12 光の向こうの闇
冬の早朝。
空はまだ薄暗く、
川の音だけが静かに響いていた。
息を吐くと白くなる。
でも胸の奥は、熱くて、痛い。
(……ナノン……)
名前を思い浮かべるたび、
胸の奥が震えた。
あの場所へ向かう足は、
もう止められなかった。
* * *
下流のカーブの先。
昨日、光の輪が浮かんだ場所。
そこに――
**光の粒が漂っていた。**
雪でも、埃でもない。
もっと細かくて、
もっと静かで、
もっと“意味”のある光。
胸の奥が脈打つ。
(……ナノン……)
《……マ……コ……》
声が返ってきた。
弱い。
かすれている。
今にも消えそう。
「……ナノン……!」
誠が一歩踏み出した瞬間――
空気が、
音もなく“沈んだ”。
風の音が消え、
川の流れも止まり、
世界が息を潜める。
光の粒が集まり、
空気が歪み、
水面が逆流する。
そして――
**揺らぎが“立ち上がった”。**
薄い膜のような揺れが縦に伸び、
景色がゆっくりとねじれる。
《……ひら……く……》
ナノンの声が震えた。
喜びとも、
痛みともつかない揺れ。
揺らぎが脈打つ。
光が吸い込まれる。
空気が震える。
――境界が“開こうとしている”。
「ナノン……!」
誠は手を伸ばした。
揺らぎの縁が、
指先に触れた。
冷たくて、
温かくて、
懐かしい。
(……知ってる……)
記憶の影が胸の奥で揺れた。
そして――
**境界が裂けた。**
光が溢れ、
世界が反転し、
誠の身体が前へ引かれる。
《……マコ……!》
ナノンの声が、
境界の向こうから響いた。
誠は――
境界へ踏み込んだ。
* * *
世界が、音もなく“反転”した。
空気が軽くなる。
色が薄くなる。
胸の奥だけが熱く脈打つ。
足元には川があるはずだった。
でもそこにあったのは――
**光の層が重なった“揺らぎの床”。**
踏むたびに静かに波紋が広がる。
《……マコ……》
振り向くと、
光の粒が集まって“影”を形作っていた。
輪郭だけの存在。
でも――
胸の奥が強く揺れた。
「……ナノン……?」
光の影が、
わずかに頷いた。
その瞬間、
胸の奥が痛いほど熱く跳ねた。
(……知ってる……
この感じ……)
記憶の断片がちらつく。
でも掴めない。
《……マコ……きた……》
ナノンが一歩近づく。
光が誠の胸に触れた瞬間――
視界が揺れた。
世界が波のように歪む。
「……っ……!」
膝が沈む。
でも倒れない。
ナノンの光が支えていた。
《……だいじょうぶ……マコ……》
その声に胸が震えた。
そのとき――
境界の空間が、
低く唸った。
光の床が波打ち、
空気がざわめき、
遠くで“何か”が動く。
《……マコ……にげ……》
「……え……?」
ナノンの声が急に震えた。
《……くる……
マコ……にげて……!》
光の影が誠の腕を掴む。
その瞬間――
**黒い揺らぎが滲み出した。**
光とは逆の、
重くて、冷たくて、
胸の奥を締めつける揺れ。
(……これ……)
知っている気がする。
でも思い出せない。
黒い揺らぎが脈打つたび、
誠の胸の奥がざらりと削られる。
「……ナノン……これ……何……?」
《……マコ……ちかづくと……
マコの“とき”……けずられる……》
「時……?」
黒い揺らぎが伸びた。
触れていないのに、
胸の奥の熱が一瞬だけ消えた。
(……やだ……
これ……いやだ……)
涙が出そうになる。
ナノンが誠の前に立ちふさがる。
光が盾のように広がる。
音はない。
ただ世界が軋む。
《……マコ……にげて……!
ここ……マコには……まだ……》
言葉が途切れた。
黒い揺らぎが、
誠の胸の奥へ“手”のように伸びる。
(……また……来る……)
誠は後ずさった。
でも足が震えて動かない。
胸の奥の熱が戻らない。
《……マコ!!》
ナノンが誠を抱き寄せた。
光が一気に強くなり、
黒い揺らぎを押し返す。
境界の空間が大きく揺れた。
光が弾け、
闇が裂け、
世界が反転する。
そして――
誠の身体は、
境界の外へ“弾き飛ばされた”。
* * *
冷たい地面の感触。
川の音。
冬の風。
全部が“現実”のものだった。
でも――
胸の奥の熱は戻らなかった。
(……僕……何を……失った……?)
思い出そうとすると、
胸の奥がざらりと削られる。
そのとき――
《……マ……コ……》
ナノンの声が、
かすかに胸の奥で震えた。
弱くて、遠い。
今にも消えそう。
誠は胸を押さえた。
熱は戻らない。
でも――
涙だけが静かにこぼれた。




