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第62話 ようやく手にした贖罪は

「急に来て悪いな。一応LIMEには送っておいたんだが、見てないか」


 返事を待つ間には秒針の音だけが時を数える。


「鬼灯の奴がさ、どうしてもっていうから。来たんだが。体調・・・・・・大丈夫か」 


 返事を必要としない会話が無意味に拡がっていく。粘っこい、まるで溶液のような会話だった。


 ああ、反吐が出そうだ。


 俺はこういう、相手の顔色を伺ったうわべだけの会話が嫌いだった。話題を合わせ、機嫌を察知し、神経を逆撫でしないよう理屈もわからないものを肯定し、争いを起こさない。下流に落ちた、流れに身を削ぎ取られた丸い石を思い出す。


 別に口を動かして声を出すこと自体たいしたエネルギーにはならない。ただそうやって、思ってもいないことや、自分の価値観の外にある言葉を引っ張り出してくる労力が、会話というものにあるから面倒なのだ。


 まどろっこしいことはやめだ。


 なんで俺がこいつの身を案じてやらなければならない。


「・・・・・・これでわかったかよ」


 毒づくように、俺はその背中を睨んだ。


「裏切られるってそういうことだ。自分の居場所がなくなる苦痛ってのはそういうもんだ。楠木」


 胸がざわつく。


 砂嵐が全身を蝕んでいくようだった。渇ききった喉が、乾いた言葉を紡いでいく。それはすぐに解れ、崩れていくだろう。


 しかしそれは、強固である必要などなかった。


 目の前にいる、この脆弱な存在に届きさえすればいい。


「苦しいよな。誰か助けてくれって、思うよな。でも、助けてくれる奴なんて誰もいなくて、布団にくるまりながら何がいけなかったのか、自分の非を探して、今頃授業を受けてるであろうクラスの奴らの心境を悶々と考えてネガティブな妄想ばかりが膨らんで、嫌になるよな。分かるよ。分かったかよ」


 楠木が布団をたぐりよせたのが分かった。


「・・・・・・魔法少女ふりふりピュアラ、見たか?」


 予想していなかった質問だったのか、楠木はむくりと起き上がって俺を見た。


 髪はぼさぼさで、ヘアピンで留めていない前髪が楠木の目を覆っていた。表情が見えず、暗い印象を覚える。化粧などもしていないのか、眉毛が短く消えている。ピンク色のパジャマも相まって幼く見え、一種の儚さすら感じた。


 顔を合わせるたび、こんな顔ばかりだ。どしゃぶりのあの日から、ずっとこうだ。


 楠木は壁に寄りかかり、自分の膝を抱えるように座った。


「・・・・・・うん」

「そうか」


 素っ気ない返事をすると、続きを促すように楠木が上目遣いで俺を見上げてくる。


「面白かったか?」

「・・・・・・ちょっとグロかった」

「だから最初に言っただろ。絵柄はかわいいけど描写はエグいぞって」

「忘れてた」

「それで、感想はそれだけか?」

「最後がよくわかんなかった。ピュアラはもう一人いたの?」

「ああ、それはな」


 たしかに魔法少女ふりふりピュアラはオタク界隈の中じゃ名作と謳われているが、オタク文化にあまり触れてこなかった人間には最後の結末が少々難解に思えるだろう。


 タイムリープや、世界改変などの単語を交えながら説明するが、やはり楠木には難しかったらしく、小首を傾げる様子に俺も肩を竦めた。


「まあ、最後まで見ただけ上出来だな。けど今度は作画ばかりじゃなくて、セリフに込められたメッセージとか、OPの演出なんかにも気を配るといろんな発見があってもっと楽しめるかもな」

「そ、そうなんだ。うん、ならもっかいみてみる」


 最初は掠れたような声だったが、だんだん慣れてきたのかいつも通りの声を取り戻す楠木。 


 それだけで、俺が来た意味はあったように思える。


 もう、いいよな。


 これ以上話すことなんて、ないだろう。


 足元が浮つく。自我に関わらず立ち上がろうとしているかのようだった。


 俺はなにを焦っているんだ。


 俺はなにを恐れているんだ。


 落ち着け。


「じゃあ、帰るわ」


 そう言って後ろに置いたカバンに手をかけた時だった。


「佐保山・・・・・・あのさ・・・・・・ごっ、ごめん・・・・・・ね」


 刃を当てられたような冷たさが首元を伝う。


「ずっと言えなくて・・・・・・言おうと思ってたんだけど、わたし、バカだから・・・・・・どんどん勇気がなくなっちゃって、怖く、なっちゃって・・・・・・言えなかった」

「・・・・・・ああ」

「あのとき、佐保山にひどいこと言ってごめん。わざわざさ、みんなのいる前で言う必要なんてなかったのに、あたし、恥ずかしくて、自分を守るために佐保山を傷つけた。本当、ごめん・・・・・・」


 拳を強く握ったかと思うと、楠木の顔がくしゃっと崩れる。


 家にいる間、もしかしたらずっとそのことを考えていたのかもしれない。溢れるような言葉に、俺の心臓が呼応するように不快な跳ね方をする。


「こんなに、苦しいことなのに・・・・・・辛いことなのに・・・・・・前のあたしは、そんなの全然わかんなくて・・・・・・なんでもかんでも楽観的に考えてたんだ。前向きになれたらそれはきっといいことなんだって思い込んじゃってて・・・・・・。でも今は、今は言わなくちゃって思って。佐保山、こんな思いだったんだって、だから・・・・・・」 


 大粒の涙が布団とパジャマを濡らす。できた黒いシミがどんどんと広がり、体の水分がなくなるんじゃないかというほどの勢いで楠木は泣いた。


「ごめん、佐保山・・・・・・あたし、バカだから・・・・・・遅くなって、ごめん・・・・・・ごめんなさい・・・・・・っ」


 鬼灯がこの現場を見たらどう思うだろうか。


 考えるだけで恐ろしい。


 肩を何度も跳ね上げ泣きじゃくる楠木は、俺が何か言おうと体を僅かに動かすだけで怖がるように自分の体を抱くようにした。


 これが俺がずっと欲しかったもの。


 これが俺の求めた謝罪。


 あの時こいつが曝け出した人間の悍ましい部分の粛清。


 こいつの人生を仕返しに捻じ曲げてやろうという贖罪。


 ようやく、その言葉を聞くことができた。


「は、ははっ」


 笑いがこぼれた。


「ははは、は」


 思わず目を拭った。笑いすぎて、目の奥に潤いが溜まっていくのが分かる。大きく開けた口を空気が通り歯がギシギシと渇く。


 手のひらで顔を覆い、俺はそのまま吐き出した。


「全然」


 ああ。


 そうか。


 俺はようやく気付く。


 俺は、なにかを嫌いになったわけじゃない。


 誰かを憎んだわけじゃない。


 報いを望んだわけじゃない。


 憧れたわけでもない。


 ただ、ただ単純に、願ったんだ。


 俺も、こんな風に生きられたらって。


 星の見えない、真っ暗な空に、声も出さず、ただ手だけを合わせて、願ったのだ。


 それが時を重ねることで埃をかぶり、薄汚れた灰色の感情に変わっていった。


 俺は、こいつの生き方が好きだったんだ。


 夏空の下でめいっぱいに咲く花のような、そんな華やかさを持つこいつのように生きられたらって。


 惨めな自分を嫌ったんだ。


 けど、夢ってのは小さい頃抱くだけ抱いて、成長すれば現実との折り合いも兼ねて忘れたフリをして諦める。そういうものだ。だから俺も、きっとこんな風にはなれないとすべてを諦めた。


 俺が欲しかったのは謝罪でも、これまでの日常でもない。


 過去も未来も、現在だって、俺にとってはどうだっていい。


 俺は自分の人生をどうしたいとも思っていないし、この世界にもっと救いをもたらそうという気力もない。


 願うのは得意だ。けど俺は何も目標も持たず、叶えることもしなかった。


「俺が」


 だから、嫌だったのは、なにもかもを隠して俺を騙そうとしていたこと。


 俺を振ったくせに、いけしゃあしゃあと擦り寄ってくる虫のような動向に、俺は吐き気を催していたのだ。


 ふざけるなよ。


「もう、いい」


 ムカつく。


 苛立つ。


 反吐が出る。


 お前、そんな奴だったのかよ。


 俺があの日見た一面の彩りは、造花にしか過ぎなかったってのか?


「さぼ、やま・・・・・・」

「もう、いいから。それは、昔のことだろ」


 どうせ謝るくらいなら、俺に返せよ。


 俺はカバンを乱雑に担ぎ、ドアノブに手をかけた。


「ま、待って。佐保山」


 ベッドから転げ落ちた楠木が、手を伸ばして俺のズボンの裾に触れる。か弱い指の力に、俺は足を止める。


 振り返ると楠木が赤くなった目で俺を見上げていた。縋るようなその視線に、俺は更に苛立ちを覚える。


「ま、また来て・・・・・・」


 そういうワガママが言えるなら、もっと早くに活かせよ。だからお前はダメなんだよ。


 何もかもがダメになるんだよ。


 なにが、ギャルだよ。なにが、花屋だよ。


「分かった」


 ・・・・・・返せよ。

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