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第83話 俺のすべて

 家に帰り、俺は一人で考えていた。


 紫苑とよりを戻したい。だから楠木に協力してもらって、転校当日までにきちんと紫苑と話をする。


 それが今日、楠木と話して至った結論だった。


 しかしそこにはいくつかの疑問と、熱量の差が含まれていた。


 俺が紫苑に抱く好意というものは、世間一般で言う恋愛感情に該当するものなのか。


 たとえそうだとしても、俺は満足に納得できないまま楠木の言う通り紫苑との関係を戻すのか。


 俺はただの操り人形なのだろうか。


 手は動く、足も動く。口も動くし声もきちんと出る。それなのに、肝心なときだけ誰かの助けを借りる。・・・・・・操り人形よりもタチが悪かった。


 今思えば、以前もそうだった。俺は『過ち』だと思っていたことも楠木は違うと言い、ならそうなのかと俺も楠木の言うことに従っていた。


 紫苑を映画に誘ったのも、俺の意思じゃなかった。楽しい青春の一ページだと思っていたあの時間は、実はひどく空虚で禍々しい代物だったのだ。


 だからなんじゃないだろうか。


 だから俺は、再び同じ道を歩んでしまった。


「ラブ、コメ・・・・・・」


 シャワーを浴びながら、排水溝に流れていく淀んだ水を眺めて一人つぶやく。


 今更だ。


 これまで散々悍ましい恋愛というものに手を差し出して錆び付いてきたというのに、動かなくなったその重い腕をもう一度動かして笑えと?


 できるわけがない。それは陽気とも前向きとも違う。


 空気すら読めない、ただの狂人だ。


 風呂場からあがると、楠木からメッセージが着ていた。


『おっぱいでも触ってみれば?』

「・・・・・・あほか」


 やはりアニメなんて見せなければよかっただろうか。


 スマホを投げて、タオルを頭に巻いたまま布団に転がる。


 紫苑の・・・・・・おっぱい・・・・・・。


 悶々と考えると汗が出る。


「ふざけてる場合かよ・・・・・・」


 明らかに状況と発言があっていない。今はそんな冗談みたいなことを言っている場合じゃないだろ。しかも下ネタ? ギャルなら空気くらい読んでくれ。


 ・・・・・・いや、違う。楠木はバカで、愚かで、周りの目ばかり気にするような奴だ。周りを取り囲む空気を察知することくらい、いとも簡単にできるはずだ。そうやってあいつの色は、周りに染め上げられていったのだから。


 ということはだ、楠木は努めて明るい発言をしているが、その言葉の裏では俺にこう言っているのだ。


 ――空気をぶっ壊せ。


 ・・・・・・できるわけがない。


 仰向けになって部屋を照らす電灯を見る。


「眩しい」


 やはり俺には、眩しすぎる。


 憧れすぎる。


 焦げてしまう。


 目の奥が痛い。


 もう少し、褪せているくらいがちょうどいい。


 リモコンで電気をひとつ落とす。オレンジ色の淡い光が部屋を覆う。


「これくらいが・・・・・・」


 ちょうどいい。


「紫苑・・・・・・」


 手を伸ばす。


 俺は、紫苑が好きなのだろうか。


 そもそも、どうだってよかった。


 俺にはずっと大きなこだわりや、プライドがなかった。


 周りのことなんてどうだってよくて、俺が無傷でいられればそれでよかった。怒られるのが面倒だからという理由で言うことを聞き、俺がやっていないことで注意されても反論するのが面倒だから無心で謝る。


 全部面倒だ。面倒だから、こだわりなんて持っていなかった。


 捨てられない価値観。自分の中にずっとある大切なもの、そんなもの、今までなかったのだ。


 だけど。


 過去、そして今と、未来。そのすべてを司る大きな出来事が俺にはあった。 


 ずっと忘れられない出来事があった。


 ずっと忘れられない奴がいた。


 そいつのことは嫌いだった。憎かった。恨めしいほどに、大好きだった。


 ずっと忘れられない奴がいた。


 スマホが震える。


『プレゼントはアクセ類でもいいけど、佐保山のセンスたぶんヤバいからハンカチか、サイアク靴下でもいいかも。ヤバい奴渡しちゃっても、靴下なら履けるでしょ? ここ、包装紙がめっちゃかわいいデパートだからオススメ☆』


 暗い部屋で、指を動かす。


『センスなんて、買ってみなきゃわかんないだろ』

『わ! なに強がってんの! マジでやめときなって! 人にあげるもんなんだよ!?』


 ひどい言われようだった。


「はは」


 スマホを投げる。


 髪から滴が落ちて瞼に落ちると、頬の上をなぞり落ちていく。


 一粒、一粒。落ちていく。


 目尻に溜まるそれをタオルで拭い、体を起こした。


 腕があがり、足が動く。


 また操り人形だ。


 それはこれから、一生変わらないのかもしれない。


 だけど、背中を押されれば前につんのめるくらいの不安定さも持っていた。それだけで充分だ。それだけで、俺は自分を空っぽだと思わずに済む。


 そういえば、クラスの中に変な奴がいたな。


 寿司には絶対醤油をかけない奴。カラオケでは必ず水しか飲まない奴。同じブランドの服しか着ない奴。


 思い出せばキリがなかった。どいつもこいつも、自分の中で大きなこだわりを持っている。


 俺にとってのそれは、いったいなんなんだろう。


 再びスマホが震える。


『でも、佐保山が本気で選んだものならゼッタイ紫苑ちゃんに想いは伝わるとおもう。だからがんばって』


 俺には絶対無理だ。


 そう思っても、こいつが言うと全部できる気になってしまう。


 けど、そうだよな。


 こいつは、俺のすべてなのだ。


 人格の形成、憧れの景色、トラウマの植え付け、憎悪の矛先、明かりの在処。


 過去、現在、未来。


 楽しい思い出も、苦い記憶も、嬉しい言葉も、抉るような痛みも、全部こいつからもらったものだ。


 楠木がいたから、俺という人間がこうして今を生きている。


 楠木の言葉は、俺にとってのすべてだ。


 好きとか嫌いとか、俺には今もそれがなんなのかわからない。


 けど。


 そいつが言うのなら。


 楠木が言うのなら。


 やってやる。


 できるはずだ。


 ラブコメだろうが、おっぱいだろうが、ラッキースケベだろうが、ハーレムだろうが。

 

「いや、ハーレムはいいか・・・・・・」


 あいにくそんな性癖も、大量の人間を養えるほどの度量もない。


 まぁ、ラッキースケベくらいなら、してもいいのかもしれない。


 鼻血でも出したら面白いだろうか。


「・・・・・・っはは」


 俺のすべてだ。


 だから大丈夫だ。


 糸で釣られた体は、きちんと熱を持っている。


「あとは」


 もう一度、薄ら寒い『仮面』でも被れば、完璧だろうか。

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