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錬金術師は怠惰に生きたい  作者: へち
00 死にたがりと師匠
3/7

自分の生を望んだ日

 思えばいつも、青白い顔をしていたような気がする。

 少し動けばすぐに息切れするし、隙あらばすぐ眠っているし、食事は作れば作るだけ食べていた。


 運動不足のもやしっ子だなぁとか、三年寝太郎だなぁとか、大食漢だなぁと思っていたけれど、それは全てひとつの魔法陣の為だった。

 それほど彼は、その魔法陣に魔力を込めるために無理していたのだ。


 なのに、私はその大半を失わせてしまった。


 彼は優しく笑うだけで、私の事を責めもしない。

 ただ何度も「生きていてくれてありがとう、無事でよかった」と繰り返す。


 どうしてその魔法陣に魔力を込めなければいけないのか、どうして彼はこんなにも無理をしていたのか、彼は何も言わなかった。

 何も言わない代わりに、私に生きる希望をくれた。






「もういい加減、何とかしなくちゃ」


 ぽそりと漏れた独り言は、鍋のくつくつと煮える音に消える。

 私はふうっと息を吐いて竈の魔石から魔力を抜いた。

 そっと、魔石を竈から外してポケットに忍ばせると、いつものようにスープをよそってテーブルへ運ぶ。


「はぁーいい匂いだねぇー」


 既にテーブルについてナプキンを首から垂らした彼は、早く早くと急かし気味に私に視線を送ると、テーブルに置いた途端にスープ皿をひったくる。

 そして、私がエプロンを外す前にがっつくようにスプーンで具材をすくってはもりもりと口へ運んでいく。


「お代わりは勝手によそって」


 そのまま自然に扉へと体を向けた私は、桶を持って歩き出す。


「ん? どこ行くの?」

「洗い物用に水汲んでくる」


 悟られないように、あくまで自然に外へと抜け出した私は、川へ行く振りをして数歩歩くと、そっと脇の森へと入った。


 このまま、もう少し奥にある開けた場所まで行こう。

 土のむき出しになっている場所なら延焼する事も無いだろうから、きっと大丈夫。今度こそ、私は自殺するんだ。


 桶の中に手近にある木の枝を拾っては入れながら目的の場所へと行くと、桶をひっくり返す。

 枝に囲まれるように座った私は、ポケットにある魔石を取り出した。


「……優しくしてくれてありがとう」


 彼への別れの言葉を告げて震える指先に魔力を込めると、じわりと魔石は熱を帯びる。

 そのままどんどんと魔力を込めると、ついに私のスカートに火の粉が舞い、急速に火柱となって私を包み込んだ。


「っあああああああああぁぁぁ!!!!」


 熱い、息が出来ない、痛い、苦しい。


 焼け死ぬというのは、随分と難しいものだ。人間の身体は7割が水分で、それに火をつけてもなかなか焼けるものじゃない。

 吸い込んだ熱で喉も肺も焼け、皮膚は溶けて垂れ下がるけれど未だ死ねない私は、勝手に縮むように曲がる関節と張り付いて同化した皮膚で赤子のように転がっていた。


「……っ君は!!」


 途切れ途切れの意識の中、火傷も気にせず炎の中に入ってくる彼の声が聞こえた。

 水の膜でぐるりと覆われ、焦りながらぶつぶつと呟く彼は私を抱きしめると、その掌で私の額に触れる。


「死ぬなっ! 死ぬなっ!!」


 必死の声と、冷たい体温。ああ、また真っ青な顔をしているんだろうなと思っているうちに、小屋へと運ばれた。

 乱暴に地下室の扉を開けて魔法陣の上に寝かされた私は、火傷の熱とは違う温かさを感じる。


「時計の針は逆戻る 翻り来たれ 闇より手招く死の神から 彼の者の名を隠す光の神よ 彼の者を再び吾が手に」


 魔石から魔力を抜く時に指先に感じるような温もりは、彼の詠唱で私を包むように全身に感じるようになる。

 そのうちに全身に痛みが走り、痒みに変わり、それがようやく落ち着いた頃、私はそろりと瞼を持ち上げた。


「っあ……」


 泣きそうな、でも嬉しそうな顔をした彼は煤だらけで、髪は焦げて切れてしまったのか随分と短くなっていた。

 私は彼へ手を伸ばし、その手を彼がぎゅっと握る。


「っ……!! 生きててくれて……ありがとうっ……」


 それは、絞り出されるように掠れた声だった。けれども、温かくて優しくて、何故か私の目からは涙がとめどなく流れた。


「ごめんなさい……」


 身体を起こし、彼に精一杯頭を下げる。


 床の魔法陣は随分と薄くなり、一部欠けている所すらある。

 食事と睡眠以外は殆どを地下に籠り、顔を合わせれば「もうすぐ完成する」「僕の人生をかけた魔法陣だ」と嬉しそうに話していた彼を思うと、一体どれほどの事をしてしまったのかと苦しくなった。

 けれど、彼はいつも通り私の髪を優しく梳いて、今度は掠れることなく穏やかな声で言う。


「生きててくれてありがとう、無事でよかった」


 床には私の全身から吹き出したであろう血が金色に固まってキラキラと輝いている。

 けれどもう、私は全てを彼に委ねる事にした。秘密を知った彼が私をどうするのか、そんなものはどうだって良かった。


 過去、私は何度となく非業の死を遂げた。それはこの血が金へと姿を変えるから。


 ある時は愛する彼に殺され、またある時はその一生を飼い殺されて地下の牢で傷つけられ続けた。同村の者達に追いかけ回され四肢を引きちぎられ死んだこともある。

 だから私は死にたかった。今世こそ、誰に血を搾り取られることもなく死ねるよう、なるべく自分の血が外へと漏れ出さない死に方を選んだつもりだった。


 けれど彼と過ごすうちに、私は幸せを感じてしまった。穏やかに過ごせる幸せを。

 そして、彼が私の秘密を知った時、豹変してしまう事が心底恐ろしくなった。

 それはもう、絶望と言えるほどの恐怖だった。


「……あたしは……」


 裏切られる前に死にたかった。死んでしまえば裏切られることも無い。

 彼に裏切られたら、私はもう二度と人としての生は望めない。きっとこの先何度生まれ変わっても、生きる屍として誰かに血を搾り取られる家畜のような日々に足掻く事が出来なくなる。


「……ずっと死にたかった……」


 でも本当は、ずっと生きたかった。

 ただ穏やかに、無為に切り刻まれる痛みに耐えるのではなく、人として在りたかった。


「……生かしてくれてありがとう」


 私はこの日、7度目の人生でようやく自分の生を望んだ。

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