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藤野のはなし  作者: 藤野彩月
第2章
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いい子②

 「いいえ、私も今来たところ。」

実際の思いとは逆に、カウンターの方を向いたまま冷静さを装って女は答えた。

2カ月ぶりなので今にでも彼の胸へ飛び込んで行きたいが、人目もあることだしここは(あら、いらしたの?)と言う態度をとる方が大人のやり方だ。

 

 「なら、良いのだが。反応が冷たいなぁ。もうちょっと再会を喜んでくれたっていいじゃない。何せ2カ月も会えなかったんだから。」

そう言いながらも、男は父親の様な穏やかな表情だった。

コートを脱ぎながら、カウンターのバーテンダーに「いつもの。」と声を掛けると、久方ぶりに会った女の姿をまじまじと見つめた。

「...なぁに?どこかおかしい?」

女の方は男に身体を向けずに尋ねた。

目線だけ送ってあげる。すました風を装って。

(そんなに見つめないで!どうかなりそう!)

本心はこう思っていた。


「いや...。おかしくなんかないさ。ただその...しばらく見ない間に...一段と綺麗になったなぁと思って。」

男は少し照れながら右手人差し指で自分の頬を掻いた。


「あら、私が誰かと浮気したとでも?」

まだ酒が入ってないのにも関わらず、女の顔が紅潮した。それを必死で隠そうと引き続きカウンターの向こうを見たまま少し冷たい返事をする。


「そんな事言ってないじゃん。ほらぁ、ちゃんと顔を見せて。肩なんか出して大丈夫かい?寒かったろうに。」

男は、固定されたスツール席から身を乗り出して女の右頬に手を伸ばした。そしてゆっくりと撫でるように顔をこちらに向けさせた。が、女は目を伏せた。視線を合わせるのを避けているのだ。


「どうぞ。」


それぞれ頼んでいた酒が出された。バーテンダーが目の前から去ると、男は女の顎をクイと上げて視線を逸らせないようにしてこう囁いた。

 「いけない子だ。いつからそんな悪さをするようになったのかな?」

 「......怒っちゃ...いや。」

女はここで初めて、男の目を見つめて少し甘えた声を出した。それと同時に自分の顎に触れている彼の手を両手で包むように手に取り、静かに下ろした。

これも計算のうち。女がこの街での生存競争を経て身につけた技。

素っ気ないと思わせて、急に相手に懐く。大抵の恋愛経験の乏しい男だとこれで墜ちる。もちろん目の前の彼に対しては効き目はあまりあてにならないが、それでもちょっとはドキッとさせたい。


「ねぇ、話があってこの時間に呼んだんでしょう?」

男の手を握ったまま、女は言った。

「あぁ、そうだよ。そうなのだが...まずは乾杯といこうじゃないか。」

女の突然の豹変に、男は少しまごついていた。

 

 二人はカチンとグラスを当てた。女はあえて度数の低いシャーリーテンプルを、男はいつも頼むのダブルオークドのロックだった。

 

 そこからお互いに近況報告をした。男は仕事でヨーロッパのある国へ行っていた。ヨーロッパ好きの女が好奇心からそこの国ではどうだったのかを問うと、男は淀みなくすらすらと答えた。にも関わらず、女は少し違和感があった。外資系の企業の幹部なのだから外国へ行ったことに嘘はないはずだ。しかし、なぜか物足りないのだ。もちろん仕事で行ったのだから、自分を連れていくはずはないと言うのは百も承知だ。それなのに、これから伝えられる本題と絡めてこの言葉が聞きたかったのだ。


(今度連れて行ってあげるよ。君も見たら感動すると思う。)


 実際はこんな言葉は一言も男の口から出てこなかった。


 10分少々が過ぎた。二人のグラスは空になりつつあった。

 

 「チェイサー頼む?それとも…。」

 女は話しかけたが、相手から返事がない。

 「…あ、うん。そろそろ外に…出ようか。」

 (えっ…だってまだ話…)

 異議申し立てしたいのをグッと飲み込んだのもやっとで、女は言葉を選んで言った。

 「そ、そうね。お互いの近況報告も済んだことだし…。」

 「いや、本題はまだ言ってないんだ。ただ…内容が内容だから場所を変えようてことさ。」


 これまで通り男が会計を済ませ、二人は店の外へ出た。

 

 早春とは言えまだ2月。酔いで少々火照った顔を風が冷ます。

ファーのコートを来ていたからよかったものの、女はパンプスを履いていたため10歩も歩かないうちに足元が凍えた。

 

 それだけではない。Barから出た後の景色が違っていたのだ。

 なぜか今夜は彼は女の3歩前を歩いている。これまでなら腕を差し出してくれたのに。しかし、女は何も言えない。ただ黒いコートで覆われた彼の背中を眺めるばかりだ。


 客引きや逆ナンを上手くあしらいながら、男はただ黙って歩いた。いつも2人で利用していたシティホテルがある方向ではない道を通っていても、女は声をかけることはできなかった。だんだん、豪華絢爛なネオンの街から遠くなり、人通りも少なくなっている。


 女は男が何を考えているのか全くわからなかった。いや、わかりたくなかった。明らかにBarに入ってきた時と様子が違う。仮に女がヒールを脱いでこっそり彼の後ろからいなくなったとしても意に介さないのではないか。そう思った。


 (私、何か気に障るようなこと言った?)


 女が真面目にそう考え始めた時だった。


 男は、ふと立ち止まり、女の方を振り返った。

 「大丈夫かい?」

突然の問いに、女はすぐには答えられなかった。大丈夫と言われれば確かに大丈夫だが、いきなりこんなわびしい所を歩かされて、万事OKとは言い難い。むしろモヤモヤし過ぎていて五里霧中の状態だ。


 「あそこで話をしよう。ちょうどベンチもある。」

 

 男が指さした場所から、何故か黒い予感が女の脳裏を走ったが、足がかなり痛んできたため、女は腰掛けられるならそれで良いと思った。



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