第67話 棘だらけの救いの手
柚子先輩は優しい人だった。
それから学校で会うたびに声をかけてくれて、休みの日には一緒に買い物にも行った。
私が転びそうになるとすぐに手を伸ばして掴んでくれる。顔色が悪い日は大丈夫? って声をかけてくれる。わざわざ上の階にある一年生の教室にまで来て心配してくれて、帰り際目が合うと手を振るだけじゃなくてほんの少しお喋りをしてくれる。
その優しさはまるで、罪を償っているかのような儚さがあった。
どうしてこの人はこんなにも寂しそうに笑うんだろう。
いつしか私は、この危うげな先輩を守ってあげたいと思うようになっていた。
けど、それは所詮、決意しただけだった。
私じゃどうしようもない事件に首を突っ込んでみたものの、物理的に守るばかりで状況はちっとも良くならなかった。
「いってぇ」
いまだ痛む腕を押さえる。
薄くなったその痣は、柚子先輩に手をかけていた女に突き飛ばされたときにできたものだ。
あれから三週間ほど経っただろうか。いまだ柚子先輩は学校には来ていない。
まったく、どうして柚子先輩が被害者にならなければならないのか、私には理解ができない。
しかし、性格の悪い人間ばかりが長生きして、いい人は死んでいく。そんな話を昔冗談交じりに誰かから聞いた。
確かにそうだなとも思った。
私も学校の掃除なんかはサボることは多くて、かわりに誰かがやってくれる。労力は私のほうが少ないのに、結果は同じだ。頑張る誰かがいるから、体力の有り余っている私のようなずる賢い人間が得をする。
そんな生き方が利口で、有効で、当たり前の行為であることに苛立ちを覚える。
「あの女、マジで次会ったら殺す」
誰かに聞かれていないだろうか。
不意に出た自分の本音に慌てて口をふさぐ。
私は昼休みが終わるまで階段の踊場でスマホを弄っていた。
柚子先輩へ送ったメッセージに返信はいまだにない。
それでも私は柚木先輩へ思いを伝え続けた。伝え続けることだけが、今の私にできることだ。
たったこれだけ、なんて非力なんだろう。
今この状況をどうにかできるのは、あの間抜けな先輩だけだ。
佐保山天。
柚子先輩のクラスメイトで、たぶん、というか、これは確信なんだけど。
柚子先輩はその佐保山とかいう男が好きだ。
過去に何かがあったことは明白だし、そのことについて柚子先輩がずっと考え込んでいるのも話をしていれば分かる。
そのくせ佐保山先輩の話をしているときは幸せそうに笑うもんだから、私も肩を竦めるしかない。
あの男はやめておいたほうがいいと一度忠告したのだけど、柚子先輩はそれをやんわりと否定して「結構いいところあるんだよ」などと頬を赤くして言った。
なんであいつなんだ。
なんでこんな男なんだ。
顔も冴えない、目つきも悪い。
ボソボソ喋ってて何言ってるか分からないし、見てるだけで前髪が鬱陶しい。
そんな男にしか頼れない、私の非力さが、とてつもなく悔しい。
けど、柚子先輩のためだ。
柚子先輩のためなら、私はそんな大嫌いな男にだって頭を下げられる。
一応、佐保山先輩はあれから何度か柚子先輩と会ってはいるようだけど、過度の期待は禁物だ。
最悪、私がなんとかしなければならないことは頭に入れておこう。覚悟はもうできていた。
教室に向かう途中、廊下で女とすれ違った。
柚子先輩をイジメていた主犯の女だ。名前は知らない。前までは知っていたかもしれないが、沸騰した頭がそれを蒸発させた。
一発ぶん殴ってやろう。そう思い私はその女に近づいた。
私が睨みつけるとその女はこちらを見下ろしながら、小さくこぼした。
「どいつもこいつも」
その女はそうぼやくと、私に左の頬を差し出した。
私は遠慮なくその頬を叩くと、その女は何も言わず去っていった。
どいつもこいつもって、なに?
私の他にもあの女を殴った奴がいるのだろうか。詳しく話を聞いてみたい。殴った感触は最高だった。
私は女が来た方に向かって歩き出した。
「あれ・・・・・・佐保山先輩?」
廊下の向こうには噂のあの男がなにやらクラスの女子と話していた。
髪、切ってる。
あの鬱陶しい前髪はどこにもなかった。
なんの心境の変化だろうか、こんなときに。
「・・・・・・・・・・・・」
佐保山先輩はしきりに女子に話しかけ、それから何度も頭を下げていた。
女子の方も快諾したようで、お礼を言った素振りを見せると佐保山先輩はすぐに他の生徒のところへ行った。
「なにしてんのあれ」
よく見ると手には色紙のようなものを持っているようで、クラスメイトに何か書いてもらっているようだった。
何をしているのか分からないが、あの男にそんな行動力があるものだとは思っておらず、私は呆気にとられていた。
「変なの」
ほら、喋るのが下手だから何回も聞き返されてる。
しかも話しかけたときの第一声で噛みまくってるから挙動不審になって若干キモがられてるし。コミュ障が無理したってすぐボロが出るんだからやめておいた方がいいのに。
佐保山先輩は手に持った色紙に視線をこぼすと、心底めんどくさそうな顔をして大きなため息をついた。
意味分かんない。
自分でやってるくせに。
もしかして罰ゲームでやらされてるの?
いや、違う。
「頑張ってね、私たちもできることあったらなんでも協力するから」
女子がそう佐保山に言い残して去っていくのを見て、その線は捨てた。
じゃあ、なに?
やがて予鈴が鳴ると、佐保山は後ろに置いてあった色紙の山を腕に抱いてそそくさと自分の教室に戻っていった。
ああ、それそんなにあったんだ。
「・・・・・・私も戻ろう」
なにをしてるのかさっぱり分からない先輩の奇行のせいで授業に遅れるなんてたまったものじゃない。
私は急いで階段をかけあがった。
一年生の廊下は他の階に比べてまだ新しく、壁も塗装されたばかりでペンキのにおいが微かに漂っている。
ずっと変わらないこの景色を通って、私はまた、なんの変哲もない授業を受ける。
正解と間違いを繰り返し、誰かに採点されこの先ずっと生きていく。不変の時間が私を待つ受け、それから逃れる術はない。
ただ。
何故だろう。
そんな私の無明の世界でも。
こんな間違いだらけの世界でも。
きっとこれから、なにかが起こりそうな。
そんな予感がするのだった。




