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第66話 唯一無二の世界

 自分の見えている世界が人と違うと知ったのは幼稚園の頃だった。


 お昼を食べるちょっと前くらいに友達らしき人と積み木をしていた。友達らしき、というのは当時目に映るすべての人が自分に新鮮さと刺激を与えてくれる存在だったので、そのように記憶している。


 先生に言われて屋根を置こうという話になり、赤い積み木を取ってくれとその友達に言われた。


 しかし置けども置けども、周りは不満げな顔を浮かべるばかり。けど、こっちだって満足はいかない。手に持った筒状の積み木を持ちながらこれのどこが屋根なんだと思っていた。


「ねえゆりちゃん。それやねじゃなくてえんとつだよ」


 私は先天性の色覚異常だった。


 両親も覚悟していたようで、実際病院で診断され病名を宣告されたときも驚いた顔はしなかった。というのも、母親が私と同じ病気を持っていたのだ。


 先天性のものは外傷や機能異常による後天性のものと違い悪化することは滅多になく失明の心配もないと言われた。


 母親も手助けをしてくれたし、意外と大丈夫なもんだよとまだ子供の私を気遣ってくれた。


 しかしそんなものは私にとってどうだってよかった。


 なんで、私が間違ってるみたいな言い方をされなきゃならないんだ。


 通院して行われたリハビリは治療目的ではなく、この社会への順応を目的としたものだった。


 色を識別できない弊害として最も大きいのが信号機の見分け方。


 赤を赤だと識別できなければ私の足は止まらない。唯一、命にかかわることなのでリハビリは慎重に行った。リハビリの内容はカラフルなコップを用意し、中にみかんやりんごを入れるというものだった。


 今思えば過程に理由はなかったのだろう。子供の私が少しでも興味を持てるように遊び感覚でやらせたのだ。そのおかげで私は赤、緑、それから黄色だけは見分けられるようになった。させられた。


 黄色は黄色だ。それなのに、それは黄色じゃないと言われる。


 十対一の意見だ。


 けど、私の中では唯一無二だ。 


 色という概念を教わった瞬間からこの色は赤で、この色は青、そうやって生きてきた。


 それでも、合わせなきゃいけないのは私だ。


「わぁ、そうなんだぁ。私は鬼灯百合。よろしくね~。そのカバンもしかしてあそこのじゃない? やっぱり! 私も店頭で見た時すっごく可愛いって思ったんだ~! 中々手が出せなくて、高いでしょ? え? いいの? わぁ、嬉しい。どう? 似合ってるかな、なんて。えへへ」


 合わせなきゃいけないのは私だ。


 間違っているのは私だ。


 必要なのは治療ではなく順応だ。


 いつからだろう。この景色が色褪せて見えるようになったのは。


 私がキレイだと思って買った服も派手と言われ、緑一色だと思ったシャツも実はストライプ柄だったりした。


 だから私の中の色を破棄し、バケツをひっくり返したように色の世界へ飛び込んだ。私の中でのピンクはどうやら本来地味らしい。私の中での茶色はどうやら芝生と同じ色らしい。どうりで地面が柔らかいわけだ。


 私が踏んでいたこの地面は、ただの茂みだったのだ。


 そうやって自分を捨て、周りに合わせて生きていく。


 正直に言ってしまえば窮屈だ。


 高校に入学しても私はそんな生き方だったから、友達はたくさんできた。自然な立ち振る舞いも覚えてきた。


 確かに母親の言う通り、日常生活に支障はあまりなかった。


 だが、それは私の心を確実に少しずつ、蝕んでいた。


 そんなある日、私は学校の傘立てに置いていた自分の傘がどれだか分からなくなった。


 寝不足などで疲れているとき、外が暗いとき、即座に色を判断するのは難しい。赤が緑で、ピンクが紫、茶色が・・・・・・芝生。あれ、逆だっけ。


 傘立てに置かれた二つの傘を見比べる。


 もうなんでもいいか。


 どっちだって構わない。


 私は自分のものかも定かではない傘を手に取った。本来ならばもっとじっくり見れば見分けられたかもしれない。


 けどその時はただ、なにもかもが億劫だったのだ。


「あれ? それあたしの傘」


 その時だった。


 声をかけられ振り返るとそこには。


「あはは、二つしかなかったから間違っちゃった?」


 確かな色があった。


 手首に付いた赤いブレスレット。


 前髪を留める緑のヘアピン。


 長くキレイな黄色の髪。


 はっきりと分かった。


 私に分かるのは赤、緑、黄色だけ。


 小さい頃、順応するために無理やり大人に教え込まれた、唯一はっきり分かる色。


 私の世界のすべてがそこにあった。


「す、すみません! 色がよくわからなくて」

「色? そうなの?」

「生まれつきなんです。だからこれ自分のかと思って、まあ一か八かだったんですけど、外れちゃいました。なんて、えへへ」


 私はきっと、拗ねていたのだと思う。


 自分の境遇に、自分の不幸さに、酔いしれていたのだと思う。


「そうなんだ。あれ? じゃあこれは何色に見えるの?」

「うーん、オレンジ、でしょうか」

「えっと、緑だね」

「緑っていうと、芝生ですか?」

「芝生? んー、もうちょっと明るいかも。黄緑、みたいな」


 そうか。オレンジも、芝生なのか。忘れてた。


 じゃあオレンジは消去しなきゃ。


 私の中にある色はこの世界に不要だった。邪魔なだけだった。


「そっかぁ」


 その人は私の顔を覗き込んだかと思うと、パッと明るく笑って見せた。


「すごいね。君には君だけの世界があるんだ」

「え?」

「あたしには見えない色が見えるんでしょ? 君だけの、特別な色が」


 そんなことはじめて言われた。


 私は間違ってる。小さい頃からそう教えられてきたから、そんなこと思ったこともなかった。


「あ、ごめんね! 気分悪くしちゃったよね」

「いえ・・・・・・」


 空が晴れる。


 傘はもういらなかった。


「あたし楠木柚子。よろしくね」


 太陽に照らされた柚子先輩は、煌びやかな光を放っている。


 ねえ、柚子先輩。


 その色は。


 アナタのその色は、本当はなんていうんですか?


 知りたい。


 私にしか見えない、私に新しい世界を見せてくれた人の、私だけの色を。

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