玉砕覚悟で
入社した時からずっと水瀬紗彩、彼女のことが好きだった。
控えめだけれど、誰もやりたがらない仕事を率先して引き受ける優しい性格。
彼女の気遣いで社内の机はいつだってピカピカ。資料も誰が見ても分かるよう、常に整理されていた。
若い上司である自分が、彼女に好かれていないことは分かっていた。
いや、好かれていないのはきっと年齢や役職のせいではないのだろう。
俺が話しかけるといつだってさーちゃんは困惑した表情で、普段より口数が少なくなった。
当然、さーちゃんなんて呼べる間柄ではない。俺が勝手に心の中で読んでいるだけ。自分でも少し気持ち悪いと思う。
彼女の態度を見るに、俺のことを生理的に受け付けないという可能性だってある。
だが、さすがにそれはないと信じたい。
自分の容姿が人並み以上なのは知っていたし、その容姿に合わせて対外的に一人称は「僕」を使い、普段の言動にも気をつけてきた。
詐欺と言われても仕方がないが、これは自分を客観的にプロデュースする、処世術のようなものだ。
俺は本来、一人称に僕を使うような品行方正な人間ではない。
さて、今日の飲み会、上司と言う立場を利用して無理に誘ってしまったが、今日こそ何とか少しでも彼女との距離を縮めたい。
「柾木課長の席はここです」
会場に着くなり、自分の意思なく部下に無理矢理指定の席に座らせられる。
勿論都合よくさーちゃんが俺の近くに座ってくれるはずもなく。
彼女の姿を探すも、遥か遠方だった。
そして、二課の唐津主任は当然のように彼女の隣に座っている。
前から2人が親しいことは知っていた。
だが伝手を駆使して調べたところ、まだ2人は付き合っているわけではないようだ。
それでも「そんなにさーちゃんに近づくな」と2人の間に入って叫びたくもなる。
唐津主任が彼女の耳元で何やらひそひそ話し始めた。
表情をコントロールし笑顔を保ちつつ、さーちゃんから目は離せない。
唐津、お前彼女に酒を飲ませ過ぎだろう。
宴もそこそこ、さーちゃんは唐津主任にもたれかかっている。
もう限界だ。
俺は立ち上がり彼に話しかけた。
「水瀬さん、具合が悪いのではないですか?」
「え?」
「僕が送って行きますよ」
「柾木課長が、水瀬さんを?」
「ええ。これでも彼女の上司ですから」
強めに言い放つ。
役職を持ち出すなんて情けないが、尤もな理由はそれ以外にない。
「いいですけど、彼女がパニックにならないか心配ですね」
「パニック?」
どういう意味だ?
牽制のつもりか?
「水瀬さん、課長が送ってくれるって。いい? 大丈夫?」
唐津主任の問いに彼女は
「んー」
と返事をする。
どうも無意識の反射的な返事っぽいが。
「まぁ、大丈夫か。羨ましいな」
さーちゃんを見ながら、唐津主任がそう呟いた。
「こちらの方が羨ましいですよ。水瀬さんと仲が良くて。僕は彼女に嫌われているみたいなので」
「は? 嫌われている? 大体、俺が羨ましいのは」
彼は周りの視線を感じたのかそこで言葉を止めた。
大分目立っている。
酔って体調を崩しているさーちゃんの傍で、彼女の争奪戦を繰り広げている場合ではない。
「彼女のこと、よろしくお願いします」
唐津主任は言った。
俺は笑顔で頷く。
上下関係からか、主任がすんなりさーちゃんを譲ってくれたことに関しては感謝しよう。
タクシーを呼んで、彼女とともに後部座席に乗り込む。
送って行こうにも、彼女は自分の家の住所を言える状態ではなかった。
何を聞いても「んー」としか答えない。
俺は、彼女を自分のマンションに連れてきた。
決して邪な気持ちではない。
具合の悪い彼女一刻も早く休ませてあげたいだけだと、そう自分を納得させて。
さーちゃんをソファーに座らせ、水を飲ませようとしたけれど、彼女はすでに可愛らしい寝息を立てていた。
ジャケットが皺になる。
彼女のジャケットを脱がせ、洗いたての自分のトレーナーを着せる。
そのトレーナーは彼女にはかなり大きい。
さーちゃんを抱いて、ベッドに寝せた。
さて、俺はどうしよう。
部屋は割と広いが、一人暮らしの1DK。
今は眠っている彼女だが、体調が急変するかもしれない。
それに彼女が目を覚ました時に傍にいたい。
急いでシャワーを浴び、客用の布団をベッドのすぐ横に敷いて、そこで寝ることにした。
数度、彼女のスマホが鳴った。
画面を確認すると、唐津主任からだった。
さーちゃんが無事に家に着いたのか、気になっているのだろう。
唐津主任はさーちゃんが俺の部屋にいるなんて思ってもいないはずだ。
部屋の明かりは消さないでいた。
横になれず、眠っているさーちゃんを見つめる。
大好きな彼女がすぐ傍にいる。
ああ、可愛い。
可愛い。
襲いたい。
明るいと彼女をいつまでも見てしまう。
明かりを間接照明に替え、布団に入った。
やばい。
トイレ。
彼女の横でそんな行為をするわけにはいかない。
生理現象なのだから仕方ない。
とりあえず一旦落ち着いて、部屋に戻る。
薄明かりの中、彼女が寝返りを打つのが見えた。
俺は自分の布団に入った。
ああ、駄目だ。
また。
妄想は止まらない。
結局トイレに数度往復。
彼女に触れたい。
理性との闘い。
布団に潜るも、一睡もできなかった。
◇◇◇
目を覚ました彼女は、怯えながら俺を見ていた。
顔色が悪いのは、二日酔いのせいばかりではないだろう。
「ごめんなさい」
部屋に彼女の声が響き渡る。
これが告白の結果。
最初から彼女の答えは分かっていた。
それでも一縷の望みにすがり、言わずにはいられなかった。
沈黙が重く感じてきた頃、
「大丈夫です。気にしないで。一旦忘れてください」
そう言って俺は笑った。
そう言うしかなかった。
振られても、彼女が好きだ。
俺はどうしたって彼女のことを諦めることなんてできない。
次は唐津主任視点です。