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第71話 亡者の嘆き

 冬の体育は体育館にて男子はバスケ、女子はバレーと別れることになっている。球技で本領を発揮する野蛮な奴らの祭りのような騒ぎに俺は巻き込まれていた。


 バスケ部のノールックパスを顔面に受け、鼻先が熱く痛む。


 一限目から体育というのも運が悪かった。とはいえ脳が完全に起きていたとしても飛んでくるボールをよけられたとは思えない。


 運動神経ってのは、いったいどこで差がつくのだか。


 後半はほとんど休んでいるだけで終わった。ラッキーと思えるほどの楽観的な気持ちは鼻先の痛みのせいで湧いてこない。


 健人や、ニワトリ族の男子にイジられるだけイジられて、後片付けだけは俺も参加した。それから後に、俺にボールをぶつけたバスケ部の男子が謝りにきた。「別にいい」と言うと「よくはないだろ」と言われ教室に帰る際ジュースを奢ってもらった。


 そんな代償と見返りが行き来する一限目が終わり、俺は二限目がはじまるまで階段の踊り場で奢ってもらったジュースを飲んでいた。


「あ」


 目が合いおもわず声を出してしまった。


 俺の目の前を通ったのは、純子だった。


 あの事件以来、こいつは一人で行動するようになった。最初は責任を取れとクラス内から非難があったようだが、こいつは無視を決め込んだ。やがて周りからの信頼もなくし、休み時間になると逃げるように教室を出て行くようになったのだ。


 こいつに話しかけるのなんて、この学校ではもはや俺ぐらいのものだろう。


「まだ募集はしてるぞ」

「だから書かねえって言ってんだろ」


 睨むような視線と脅すような声色に、俺は肩を竦めるしかなかった。


「うちが書いたって、余計混乱するだけだし」

「だから、周りからも身を引いたってことか?」

「そうだよ。うちがいるとどいつもこいつもキョドりやがって、ああいう空気のなかにいるとイライラすんだ」

「それは優しさとは思わないけどな」

「当たり前だろ。べつに今更謝ろうとか、懺悔しようなんて思ってねえし。それにうちがあいつの・・・・・・柚子のことが嫌いなのは本当なんだから」


 純子は舌打ちしたあと、階段の手すりにつけられたポールを勢いよく蹴った。


「元はと言えばサボテンのせいなんだよ」

「なんで俺が出てくるんだ」

「体育祭のあの日、うちらが柚子のこと愚痴ってたらサボテンが口出してきただろ。あれが・・・・・・ムカついたんだよ」


 なんとも幼稚な考えだと、俺は思った。


「元々柚子のことは気に食わなかったってのに、なんでまたって、思い出すだけでもイライラする。なんであいつは、いっつも誰かに庇われるんだよ。ヘラヘラしてるだけのあいつが、なんで」

「それは逆恨みってやつだぞ」

「分かってる。だからうちは身を引くって言ってんだろ」

「謝りもしないって?」

「そうだよ、うちがいるから柚子は・・・・・・学校に来ないんだろ。うちが何て言うか、何て思うか、気になってるんだろ。誰が悪いとか、そういうのもうめんどうなんだよ。うちが謝ったって悪化するだけだろうし、もし柚子が戻ってきたとしてもギスギスして、そしたらどうせうちが白い目で見られる。なら最初から何もしないほうがいいだろ。もう、勝手にやってろよ」


 純子はそう吐き出して、階段を登っていく。


「お前はまさか、無傷で済まそうとしているのか」

「はあ?」

「傷口を見ようともしないのは、怪我をしていないのと同じじゃないのか」


 足を止め、俺を見下ろす猛禽類のような視線に怯みはしない。


 まるで亡者のようだ。


 自分が死んだことにすら気付いていない、まだ地べたを這いずって生きようとしている。ああ、なんて泥臭い生き物なんだろうか。こいつも、こいつの、どこがギャルなんだ。


 その染めた髪も、伸ばしたような化粧も、鮮やかな装飾も、全部燃やし尽くしてやりたい。こいつがその名を冠していることに苛立ちを覚える。


「・・・・・・なんだよ」


 気付けば俺も、純子を睨みつけていた。


 怯んだように後退る純子の唇が不安定に波打った。


「なんでお前は、柚子のためにそこまでできるんだよ」

「そりゃあ、俺もあいつが嫌いだからだよ」

「なんだよそれ」


 楠木の優しすぎるところが嫌いだ。楠木の一貫しない不安定な心が嫌いだ。人の目ばかり気にして窮屈に生きている楠木が嫌いだ。それなのに、あいつ自信は毎日が楽しそうなのが憎い。なによりも輝いて見えるのが憎い。花を愛し、花言葉なんてものに縋っている脆弱さが憎い。


「いみわかんね」  


 それなのに助けたくなる。許したくなる。応援したくなる。


 それはやはり、楠木柚子という人間に魅せられているからだ。


 純子は再び舌打ちをしたあと、教室に戻る。俺もすぐに後を付いて行く。


「なんで席までついてくんだよ」

「これ、渡しておく」


 自分の席についた純子の机の上に、俺は色紙を叩きつけた。


「だからうちは書かねえって言ってんだろ」

「それでも書け」

「サボテンのくせに、なんなんだよ」

「さあな」

「ド陰キャのくせに」

「照れるな」

「オタクのくせに」

「バレてたのか」

「うちはハブられる側の人間だろ」

「争いは好きじゃない」


 ボールペンを転がすと、純子の手元で止まる。


「・・・・・・柚子みたいなこと言いやがって」

「楠木が帰ってきやすい場所があったほうがいいだろ」


 純子は色紙とボールペンをひったくると、それらを乱雑にカバンにしまった。


 やがて二限目のチャイムが鳴る。


 純子を一瞥したのち、俺は席につく。


 教師が入ってきて、号令をしてからすぐに授業ははじまる。


 黒板をじっと見ていると視界に白くもやがかかりはじめ、俺は思わず机に顔を伏せた。


 ・・・・・・つ、疲れた。


 今思い出しても足が竦む、あの鋭い目。なんであんな野蛮な奴と対峙しなきゃいけないんだ。


 慣れないことはするものじゃない。心臓が大きく脈打ち、耳鳴りが意識を苛む。


 しかしそれと同時に。


 ほんの少しだけ、妙な達成感があるのもまた事実だった。 

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