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第84話 今しか届かないから

 放課後、俺は紫苑を探しに校内を歩いていた。


 紫苑のクラスに顔を出せばすぐにでも見つかるだろうと思っていたのだが、見通しが甘かったらしい。


 一応メッセージは送ってはみたものの、既読すらついていない状態だ。


「わっと」


 廊下を早足で歩いていると、死角から出てきた楠木とぶつかりそうになり慌てて体を反らせた。あちらも驚いたようで、のけぞりながら持っていた花瓶を手の中で遊ばせていた。


「く、楠木? なんで花瓶なんて持ち歩いてるんだ」

「音楽室に花が飾ってあるでしょ? 日が当たりすぎてて根が黒くなってるから水だけでも替えてあげようかなって思って。そっちは?」

「紫苑を探しに図書館に行ってみたんだが、いなかったから引き返してきたところだ」

「そっか、紫苑ちゃんと今日話すの?」

「ああ」


 楠木はすぐ近くの水飲み場に花瓶の水を捨て、新しい水を汲んでいく。


「でもなかなか見つからなくて」

「LIMEは送った?」

「既読すらついてない」

「でも、無視ってわけじゃなさそうだけど」

「どうだろうな」


 それは紫苑にしかわからない。


 もう一度スマホを覗いてはみるが、やはり返信は着ていなかった。


 つま先が何度も床を蹴る。校舎から聞こえる喧噪に、焦燥感を駆り立てられていくばかりだった。


「もう帰ったとか?」

「さっき駅にも行ってみた。それで紫苑と同じクラスの女子がいたから紫苑がどこにいるか知らないかと聞いてみたんだ。そしたら今日は図書委員の仕事があって、ホームルームが終わるのと同時に図書館に向かったって」

「すれ違っちゃったのかな」

「かもしれない」


 上へ通じる階段は二つあるので、紫苑がもし俺と逆の階段を使って降りたのなら、その可能性は充分にあり得た。


「まあ、探してみていなさそうなら明日に回すことにする」

「本当に? 今じゃなくていいの?」


 花瓶を抱いた楠木が俺を見据える。


「だって佐保山、来週には引っ越しちゃうんでしょ?」

「・・・・・・ああ」

「それなら、早いほうがいいよ。そっちのほうが思い出、いっぱい作れるから」


 楠木は「ちょっと待ってて」と言って音楽室に走って行く。


 すると楠木は、上着を腰に巻き、袖をめくった状態の姿でこちらに戻ってきた。


「あたしも手伝うよ。見つけたら連絡するから」

「いや、でも」

「やろうよ。後悔しないように」


 チャイムが鳴る。


 この音を合図に授業から解放され、この音を合図に再び授業が始まる。予鈴には何度も焦らされたし、ホームルーム終わりのチャイムには何度も開放感を味あわさせてもらった。


 一喜一憂したこの音を、この校舎で聞けるのも残り僅かとなった。


 些細なものでも、今は無償に手放しがたいものに感じる。


「そうだな」


 後悔しないように。


 楠木の言葉が胸に染みこんでいく。


「頼む」

「あたしは旧校舎のほう探してみる。一応何回か下駄箱も確認しなきゃね。番号はわかる?」

「ああ。俺は新校舎を探す。下駄箱はたしか2番だ」

「りょ!」


 楠木は手首に巻いたヘアゴムを口に咥え、髪を後ろに束ねるとそれをヘアゴムで留めた。


 駆け出していく楠木の背中を眺める。


「よし」


 大丈夫だ。


 廊下の奥で輝く黄色の軌跡は、俺に勇気と活力を与えてくれる。


 俺もブレザーを脇に挟んで、階段を駆け下りた。



 捜索は一時間ほど続いたが、いまだ紫苑を見つけることはできていなかった。


 紫苑が学校にいるのかを確認するため、俺はもう一度下駄箱を見に行くことにした。


「高校生にもなってなに必死に廊下走ってんですか。落ち着きのない小学生みたいにドタドタ足音たてて、靴くらいちゃんと履いたらどうです?」


 階段の踊り場に立っていた鬼灯と出くわした。腕を組んで、俺を睨んでいる。・・・・・・なんで睨まれなきゃならないんだ。


「悪い、今急いでるんだ。愚痴なら後にしてくれ」

「あ、ちょっと」


 そう言って通り過ぎようとしたとき、鬼灯の足がにゅっと俺の前に伸びてきて、それに引っかかった俺は盛大に前へすっころんだ。


「ぐへぇ!」

「あはは、すごい声」

「なにするんだいきなり!」

「だって先輩ずっとブタさんみたいに鼻息荒いんですもん。すこしは落ち着いたらどうですか?」


 顔を上げると、鬼灯が冷徹な視線で俺を見下ろしていた。


 俺はズボンの埃を払いながら立ち上がる。


「先輩のカノジョさん、ついさっき帰ったみたいですよ」

「え」

「さっき柚子先輩からメッセージが届いたんです。アナタのカノジョさんを探してあげてって」

「楠木が・・・・・・」


 そうか。確かに探すなら人数は多い方が効率はいい。


「って、もう帰った!?」

「はい、図書館の先生と、それから担任の先生にも聞きました。どうやらカノジョさん、図書館で仕事を終わらせたあと、提出物を出しに一度教務室へ向かったらしいです。で、私が聞きに行った5分前程前に帰ったとのことです。・・・・・・必死に探してたみたいですけど、先生には聞かなかったんですか?」

「・・・・・・聞かなかった」


 紫苑を探すのに必死で足ばかり動かしていたが、肝心の頭はどうやら動いていなかったらしい。


「はぁ・・・・・・しっかりしてください」

「でも、助かったよ。ありがとう」


 そうと決まれば、俺も後を追うだけだ。


「佐保山先輩」


 靴をしっかりと履き、走りだそうとすると背後から鬼灯の声が降ってきた。


「きちんと、切り取れたんですね」


 最初はなんのことかわからなかったが、考えたらすぐに思い出すことができた。


 ――放っておくと伸びて伸びて、いつか自重に耐えきれなくなって。ひとりでにポッキリ折れちゃいますよ。


 前に鬼灯から言われたことだった。


「ああ、ちゃんと切ったよ。ハーレムはやっぱり、俺には性に合わない」

「は? なんのことですか?」


 すると鬼灯は呆れたようにため息をついた。


「私は、佐保山先輩が柚子先輩と、そのカノジョさん。どちらも振ってしまいそうだったから、それを心配してたんです」

「俺が?」

「ええ、どうせ面倒だからとか言って、なら全部なかったことにしようとか、そんな理由で二人を拒むことが容易に想像できたので」


 鬼灯の想像は、当たっていた。


 俺は楠木に言われなければ、紫苑との関係を戻そうなんて考えもしなかった。


 楠木との蟠りも解消し、紫苑との関係もなかったことにする。それが一番、俺が肩の力を抜いて生活できる最も良質な環境だと思ったのだ。


「でも、しなかった。偉いと思いますよ、佐保山先輩にしては」

「そうか」


 一応、褒められたのだろうか。


「誰かを好きになるっていうのは、誰かを選ぶということです。佐保山先輩」


 鬼灯が真剣な表情で俺を見据える。その瞳に、俺を見下すような色は含まれてはいなかった。


「自分で選んだんだったら、自分でケリをつけてください」

「わかってる」


 俺が選んだのは楠木ではなく紫苑だ。


 どちらがいい。片方のこういうところがいい。一緒にいて、こっちのほうが心地がいい。


 優劣をつけた。順位をつけた。


 そうやって、選んだのだ。


 残酷だ。残酷だが、平等だ。平等は正しい。ただ、正しければ、傷を負わないわけではない。正しい道はいつだって険しい。正しくない道はいつだって平坦だ。平坦な道で得るものは、きっと一つもない。失うものもないだろうが、その代わり、摩耗するものはある。


 それでも、平等のほうがいい。不変を願うより、相応の傷を負えば状況を変えることのできる平等な、険しい道のほうが、いいに決まっている。


 スマホが震える。楠木からの着信だった。


『佐保山!? いまどこ!?』

「新校舎の二階だ。鬼灯と一緒にいる」

『紫苑ちゃん見つけたよ!』

「ほんとか!?」


 つい大きな声を出してしまう。


『窓から見えたの! 紫苑ちゃん、裏門からまっすぐいったところの田んぼ道を歩いてる!』


 裏門の田んぼ道・・・・・・。


「駅に向かってるのか!」

『うん! たしか47分の電車があったはずだから、それに乗るつもりなんだと思う!』


 時計を見る。すでに針は30分を回っていた。


 ここから駅に行くには、自転車でも10分はかかる。さすがに、追いつくのは無理か。


『走りなよ! 佐保山!』

「は?」

『間に合うよ! 紫苑ちゃん、まだ踏切の手前だから!』

「いやいや、無理に決まってるだろ。忘れたのかよ、俺は運動音痴なんだよ」


 走ればすぐに転ぶ。だから走ることもしない。 


 そうやって擦り傷を負わないように生きてきたのだ。


 ・・・・・・今更全力で走れなんて言われたって、できっこない。


『届くのは今だけなんだよ!?』


 楠木の言葉にハッとする。


 ・・・・・・そうだ。


 俺はいつまでもこの場所にいるわけじゃない。


 走ってギリギリ間に合う距離? そんなのまだ優しいほうだ。


 俺はこれから、何千、何万メートルも遙か先に行くのだ。


 絶対に、追いつけない場所に。


『走って! 佐保山!』

「・・・・・・ッ!」


 俺は無言で駆け出した。


 上履きのまま、転がるように玄関を抜ける。


 砂を踏み、風に押され、それでも前に進む。


 息はすぐにあがる。足の感覚はなくなり、どちらが前に出ているかもわからなくなる。まるで暗闇を走っているかのようだった。


 俺はいったい、なにを頑張っているのだろう。


 なにを必死になっているのだろう。


 汗を流して、歯を食いしばって、バカみたいだ。


 俺らしくもない。


 ・・・・・・俺はいったい、いつまで俺らしくいられるのだろう。


 きっともう、長くはない。


 俺はもう、俺だけのために走っているわけじゃない。


 俺を支えてくれるもの、手を引いてくれるもの、背中を押してくれるもの、信じるもの、信じてくれるもの、幸せを願ってくれるもの。そして、幸せになってほしいと思うもの。


 それぞれのために、俺は必死に足を動かしている。


 神社のある林道を抜けると、駅までの一本道になる。


 その先に、一際小さい背丈に、シルクのカーテのように揺れる黒い髪が見えた。


「紫苑・・・・・・!」


 声がかすれる。


 そもそも、声になっていたかどうかも怪しい。


 けど、俺のなかでは確かに響いた。


 足を動かす。


 不器用に、無様に、体が揺れ、視界が上下する。


 すでに意識は朦朧とし、等間隔だった呼吸も、今は浅く短いものに変わっている。


 目の奥が沈むように痛い。


 鼻の奥で血の滲む感覚がある。


 鈍い鉄のような臭いが広がっていく。


 死にそうだ。立ち止まりたい。


 今すぐにでも引き返して、家に帰って、アニメを見て、ゲームをして、風呂に入って、寝て、何もない日々を過ごしたい。


 そっちのほうが幸せだ。


「紫苑・・・・・・!」


 けど、それでは誰かを幸せにすることはできない。


 あいつみたいに、生きられない。


 俺だって、あんな風に。


 一輪の花のように。


 なりたいんだ。


「あっ」


 視界が滑る。


 紫苑の背中に手を伸ばしたその瞬間。


 俺は受け身もとれないまま、地面に転がった。

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