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第82話 陽はまだ沈まない

「それで、どうすればいいんだよ」


 俺と楠木は近くのファミレスに来ていた。向かいの席に座った楠木は紅茶とホットケーキを注文した後、前のめりになってテーブルに手を置いた。


「まずは重苦しい空気をなくすことかな」

「なんだよそれ」

「佐保山なんか怖い顔してるんだもん。そんなんじゃ紫苑ちゃんまで萎縮しちゃうよ」

「そんなこと言われたってな」


 俺はアイスコーヒーでも頼もうとしたが、楠木の注文が来てからでもいいかと思い呼び出しのボタンから手を離した。


「それに、俺だってまだ、よくわかってないんだ。好きとか、嫌いとか、付き合うとか、全然。定義もわからないし、自分が紫苑のことをどう思ってるのかも、曖昧で」

「だから、難しく考えすぎなんだよ佐保山は。好きとか嫌いとかじゃなくって、自分が紫苑ちゃんにたいしてどうしたいかを考えてみたら?」

「したいことなんて・・・・・・」

「たとえば、『そういう』こととか」

「ばっ、バカじゃないのか!」

「あはは、赤くなってる」


 楠木が笑う。顔を伏せているから表情は見えない。


 そのあと注文した紅茶とホットケーキが運ばれてくる。顔をあげた楠木は声色と遜色ない、笑顔だった。


 バターの乗ったホットケーキにナイフを差し込み、一口サイズに切っていく。


「いる?」

「いや、いらない」

「そっか」

「それよりも、なんだよさっきの冗談は」

「冗談じゃないよ。そんくらいのバカさで人を好きになってもいいんじゃないのってことが言いたかったの」

「・・・・・・お前も、そうなのか?」


 口に運んだフォークがなかなか出てこない。くわえ込んだまま、楠木は固まっていた。


 自分がそういう想像をされているということを考えると、不思議な気持ちになる。俺が、俺と、なにしたいってんだ。


「重苦しくない恋愛って、あるんだよ」


 結局、楠木は俺の質問には答えなかった。


「でもそれって、いつまでも続けるようなものじゃないと思うの」

「どういうことだ?」

「そりゃさ、大事な話は真剣にするし、互いの悩みがあればきちんと向き合う。でも、いつもそれだといくら好きな人と一緒でも疲れちゃうでしょ? 佐保山はもっと、わほーい! って感じでもいいと思うの」

「わほーいって」

「佐保山はさ、別れたことに納得がいってないんでしょ?」


 そういえば、アイスコーヒーを頼むのを忘れていた。


 それくらい考え込んでいたということだろうか。


 考え込むということはそれくらい・・・・・・紫苑のことを思っているということなのだろうか。


 それが好き嫌い愛情恋愛そんなものに発展していく自覚は、まったくなかった。


 だが、罪悪感と、少々の後悔は確かにあった。


「紫苑ちゃんが別れ話を切り出した理由、佐保山はどう考えてる?」

「・・・・・・紫苑はたぶん、俺に気を利かせたんだと思う。紫苑のことで悩んでいたら楽しい思い出なんて作れないから、だから自分がいなくなることで俺の負担を少しでも減らそうとしたんだ、と、思う」

「うん。あたしもそう思う」


 楠木が紅茶をすすると、こちらまでミルクの香りが漂ってくる。甘いものばかりだ。脳を動かすのにはちょうどいいのかもしれない。


「紫苑ちゃんは良い子だけどさあ、良い子すぎるね」

「というか、自分を犠牲にしがちというか、俺のこと、考えすぎなんだよ」

「佐保山のことで頭がいっぱいってことだよ」


 それがどういうことなのか、聞き返さなくても俺にはもうわかっていた。


 前だってそうだった。


 『過ち』を『過ち』だと思っていたのは俺だけで、紫苑はまだ、俺との時間に夢を見て、俺との思い出を捨てずに持っていた。


 紫苑はいつだって俺のことを考えていてくれた。


 いつだって俺の幸せを願ってくれた。


 俺の物語が、好きだから。


 紫苑はそう言った。


「まだ、紫苑は俺のこと好きでいてくれるのか」

「追憶」


 楠木がぽつりとつぶやく。


「君を忘れない」


 あの日、楠木に教えてもらった言葉だ。


「覚えてる?」

「ああ、シオンの花言葉」

「正解」


 空になったカップを皿に戻し、最後の一切れを口に運ぶ。


「俺は花言葉なんてアテにしてないけどな」


 そもそも、考えたのは誰なんだ。逆説的な根拠でもあればいいのだが、結局花言葉なんてすべて後付けだ。


 『幸せ』だとか、『親愛』だとか、逸話もなにもない上辺だけの薄っぺらい言葉。正直、バカバカしくて仕方がなかった。


「そう? あたしは好きだよ花言葉。頑張って咲いてる花が『勇気』、とか『決意』、とかそういう花言葉を持ってると、あたしも元気をもらえるもん」


 俺にはない感性だった。


「それに、マリーゴールドのおかげで恵ともっと仲良くなれたし、花言葉の『友情』も、あながち間違いじゃないでしょ?」

「それも後付けだろ、結局」

「まあ、そうなんだけどね」


 楠木もそこまで俺に押しつける気はないのか、食い下がることはしなかった。


「佐保山は不安?」

「なにがだよ」

「紫苑ちゃんと遠距離でもうまくやっていけるかどうか」

「そうだな・・・・・・というか、ほぼ無理だと思ってる」

「それはどうして?」

「だって俺だぞ? 俺よりもっといい男がいる中で、わざわざ会うこともできない遠くの男をずっと好きになんてなれるかよ。紫苑だってこれから別の誰かに声をかけられるかもしれないし、それに」


 いつまでも俺に縛り付けるのも、なぜだか申し訳なくて。


 見ると、楠木はなにやらニマニマと口元をほころばせて俺を見ていた。


「なんだよ」

「なんにも言ってないよ?」

「笑ってるだろ」

「べつにー?」


 楠木は表情を変えず、紅茶のおかわりを店員に頼んだ。


「あ、俺も・・・・・・ミルクココアで」

「あれ? さっきメニュー表眺めてるときコーヒー見てなかった?」

「甘いものがほしくなったんだよ」

「そっか」


 楠木はまた笑う。なにがそんなに楽しいんだか。


「つまり、佐保山は自分に自信がないんだ」


 返事はしなかった。だが、悔しいがようするにそういうことだった。


 ココアと紅茶のおかわりが同時に届く。


 俺たちは乾いた唇を潤すように同時にコップに口をつけた。


「大丈夫だよ、紫苑ちゃんなら」

「どうだかな・・・・・・」


 ココアの甘みが喉を伝っていく。


 それが胃に落ちると、指先や足先に仄かな熱が広がっていく。


 冷め切っていた心が溶かされるようだった。


 そうか。


 俺は。


 紫苑ともう一度やり直したいんだ。今度は誰の意志でもない。命令されたからじゃない。


 俺自信の意志で、紫苑を求めているのだ。


 別れ際に見た紫苑の顔が、俺は今でも忘れられなかった。悲しい顔でもしてくれたらよかったのに、紫苑はむしろ喜ぶように俺を見送ってくれた。


 いや、本当に喜んでいたのだろう。


 ・・・・・・狂っていた。


 狂っているほどに、紫苑は俺のことを想い過ぎていた。


 俺はどうだろう。そこまで紫苑に尽くすことはできるだろうか。


 はっきり言って、できない。


 できないが、俺だって、大概普通じゃないのだ。


 だって俺はオタクだ、オタクだから、ちょっとくらいの奇行も許される。オタクっていうのはそうやって白い目で見られる生物なのだ。


 オタクはすぐに周りが見えなくなる。


 好きなものに夢中になりすぎるのだ。


 紅茶もココアも飲み終えて、楠木が席を立つ。会計を終えてファミレスを出ると、生暖かい風が通り過ぎていく。


 ベンチの後ろに生い茂った草木の中で、小さなツクシが顔を出していた。


「そろそろラブコメの時間なんじゃない?」

「なんだよそれ」

「あたしもラブコメのアニメいっぱい見て思ったんだ。主人公はちょっとくらいバカで、突っ込みすぎたくらいのほうがおもしろいよ」


「俺が主人公に見えるか?」

「見えるよ」


 隣を歩く楠木の視線を感じる。


「佐保山ならやれるよ」

「ラブコメ、ねえ」

「うおおお! 紫苑! 俺だ! 結婚してくれー! って、そんくらいの勢いを期待してる」

「難易度が高すぎるだろ。俺にそんなことはできない」

「なら、ちょっとデートするだけでもいいんじゃない? たまには、たのしーく、さ。オシャレなお店行って、オシャレなご飯食べて、オシャレな景色を見て、オシャレなプレゼントを渡す。それだけでも充分、ラブコメだよ」

「オシャレとか、その時点で詰んでるんだが」


 そう言うと、楠木が不適に笑った。


「なーんのためにあたしがいると思ってんの!」


 膨らみのある胸元を叩き、楠木がウインクをする。


「佐保山にしてあげられる最後の恩返し、しっかりやるから! 佐保山はどっしり構えてなさい!」

「・・・・・・なんだそれ」


 楠木の妙に高いテンションに、俺もつい笑ってしまう。


 けど、そうだったな。


 最近は面白くないことが色々と起きていて忘れていたが、楠木はこういう奴だった。


「まぁ、頼む」

「任せて!」


 夕焼けをバックに、楠木が両手を後ろに回してステップを踏む。その姿は、楠木と服屋に行ったあとの帰りの景色を思い出させられる。


 ああ。


 もし、もしも。


 なんて。


 ひっくり返しようのない、時間の順序というものに文句を言ってしまいそうになる。


 けど、それは口には出さなかった。


「佐保山」


 楠木が俺の胸に拳を当てて、白い歯を見せる。


「『きっとうまくいく』」

「今度はなんの花言葉だよ」


 呆れながらも聞くと、楠木は少し眉を下げて、唇をきゅっと締めた。


 風が吹く。


 暖かいそれが、楠木の黄色い髪を揺らした。


「あたしの花言葉」


 春はもう、すぐそこまでやってきていた。

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