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錬金術師は怠惰に生きたい  作者: へち
00 死にたがりと師匠
2/7

家事の出来ない残念な子

「どうして出来ないのぉ?!」

「出来なくない。やらないだけ」


 ふいっと視線を逸らすと、彼は私の頬に両手を添えてぎゅっと力を込めた。

 タコのようになった私の顔に一瞬ふすっと堪えきれなかった笑いの吐息を漏らし、また眉をつり上げる。


「出来るならやりなさい」

「嫌だ」

「わがまま言わないの」

「見苦しいなら捨ててくれれば……」


 捨ててくれれば私は自由に死ねる。そう言おうとしてハッとした。彼は血の気が引いたように真っ青な顔をして、唇を震わせていたからだ。

 私はまた視線を逸らして、床の上に散らかった脱ぎ捨てた服を指さした。


「捨てて新しい服を寄越せばいい」

「姫なの?! 一度着た服は二度と着ない姫なのかな??!!」


 頑なに視線を合わせない私に、彼は盛大にため息をついた。


「まるで野生児だよぅ。家事の楽が出来るかなぁなんて打算もあったのに、君を拾ってから仕事が二倍に増えてるよぅ」


 いそいそと服を拾ってたたみ始めた彼は、私にジットリとした視線を送る。

 そして綺麗に畳んだそれを、ぽんとベッドの上に置いた。


「……何が難しい?」


 その声は、思いのほか柔らかくて優しいものだった。


 理髪師だった頃、私は愛する人と二人で暮らしていた。家事はひと通りこなしていたし、男物のシャツや自分のワンピース等形状の違う服をたたむ事も別段難しく無かった。

 それは貧民の時もそうで、擦り切れてボロボロではあったがシャツやズボンは平民の服としてはポピュラーなものだったし、貴族の娘として育った時にはドレスもあったけれど、それはハンガーに掛けるだけでたたむことは無かった。

 だから私は、自分で服なんて簡単にたためると思っていたし、たためない服はハンガーに掛ければいいと思っていた。


 なのに、彼が私に着せていたのは魔導師の服で、初めて見る形状の服だった。


「シャツやズボンならたためる。でもその服はよく分からない」


 私が素直にそう言うと、彼は目を丸くして、そしてすぐにその瞳は弧を描いた。

 たたんだばかりの服をばさりと床に広げ、丁寧にシワを伸ばす。


「いいかい、この服は肩から腰にかけて細くなり、腰から脛まではまた広がっているだろう?」


 彼は分かりやすいように右側をたたみ、私に左側をたたませる。

 長い長方形になった服を私が三つ折りにした所で、彼は優しく私の髪を梳いた。


「よしっ。上手だよぅ。次からは一人で出来るね」

「……うん」


 彼はにぱっと笑い、私の頭を掻き回した。







「どうして出来ないのぉ?!」

「出来なくない。やらないだけ」

「またそれなのぉ」


 食卓にはサラダ、塩味の水、果物が並べられている。

 私はスプーンとフォークを並べながら、またふいっと視線を逸らす。

 すると彼は食卓に並んだ料理をじっと見ながら私を小脇に抱えた。


「サラダは良いとして、あの塩水は何なのさぁ。まさかアレをスープと言い張る気じゃないよねぇ?」


 竈の前で降ろされると、竈にセットされたままの鍋を見下ろして彼はため息をつく。

 そして、膝立ちになって私を見つめた。


「火が怖い? それとも使い方が分からない?」


 私は彼を見下ろしながら、ふるふると首を振った。

 火が危ない事は知っているけれど、怖くはない。薪の使い方だって平民や貧民の時に使っていたから知っている。

 ただ、この小屋には火をつける道具が無いのだ。


「火をつけるための石がない」


 火打ち石があれば、私だって温かい料理を作れるしパンだって焼ける。けれど、火がつかなければどうしようも無い。

 すると彼は、竈に埋め込んである赤い石をそっと撫でた。


「これは魔石。この魔石に模様が刻まれているのが見える? これは火の呪を刻んであるんだ」


 撫でた指が離れると、石にはぼんやりと光る模様のようなものが浮かんでいる。

 私が驚いて彼を見ると、私の手を取って石に触れさせる。

 その石はほんのり温かかったけれど、指先はぞわりとした。


「っ?!」


 彼の手を払い退けて急いで手を引っ込めると、彼はケタケタと笑いだした。

 それは、私が初めて感じる魔力を放出する感覚だった。


「そうやって魔石に魔力を入れると竈が温まり始める。火を消したければ魔石から魔力を抜けばいい。やってごらん」


 ぼんやりと光る魔石に怖々指先を触れて、引っ込め、消えろと念じると、ふわりと指先に熱が戻るような感覚がした。

 そっと指先を離すと、魔石はもう光っていない。

 私は自分の指と魔石を交互に見ながら、不思議な気持ちになった。


「これで温かい料理を作ってもらえるのかなぁ?」


 クスクスと笑う彼は、立ち上がると魔石をひと撫でしてスープを煮込み始めた。






 まさかこんなに自分が何も出来ないと思わなかった。

 人生7度目だと言うのに、服一つまともにたためず、火すら起こせない。私はため息と共に枕に顔をうずめる。


「呆れてた……かな」


 けれど彼は何が分からないのかを問い、必ず教えてくれる。

 分からないことを馬鹿にするのではなく、分からないままにするのでもなく、私が出来るように導いてくれる。

 それはとても心地よく、温かい行為で、私の頬は自然と緩んでしまう。


「……っダメ」


 私は頭を左右に振り、緩んだ頬を力いっぱい捻った。


 甘えてはいけない。信じてはいけない。隙さえあれば逃げ出して、今度こそ私は私を殺さなければいけない。


 ぎゅっとつむった瞼がじんわりと濡れ、頬に冷たい跡がつく。


 何度信じて裏切られてきたんだ。誰かを信じてはいけない。たとえどんな恩人も、親兄弟ですら信じてはいけない。

 信じて何度も裏切られてきたではないか。私はその度に、引き裂かれ、飼い殺され、苦痛に泣きあえぎながら死んでいったでは無いか。


「……信じない」


 信用なんてしない。ただ一緒にいるだけ。私は口の中で何度も呟きながら、とろとろと眠りについた。

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