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藤野のはなし  作者: 藤野彩月
第2章
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いい子①【創作話】

 カッ、カッ、カッ、カッ

 カッ、カッ、カッ、カッ…


 狭い歩道のコンクリートを、12cmのピンヒールが打ち付ける。メトロノームで表すなら4拍のリズムで120のテンポだ。このヒールを履いた女は、気に入っていたDiorのパリ・サテンで彩られた唇をキッと一文字に閉じて脇目も振らずに歩いていた。左手には必要最低限の物しか入らない割には数十万円もするハンドバッグ、右手には数百円にしかならない包装された1輪の白いガーベラが握られている。


 ここは、都心の繁華街。眠らない街として有名なここは、昼間にはあまり顔を出さないハイエナどもが目を光らせる。

 

 「あっ!おねーさん一人ィ?すぐそこに楽しー(トコ)あんだけど、来なぁい?サービスすっからさぁ…」


 早速後ろから20歳前後の若い男が絡んできた。染髪と脱色を繰り返したモップのような髪に酒焼けした声。底辺ホストの客引きか何かだろう。女はこういうのには慣れっこだ。いつものように何も聞こえないフリをして早歩きでやり過ごそうとした。

 が、月末ということもあってかエサを求める野良犬のように男はやたらとしつこくつきまとう。ちょうどその時、女の歩く先に手頃な物が転がってきた。


 カッ、カッ、カッ…コツ、コツ...


 女は一旦歩くスピードを次第に緩め、やがて立ち止まった。そして―

 

 グシャン!!


 「ヒッ…」


男は身を翻して立ち去った。


簡単なことだ。


女はたまたま見つけた空き缶を一歩ほどわざと行き過ぎると、前方方向を向いたまま片足を引いてヒールのかかとで勢いよく缶を踏みつぶしたのだ。これで煩わしいハエ1匹を追い払えた。

しかし、それでも女の気が晴れることはなかった。それどころか少し無理をして缶をつぶしたため、右脚のふくらはぎに違和感が走った。でも今の彼女はそんなちっぽけなことに構ってなんかいられない。


女は何事もなかったかのように再びヒールで元のリズムを刻み始めた。

東の夜空は、微かに薄くなりかけていた。まだ誰にも気付かれない範囲で。


しかし、それを知ってか知らないでかは分からないが、なぜか女は大きなサングラスを既に着けていた。


※※※

 ―これより数時間前。日付が変わる前のこと。


 (ここのところ連絡できてなくて申し訳ない。今夜11時に君と会って話がしたい。いつものBarで落ち合おう。)


 女のスマホにこのメッセージが入ったのは夕方頃だった。送り主は「海外での仕事」に行っていたため、もう2ヶ月も会ってない男からだった。その前までは何度も逢瀬を重ねたので友人以上の関係であることに間違いはないが、正式に「付き合おう」と言う言葉も交わしたことがない。でも女は知っていた。オトナ同士がオトナの関係を築くのに、そんなガキっぽいやりとりなんかしないことを。本当に愛しているなら言葉よりも行動で示すのが立派な大人のすることであることも。自分もちゃんといい大人の女であることを示すために、彼に露骨に甘える態度はとらない。自分達の関係が固まるまでは。


 しかし、正直なところ、女は彼に夢中だった。こういう時、具体的にどこがどう良いのかを言葉に表すのは難しい。女には彼の存在そのものが輝いて見えたのだから。と、言うのも彼は今まで出会った(ガキ)共とは全く異なるタイプだった。彼と会う度に女は新鮮な感触を味わった。言葉遣いはもちろんのこと、立ち振る舞いといい身のこなしといい何もかもが紳士的―女に言わせれば「王子様」―だったのだ。多く年を重ねてきたからなのか。いかなる時でも彼は大人の余裕を持っていた。たまに説教くさくなる時もあったが、ベッドでは思いっきり愛情を注いでくれた。その時の彼は、普段の穏やかな様子とは裏腹に凄まじい「男」の姿を見せた。それでも絶妙な加減を心得ているため、時間感覚を狂わせるほど女を恍惚の底に陥れた。女がこれまで一切の虚無感を持つことなく至福の夜を過ごしたのは、後にも先にもこの男以外存在しない。

 

 女はそれまで本当の「愛」を知らなかった。「親子愛」、「友人愛」、そして「性愛」。一番最後を除けばどれも女には縁のない言葉だった。彼女は自分の正確な誕生日など知らない。どうやら自分はゴミ捨て場かゴミ屋敷のような所で産声をあげたらしい。生まれながらに女はどん底だった。自分を産み落とした女がいたにはいたが、決して「母」とは呼べなかった。成長して精神的に自立した途端、学校の卒業も待たずに家を出た。不登校の彼女にとって学校の存在など無に等しい。折り目正しく学校に行く生徒達は彼女を見るなり皆こう言う。


「出来損ないの臭いブタ。」


 女は家を出てから、運命の彼に出会うまでの記憶はあまりない。

思い出したくないのだ。慣れない都会の生活に、最初はまごついたものの、紆余曲折を経てようやく好きでもなんでもない「汚父(おぢ)」達から金を巻き上げて、かりそめの「姫」のようになっていった。しかし、物質的に満たされたとはいえ彼女は一番大事な「何か」を欲するようになった。だんだん他人の顔の見分けがつかなくなっていった。


 その矢先だった。

女にとっての救い主となる年上の紳士が現れたのは。

 

―あなたがいたから生まれて来たの…。


女は何の疑いもなくそう感じた。


そんな彼と出会って早1年。仕事で多忙な彼がわざわざ夜遅くに私に会いたいと言うことは...。


マグマのように熱いものが女の心に流れ出てきた。

その夜女は脚にスリットが入った、オフショルの黒いドレスの上にファーのコートを身に纏い、約束通り彼行きつけのBarに来た。いつものカウンター席をキープして、彼を待った。


―今日と言う日は人生で最も綺麗な私でいたい。


 いつも見かける常連客、目の前にいるマスター…。いつもの待ち合わせの場所も、この時の女の目には違って見えた。


 午後11時を少し過ぎた頃


 カランコロンカラン!!


 扉が開き、ぶら下がっている鐘がなった。彼がやってきたのだ!!


 「いやぁ、遅れてごめん。お待たせしちゃったかな?」


黒革のヴィトンのクランチバッグを片手に、トレンチコートを羽織った彼が颯爽と現れた。



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