわたくしよりもかわいい男性に……」
訂正されたら、もっと変態的にしか聞こえなくなった。
「断る!」
「わたくしだって自分が毒々しい蛾だってことは自覚してますの。できるものなら清らかな蝶々に生まれ変わりたいですの。薫サマならその夢を叶えてくれそうですの」
マリはそう言いながら、ボクの腕にすがるがごとくしがみついてきた。
腕を振り回して解こうとするも離れない。
「離してよ!」
「離しませんの! 先日のことなら土下座でも生爪剥ぎでも何でもしますの! 薫サマがやれと命じるならカコさんのヒールの裏だって舐めますの!」
「ええい、ボクには好きな人が──」
立ち上がりダッシュ!
──ドンと鈍い音、そしてガラガラと食器の転がる音。
振り返ると、トレイを持ったまま呆然とする生徒。
その足元には尻餅をつき、頭からうどんを被ってしまったマリがいた。
「痛いですの……熱いですの……」
※※※
運動グラウンド。
ボクとマリは観戦席に整備された芝生の上に座っている。
側にある木の枝に、マリのさっきまで着ていた服が棚引く。
ついでに白いブラとパンツも葉陰に紛れながら棚引いている。
「すーすーしますの」
「そんなの口に出さないで!」
マリ自身はTシャツと短パン、次は体育の授業なので持ち合わせてたとか。
ただノーブラなのを隠すため、ボクのシャツを上に羽織らせている。
「髪がばさばさごわごわしますの」
「そりゃそうでしょ」
トイレの液体石鹸なんかで頭を洗うからだ。
さすがに放ってもおけないし、半分はムリヤリ振りほどこうとしたボクのせい。
乾くまでということでこうして付き合っている。
マリが遠目をみやりつつ、呟くように聞いてくる。
「薫サマの好きな人って、カコさんですのね」
「な、何をいきなり!」
「聞いているだけですの。でも付き合ってはいませんのね」
「……うん」
一瞬躊躇いはしたものの、素直に認めた。
マリ相手に認める必要はないんだけど……。
ただボクの中には行き場のない想いが渦巻いている。
少しでも出口に向かうきっかけにならないだろうか。
そう思って口に出してみた。
マリが溜息をつく。
「はあ……そうですの」
「そのつまらなさそうな顔はなにさ」
「だって既に付き合ってるなら、どんな手段を使ってでもカコさんから奪いますもの」
「はあ……」
今度はこっちが溜息をついてしまう。
論理としても理解できないけど、この自信はいったいどこから湧いてくる。
──と思いきや、続くマリの台詞は意表をついた。
「でも、それは許されませんの。わたくしはカコさんに借りを返さなくてはいけませんの」
「はあ?」
「あのとき薫サマを制してくれたのはカコさんですの」
「いや……どうしてカコさんの借り云々?」
ボクにってなら、まだ話わかるけど。
話に脈絡なくて、まるでわからない。
「きっと、薫サマのその答えは全てですの。カコさんはあの後、薫サマになんて言いましたの?」
マリが真っすぐに見据えてくる。
まさに毒蛾としか言いようのない女だけど、なぜか今ばかりは瞳が透き通って映った。
これくらいなら……差し支えないか。
「『落ち着いたら顔を出すから』って、『約束するから』って」
マリが再び前方を向く。
「そうなんですの」
えと……。
「他には?」
「それだけですの」
「おちょくってる?」
マリが首を振る。
「きっと薫サマがどう動こうと、結論は同じですの。ただ……もっとうまくいくためのおまじないを薫サマに授けますの」
「おまじない?」
「もし、その時が来たら、ある言葉をカコさんに言ってあげるといいんですの。それはわたくしと隆一が持っていて、薫サマとカコさんが持っていないものですの」
「なんだそりゃ?」
マリが立ち上がり、草を払う。
そしてどこか寂し気な瞳で見下ろしてきた。
「それは御自分で考えてほしいんですの。わたくしだって好きになった人を別の人とくっつける真似、本音ではしたくありませんの」
「あ……ありがとう」
なんと答えていいかわからず、とりあえず礼を口にする。
するとマリは微笑を浮かべた。
「どういたしましてですの。二人で過ごせて、束の間ですけど蝶々になる夢叶えられましたの──」
続けて荷物を手にし、仰々しく一礼をする。
「──では、ごきげんよう」
くるりと踵を返し、マリが去っていく。
その後姿が見えなくなったところで、芝生に大の字になりながら寝転がった。
マリには申し訳ないけど……話して気が楽にはなれた。
どう行動しても結果は同じか。
一人で悩んでいてもしかたないし、ここはマリの忠言にすがってみよう。
そして、おまじない。
その答えもきっとこれ。
二人が持ってないだけではない。
二人にとって必要で、二人とも欲しがっている言葉。
あとは来るべき時に口にするだけ。
それを形にすることが、ボクのカコさんに対するキモチなのだから。