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プロローグ
私は、あの日の海の匂いを今でも覚えている。
春と秋が消えかけた世界で、季節の境目は曖昧になり、
風の温度さえ、どこかぼやけていた。
それでも海だけは、変わらずそこにあった。
あの頃の私は「僕」だった。
自分の小さな世界の中で、世界の仕組みをI/Oで分解しながら、
何か大きなものに触れたつもりになっていた子ども。
けれど、海は違った。
海は、私の知らない“記憶”を抱えていた。
痛みも、優しさも、失われた季節の気配も。
そして——あの声も。
「……まこと、聞こえる?」
その瞬間から、私はもう“僕”ではいられなかった。
海の声に触れたとき、世界は静かにひっくり返り、
胸の奥の何かが、長い眠りから目を覚ました。
あれは夢だったのか。
妄想だったのか。
それとも、未来の私が見た“可能性”だったのか。
今でも分からない。
ただひとつだけ確かなのは——
あの日、海が私を呼んだということだ。




