番外編:思ひつつ、
帰還後のアカリ。まったくラブコメではないので嫌な方はスルーしてください。
異世界トリップなんて、まるで夢の中の出来事みたいだ。
けれど夢ではなかったのだと訴えるように、制服のブラウスの下で金の指輪が鎖に通されて揺れている。あたしの手元に残る、あの世界での出来事が現実だったのだと告げるモノ。
「はい教科書ひらいてー。和歌の続きからね」
拍子抜けするくらい簡単に日常は戻ってきて、あたしは今日も女子高生をやっている。
向こうに置いてきたスカーフとか、汚れた制服とか、そういったものはクリーニングのあとに部屋のクローゼットに押し込められたまま。幸い卒業生だったおねえちゃんの制服を譲り受けて着ている。あれだ、血の汚れって、綺麗には落ちないよね。
「この歌はあの美人で有名な小野小町のものね、意味は――」
授業の内容なんて頭に入ってこない。窓際の席でよかった。ぼんやりと窓の向こうを見ていることができる。
右から左へ聞き流していた先生の説明のなかで、すとんと頭のなかに響いてくるものがあった。
ぐっと、心臓を掴まれるみたいに苦しい。溢れそうになった涙を誤魔化すために、あたしは居眠りをするふりをして机にうつぶせた。
一日がびっくりするくらいに長い。疲れることなんて何もしてないくせに、疲れ果てて家に帰り着く。まだ誰も帰ってきていなかった。
自分の部屋を開けるとき、またどこか別の世界に飛ばされたりしたら――なんて考えていたときもあった。けれどそれも、向こうから戻って一週間もすればなんとも思わなくなる。平凡な部屋はいつもどおり静かにあたしを迎え入れた。
予習なんて柄じゃないし、そんな余裕は今のあたしにはない。けど、昼間の授業を思い出して古典の教科書を鞄から引っ張り出す。
教科書に載った和歌を眺めながら、その文字を指でなぞった。
「思ひつつ、寝ればやひとの、見えつらむ、夢と知りせば……覚めざらましを」
有名な和歌らしい。以前のあたしには、古文なんて謎の呪文にしか見えない。けれど何度も何度もその和歌を諳んじた。
――あなたのことを思ってばかりいたから、あなたは夢に現れたのかしら。夢と知っていたのなら、決して目覚めたりしなかったのに。
不思議だな。はるか昔の人でも、おんなじことを考えるんだな。
そう思ってしまうと、それは謎の呪文ではなくなった。
夢に見るのは、いつだって最後のシーンだ。
光の洪水のなかで、彼はあたしをみている。
ばいばい、フランツ。
――――だいすきだよ。
ずっと口に出せなかった彼の名前のあとに告げた、人生ではじめての告白は、きっと向こうに届いていない。届いていないことをわかっていながら、口に出さずにはいられなかった。
届かない告白と一緒に、異世界での恋ともおわかれするつもりだった。
それなのに何度も夢を見る。まるで本能が忘れるなと訴えているみたいに、何度も何度も。
けれど、選ばなかったのはあたしだ。
選べなかったのはあたしだ。
こらえた涙がじわりと滲んできて、教科書の上にぽたぽたと落ちる。
「……そんなあたしが、夢でもいいから会いたいなんて」
言えるわけ、ないじゃないか……。