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38:この秘密を知るのが怖かった?

 アカリはその場で手記を開いた。

 部屋の灯りをつけないままだったが、アカリの手にあった灯りだけでは読みにくいだろうとルティアナは灯りをつける。

「……読めるの?」

「うん、読めるよ。ちょっと字が古いところもあるけど」

 字が古いとはどういうことだろう、とルティアナは首を傾げる。

 アカリは一ページ目をじっくり読んだあと、ぱらぱらとページをめくる。

 そしてページをめくる手が止まったかと思うと、アカリは口を開いた。

「……『アークライト公爵領に来てからというもの、毎日ダニエルが花束を贈ってくれる。そろそろ部屋が花で埋まってしまいそう』」

「……はい?」

 どんな言葉が紡がれるのかと緊張したルティアナは、思わず聞き返してしまう。

「『侍女の方におすそ分けしてもしても増えていく。花はもう十分だと告げたら、今度はお菓子をもってきた。このままじゃ太りそう』」

 アカリは律儀に続きを読んでくれるが、聞いてるルティアナは目を白黒させていた。予想とかけ離れすぎている。

「これ、前半はほとんど惚気だね」

「のろけ」

 呆然としながらルティアナはアカリの言葉を繰り返した。

 手記ということはプライベートなことも書いてあるのだろう。この可能性を考えなかったわけではないが、想像していたものからかけ離れていてルティアナは困惑するしかない。

 そのあとも改めてプロポーズされて結婚することになった経緯がのろけをまじえて書いてある、とアカリは笑う。

「『妊娠しているらしい。ダニエルは泣きながら喜んでいた』……ダニエルっていうのが、アークライト家の人かな」

「……曽祖父ね」

 仲睦まじい夫婦だったとは聞いている。どうやら誇張されていたのではなく、事実だったらしい。

「……アカリ。後半に書いてあること、読めるかしら」

 ルティアナはページをめくり、アカリに問う。

 涙の滲んだページだ。ルティアナはずっと、ここに元の世界へ帰れないことを嘆いた言葉が綴られているのだと思っていた。

 アカリはさっと、そのページを一読する。

 黒い目が文字を追いかけるのを、ルティアナは緊張しながら見つめた。

「『かえりたい』」

 幼いあの日、ルティアナが見つけた言葉がアカリの口から出てきて、びくりとルティアナは肩を震わせた。


「……『帰って、両親に子どもを見せたい。お礼を言いたい。帰りたい』」


 アカリはゆっくりと、静かに言葉を紡ぐ。そこにある思いさえも声にのせるように。

 それは。

 ルティアナが想像していたような、後悔と絶望に満ちた言葉ではなく。

 元の世界へ向けた愛と、この世界で育んだ愛を織り交ぜた、祈りのような言葉だった。


「……ルティは、この秘密を知るのが怖かった?」


 アカリは手記を閉じながら微笑む。

 王城で手記の説明をしていたとき、アカリはあの場にいなかった。

「……知っていたの?」

「王子と話してる時、ちらっと聞こえたから」

 なんのことか、あの時はよくわからなかったけど。アカリは苦笑する。

 怖かった。

 そうだ、ルティアナは確かに怖かったのだ。

 どうやってもルティアナには、異世界で生きるということの辛さがわからない。生まれ育った世界と突然呼び出された世界を天秤にかけて、どれだけの苦悩とどれだけの決意の元でどちらかを選ぶかなんて、結局想像しかできないのだ。

 寄り添おうと心を尽くすことでしか、ルティアナはマコトを慰めることができなかった。

「……そうね、とても怖いわ」

 ルティアナは手記を見下ろして、小さく呟く。

「人は、平気なフリをできるから。どんなに笑顔でいても、心の底には悲しみが積み重なっているかもしれないから」

 それを、教えてもらえなければ。

 他人には、正しく伝わらない。

 いつかマコトが、嘆く時がくるかもしれない。その時にこの世界のすべてを恨み、呪うかもしれない。

「……その手記を暴いて、そこに曾祖母の苦悩が詰まっていたとしたらと思うと、マコトには見せられなかったわ」

 それはもしかしたら、未来のマコトの姿なのではないか。

 そんなものを、マコトに見せたくなかった。ルティアナが彼に与えるものは、そんな害あるものであってはならなかった。

 あの日。

 ルティアナがマコトを見つけたあの日。

 この人を守るのだと、決めたのだから。

「人間なんだからさ、悩むことはあるよ。些細なことで不安になることもある。先代の聖女さんは、自分の意思でこっちの世界に残ったわけじゃなかったかもしれないけど」

 アカリは手記を見つめる。

 黒曜石のような瞳が、安堵とやさしさを滲ませて細められる。

「ルティアナの曾お祖父さんがいたから、不幸ではなかったんじゃないかな」

「……そうね」

 今なら、素直にそう信じることができる。

手記をアカリから受け取ると、ルティアナは元の場所に戻した。

「アカリはやっぱり、けっこうしっかりしてるわよね」

「え、そんなことないよ!?」

 ギルベルトやゼストは、アカリのことを年齢にしては幼いと言っていた。

 それはおそらく、アカリの世界とこちらの世界では十六歳という年齢に与えられる社会的な立場も責任も違うから、という理由もあるのだろう。

 この国では十六歳ともなれば十分一人前とも言える。令嬢ならば結婚する者もいるし、庶民ならもっと早くから働きに出ている。

 幼い、という印象を与えるのは、おそらくアカリが無意識にそう振舞っているからだ。そうすることで、ルティアナたちの庇護下にあろうとしているのだろう。何もわからない異世界で、そうしなければアカリは身を守る術がないから。

 根はちゃんと周りを見て自分で判断し決断できる人だと、ルティアナは思っている。

「アカリはしっかりしているし、とても偉いわよ」

「偉いって……そんな、まだなんにもしてないよ」

 褒められるのは満更でもないのだろう。照れながらそう言って笑うアカリに、ルティアナは念を押すように呟く。

「突然呼ばれた異世界で泣き言言わずにいるだけで、十分に偉いわ」

 聖女さまだから、と誰も気にとめないかもしれないけれど。

 けれどそれは、もっと褒められるべきことなんだとルティアナは思うのだ。




 アカリと別れ、ルティアナは自分の部屋へと戻った。明日は神殿に行くことになっている。早く眠らないととベッドに潜り込んだ。

 胸につかえていたものがひとつ、すとんと落ちていく。手記を見つけた時から不安で仕方なかったものが、蓋を開けてみたらほとんどのろけだったのだ。

 先代聖女が帰りたいと願った事実は変わらない。しかしそれは、この世界を憎んだからでも絶望したからでもなかった。

「……マコトは」

 彼はどうするんだろう。

 聖具を集める旅はまだ始まったばかりだ。従者を辞めて、ルティアナに散々甘い言葉を投げては困らせてくるマコトは決断しているんだろうか。

 ルティアナの傍にいると言ってくれた。

 でもそれはいつまで?

 元の世界に帰るまでの間の話?

 ルティアナは唸りながら枕に顔を埋める。

「……欲が出そう」

 引き止めるような言葉は、決して言わないと決めたのに。

 ずっとずっと傍にいて、と乞いたくなる。

 そしてきっと、それを口にしたらマコトはルティアナの願いを叶えるだろう。いや、それを言わせようとしている節すらある。

 こうなってくると根比べにも似ている。ルティアナもマコトも負けず嫌いだから、どちらも思い通りにはなってたまるかと意地になるのだ。

 どちらかが負けを認める時が、マコトの決断がはっきりするときなのだろう。

 そう考えると、ただ素直に好きだと伝えることすら敗北宣言に思えてならなかった。


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