第77話 この幸せのなかで
結局ホームルームと一限目はまとめて楠木を迎え入れる会となった。
机を合わせ会議のような形を作り、その真ん中に楠木を置く。楠木はやや恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
家にいる間はアニメ見たりした、と楠木が言うと、案外隠れオタクのような女子も多くいたらしく何人かが話に食いついていた。楠木もどもったりせずにきちんとクラスメイトと話せているようだった。
それから何故か俺の話になり、女子が「サボテン、柚子ちゃんが学校に戻ってこれるようにってすごい必死だったんだよ」と言うと、楠木が「え~? そうなの?」と恥ずかしそうに俺を見る。
俺は別に必死こいたつもりなどないと反論したが、それが火に油だったらしく俺と楠木の話でどんどん盛り上がっていった。
休み時間には噂を聞きつけた奴らが次々とやってきて楠木に飛びついていた。そういった交わりを見ると、楠木を必要としている人間の多さを垣間見ることができて、改めてすごい奴なのだと思った。
昼休みにもなると、楠木やクラスもいつもの調子を取り戻し、浮ついた雰囲気も消えそれぞれが自分の生活へと戻っていった。
これで一件落着かと思ったが、そういえば一つ、まだ解決していない問題があった。
昼飯を食べている途中、ふと楠木が立ちあがったのを俺は遠目から見た。
楠木が声をかけたのは純子だった。
純子は朝、保健室にも顔を出さなかったし、楠木が教室に戻って以降も一度も口を開かなかった。
楠木が話しかけても純子は無視して教室を出て行こうとする。
「あたしも悪かったから」
しかし、楠木が謝罪した瞬間、純子は勢いよく振り向いて楠木を睨みつけた。
その矛先に宿るものは憎悪だ。劣等感だ。苛立ちだ。
楠木が謝る必要なんてないのに、その楠木が謝って、反対に謝罪をするべき純子は頭を下げない。
その事実に純子も気付いているのだろう。
「あ、ちょっと!」
すると純子は楠木の手を振り払い、自分の席へとズカズカ歩いていく。机の中から一枚の色紙を取り出すと、それを楠木の胸元に叩きつけた。
突然のことで反応できなかったのか、取り損ねて色紙を落としてしまう。楠木がそれを拾っている間に、純子は教室を出て行ってしまった。
「すごい勢い」
困ったように笑いながら、楠木が俺の元へとやってきて、角の折れた色紙を見せてくる。
「『うちに近づくな』だってさ」
「・・・・・・それも、あいつの選択なんだろ」
「そういうもんか」
肩を落とす楠木。
だが、こればかりは純子の選択が正しいと俺は思った。
楠木はまた仲を戻したいと思っているようだが、それはおそらく悪手だ。誰もが楠木の無償の優しさを受け取れるわけじゃない。負い目がある人間なら尚更だ。
それでも、この状況の中、また楠木に対して強く当たるなんてできない純子は拒絶を選んだのだろう。
しかしそこには、純子自身の反省や、自分の行いに対しての後悔、それから楠木への謝罪。本当に僅かだが、あいつなりの善意が含まれているようにも感じた。
「しかたないか。純子、すごい頑固だし」
楠木も納得したのか、肩を竦めて仲間の元へと戻っていった。
放課後になるとカラオケボックスで楠木を迎え入れる会の続きが行われた。中にはわざわざ部活を休んでまで来ている奴もいて、他クラスからも集まったこともあり人数はとんでもないことになっていた。とりあえず二部屋に別れ、ときどき人の入れ替えが行われた。
俺は別にどこの部屋でもよかったので、ジュース片手に何度も部屋を往復させられた。
俺が部屋に入ると「お前かよ」という顔をされるとてっきり思っていたのだが、部屋の連中は笑顔で俺を受け入れてくれるばかりか、一緒に歌おうと誘ってくれた。その善意はありがた迷惑ではあったが、謎のデュエットを断りながらも、俺は居心地の良さを感じていた。
前まではこんな空気になることはなかった。
俺はいつだって邪魔者で、いるだけで空気が陰湿になるクラスに一人はいる除け者だったのだ。
しかし楠木が戻ってきたことによってクラス内の空気は温かいものになり、俺にたいしても気を遣って、仲良くなれるよう振舞ってくれているのが俺にも伝わってきた。
陽キャとか、違う人種とか、そんな偏見ばかり持っていたが、案外話してみればいい奴ばかりだった。
「お! 主役が来たぞ!」
知らない奴が歌う知らない曲をただのメロディラインとして来ていると、楠木が入ってきた。
周りからの扱いがくすぐったいのか、楠木は「やめてよ」と笑いながら言った。
キョロキョロと席を探す楠木と目が合うと、楠木は俺の隣やってきて腰を下ろした。
「なんかお姫様みたい」
「よかったじゃないか」
「うん、悪くないかも」
コップに口をつけて、楠木はにひひと笑った。
「明日からちゃんと学校行かなきゃ」
「どうせすぐに授業がめんどいって言い始めるぞ」
「あはは、そうかも」
すでに今日の午後にはげっそりしていた楠木だ。いつも通りに戻れば、意気揚々と授業を受けることもできなくなるだろう。
「ねえ佐保山。恵が書いてくれたノート、見せてくれない? 復習して、ちょっとでも早くみんなに追いつけるようにしなきゃ」
「いや、だからあれは」
「捨ててないんでしょ?」
隣を見ると、楠木の大きな瞳が俺を見据えていた。
「あ、図星だ」
俺がどういう顔をしていたかは分からない。だが、笑われるくらいには、あからさまな表情をしていたのだろう。
「・・・・・・捨てたことは捨てた。ただゴミ袋を出すのを忘れてたんだ」
「佐保山らしいね」
「どういうことだ」
「遠回りってこと」
欲していた明確な答えではなかった。頭がますます混乱する。
「明日持ってくる」
「うん、お願い」
そうして話していると、俺の目の前にポテトが差し出される。隣の奴が気を利かせてくれたらしい。礼を言って一本貰う。するともっと食えと言わんばかりに皿を持ち上げられたので、追加で三本ほど取って口に放り込んだ。
「柚子ちゃんなんか歌うー?」
「そうだね。うーん、なに歌おっかな」
楠木が他の女子からパネルを受け取り、曲名を入力する画面で悩んでいた。
「これにしよ」
すると楠木は『birthday』という曲を入力して予約した。
「にひひ、家で覚えてきたんだー」
楠木の入れた曲は魔法少女ふりふりピュアラのオープニング曲だった。
歌っているのはまだ高校生の二人組で、その透き通った声は大人顔負けと界隈では噂になっている。
他の女子が歌い終わり、次に歌う楠木がマイクを取る。
「・・・・・・なんだ、てっきり一緒に歌おうとか言い始めるのかと思った。それデュエットだし」
「言わないよ。だって佐保山、そういうの嫌いでしょ? それとも歌いたかった?」
「いや、楠木の想像通りだよ」
「だよね」
俺はホッと胸を撫でおろす。
安堵したからか、体の力が抜けていく。
ポテトの次はたこ焼きが回ってきて、再び催促されるよう皿を差し出された。
たこ焼きはややしなびていて、あまり美味しくはなかったが、味などどうだってよかった。
口の中に広がる温かさが食道を通って全身に広がると、なんとも言えない充足感に包まれる。
「ポテトのほうが美味いな」
俺がそう言うと、たこ焼きの皿を持った奴も「分かる。しかも高いしな」と笑ってくれた。
それからは、そいつとは何度か喋るようになった。
あっちが話しかけてくるのは当然だし、俺も喋りたいと思ったのだ。
俺は確かに、この輪の中に存在していた。
ここにいたいと思った。
楽しいって思った。
もっとこいつらと一緒にいたいと。
そんな青臭いことを思ってしまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうした? サボテン」
隣の奴が心配そうに俺を覗き込んでくる。
「俺、そろそろ帰るな」
「お、おお。なんだ、用事があるのか?」
「まあな」
俺はおぼつかない足取りのまま立ち上がる。
楠木も「あれ? 帰るの?」と不思議そうな顔で見上げてきた。
「悪いが俺の分の金一緒に払っておいてくれないか」
そう言って千円札を楠木の前に置く。
「うん、いいよ。ちょっと待ってね今お釣り出すから」
「いらない」
「え? ちょっと佐保山?」
困惑する楠木の声を背中に受けながら部屋を出て、俺はカラオケボックスを後にした。
まだ夕方の五時ではあるが、外は暗い。
冬特有の、灰色の空が世界を彩っていた。
白い息が上空へ昇っていく。するとそれを返すように白い結晶が降ってきた。
雪だ。
手のひらに乗ると、徐々に黒く染まり、やがて消えていく。その儚さを美しいと思い、同時に愛おしく思えた。
楽しかった。
人と関わるのは、こんなにも楽しいことなのか。
誰かに寄り添って、誰かに触れられるのは、こんなにも心が温かくなるのか。
いい奴らばかりだ。
本当に優しい空間だった。
俺なんかがいても許される、この世で唯一の空間だった。
明日も、これからもまた――。
「う・・・・・・ッ!?」
コンクリートの地面に吐しゃ物が広がった。
そこにはぐちゃぐちゃになったポテトやタコ焼が含まれていて、自分が吐いてしまったのだと気付く。
「ハァ、ハァ・・・・・・!」
異様な臭いが鼻をつき、追うように再び嘔吐する。
口には酸っぱいものが広がり、目からは涙が溢れていた。
吐き散らされたものに、キレイな雪が落ちていく。
気持ち悪くて仕方がなかった。
あの場所に居続けることができなかった。
向けられる笑顔、優しさ、善意。それは俺をあの場所に縛り付ける。
それがなくちゃ、生きていけないほどに、柔らかく、包み込まれていく。
気持ち悪くて仕方がなかった。
俺は口元を手で拭くと、塀に体を何度もぶつけながらよろよろの状態で街から出た。
駅に行くのも億劫だった。
俺はそのまま線路を沿って歩いた。とてつもなく長い距離だった。
しかし、その間の記憶などまったくない。
自暴自棄になっていたのかもしれない。興奮しているのか、それとも何もかもを失っているのか。それすらも分からないほどに頭の中は黒と白の点滅を繰り返すばかりだった。
雪は本降りになっていた。肩や髪に雪が乗る。
体が冷たい。
白い息が濃くなる。
それでも俺は歩き続けた。
歩き続けて摩耗していけば、いつか消えられると思ったのだ。
この雪のように。
チャイムを押すと、扉の奥から抑えめな足音が聞こえてくる。
扉が開き、その住人と目が合う。
「え? 天くん?」
鈴が鳴るような声に、足の力が抜けていくのがわかる。
何度も聞いた声だ。何度も俺を追いかけた声だ。何度も、求めた声だ。
口の中に残る異臭と、香るバニラのような匂いに、鼻が曲がりそうになった。
目に溜まるものを抑えられず、俺はたまらずその場にへたり込んだ。
「どうしたんですか!? 天くん! あ、お、お母さん! タオルを!」
紫苑が俺を抱きとめる。家にいた親も俺に気付いたようで、奥が慌ただしくなった。
「天くん、天くん。どうしたんですか!?」
「紫苑、俺な」
なんで今更なんだろう。
どうしてこんなにも。
「四月になったら転校するんだ」
俺の周りは温かいのだろう。




