何をやっているんだ、君たちは
会社を出て、駅に向かう途中で声を掛けられる。
「唐津主任、うちの課に好きな人がいませんか?」
よく見ると可愛いが、一見地味で控えめな彼女が言いそうもないセリフだった。
確か彼女の名前は……。
「みな……み」
「いえ、わたしは営業部一課の水瀬紗彩といいます。主任、どうなんですか?」
何だ?
また告白か?
それにしてもずいぶん遠回しな言い方だ。
正直、ゲイである俺は女性から告白されても全く嬉しくない。もちろんそんな事は口が裂けても言えないが。
「あの、実はわたしも主任と同じ人が好きなので。あ、でもどうなりたいということは一切ないです。わたしは、ただ見ているだけで幸せですから。唐津主任のことだって応援できます。主任だったらお似合いだなって思いますし」
彼女は返事をしない俺に向かって、たどたどしい口調ながら一気にそう言った。
「……は?」
間抜けな声と共に、自然と口が半開きになる。
「大丈夫です。気づいているのはわたしだけで、誰にも言ったりしませんから。ただ、なんだか同士という感じがして嬉しくて」
「君の好きな人というのは男だろう?」
「はい。柾木課長です。ですから、唐津主任もですよね?」
彼女は辛うじて聞こえるくらいの小声でそう言った。
驚きすぎてすぐに違うと否定できなかった。
いや、実は全く違わないのだが。
「何故分かった?」
「わたしと同じ視線で見ているからです」
「叶わないことは分かっている。俺はただ偶像崇拝のように、つまりなんと言っていいやら」
「推しってことですか?」
「今はそういう言い方をするのか」
「では、わたしたち推し仲間ですね」
彼女はふわりと笑った。
俺より年上であろう彼女のその笑顔は幼さを感じさせ、純粋に可愛らしいと思った。
そして、その日以来、俺と彼女は推し仲間というやつになった。
しかし、1つ疑問だった。
彼女なら同性愛者の俺とは違って正々堂々と柾木課長に告白できる。
課長と付き合うことを全く考えていない彼女が不思議だった。
一度そのことを彼女に尋ねると、
「推しは遠くから見るもの。ファンは、弁えて一定の距離を保たなければならないのです」
と粛々とした声で返してきた。
課長は確かに格別な存在だが、芸能人ではない。
いくらなんでも徹底しすぎだろう。
彼女は少し変わった人格の持ち主といえよう。
だからこそ俺とは気が合ったのかもしれない。
営業部一課二課、合同飲み会。
部長の長ったらしい挨拶が終わり、各々が自由に飲み始める。
俺はここぞとばかりに柾木課長を観察していた。
酒の席とはいえ、明らかに課長に対する逆セクハラが過ぎる。
「もしかしたらわたしたちが嫌なだけで課長は綺麗な女の子に囲まれて、嫌じゃないのかもしれないね」
宴酣、飲み過ぎてダウン寸前の紗彩がぽつりと呟く。
「それはないだろう」
「だって課長、笑ってるし。課長の気持ちは分かりません」
「紗彩、大丈夫か?」
「んー」
これはもう駄目だな。
紗彩を俺の肩にもたれかからせる。
その後、何故か課長が紗彩をかっさらっていった。
何故か。
何故。
俺は鈍い方ではない。
理由はすぐに分かった。
だが、今まで課長を見ていて気づかなかったのだから鈍いともいえよう。
言い訳ではないが、課が違うからこれまで課長と紗彩が一緒にいるのを殆ど見たことがなかった。
紗彩が鈍いのではないか?
どういうわけか、失恋のショックより紗彩のことが気になった。
酔いが醒めた時、驚きすぎた彼女がどんな反応をするか知れたものではない。
彼女が家に着いた頃、数度電話してみるものの一向に反応がない。
◇◇◇
連絡が取れたのは翌々日の夕方だった。
「課長の家に泊まってしまいました」
彼女ははっきりとそう言った。
いやいや、それは想定外。
いくらなんでも展開が早くないか?
「あ、迷惑をかけてしまっただけで、何もない。何もなくはないんだけど」
「うん」
とりあえず相槌を打つ。
「課長に信じられないことを言われて」
「それで?」
「断った」
「馬鹿か?」
思わず突っ込んでしまった。
「え?」
彼女は困惑した声を返す。
「ごめんなさい。推し仲間なのに、こんなことになって。でも課長も忘れてって言ったし、冗談だったんだと思う」
「俺が何に怒ってるのか分かるか?」
「だから、わたしだけいい思いをしてしまって」
「違う!!よく考えろ。大体、柾木課長が冗談でそんなこと言うか?」
返事がない。
駄目だ、こいつは。
「明日、休まず会社に来いよ」
そう言ってこっちから電話を切った。
翌日、廊下ですれ違った柾木課長の目が死んでいた。
傍目にはいつもと変わらず美しいが、俺には分かる。
「課長、ちょっとお話が」
「仕事が立て込んでいまして」
「勿論休憩時間でいいです。水瀬さんのことで」
「分かりました」
課長は作り笑いそのもので笑った。
お昼休憩、屋上。
近くに人がいないことを確認して、俺は課長の傍に寄った。
「水瀬さんから話を聞いたんですね?」
課長が俺を見上げてそう言った。
柾木課長より俺ほうが、幾分背が高い。
「まあ」
「謝りませんよ。お二人が付き合っていないことを確認して気持ちを伝えたんですから」
「は?」
飲み会の時から思っていたが、やはり課長は大きな勘違いをしているようだ。
「お二人が想い合っているとしても、結婚でもしない限りこれからも諦めません」
「諦めない。それは良かった」
課長は俺の返しに、苛立ったように軽く舌打ちする。
「唐津主任はずいぶん余裕があるんですね」
「違いますよ。これから紗彩に説教してなんとかしようと思っていたんですけど、課長がもう紗彩に興味を無くしていたら何の意味もありませんので」
「紗彩なんて気安く呼ばないでください」
課長は敵意むき出しで俺に食って掛かる。
怒りに身を任せている課長はぞっとするくらい美しく、こんな時なのに彼の新しい魅力を見つけた気がして嬉しくなった。
普段とのギャップがすごい。
レアすぎる。
どんな課長でも好きだと心の底から思う。
けれど、そんな課長は俺を敵視したまま。
もう頓珍漢で滑稽で、なんだか笑いたくなってきた。
「課長、俺が好きなのは課長ですよ」
努めて冷静に伝えてみる。
「ふざけないでください」
課長は俺を睨みつけている。
「ふざけてませんけど」
どうしたら伝わるだろうか。
俺も大概お人好しだ。
1人ずつ説教、説明したところで埒が明かないだろう。
スマホで紗彩を屋上に呼び出す。
俺しかいないと思っていた彼女は、課長の姿を見て逃げ出そうとしたが、何とかそれを阻んで押さえつける。
往生際悪くバタバタと動く紗彩。
野生動物か。
「紗彩」
「唐津主任、会社で紗彩って呼ばないでください」
彼女の息は上がっている。
「そんなことを気にしている場合ではないだろう。課長は俺たちのなんだ?」
「ちょっと、本人目の前にいますよ。唐ちゃんおかしくなったの? 課長に迷惑だよ」
「迷惑を通り越して、お前はすでに課長を傷つけている」
俺の勢いに押されたのか、紗彩は唇を噛んで俯いた。
「課長は、課長はわたしたちの推しです」
柾木課長はぽかんと紗彩を見つめる。
「お前は推しを傷つけていいのか。推しの幸せが俺たちの幸せじゃないのか」
「勿論、それはそうです」
「柾木課長を幸せにしたくないのか」
「でも、わたしでは」
「自信を持て。紗彩は変わってはいるが、俺が見てきた女の中では断トツに性格がいいし可愛い。お前ならいい。俺が許す」
「唐ちゃん」
紗彩は涙ぐんだ瞳で俺を見つめた。
「こっちじゃないだろ」
「柾木課長……」
紗彩は泣きながら課長の前に立つ。
「え? え? どういう?」
課長は慌てふためいている。
この表情。
またレアだな。
そこで俺は退散した。
午後はさぼる気満々だった。
こんな奇跡みたいなことが起こるんだから、この世界も捨てたものではない。
次の推しが見つかったら、今度はもう少し好かれる努力でもしてみようか。
課長に兄弟でもいないかな。
公園で空を見上げ、都合のいいそれこそ奇跡みたいなことを考えてみた。
次は再び紗彩視点です。(おまけ)